第33話



 ヨルンさんの横顔は整いすぎていて、絵の中から飛び出してきたようだった。彼の表情の違いがわかるようになってからは、アニメのキャラクターなのだろうかと思うほどだ。

 決して多くはない表情の中で、まだ見たことのないものもある。それは笑み、だった。彼が楽しそうに笑う姿は想像もつかない。だからこそ、目の前で煙草に火を付けようとする彼を、凝視してしまった。


「無理に着いてこなくてもいいんだぞ。真実を知った都が、辛い思いをしてまで見るものでもないだろう」


 煙草を銜える彼の姿を焼き付けるように眺めながら、私は迷っていた。

 人の死を見る、という世界のバグ。私に経験をくれたことももちろん確かだ。それでも私は、怖かった。人が死に逝くその様を、もう一週間近く続けている。

 それでもこの夢に迷い込んでいることに意味があるとするのなら。


「大丈夫です。お邪魔でなければ、今日も着いて行ってもいいですか?」


 カーディガンの袖口を強く握りながら、彼の目を見た。相変わらず吸い込まれそうな青だった。


「俺は構わないが……。無理はするなよ」


 ふう、と空中に吐き出された煙の先に待っている扉。向こう側にある夢が幸せであればいいな、と願いながら、黒づくめの後ろ姿を追った。


「ここは……」


 広がる世界はさっきと打って変わって暗い。だけど、辺りはキラキラとした光が舞っている。どうにも幻想的に見えるような空間だった。何かの液体の中なのか、髪はふわふわと揺れて、水の中のような浮遊感が体を包んでいる。息は全く苦しくなくて、むしろどこか懐かしいような気がする。


「とっても綺麗」


 見知らぬ空間なのに、こんなにも懐かしい気持ちが溢れる。辺りを見渡してみても、生き物の気配はしない。

 むしろこの空間の中で何かが生きているとするのならば、それは私の目に触れないナニカだろう。

 私の右側からふわりと近寄ってきた、光の玉みたいなものがヨルンさんと私の周りをくるりと一周した。真っ白な光の玉は、ヨルンさんと私の前に止まった。


「お兄さん、お姉さん、ボクのこと見えるの?」


 小さくて真っ白な玉はどちらとも感じられる声で話した。口がどこについているのかすらわからないが、それでもその玉は笑った。


「誰にも見つけてもらえないかと思っていたから、とっても嬉しいっ!」


 そう無邪気に揺れる玉が私たちの真ん中にやってきた。


「お前は、もう気付いていたのか」


 光の玉を見下ろすヨルンさんの顔は、今までの中で一番悲しそうな顔をしていた。それがあんまりにも綺麗で、つい見惚れた。


「うん。あの場所にずっといれなかったの。でも、ママもパパも、悪くないんだよ。えっと、タイミングが悪かったって、そう言ってた。だから仕方ないんだって。でも、ママきっと泣いてるよね、ヤだな」


 ヨルンさんに寄り添った光の玉を、ヨルンさんは抱きしめた。優しく壊れないように、そしてとても愛おしそうに。


「お前のママは、少しの間でも来てくれてありがとう、と、そう言っていた。また来てね、とも」


「じゃあボク、もう一度ママの所に帰ってもいいのかな」


「お前がまっすぐ、迷わないようにあの道を進むことができるなら、きっと帰れる」


 生まれ変わっても同じお母さんのもとに生まれたいと願うこの子は、本当にお母さんが好きなのだろう。私と、同じだった。

 ヨルンさんから離れて、私のもとへやってきた光の玉は、私の周りを一周して見せた。


「お姉さんは、ママのこと好き?」


「わ、私……。私は、うん。好きだよ。ママのことも、パパ、のことも。だから、あなたが次生まれるときは、家族を大事にして、あげてね」


 胸に飛び込んできた光の玉を、ヨルンさんと同じように抱きしめた。暖かい光はとても小さく、でも確かな鼓動を刻んでいた。

 この子の世界はここだけだったけど、確かに幸せを感じていたのだろう。短すぎる命でも、こんなに強く生きている。暖かい光の玉は、私から離れた。また、私たちの前に浮かんだ。


「なら、ボクはもう行くよ。また、ママの所にちゃんと帰りたいしね! ありがとう、お兄さんとお姉さんっ!」


 私たちの奥に、光の道が出来ていた。真っ白な光の道を、ただ前へ進んでいく光の玉。やがて道と同化して、光の玉は見えなくなっていった。ただ見守っていただけなのに、消えていった光の玉があんまりにも健気で、思わず涙が零れそうになる。


「あの子、は」


「母親が堕胎したんだ。さっき、手術が終わったんだろう」


 ヨルンさんがまっすぐ見守るその先に、もうさっきの子はいない。眉にはしわが寄り、悔しそうな顔を浮かべている。


「今の時代はなんでもできる。生まれていなければ命とすら思わない。へらへらしながら、母親は書類かなにかにサインをしていた。命が、消えるのに。俺には理解できない」


「でもさっき」


「……守るためなら嘘もつく」


 ここは母親の胎内で、この温もりがあの子の全てだった。名前もないあの子に、私は祈る。幸せに生きてほしい。次に生まれてくるのなら、この先なにがあっても強く生きられるようにと、願わずにはいられなかった。


「都」


 まだ光の道を見守るヨルンさんは、私のことは見なかった。液体の中、髪もふわふわと揺れた彼は確かに、泣いていた。


「生きてくれ。自分を殺すな。生き抜いて見える世界も、あるはずだ」


 ヨルンさんは、光の道に背を向けて歩き出した。私を置いて、光の舞う空間に一人きり。どこにもいない小さな命。ヨルンさんの涙と混ざり合ったこの空間で、私はただ一人、膝を抱えた。



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