第11話◇同室

 



「嫌です! お断りです! 無理です! 反対です! 断固拒否します!」


 髪を振り乱す勢いで、妹がぷりぷりと抗議している。


「そんなこと言わないでさ」


 宥めようとするも、妹の怒りは収まらない。


 白雪の頬は朱に染まり、薄い唇はわなわなと震えている。華奢な身体全体で怒気を表現する様は、小動物の威嚇を思わせた。小動物とは言っても、ヤクモが知っているのは魔物の幼体だが。


「幾ら兄さんの頼みでも受け入れられません! わたしと兄さんの愛の巣に部外者を招き入れるなんて言語道断です! 悪逆非道の行いです! まさに悪魔の所業! 神を恐れぬ暴挙! 現し世の悪徳全てを掻き集めたとて、この罪咎ざいきゅうに敵いはしないでしょう!」


 《導燈者イグナイター》と《偽紅鏡グリマー》は必ずしも暮らしを共にしなければならないわけではないが、分けるならば当然その分金が掛かる。


 《偽紅鏡グリマー》を戦闘時だけでなく日常において召使のように使役する者も珍しくないらしく、同じ住居・敷地内で生活を送ること自体は珍しくない。


 ヤクモとアサヒも寝室を分けているだけで同じ部屋を借りている。


「ご、ごめんなさい……私なんかの所為でおふたりにご迷惑おかけすることになってしまい……あの、私のことはお気になさらず。外の芝生でも、なんでしたら路上でも寝起きしますので……」


 萎縮しているモカを見て、部屋の前で騒いでいた妹も困ったような顔になる。


「うっ……どうにもやり辛いですねこのおっぱい」


 一週間前から二人が暮らしているのは機関の寮だ。無論男女別だが、例のごとく《偽紅鏡グリマー》は人より下とされているので性差は不問。


 つまり男子寮・女子寮と分かれているものの、その条件に当てはまるのは《導燈者イグナイター》の住人だけということ。


「だからと言って、譲るわけにはいかないんです。ましてやこんな……おっぱいなど」


 アサヒは精一杯の憎しみを喚起するようにモカの胸部を睨みつけているが、彼女自身モカのことを嫌っているわけではないようだ。


 交渉の余地はあると判断。


「家が無い苦しさはアサヒにも分かるだろう?」


「そ、れは……そうですケド」


 それでもまだ納得が出来ないらしく、妹は唇を尖らせ両の人差し指同士をつんつんしている。


「折角兄さんと兄妹水入らずイチャイチャラブラブ生活を送っていたというのに!」


 アサヒの発言にモカが顔を真っ赤にし「おふたりは、そういうご関係……」と呟いている。


「アサヒ、モカさんが信じちゃうから」


「わたしは嘘なんてついてません!」


「うぅん? まぁそのあたりは措いておくとしても。僕の部屋を空けるし、アサヒには出来る限り不便はかけないようにするから」


「そんなっ! ヤクモ様のお部屋を使わせていただくなんて出来ません!」


 恐縮するモカ。

 逆に、妹はキラーンと目を輝かせた。


「いえ、それは名案ですよ兄さん。つまりわたしの部屋で一層イチャイチャするということですね? ふっ、余計なおっぱいもこれならスパイスになります。『扉一枚隔てた向こうに人がいるのに……っ』というやつでしょう? ふふふ、獣欲に駆られた兄さんを前にわたしはただ……じゅるり」


 先程までの態度はどこへやら。一転して表情を明るくした妹が満面の笑みをこちらに向けている。


「もちろん、普通に居間で寝るつもりだけど」


「そう照れずとも、兄さんは奥手なところだけが難点ですよ。でも大丈夫、女性側がぐいぐい行けばいいだけの話ですから」


 さりげなく腕を絡ませてこようとする妹から、さっと逃れる。


「来ないでね」


「兄さんのいけず! 据え膳食わぬは男の恥というヤマトの言葉を知らないんですか!」


 怒り、喜び、また怒り。我が妹ながら感情の起伏が激しい。


「それ、兄妹に適用する言葉じゃないから」


「血の繋がりが無いので問題はありません! むしろうぇるかむ!」


「いつまでも立ち話ってのもなんだし、そろそろ中に入ろうか」


「む、無視っ!? 最愛の妹に対してなんたる仕打ち! なんたる為様しざま! 壁の外に妹愛を置いてきてしまったとしか思えません! あぁなんということでしょう! 兄さんの優しさは、仮初の安全一つで霧消するようなものだとでも? いいえ、そんな筈はありません! 兄さん、アサヒは信じていますからね?」


 話が進まない。


「アサヒ」


「なんでしょう、妹愛に酷く欠けた兄にあるまじき所業を繰り返すヤクモくん。目を覚ますのに必要なものがあるならなんなりとお申し付けくださいな。それが都市の何処に在ろうと、いいえ世界の果てにあろうと探し出して見せます! 波濤万里も何のその! わたしは兄さんの為であればたとえ火の中水の中、腕の中お布団の中! 苦でもありませんから!」


