第8話◇幻刀
『あーあ、怒り狂っちゃってまぁ。魔力防壁がガタガタじゃあないですか』
妹の言う通りだった。
どんなことでもそうだが、精神状態というのは自分で思っているよりも多くの影響を言行に与える。
たとえば今の彼女。
優等生の仮面を被る余裕は消え、魔力制御能力も精彩が欠けている。
彼女は本気でヤクモとアサヒを潰そうとしている。
しかし怒りによって引き出された本気は、全力を発揮するに至っていない。
魔力防壁、一つ目。
ヤクモの攻撃を今度こそ防ごうという無意識の現れか、前面に魔力の偏りが見られる。
側面に回り込み、彼女がこちらに反応するより先に斬りつける。
魔力が過剰に注がれていた箇所と、そうでない箇所の境目を。
一瞬で魔力が溢れ、防壁は形を保っていられなくなる。
「なによ!? なんなんのよそれ!? 夜鴉ごときに、どうして二度もアタシの魔力防壁が――」
彼女が動転している間に、更に数枚の魔力防壁が消えた。
「~~~~っ! ざっけんな! そんな薄紙みたいな武器に、負けて堪るか!」
そう。ネフレンの言うように、アサヒの刃は薄い。そもそも《
そして緊急時の取り回しに、刀は向かない。
残った魔力を纏わせて振るうなら、剣や槍の方が余程良い。仲間の救援を待つなら盾が有用。
斬ることに特化しているものの、この世界の常識ではそんなもの無意味。
だから、使用者に卓越した技術を求められ、横からの衝撃に弱い極薄の刃など彼らからすれば無用の長物。魔法が無いなら増々ゴミ同然。魔力防壁を展開出来ない《
それが今、都市きっての戦闘力を誇るとされる《
『おや、会場は大盛り下がりですね。空気は真冬の夜みたいに凍ってます』
アサヒの言葉通り、場は静まり返っていた。
誰もこんなことは予想していなかったし、見たくなかったのだろう。
都市の役立たず、魔力税も収められないクズが、人類の誇りたる領域守護者の卵を圧倒する場面など。
ネフレンもただ防壁を斬られているばかりではない。
中空に刃を走らせる。
ヤクモの回避箇所まで含めて複数箇所に。
頭に血は上っても、経験を活かす冷静さはどこかに残っているようだ。
でも、それはこちらも同じ。
「それはもう視た」
同じ魔法、同じ出力なら、綻びも同じ。
一度目は確認に注力したが故に回避を選択したのだ。
切っ先を添えるように向ける。
パシュッ。
まるで泡沫を指で突いたかのように、弾けて消える。
小さな綻びは一瞬の内に拡がり、魔力の塊は魔法の形を保てなくなり、自壊。
「あぁ、もうっ! クソガラス!」
「言葉が汚いよ」
「黙れ!」
彼女の魔力防壁は既に片手の指で数えられる数になっていた。
その数を五から四へ減らそうと刃を振るおうとした時。
『後退』
ヤクモより一瞬早くそれに気づいたアサヒの言葉に、即応。
咄嗟に下がる。
一瞬前までヤクモのいた箇所に、幾つもの円錐が突き出ていた。
彼女が魔力防壁の形を弄ったのだ。
「……すごいな」
『えぇ、アホでクズで性格ブスな上に貧乳ですが、《
魔力防壁は展開時に設定を済ませる。どれだけの魔力を注ぐとか、どのようにして動くとかを事前に決めておくのだ。
後からそこに干渉し設定を変更するのは高等技術だと聞く。
激昂の中に在って、彼女はそれをするだけの冷静さを確保した。
取り戻した、のか。
「上手く避けたわね、害鳥」
「きみの方は避けそこねたみたいだね、クリソプレーズさん」
ブクブクブク、と円錐に気泡のようなものが生じ――弾けた。
術者や兄妹、一部の実力者以外は気づきもしなかっただろう。
だがその結果が示すものは明白。
『……次から、下がれと言ったら素直に下がってください。余計な一太刀を入れないように』
「……ッ。斬ったの……? あれに反応し、避けただけじゃなく、それより先に斬り終えていた……? 夜鴉風情がッ!」
ネフレンが大剣を振り下ろす。
魔法は――出なかった。
「……嘘でしょ」
決闘開始から、彼女は魔力を使いすぎていた。
こうなっては、魔力防壁は時間稼ぎにしかならない。
再展開する魔力はもう、無いようだ。
魔力防壁は一枚、また一枚と破れていく。
「なんなのよ! 何故魔法一つ使わず、そんな貧弱な道具で、アタシが追い詰められるワケ!?」
「きみにとって価値のないものが、僕にとっては力の源なんだ」
