第10話◇羨慕

 



 入学式も決闘も終わり、訓練は明日から。


 スファレとトルマリンから学校案内の申し出を受けた、そんな時。


「あ、あのっ」


 声を掛けられた。


 ウェーブのかかった亜麻色の髪をした少女だ。

 同色の瞳には、怯えと共に尊敬の念も滲んでいる。


 不思議な感情の組み合わせだが、ヤクモはそれが成立する状況を知っていた。自分では遠く及ばない強い力への恐怖と、それを正しく使う者への尊崇。


 自分が師に向けるものと、とても近い。


 大きな胸の前で両手を祈るように組み合わせている所為で、胸がふにょん、と形を変えていた。


 隣でアサヒがあからさまに舌打ちする。

 首輪は無いが、うっすらと赤い痕が残っている。


 それだけでも充分だが、そもそも見覚えがあった。


 ネフレンの《偽紅鏡グリマー》だ。

 大剣でも大盾でも全身鎧でも無い、詳細不明の変化をしていた筈の生徒。


「えぇと、僕に何か用かな?」


「だめです」


 妹が先んじて断りの言葉を放つ。


「……アサヒ、まだ話を聞いてもいないよ」


「《偽紅鏡グリマー》が媚びるような顔で《導燈者イグナイター》に話しかけるとなれば、用件は一つに絞れるでしょう。兄さんこそとぼけるフリはやめてください。そんなにおっぱいがいいんですか! えぇ!」


 亜麻色の少女が「ひっ」と怯えたように一歩後退。

 荒ぶる妹をなんとか落ち着かせ、再び少女に向き直る。


「ごめんね、うちの妹はその……活発で」


「かっぱつ……」


 少女が困ったように呟く。


「情熱的と言ってください、情熱的と!」


「……はた迷惑の間違いではないかしら」


「そこ! 巨乳会長! あなたはお呼びではないんですよ!」


 巨乳とあらば全方位に噛み付く妹である。

 スファレに意識が向いている間に、少女と話を進める。


「さっきアサヒが言っていたようなこと、が用件で合っているのかな」


 少女――名をモカと言うらしい――はこくりと頷く。

 あの戦いでネフレンに放逐を宣告されたらしい。


 このままでは壁外へ追放されてしまう。

 だが、少女の能力では他に引き取り手も見つからないだろうとのこと。


 ヤクモの胸に鈍い痛みが走る。


 自分は正しいことをしたつもりだったが、それによって居場所を失う少女が現れてしまった。


「モカ――とか言いましたか。さっきも言いましたが、だめです」


 アサヒが冷たく突き放す。

 だがそれは、彼女の胸囲云々は関係が無いようだ。


 妹が気づいているかは別だが、胸関連の怒りは表面的なもので、だから大抵は叫んで終わる。


 妹が静かに怒る時は、より深いところにある大切な何かを汚されたと感じた時。


「同情はしましょう。罪悪感も無いとは言いません。けど、あなたの言い方が気に食わない。他に引き取り手が見つからない? それで兄さんに声を掛けた? 侮辱も大概にしてください」


「ち、ちがっ、私はそんな」


「ヤマト民族の心優しい少年なら、足手まといを喜んで受け入れてくれるとでも? 分かっていないようだから教えてあげますよ。わたしたちは本気なんです。いいですか? 今年、並み居る敵を打ち倒し、頂点を勝ち獲る。あなたはその役に立てるんですか?」


