第28話
*
目が覚めたとき、私の目はかぴかぴに乾ききっていた。知らず知らずに泣いていたのだろうか。どちらにせよ嫌な目覚めだった。ヨルンさんはいなくて、濡れた枕がやけに恥ずかしく感じた。
むくりと起き上がっても、頭はどんよりと重い。昼過ぎだというのに外まで暗い。夢と同じようなどんよりとした雲だ。
夢に荻原さんが出てくることは全くの予想外だった。あんな形で過去の出来事に謝られることだって、かなり予想外だった。それに、あんなに怒鳴ってしまった。
怒鳴って、わめいて、みっともなく泣いて、そしてヨルンさんは言った。
生きている都だからこそできることがある、と。確かに、私はこうして生きている。みっともなく今も信じ続けている家族を頼りにして。
どうして荻原さんは落ちたのだろう。どうして、諦めてしまったなんてセリフが出てきたのだろう。
わからないことだらけの頭は寝ぼけたまま働きはしない。冷たい空気に乾いた涙の跡がさらに乾いていくようだった。
早く顔を洗ってしまおう。ついでにこんなにどんよりした気持ちごと洗い流してしまおう。
水場に入ると、昨日の出来事を思い出した。人生の中で、またあんなことが起きるのだなと感じた。それも生きている私だからこそできたことなのだろうか。
顔を洗って鏡を覗いた。相変わらずひどい顔だった。夢に入り込んだ私もこのままなら、私は何も変わらないまま中学に帰ったのか。
昨日の夢が私を追いかけてくる。飲み込んで砕いてやる、と大口を開けてこちらへ向かってくる。鏡から目を逸らしてリビングへ向かった。
そういえばお母さんは仕事が休みと言っていた。昨日だってきちんと話せた。今日だってきちんと話せるはずだ。
リビングには人っ子一人いなかった。スリッパのすり足がやけに響いて聞こえる。玄関を見ると、お母さんの靴はなかった。買い物でも行ったのだろうか。
玄関の扉を開けなくなって、向こう側の世界に属さなくなって、もう三か月。いつまでこうしているつもりなのだろう。
ひゅう、と風に吹かれているような嫌な気分だ。リビングへ戻ってご飯を食べよう。そしてこんな気持ちは絵を描きながら忘れていけばいい。それでいい。難しいことを考えたって、今すぐに何か答えが出てくるわけでもない。
テレビをつけて、いつも通りワイドショーを付けた。
ダイニングテーブルの上にあるご飯だって変わらず美味しい。そんな事実がどうにも居心地が悪い。どうして頼んでもないのに起きてしまうのだろう。死んでしまいたい。そんな気持ちがそうさせたのか、目の前にあるご飯が受け付けなくなった。
お箸を置いて、そこにある生きるために必要なこととしてあるモノをじっと見つめた。いい匂いが立ち込める鮭の切り身のソテーや、青々としたレタスのサラダ。さっき温め直したお味噌汁。その全てが中途半端に突かれた状態で広がっている。
それは私に必要なことなのだろうか。私に生きる理由がどこにあるというのだろう。
お母さんですら話すことに躊躇してしまうほどの自分への嫌悪感、劣情をぶつける先もない。だからいたずらに手首を切りつけて安心した気でいる。
そんな私が当たり前に『生きるために必要なこと』をしていくことは、かなり気持ちが悪い。
ふう、と息をついて、もう一口と口に運んだ時、テレビはキャスターがお昼のニュースを伝えていた。
「
笑って映る写真の荻原さんは、夢のままだった。そこに映る学校だって、昨日のままだ。テレビに映る映像がはっきりとした色となって目に飛び込んでくる。
そんな馬鹿な話があるはずがない。だって昨日夢で会った荻原さんは生きていたじゃないか。だって、それは、それならあの夢は。
死んだ人の夢だとでもいうのか?
抑えきれないほどの吐き気は、なんとかトイレまで持ってくれた。少ししか食べていないおかげか、ほとんど胃液しか出てこなかった。
それでも液体が口からでも流れ出ていくことのほうが幾分か落ち着く。これを続けていれば、死ねるのだろうか。
それでも人間には限界があるらしく、さっきまで勢いの良かった吐しゃ物はすっかり勢いをなくして遂になにも出てこなかった。
私が見ていた夢。それは死んだ人が見た夢? それなら今までの人も皆、死んだというのか。私が生きていて、別の人が死ななければならない理由なんてどこにあるのだろう。
どうして荻原さんは死ななければならなかったのだろう。それだけじゃない。
可愛らしかった少年も、明るかったアカリさんも、しゃがれた声で喋る老猫も、お母さんを探しながら手を繋いでくれたイッコちゃんも、私が生きている理由なんてどこにもないのに。
涙が溢れて頬を伝う。便器の中を泳ぐさっきまでは私の中にあったものに落ちた。酷い匂いだった。トイレでうずくまりながら胸を押さえた。こんなに痛いのに、どうして目に見えないのだろう。こんなに痛いのは、どうしてなんだろう。
答えは出ないまま、トイレの洗浄レバーを引いた。口をゆすいでもう一度歯を磨いた。涙は止まってはくれなかった。
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