第13話

「私、お兄さんみたいな人、すっごいタイプ~。ねえ、彼女とかいないのぉ?」


 見て取れるべろべろな様子は、私にも分かった。ヨルンさんにもたれかかりながら、長袖を着ていてもわかる細い腕を絡ませている。それを剥がすこともなく、かといって触れに行くわけでもなく、ただされるがままになっていた。

 二人で開けられた空瓶が並べられている。気が付けばお客さんの人数はかなり減っていた。


「ちょっとトイレ~」


 フラフラと席を立った彼女は、高いヒールをコツコツと鳴らせながら奥へと消えていった。


「あの、お金とかって持っているんですか」


「夢に金を払うのか?」


「いや、でも……」


「アカリが見たかった夢だ。仕方ない」


 こんなのが、彼女の見たかった夢? 確かに、みんなで一気飲みを賭けたゲーム(私はなぜかコーラで参加した。)や、私への質問攻めなど、なんだかとても楽しい時間だった気がするけれど。いやいや、私まで楽しんでどうする。これはヨルンさんのお仕事なのだ。


「たらいまぁ」


 すっかり顔を赤くさせたアカリさんは、自分の小さなバッグから細い煙草を取り出して火を付けた。吐き出す煙がやけに色っぽく感じた。


「私ねえ、このお店でナンバーワンになることが夢なの」


 ぽつりぽつりと話し始めた彼女は、もうヨルンさんなんて見てもいなかった。ただ煙草が燃えていく様を見守っていた。

 気が付けばこの世界は、このテーブルだけ切り取られていた。私、ヨルンさん、そして酔っぱらったアカリさんだけだった。

 あんなに大きく感じていた音楽や、スタッフさん、他のお客さんだっていない。ここはぐちゃぐちゃのテーブルと私たちが座るソファだけになった。

 ヨルンさんが煙草を取り出しても、彼女はもう火を付けることはしなかった。


「いつでもこうやって飲めたらいいのに、いつも空回ってばっかりなの」


 ふう、と吐き出された煙は、少しだけ汚れて見えた。ちらりと見えた手首の傷に、私の心臓がどきりと跳ねた。彼女ほど綺麗で美しく着飾れた彼女が、何に満ち足りていないというのだろう。


「ねえお兄さん。私と付き合わない?」


「すまない」


 そこは夢だからいいよ、と返事をしてあげればいいものを。馬鹿正直に謝ったヨルンさんは、本当に申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「……だよねえ。いいの、冗談だから!」


 急に元の店内に戻ってきた。申し訳なさそうな顔をしながらスタッフさんが「そろそろ閉店のお時間になりまして……」と知らせに来た。あのヤンキー風のお兄さんだった。

 その言葉にヨルンさんはすくっと立ち上がると、べろべろのアカリさんも一緒になって立ち上がった。

 二人が歩いていく後ろを、また歩き出す。店の外まで着いてきてくれた彼女は、寒さなんて気にしていないようににっこりと笑っていた。


「あーあ、楽しかった! またね、お兄さんっ」


 美しすぎるくらいのウインクを決めて、店内へと身をひるがえした。そして彼女もまた、光に包まれてそして消えていった。

 勝手に閉まっていく扉を見届けて、煙草に火を付けたヨルンさんは、息なのか煙なのかわからないまま煙を吐いた。顔にも態度にも酔っぱらっている様子はなかった。


「アカリさんはあんなに酔っていたのに、本当に楽しかったんですかね」


「楽しかったからあんなに笑えていたんだろう」


「なら嘘でも付き合ってあげたらよかったのに」


「業務上には必要ない」


 そっぽを向いてヨルンさんはまた煙を吐いた。ネオンはやけに明るく光っているのに、街には誰もいなかった。

 道路のど真ん中にまた扉が現れた。今日の夢は、ここまでらしい。


「どうしてアカリさんには名前教えなかったんですか」


「なんとなくだ」


「じゃあなんで私には名乗ったんですか」


「なんとなくだ」


「……意味わかんない」


「俺もだ」


 ふっと笑ったその顔は、少しだけ切なそうな顔をしていた。彼は何も言わずに扉をくぐった。私もそろそろ起きよう。くだらない現実世界に、帰ろう。



 今日の天気は曇りらしい。曇天が覆っているせいか、部屋はやけに薄暗いままだった。もぞもぞと体温で暖まっている布団の中で、昨日の夢を思った。

 そしてキャバクラは存外怖いだけの場所ではないのだと感じた。もう一度行きたいかといわれたら、それは答えに困ってしまうが。

 寝転がったまま部屋を見渡すと、やっぱりヨルンさんはそこに居た。三日目ともなるとさすがに驚きはしない。


「おはよう、都」


「おはようございます、ヨルンさん」


 奇妙な同居生活はいつまで続くのだろう。いつまで誰かの夢を見るのだろう。でも、こんな奇妙な体験をいつでもできるとは限らない。私が生きている間は、これを享受しようと小さく決意した朝だった。

 腕で目を抑えると、指先に冷たい空気が触れた。袖口から腕に侵入して、昨日切った場所が少しだけひりついた。


「ヨルンさんは昨日みたいなところ、よく行くんですか」


「生きていたころは良く行った」


「もともと人間だったんですか?」


「そうだ」


 彼にも人間だったのか。ということはやっぱり幽霊みたいなものだろうか。幽霊から仕事を与えられる存在にクラスチェンジしたのだろうか。やっぱり謎の多い人だ。


「生前は何をしていたんですか」


「秘匿情報」


 お決まりになりつつあるセリフだった。むくりと起き上がると、やっぱり冷える部屋に私の心を置き去りにして部屋を出た。

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