第21話
ヨルンさんの顔からすぐに目を逸らして、黙々と歩き続けた。たくさんの人が楽しそうに去っていった。
着いた場所はおもちゃ屋だった。たくさんのおもちゃが並べられて、たくさんの子供とその親がセットで歩いていた。
「イッコね、もうちょっとでお誕生日なの。ママ、なにか買ってくれるかなあ」
スキップでもしそうな勢いで歩くイッコちゃんがぐいぐいと腕を引っ張っていく。体力の差に驚きながら引っ張る方向へ向かう。ヨルンさんは相変わらず険しい顔をしていた。
「イッコちゃん、ママのこと、好き?」
不意に聞きたくなったのだ。私は、わからない。陽だまりのような手をぎゅっと握りながら、イッコちゃんは口を開く。
「だいすきだよ!」
家族って、きっとこういうことを指すのだろう。絶対的な味方で、指し示す方向であって、一番安らぎを得られる居場所。イッコちゃんにとって家族がそうであるなら、私は満足だった。
「あ、ママだー!」
私とヨルンさんの手を振り払って走り出したイッコちゃんは、ママと叫びながら暖かそうな毛皮のコートを着ている、明るめの茶髪の女性のもとへ一直線だった。到達した途端、足元にぎゅっと抱き着いた。
「イッコ! もう、探したじゃない! 勝手にどこか行ったらだめでしょうが!」
びっくりするほどハスキーで、それでいて怒気のこもった声だった。その声に一瞬怯み、一歩足を後ろに引いてしまった。足元に抱き着いたイッコちゃんを引きはがして、わざとらしいため息を吐いた。
ヨルンさんの背中に隠れるように様子を見守る。こちらには目もくれない母親。
「行くわよ!」
スタスタと歩き出した母親は、イッコちゃんの手を繋ごうともしなかった。それでもイッコちゃんはママが見つかって心底嬉しそうだった。こちらに一度振り返って、大きな声で「ありがとう、お姉ちゃん、お兄ちゃん!!」と叫んでいた。
小さく手を振ると、イッコちゃんは満足したように母親の後ろ姿を追いかけて、そのうち光となって消えた。
「なんかすごくお母さん、怒ってましたね」
「……あぁ」
ふっと音が止んだ。この世界の主がいなくなって、場所だけが取り残されていた。人間と呼べるものは一人もいなくて、がらんとしたおもちゃ屋さんだけがあった。
「それにしてもあのお母さん、ちょっと怖かったですね」
「俺はああいうのは母親とは思えない」
険しい顔のまま、屋内だというのに煙草に火を付けた。ここは夢だ。だからいいと言われれば確かにそうだが、見慣れないせいかかなり違和感があった。
「ヨルンさん、何かあったんですか?」
「ん? なんだ」
「顔がちょっと、怖いです」
「ん、あぁ、すまない」
口では謝っているものの、その顔はかなり怖いままだった。何かしてしまっただろうか。その何かとは一体何だろうか。やっぱり人の仕事に首を突っ込みすぎているのだろうか。ぐるぐる回る思考は、やがて自己嫌悪へ誘っていく。
「都はなにも悪くない。今日も手伝ってもらって、その、すまなかった。その、女性の……」
「ヨルンさんって、意外とそういうの苦手なんですね」
「一応男だしな」
自嘲気味にでも、ヨルンさんの顔には少しばかりの笑顔が戻ってきていた。大きなクマのぬいぐるみの前を、煙がかすめていく。ナンセンスな景色だ。
「今回はこれで終わりですよね」
「そうだな」
「……目覚めないといけないですね」
「そうだな」
煙の先にはもう扉が作られていて、その扉を背もたれにして煙草を吸っていた。絵になるな、と思った。アンバランスな景色が、どうしようもなく尊くなってきて、無言で短くなっていく煙草から目が離せなかった。
一生ここに居たいと思わせるほどに。
「ヨルンさん」
「なんだ」
「このまま起きない方法ってないんですか」
「昨日外からの音で起きただろう。何かがあれば起きる。それに都がここに留まり続けるなんてできないだろう。寝てばかりだと本物の体が死んでしまう」
「それでもいいって、言ったら?」
目を丸くしたヨルンさんは、短くなった煙草を足元に落とした。あっという間に消えた煙草は、ヨルンさんの手元で新しい一本に火を付けられていた。
「無理だ」
きっぱりと言い放たれた。それだけで私は悟った。やっぱり私は帰らないといけないらしい。あの息苦しい世界へ。
「ですよね」
ぎゅっと握った拳は、まだイッコちゃんの温もりを残しているようだった。じりじりと灰になっていく煙草は、ずいぶんと短くなっていた。
「じゃあ、また」
「はい。起きたら、また」
放り投げた煙草は放物線を描いて、地面に落ちる前に消えた。おもちゃ屋は相変わらず人っ子一人いない。たくさんのおもちゃの中から、イッコちゃんは何か買ってもらえただろうか。
*
すっかり習慣付いたお昼過ぎに起きた。すっかり慣れたヨルンさんの声が降りかかる。
「おはよう」
「おはようございます」
伸びをしてからお茶のボトルとグラスを持って部屋を出ると全く人の気配がなかった。
洗面所へ寄って、リビングへ入っても、誰もいない。カレンダーは火曜日を指していた。ご飯を温めている間、普段は全く付けないテレビをつけると、お昼時のニュースが流れていた。キッチンからはテレビの画面が見えないので、ニュースを流し聞いていた。
「---……都内のマンションで
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