第42話

 食卓にはまだ十九時過ぎだというのに、お母さんもお兄ちゃんも揃っていた。相も変わらずバラバラのおかずが並んでいたけど、これが正真正銘最後の食事だった。

 それでも何も変わらない食卓は、私を安心させた。珍しく会話が弾む三人に、私はやっぱり黙り込んでしまったけど、三人の会話に孤独を感じることはもうなかった。

 肉じゃがを頬張りながら、家族が笑っているのを眺めていた。最後だというのに三人ともそんなこと忘れたように次から次へと話のネタが飛び交う。


「都は今どんな絵を描いてるんだ?」


 お兄ちゃんが私に振って視線が集まった私に、お母さんが先に口を開く。


「高校に入って本当に上手くなったわよね。パソコンで描いたのもとっても綺麗なのよ」


「……今のはね、とっても大切な絵を描いてるんだ。描ききったら、みんなに見せるね。もちろん、お父さんもね」


「いい、のか?」


 口に運びかけていた箸を止めて、お父さんは目を見開いた。眼鏡を通して見える私の顔はどんな風に映っているのだろう。今までよりもマシに見えるのだろうか。小さく微笑んでみると、お父さんもぎこちなく笑って見せた。

 明日にはお父さんがいなくなってしまう。その前に、一つだけ取り戻したいものがあった。


「ねえ、お母さん」


「なあに?」


「髪、切ろうと思ってて。明日行ってきてもいいかな」


 その瞬間に、部屋を包んでいた談笑はぴたりと止まった。そんなことを私が言い出すなんて、誰も思っていなかっただろう。

 この三か月間、家族とすらまともに会話もしてなかったのだ。高校に行けるかは別として、栞さんのようなかっこいい大人になりたかった。

 彼女はベリーショートにしていたが、そんなに短くする勇気はない。とりあえず高校に行っていた頃の長さに切りそろえてから、これからのことはゆっくり考えればいい。


「いいわよ。いいに決まってるじゃない! なら予約しなきゃね、お母さんの携帯使う?」


「大丈夫、携帯の電源付けてるから自分で探して予約するよ。どれくらいお金がかかるかは後で言うね」


 そんな言葉に両親は顔を見合わせて笑ってくれた。そんな些細なことが嬉しくて、いつものご飯が十倍にも百倍にもおいしく感じた。

 こんなにおいしいとおもいながら食べるご飯はいつぶりだろう。朗らかな気持ちで、砂を噛んでいるような感覚にもならない。そんなことが嬉しくて仕方なくて、みんな席を離れたがらない。家族の笑顔はみんなのご飯が空になってもしばらく続いていた。

 紅茶に舌鼓を打っていると、お兄ちゃんはクッキーの缶に手を伸ばしながらぽろりと口をついた。


「そういえば明日の積み込み、俺手伝えるよ」


「そんなに休んで大丈夫なのか?」


「うん、明日は家での作業に替えってもらったんだ。ある程度のスペックついてるパソコンあるし、全然大丈夫」


「あ、私も手伝えるよ。髪切りに行ってからでもいいならだけど……」


「百人力だよ。ありがとう都」


 頭に乗るお父さんの暖かな手が、この場に留まりたくて仕方なくさせる。だが、私は明日の予約をしに部屋へ戻らなければならない。


「お母さんは明日仕事だから、二人ともちゃんと手伝ってあげてね」


 両親はまた顔を合わせて複雑そうに笑った。そんな様子を見届けて、私は部屋へ戻った。予約をしたらまた戻ればいい。理想としたあの空間を、もう少しの間でも感じておきたかった。

 扉を開けると、ヨルンさんはその場にはいなくて、がらんとした部屋がそこにはあった。

 いつも一人浮かんでいることに慣れていたからか、かなり広く感じる部屋に違和感を覚えながらも、私はベッドにダイブして携帯を開いた。

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