第9話◇獲得

 


 その空気を形容するのは難しい。

 ヤクモには馴染みのないものだったから。


 家族といる時の温かいものとも、ヤマト民族を見下す冷たいものとも違う。

 まるで、人々の戸惑いが滲み出したような、生ぬるい静寂。


 ネフレンは驚く程素直に、約束を守った。


 周囲の目がある中でアサヒに頭を下げ、《偽紅鏡グリマー》に首輪を外すよう指示。


 誇りを重んじるからこそ、それに背くことで恥の上塗りをすることは避けたいということなのかもしれない。


 それに対し、観戦していた《導燈者イグナイター》はもちろん、《偽紅鏡グリマー》達もどういう反応をとればいいかわからないかのようだった。


 そんな中、わかりやす過ぎるくらいに元気な者が一人。


「あれあれ有象無象のみなさーん? さっきまでの活気はどこへ行ってしまわれたんですかぁ? おやおやおや? もしかしてー? 否定批判の言葉が引っ込んじゃいました? さっきまで見下してたやつが自分達よりも有能だと気づいて屈辱と羞恥に襲われちゃってます? あはは、かっこわるいですねぇ。負け犬らしく遠吠えくらいはしてもいいんですよー? 穴を掘ってそこに入ってくれても構いません。どうぞお好きな方を~」


 すごく嬉しそうだ。実に活き活きとしている。


 誰も何も言えずにいたが、すぐに二人分の拍手が加わる。

 スファレとトルマリンだ。


「お見事。見惚れる腕前でしたわ」


 スファレの称賛に、アサヒが不機嫌そうに食って掛かる。


見惚れる、、、、? 三位ごときの目で捉えられたんですか?」


 単にヤクモとアサヒを称える言葉にも受け取れるが、なるほど確かに、見惚れるとは見入るということであり、見入るとは注意して見つめるということだ。


 言葉の選択に意味があるのだとしたら、それは言外に『自分はネフレンと違い、ヤクモの動きを目で追うことが出来た』と匂わせているとも取れる。


 それを裏付けるように、噛み付くアサヒに対し、スファレは優美に微笑み。


「えぇ、何かおかしなことを言ったかしら? 機嫌を悪くしたのであれば謝罪させていただくけれど」


 事も無げに、肯定したのだった。

 当然、アサヒは一層機嫌を悪くする。


「それはもう、不愉快ですけども! 特にその乳がっ」


「あら」


 スファレは驚いたように口許へ手を当てると、すぐに申し訳なさそうな顔になった。


「それはごめんなさい。持つ者は持たざる者を、存在するだけで刺激してしまうことがあるのね」


「むきー! なんですかその余裕は! 歳をとったら醜く垂れ下がる贅肉の塊二つで調子に乗りおってー! もぎとってやれば少しは殊勝になりますかね!」


「そのようなことをされても、貴方のそれが大きくなることは……いえ、言うべきではないわね」


「その『気を遣っている』感出すのをやめなさい! 宵闇の静寂より大人しいわたしでも我慢の限界というものがあるんですからね!」


 完全にスファレのペースに乗せられていた。


「……アサヒ。話がズレてるよ。クライオフェン先輩も、あまり妹を刺激しないで頂けると」


 睨むとはいかないまでも、笑うことなく言うと、スファレは素直に引き下がった。


「気をつけましょう。お兄様もこう仰られているようだけど?」


「……いいでしょう。乳拾いしましたね」


 命拾い的な何かだろうか。


 スファレはくすりと微笑むと、ヤクモに目を向ける。


「面白い妹さんですのね」


「……おかげで退屈しません」


 苦笑混じりに言うと、それを褒め言葉と受け取ったアサヒがヤクモの腕に飛びついてくる。


「ふっふっふ。そう! わたしは刺激的な妹なんですよ!」


 もう一度楽しげに微笑み、それからスファレはネフレンを一瞥する。


 脱魂でもしたように、先程までの威勢は見る影もない。

 結局、彼女はネフレンに声を掛けることをしなかった。


 再びこちらに向き直り、薄い唇を開く。


「改めて、おめでとうございます。こちらも約束を果たすとしましょう――トル」


「はい」


 トルマリンがこちらに何かを差し出す。

 見ると、それは風紀委であることを示す腕章だった。


 取り急ぎ入会を認めるものとして、彼が自分のそれを外したらしい。


「……いえ、僕たちは」


「あら、他でもない我ら風紀委に、誇りに背けとそう仰るの?」


 ネフレンですら躊躇わず従うのが、誇りと呼ばれるものの力だとすれば。


 勝者を風紀委に迎えるという言葉を、ヤクモの辞退によって嘘に変えることは彼らの理屈からすれば有り得ないことなのかもしれない。


 それでも躊躇するヤクモに、トルマリンが囁くように言う。


「校内の風紀を守ることの他に、我らには壁外任務も課せられる。また、それを含む訓練生生活の範疇外にあるあらゆる活動には、《皓き牙》よりろくが出ることになっているんだ」


 ぴくりと、トオミネ兄妹の眉が動く。


「ロク……つまり、お金……給料、でしょうか」


 生まれてこの方、金銭と引き換えの労働というものを経験したことのないヤクモだが、基礎的な知識は壁内経験のある家族から教わっている。


「あぁ。詳しい事情は分からないけれど、壁内での活動においてあって困るものではないだろう?」


 むしろ必需品? と呼べるものだろうことはヤクモにも分かる。


 兄妹や家族の最低限の衣食住は師が保証してくれているが、その負担は決して小さくない。


 恩には報いるが、だからといって甘えてばかりでいいわけもなし。

 訓練生の身分で、しかもヤマト民族を進んで雇う者などいない。


 それこそ、今この瞬間の風紀委でもなければ。

 そのあたりの事情を踏まえて、トルマリンは言ったのだろう。


 ちらりと妹を見ると、実に複雑そうな顔をしていた。

 お金が手に入れば、例えば家族に何かを買うことも可能だろう。


 だが、それをするにはスファレの下につかねばならない。

 それらを天秤にかけ、悩んでいるのだろう。


 とはいえ、ヤクモは何の心配もしていない。

 彼女はもう、出逢ったばかりの頃の童女ではないのだから。


「……いいでしょう。甚だ不本意ですが、兄さんの居る場所こそがわたしの居場所でもあります」


 了承の言葉。

 ヤクモは微笑んで、トルマリンから腕章を受け取る。


 呼吸を思い出したように、周囲がどよめく。


 不吉で役立たずな無駄飯食らい。

 ヤマト民族とはそういう生き物だ。


 それが新入生の中でも郡を抜いて優秀であったネフレンを倒し、ランキング上位者のみが名を連ねる風紀委に入学初日に迎え入れられる。

 理解を越える出来事だろう。


「そういえば、お名前を伺っておりませんでしたね」


 その通りだ。夜鴉以外にヤマト民族を形容する言葉を求める者がいなかったこともあるし、長らく自分の名前を知らない者と交流する機会が無かったこともあってタイミングを逃していた。


 兄妹揃って名乗る。


「ヤクモさんと、アサヒさん。改めて、風紀委へようこそ。わたくしはお二人を歓迎致しますわ」


「もちろん、わたしも歓迎するよ」


 スファレに続き、トルマリンも微笑む。

 そうしてヤクモとアサヒは大会予選資格を掴み取った。



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