第16話
「にゃあ」
真下から可愛らしい鳴き声が聞こえた。行きついた場所は見慣れない路地で、絵に描いたような閑静な住宅街という感じだった。
人懐っこい猫なのか、私の足元に擦り寄ってゴロゴロと喉を鳴らしている。あまりの可愛らしさに、たまらずしゃがみこんで頭を撫でた。ふわふわの毛並みは触り心地が抜群によく、茶色と黒と白の三毛猫が気持ちよさそうに寝転がってお腹を見せている。
「君はどこから来たの?」
なんて話しかけても、答えてくれるわけないか。
「お前さんこそどこから来たんじゃ」
随分しわがれた声だった。どこから聞こえたのだろうと辺りを見渡しても、もちろん誰もいるはずもなく、ここにいるのは目の前でまっすぐこちらを見つめている猫だけ……。
「え!?」
理解したとき、私はそのまましりもちをついてしまった。そんなことは興味ないといわんばかりに、猫は自分の体を舌で舐めていた。
「なんじゃ、聞こえとるんじゃったら答えんかい若い女」
猫が、喋ってる……!? 上を見上げると何食わぬ顔で私を見下ろして、猫と私を同時に見つめていた。
「ヨルンさん、この猫……!」
「夢だからな。ご老猫、今日はどちらへ?」
「さあなあ、どこへ行こうかのう」
軽やかに起き上がると、猫はそのまますたすたと歩きだした。ヨルンさんは猫の後ろを着いて歩いて、私もそれに倣った。どうやらここは猫の夢らしい。種族関係なく仕事はあるものなのだろう。今までのものよりも随分不思議な気分だった。
路地裏を抜けて、流れる景色をただ見ていると、まるで電車に乗っているようだった。歩くたびに街並みは変わっていく。原宿や六本木、銀座など、あらゆる都市部を回って、行きついた先は昼の新宿だった。
「お昼に来ると、また違う街並みに見えますね」
「あぁ、昨日見たばかりだから余計にな」
日が照っている間の新宿というのは、昨日とは全く違う顔を見せていた。まずネオンが光っていないのもそうだが、あんなに煌びやかに見えた町は、少々汚れているようにも感じる。
きょろきょろしているうちに、猫が違う女性の足元へと擦り寄っていった。
「にゃあ」
おじいちゃんみたいな声だったのが嘘のように、可愛らしい鳴き声と共に近寄っていったのは、なぜか見覚えのある人物だった。
「あれっ、可愛い猫~。ここら辺の猫は随分警戒心強めなのに、お前は人懐っこいね」
「え、あれって、もしかしてアカリさんじゃないですか?」
「この猫が会ったことあるんだろうな、こういうことは珍しくない」
「不思議な縁ですね……」
昨日と違い、まっすぐ下ろした髪はさらさらと冬の風になびいて、服装だって足こそ大胆に露出はしていたものの、昨日よりだいぶと落ち着いた服装をしていた。
ひとしきり撫で繰り回したアカリさんは、思いついたように立ち上がって、コンビニへと走っていった。猫はそのまま動くこともなく、ただじっと座っていた。私たちもその猫をただ見守る。
コンビニ袋を提げて戻ってきたアカリさんは、袋から猫缶を取り出して、丁寧に開封した。
「ほい、お食べ~。お前も強く生きなよ」
それだけ言うと、彼女はこちらなんてまるで見えていないように背中を向けて歩いて行った。絶対にヨルンさんに気付くくらいの距離にいたのに、何食わぬ顔で去っていく後ろ姿は、昨日と別人のように見えた。
彼女は道端の猫にだって優しかった。私が知っているのは昨日だけだけど、アカリさんも十分強く生きている人だった。
「久しぶりにきちんとした食事じゃ。やっぱりこれは美味いのお」
ご満悦そうに猫缶を頬張る猫は、こんな道の片隅でこれが至福といわんばかりに平らげていく。
猫缶を食べ終え、うんっと伸びをしたあと、また歩き出した。ヨルンさんも変わらずそれに着いていくので、私はアカリさんが消えた方向をしばらく眺めて、ヨルンさんの背中に向けて走った。
次の場所は夜の公園だった。猫は夜行性というが、彼が一声鳴くと次々と猫たちが集まってきた。寄りに寄ってきた猫たちは、あっという間に三十匹は超える集会所に早変わりしていた。恐るべし、夜行性動物。
私たちが着いてきた猫は、あのしわがれた声でたくさんの猫たちと会話していた。
「今日は猫缶をいただけたのでな、久方ぶりのご馳走だったわい」
「いいなあ。あたいらなんて、最近じゃゴミ貯めから漁ってばかりさ」
「俺っちなんてこないだ漁っていたら、蹴飛ばされそうになったもんだからよ、全力ダッシュで逃げちまったさ」
「わしも長いこと生きてきたがのぉ、人間も捨てたもんじゃないの」
愉快そうに笑うその猫は、たくさんの若い猫たちに話しかけられていた。この集会のリーダー、なのかな。
可愛らしい見た目とは全く程遠いおじいちゃんのような声は、朝の五時ごろまで聞こえ続けていた。
「なんだか楽しそうですね」
「人生、いや、猫生を謳歌しているって感じだな」
ベンチに座って遠目から眺めていても、その猫が楽しそうに笑う声は良く通っている。不思議と寒さは気にならなかった。
彼は猫生をどれほど全うしているのだろう。
こんなたくさんの仲間に囲まれた彼は、本当に幸せなのだろうなと、心の底から羨ましくなった。
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