「そ、れは……」


 少女は目に涙を浮かべ、俯いてしまう。

 アサヒの発言は、どこまでもヤクモの為のものだった。


 例えばモカが、必ず役立てると売り込んできたなら、アサヒもここまで言いはしなかっただろう。


 統率のとれていない集団が、組織として効率よく動けないのと同じだ。

 パートナーは実力はともかくとして、熱量は共有していなければならない。


 壁の外へ放り出されたくないという恐怖一つで此処に留まろうという考えでは、ヤクモとアサヒの目指すところに心がついてこれなくなるだろう。最初はよくても、やがて必ず。


 ヤクモとアサヒ、二人で研いだ剣の冴えを、錆びつかせるわけにはいかない。

 だから、アサヒの言葉をヤクモが撤回するようなこともない。


 ない、が。


「アサヒの言う通り、きみの《導燈者イグナイター》にはなれない」


 少女の姿が萎んでいくようだった。

 そう思わせる程に肩を縮め、俯いている。


「そもそも、僕は魔法を使えない。きみの能力を引き出してあげることさえ出来ないんだ」


 それは、少女にとっても不幸なことだろう。


「けど、僕らは壁の外を知っている。その過酷さを、そこで暮す苦しみを。それに、きみをそんな状況に追い込んだ原因の一端は僕達にもある」


「……に、兄さん? だ、だめですからね? それは確かに可哀想だなぁとは思いますが……」


 アサヒが不安そうな顔になって言う。

 まるで、何かに怯えるように。


 その感情の理由は分からなかったが、ヤクモはひとまず続けた。


「折衷案でいこうと思う」


 ようやく、少女が顔を上げた。


「せっちゅうあん……」


「そう。えぇと、先輩方」


 ヤクモはスファレとトルマリンへと視線を向け、尋ねた。


「《導燈者イグナイター》は自身の接続可能窩ソケット数の上限までは《偽紅鏡グリマー》を登録出来るんですよね?」


 《導燈者イグナイター》が何人の《偽紅鏡グリマー》を同時に展開出来るかは個々人の資質によって左右される。これは生来のもので、上下しない。


 これを接続可能窩ソケットと呼ぶ。


 ネフレンなら四以上、ということになる。


 ヤクモは三なので、一応は三人の《偽紅鏡グリマー》を抱えることが許されるわけだ。


 あくまで《導燈者イグナイター》優位の制度は愉快ではないが、今は関係ない。


 少年の言いたいことを察したのか、トルマリンが優しげに頷いた。


「あぁ。そして、登録した《偽紅鏡グリマー》を必ず展開しなければならないという規定はないよ」


 そう。

 つまりモカを自分の《偽紅鏡グリマー》として登録さえしてしまえば、戦闘で彼女を展開することがなくともいいわけだ。


 そうすれば、少なくとも当面は都市内にいられるだろう。


「きみの能力は分からないけれど、必ずきみに適した《導燈者イグナイター》は居る。きみを道具のように扱うことなく、正しく共に在ってくれる人が」


 少女は、自身なさ気に唇を歪める。

 そんなふうには考えられないのだろう。


 《導燈者イグナイター》と《偽紅鏡グリマー》の現状を見る限り、尤もな感情だ。


「それまでは名義の上では僕の《偽紅鏡グリマー》ということにしておける。それくらいしか出来ないけど……いいかな」


 妹は頬を膨らませていたが、文句は言わなかった。落とし所として納得はしているのだろう。


 少女はよく分からない、という顔をする。


「でも……それでは、私ばかりが得をしてしまいます」


「うぅん……そうしたら、都市での過ごし方を教えてもらえるかな? 慣れてなくて」


 モカはまだ恐縮した様子でいたが、やがて奮起するように握りこぶしを作り、大きく頷いた。


 それからヤクモの手をとり、自身の胸まで持っていく。


「私、頑張ります! ヤクモ様の為なら、なんでもしますから!」


 谷の間に、ヤクモの手が包まれていた。


「…………あー、えぇと、様は要らないよ。僕はきみの主ではないし」


「ちょ、ちょっと兄さん! それより先に『脂肪の塊に俺の手を挟むんじゃねぇ油でベトベトになったらどうすんだ!』くらい言わなきゃダメですよ!」


 モカが大慌てで手を離し「ご、ごめんなさいっ」と謝罪する。無意識だったようだ。


「わ、私なんかの醜いあれで……その、ヤクモ様を汚してしまい」


 うるうると目が潤む。


「な、泣かなくてもいいじゃないですか」


 これまで逢った巨乳はことごとくアサヒの言葉を受け流していたため、素直にショックを受ける相手にアサヒは戸惑っているようだ。 


「ごめんモカさん。妹も本気で言っているわけじゃないから」


「そ、そうですね。わたしも言い過ぎました。ごめんなさい……でも不用意に兄さんに触れたら殺します」


「アサヒ、なんか不穏な言葉が聞こえたんだけど……」


「幻聴じゃないですか? あるいは乳擦れの音か」


「そんな衣擦れみたいな……」


 ともあれ、そうして《偽紅鏡グリマー》の知人が一人できたわけだった。



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