第44話



 ソーシャルゲームをしているうちに眠ってしまったのだろう。あの白い空間に、私はいた。今日はきちんと布団をかぶっていたので、電気を消し忘れただから昨日よりまだマシだろう。

 まだヨルンさんの姿は見えない。白い空間に、私はたった一人。

 彼が居なければ私はどの夢も見られない。きょろきょろと辺りを見回してみても、人っ子一人現れない。

 こんな場所では夢のくせに暇でしかない。思い浮かぶことに関してはかなり得意になったおかげか、私は愛用のシャーペンを手に取った。裸足で立つ床は、馴染みのある水彩専用の紙と同じだった。


 今までに見てきた、消えてしまった人たち。一人一人のストーリーがある夢を見て、私はそんな人たちが笑った顔を立ち絵として描き上げていく。

 全員の顔には心の底からの笑顔を描き上げる。彼らはきっと、今まで以上にこの絵の中で生きている。幸せそうに眼を細めて、まるで幸せな夢を見ているかのようだ。

 全て描きあがってからも、ヨルンさんはまだ現れなかった。ふう、と息をついてシャーペンを床に転がした。七人もの人を描くのは今までになかった。そんなみんなの頭上に、私はシャーペンを走らせた。

 真っ黒で、金髪で、釣り目で蒼い瞳を持つ。表情に迷いながらシャーペンの動きを止めると、高校に置きっぱなしの水彩絵の具が音もなく目の前にあった。ご丁寧に筆まである。

 人物画は背景よりも先に生き物から塗るようにしている。背景はそこにある無機物だが、人物はこの絵の中で生きているのだ。しかも彼らはもうこの世にいない。この夢でこの絵が完成したって、現実には持ち出せない。

 それでも私は止まらなくなった腕をひたすら動かし続けた。

 現実の水彩は滲んだりぼやけたりと、割と時間をかけて制作していくものだが、そこは夢ということで普段気になる滲みなどは一切なかった。

 すらすらと塗られていく彼らは、私の足元で笑っている。当の私は、一体どんな顔をしているのだろうか。


 栞さんを塗り終わって、ヨルンさんの表情が浮かばないまま、私はその場に寝転がった。

 ここまでヨルンさんが現れなかったことは、この一週間で一度もなかった。世界のいたずらはもう終わったということなのだろうか。ということはヨルンさんには会えないのだろうか。部屋に似た白い天井を仰ぎながら、シャーペンを固く握りしめた。


「寂しい、な」


「なにがだ?」


 にゅ、と現れた金髪頭に思わず飛び上がった。その瞬間にヨルンさんはその場を飛び退いた。初日の時と全く同じような登場の仕方が心臓に悪い。


「きゅ、急なんですよ!」


「悪い。それより、これは……」


 私の描き上げた主人公たちを見て、ヨルンさんはただ茫然と眺めていた。


「この空間をキャンバスにする人は初めて見たよ」


 ふ、と笑ったヨルンさんに、考えよりも先に足が動いていた。彼に向けて筆を突き出した。


「彼らの背景は、空にしようと思うんです。……手伝ってくれませんか?」


「え?」


 差し出された筆と私を交互に見ながら、ヨルンさんは頬を人差し指で掻いた。彼と描くことにきっと意味がある気がする。


「俺は下手だぞ」


「いいんです」


 筆を受け取ったヨルンさんと、パレットに絵の具を出す。大量の水と空色と白。たったそれだけのパレットで、私たちは足元に空を描く。

 どこまでも続く空を塗り続ける。どこまでも続く空は突き抜けて青く、どこまでも続いていく。

 きっとこれが、生きることなのかもしれない。この空は何が起こるかわからない。曇りもあれば雨も降る。霧がかかったり、雪も降りれば雹が降ることだってもちろんある。

 それでも生きていく。いつかはこうして晴れることがきっとあるのだろうから。


 絵の具がなくなりきって塗りあがったころに、私たちはその場に倒れ込んだ。白い天井はさっき寝転んだときよりも眩しく見えた。目を閉じると今までの夢が鮮明に思い浮かぶ。

 その傍には必ずヨルンさんがいて、その表情はきっと優しいものだったはずだ。

 目を開けて隣を見ると、彼も寝転がってぼうっと天井を眺めていた。


「ヨルンさんは、生きていた頃はどんな人間だったんですか?」


「大体このままだ。ヨルンという名前は死んだときに付けられたから、本当の名は別にある」


「え、気になる!」


 がばっと起き上がると、ヨルンさんも起き上がった。その顔は少し困った顔をしていた。


「教えない。少し、恥ずかしいからな」


「ケチ」


 わざとらしく口を突き出してみると、ヨルンさんは私の頭をぽん、と優しく撫でた。いつも誰かが消える直前のときのような、優しい表情だった。


「もう都が他の夢に迷い込むことはない。もちろんこの夢もきちんと覚めて、お前はこれからも生きていくんだ」


「……やっぱり自信はないです」


「大丈夫だ」


 ヨルンさんは私の手を引いて、足元に描かれた絵を見下げる形で浮き上がった。

 みんなが笑って、ヨルンさんもこちらを見ている。我ながらかなり似せて描けたほうだと思う。

 そんな彼は私の隣にいる。彼は笑ってこちらを見た。今までの中で一番の笑顔だった。


「まだ描きかけだろう? それにこれからも描き続けるんだ。俺のことは見えなくても、きっと見ているから」


「じゃあ私が死ぬときは、私の夢を守ってくれますか?」


「さあな、検討する。そろそろ起きないと遅刻するぞ」


 これが最後の別れ。ヨルンさんと夢を渡ることもきっとこれからはない。私が死ぬ時まで、ヨルンさんとは会えない。


「さようなら、ヨルンさん」


「あぁ。……おやすみ、死にたがり」



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