ネフレンは残飯臭いと言ったが、アサヒが返したようにヤマト民族への配給は本当に残飯であることも少なくなかった。運搬係は嘲るような顔で「食いもんにありつけるだけありがたいと思え」と笑ってそれを地面にぶちまけ帰っていく。
たまに、比較的まともな食材が届くこともある。都市内の食事に比べれば、それもまた食料とさえいえないレベルだったが、ヤマト民族にとってはそれこそが食料だった。
ヤクモが身体を鍛え、それが筋力として実ったのは、そのまともな食べ物を村のみんなが兄妹の為に使ってくれたからだ。自分達の分を惜しまず兄妹に与えてくれた。
いつも護ってくれているからと。
ネフレンは《
逆だ。
《
彼ら彼女らがいるから、人は魔族に抗えるのではないか。
ヤマト民族の戦士は、古くからこう言う。
武器は戦士の魂だ、と。
自身を構成する全ての中心、己の片割れ。
アサヒがいなければ戦士にすらなれない自分にとって、真実彼女は魂に等しい。
だから、許せない。
どうしても、許容出来ない。
彼女は愚弄したのだ。陰で囁くのではなく、面と向かって否定した。
ヤクモの家族を、ヤクモの妹を、ヤクモの魂を。
その上尊重すべきパートナーを公衆の面前で傷つけ、それを正当な行いだと考えている。
ヤクモは家族を守る為に刃を振るってきた。生き残る為に刃を振るってきた。
そして領域内に行くと決めた時、未来を掴み取るために刃を振るうと決めた。
でも、その為に、自分達のように虐げられている人々から目を逸らすなど有り得ない。
ヤクモの魂は、心の刃は、理不尽をこそ斬る為に在るのだから。
「これより迎える敗北は、きみが軽んじた者達の心によるものと知れッ!」
魂を奮う。
刃を
「害鳥の心なんて知るかッ! 都市を蝕む無駄飯食らいがアタシに生意気な口を利くなッ!」
泡のように、最後の防壁が弾けて消えた。
「ふざけんな! ふざけんな! アタシが負けるもんか! アタシは――」
大剣が再び断たれる。
大盾が斜めに裂ける。
代理負担対策は既に講じていたようだ。
だが、もはや手は無い。
「待っ――」
ヤクモの瞳を見て、敗北を悟って、ようやくネフレンの瞳に死の恐怖が宿った。
首を刎ねるという言葉が現実となることを、今になって恐れてヤクモを説得しようとした。
「
雪色の白刃が、その首を通り過ぎる。
「ヒッ……」
ネフレンは情けない声を上げて腰を抜かす。
涙と鼻水を垂れ流し、息も絶え絶え。
その場にへたりこみ、そして自分の首に手を伸ばす。
何度も何度も確認し、自分の首がまだ繋がっていることを知るや、安堵の溜息をついた。
幻刀。刀身の非実在化だ。見えるが、実体は無い状態。
今度は実体を持たせた刃を、彼女の首元へ添える。
「なっ!?」
「本当に斬るとでも思ったのかい? 僕らは誇り高き領域守護者候補だ。人斬りじゃない」
ネフレンの表情が恥辱に歪む。
初めて、目が合った。
彼女に良い印象を抱けなかったのは、そういうことだったのかと気づく。
ネフレンは友好的な仮面を被っていたが、こちらの顔を、目を、存在を見てはいなかった。ヤマト民族にも気さくに接する自分を、周囲に見せることしか考えていなかったから。
ヤクモの黒い瞳に何を垣間見たのか、ネフレンは怯えたように震えている。
「斬らなくてよかったと思うよ。だって、
「…………っ」
ネフレンは何か言おうと口を開きかけたが、結局その口から悪態が漏れることは無かった。
「…………み、とめる」
「何を」
そして、酷く苦しげにその言葉を口にする。
「アタシの負けを、認めるわ」
心に、言い訳の余地があってはいけない。
他者を欺くことは出来ても、自身の心は容易には欺けない。
全力を出したこと、それが通じなかったこと。
そして、ヤクモが本気だったなら自分は死んでいたこと。
誰がなんと言おうと、ネフレン自身はそれを否定できない。
ここまでやってようやく、彼女の心はそれを認めることが出来たのだ。
ネフレンの瞳から嘲りの色が消え、畏れが宿る。
「……アンタの勝ちよ」
「いいや、それは違う」
ヤクモは刃を引き、妹の武器化を解く。
「これは僕の勝利じゃない」
アサヒが上機嫌でヤクモの腕をとり、とびっきりの笑顔で訂正した。
「これは、わたし達の勝利ですっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます