第37話

 相変わらずお皿はバラバラだし、食べ始めても無言だったが、ばちっと目が合ったお父さんは申し訳なさそうに笑った。

 すぐに視線を外して、黙々とおかずを口に運んだ。やっと揃った家族なのに、無言が痛い。私が望んでいるような形なんかじゃない。ただひたすら、虚しかった。

 誰よりも先に食べ終わった私は、お皿を下げて部屋へ退散しようとリビングの扉に手をかけた。


「待って、都」


 お母さんの声が無言を打ち破り、私の鼓膜を震わせた。カーディガンの袖を握りしめて、振り返った。三人が私を見つめていた。もう三人のお皿の上には何も乗ってはいなかった。


「もう一度、座ってくれないかしら」


 すごすごと席に戻って座ると、やっぱり無言になってしまった。誰も声を発さない。きっと出方を伺っているのだ。私もそうだから。


「……俺、さ」


 最初に沈黙を破ったのは、お兄ちゃんだった。全員がお兄ちゃんの顔へと視線を送る。


「本当は二人に別れてほしいなんて思ってない。四人揃ってこそ志筑家、だと思ってる。止めるために帰ってきたけど、俺には止められなかったし、二人の間を取り持つこともできなかった。だから二人が決めたことを今更変えられないことくらいわかってる。……俺は母さんを支えるためにここに残るよ。多分、父さんもそうしろって言うと思って、たから」


 お母さんは堪えきれずに手で顔を覆った。嗚咽が聞こえるたびに、お父さんはぐっと眉に力を入れた。あの怖くてたまらない表情でないことは確かだった。


「お母さんもお父さんも、二人に突然こんな事言って本当に、嫌で……! でも、やっぱり私たちは、もう」


「二人にはすまないことをしてしまった。特に都。ずっと家にいて、二人から別々のことを言われて、嫌、だったよな。不誠実なことをしたと思ってる。俺たちは別れる。心が残るのなら何も心配はいらないだろ。都も安心して暮らせるはずだ」


「私は……」


 こんな場面を、誰が想像できただろう。二人が別れてしまう。これを覆すことは不可能。四人で食卓を囲むこともこれが、最後。


「勝手、だよ……。大人の都合で、振り回されて、さ。どうして? もう家族四人ではいちゃダメなの?」


「都、落ち着けよ。二人が決めたことなんだから」


 どうしてお兄ちゃんはこんな状況で冷静でいられるのだろう。家族がバラバラになってしまうという瀬戸際で、私はこんなにも取り乱しているというのに。なだめるお兄ちゃんに思わず苛立ちをぶつけてしまう。


「どうしてお兄ちゃんはそんな落ち着いてられるの!? お母さんもお父さんも、どうして!? 私が引きこもりだから? ゴミばっかり増やしてるから? なんで、どうしてもう一緒にいちゃいけないの? そんなの、そんなの許せる訳ないじゃん!」


 再び訪れる沈黙。感情が弾けて三人が受け取ったのは、きっと覚悟することのなかった棘だろう。私がこんな風に話すことなんて、きっと想定外だったはずだ。私は皆が思っているほど、いい子なんかじゃない。

 だから二人を許すことなんてできない。二人が泣けば泣くほど、私の苛立ちはピークを迎えて怒りへと変わって、萎んでいった。だってここにいるのは間違いなく、私の両親なのだ。


「でもね」


 流れそうになった涙を押し殺すように、三人の顔を見た。ぐぐっと眉にしわが寄って、その目には涙がうっすらと浮かんでいるお父さん。ぼろぼろ泣きながら、それでも私から視線を外さないお母さん。眼鏡を押し上げて目元を拭うお兄ちゃん。

 私が繋ぎ止められなかった家族。顔を合わせるのはきっとこれが最後だ。向き合ってこなかった今までを呪いながらでもいい。言ってしまった後のことに恐怖する心を抑えて、私はそれでも言葉を紡ぐ。


「いつか仕方ないって、思える日が来たら、さ。きっと、二人を許せる日が来るのかも、しれない。……だから、私はここに残る。でも、お父さんにもたまに会いに行っても、いいかな」


 リビングは涙の海に沈んだ。ここにいる全員が涙に溺れて、傷ついて、それでもしっかり前を見据えていた。私が見ている前なんて、数秒後の未来だけだ。それでも、私は今ここで確かに生きている。それは紛れもない事実で、今ここで死ぬことなんてできないのだから。

 カーディガンの両袖を目に押しやった。ここ数日で泣きすぎた目はずっと腫れぼったく感じる。それもまた、生きているからこそわかること、なのだろうか。

 お父さんはTシャツの袖で目元を拭って、頭を下げた。昼に見たような土下座なんかではなかった。


「ありがとう、都。あと、都の絵をゴミって言ったこと、撤回させてくれ。父さんは都がくれた絵、全部宝物だから」


「都は本当に、いい子に育って、本当に……私たちのエゴで振り回して、ごめんなさい」


 お父さんのその言葉が嘘か本当かなんて、お母さんの謝罪の意味なんて、どうでもよかった。


「俺も……、俺も! 父さんに会いに行くよ。しっかり母さんを支えて、立派だろって自慢しに行くよ。都と、一緒にさ」


 へへ、と笑って見せたお兄ちゃんの笑顔は、やっぱり涙に濡れていた。お父さんもそんな風に笑って見せて、お兄ちゃんの頭を撫でて見せた。

 大きな喧嘩を終えて、でもやっぱりなにも変わることはなかった。十七年間過ごしてきた家族は、ここに崩れ去った。

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