 最後の二つはただの願望だった。


「確かに僕らは家族だし、君は妹だよ。それこそ最愛のね」


「ふ、ふぅん? そうですか。まぁ? 口だけならなんとでも言えますし? そのあたり信用を得たいのであれば人間やはり行動に移さなければならないとわたしは考えますけどね?」


 表面上不機嫌を取り繕いつつ、頬の緩みを抑えきれない様子の妹。


「だけどさ、さっき君自身が言ったように、血の繋がりは無い。少々特殊だけど、壁内のルールで言えば義理の妹ってのが近いのかな? そういう間柄なわけだ」


「いいえ、それは続柄です。わたし達の間柄は家族のように深く、恋人のように熱く、相棒のように固い、不滅にして不朽にして不壊! 唯一無二のものなのです! どれくらい唯一無二かと言えば、かつて天空に輝いていたとされる太陽くらい、かつて夜を照らしていたとされる月くらい、唯一無二なんです! おわかり頂けますか!」


こういった時の妹の弁舌にはそれこそ舌を巻く。とはいえ、ヤクモもそれに慣れる程度には同じ時を過ごしている。


「かもしれないね。であればこそ、家族としての距離感、相棒としての距離感とは別に、男女としての距離感があって然るべきだと僕は思う」


「はい! つまり獣のようなまぐわいです!」


「うん。つまり、みだりに親しむことは避けるべきなんだ。ほら、ヤマトの言葉にも男女七歳にして席を同じゅうせずとあるし」


 ぴくりと妹の眉が揺れる。柳眉倒豎、彼女は幼子を叱りつけるように語りだした。


「はい? みだり? いくら兄さんとはいえ誤用はいただけません。わたし達の関係は十年に及ぶんですよ? 互いに思いながら十年もの間肉体関係を持たない男女はこれ以上なく貞潔と言えましょう! 故に! わたし達が結ばれることは勝手でも軽率でも淫猥でも不合理でもありません!」


「ぐ」


 不覚をとった。


 こうなっては言葉の誤りを認めて訂正したところで意味は無い。

 彼女の展開した論理を覆す理屈を捏ね上げねば。


「おや? おやおやおや? 望まぬ形での沈黙は、それすなわち肯定に等しい。兄さんともあろう方が議論の途中で口を噤むとあればなおのこと。ふふふ、ついに認めて下さいましたか! そう、兄さんがわたしに手を出さない現状は極めて異常なのです! 可及的速やかに契りを交わし、心の距離を今より近づけようではないですか! うへへ」


「いや、それは」


「無駄ですよ兄さん。既に結論は出ました。先程男女の距離感を持ち出していましたが、むしろ兄さんこそ、男女としての距離感を測りかねているのでは? わたしを妹のように愛し、相棒のように信ずることはすれ、女性として扱うことはありませんよね? これまで寝食どころか戦いまで含めて苦楽を共にしてきたわたしを、女としてだけは見なかった。見ないように頑張っていたんですね? でも大丈夫ですよ。もう我慢し、な、く、て、も」


 指で胸をずずず。


 モカは慌てて目を塞ごうとしたが、ちゃっかり指の隙間から見ている。

 こうなっては仕方ない。


 ヤクモは最終手段を執る。


「わかった」


「へ?」


「アサヒがそこまで言うなら僕も覚悟を決めるよ。我慢はしなくていいんだね?」


 彼女の腰を抱え、壁際に押し付ける。

 互いの吐息がかかる距離。


「に、兄さん? い、いえ、とても嬉しい展開ですがいくらなんでも此処では、ほ、ほらモカさんの目もありますし」


「腕の中でも苦じゃないんだろ」


「っ。た、確かにそう言いましたケドっ……ふぁあ、だめですこれはまずいですこんなの想像以上…………ぱたり」


 ぷつんっと糸が切れたように妹の身体から力が抜ける。

 分かっていたことなので、ヤクモは危なげなくそれを受け止めた。


「あ、あれ……? ヤクモ様? アサヒ様はどうされたのですか?」


 さてどう説明したものかと悩む。


「アサヒはさ……攻勢には出るけど、そのくせ反撃にはめっぽう弱いんだ。妹を負かしたいなんて思わないから、普段は適当にあしらうんだけど。たまにやめ時を見失った時だけはこうしてる。僕もこういうのは苦手だから、誰も得しない痛み分けなんだけどね」


 実際、恥ずかしさで顔が熱を持っている。


「はぁ……つまり、アサヒ様はアプローチこそすれ、ヤクモ様がそれに乗ると緊張のあまり意識を失ってしまう、ということですか?」


「可愛いよね……と言いたいところなんだけど、前にアサヒが気絶している時に魔物に襲われたことがあってさ……」


「はわわっ」


 武器化には《偽紅鏡グリマー》側の認証が不可欠。意識が無ければ武器化は出来ない。

 その状況を想像したのだろう、モカは顔を青くしている。


「必死で起こしたよ。それ以来やってなかったから、刺激が強すぎたかな」


 幸せそうな顔で寝息を漏らす妹をそっと腕に抱える。


「それじゃあ、中に入ろう」



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