第12話

 夜の世界定番のネオン街、という感じだった。よくテレビで見る。ここは間違いなく新宿だった。

 個人的に行ったことはないが暴力事件とかを聞くと、やっぱり怖い街というイメージが植え付けられていた。

 寒さまで忠実に再現されていて、薄着すぎる格好に少しだけ後悔していると、感覚的に暖かくなった。茶色のダッフルコートを着ていた。やっぱり便利だ。


「ここ……」


「この国での繁華街と聞いている。それくらいの格好じゃなければ浮くかと思ってな」


 もはや今の格好でも浮いているような気がする。すたすたと歌舞伎町一番街と掲げられたアーチを潜り抜けた。負けじとついていくと、彼はとある店の扉を開けた。ここは、俗にいうキャバクラというものではないだろうか。開けた瞬間にやや大きめな音楽が飛び出してきた。


「いらっしゃいませ。お客様は……二名でしょうか? ご指名の方などはいらっしゃいますか?」


「二名だ。アカリを」


 人生の中で一生来ることはないだろうと考えていた場に、つい二の足を踏んでしまう。もはやこの格好でもかなり浮いてしまっている気がするけど、スーツを着たスタッフが歩き出すと同時にヨルンさんも歩き出した。取り残されるほうが困る。

 お店は左右に席がある、縦長のお店だった。席の後ろ側には大きな鏡が嵌め合わされていて、合わせ鏡になっていた。通路の真ん中には等間隔で柱が設置されていて、少し歩き辛かった。


 とても繁盛しているようで、どの席も埋まっている、いわゆる満席状態だった。たくさんの男性がやけに胸元が空いたドレスを身にまとっている女性に、鼻の下をのばしているのがわかる。

 ドレスに負けじと顔も化粧をして完全武装な女性たち。彼女たちは一体どれだけの男性を虜にしているのだろう。

 程なくして席にやってきたのは胸元こそ大きく空いて、肩も惜しみ抱く出されていたが、長袖タイプでタイトスカートが可愛らしいドレスが周りの女性たちと違う雰囲気を醸し出していた。長い髪を後ろに束ねて、少し幼さの残った顔を美しく飾っている女の人だった。


「こんばんわ! えっと、あなた誰だっけ? そっちの女の子も……」


「いや、初めて来たんだ。そっちの子は、俺の付き添いで着いてきた」


「まさか、同業? じゃないわよね」


「その言葉の意味はわからないが、恐らく思っているようなものではない」


「……そ。ならいいの。初めてならボトルもないよね、何にする?」


「モエ・エ・シャンドンというメーカーの酒はあるか」


 やけに綺麗な発音を聞くや否や、アカリという女は花が開いたように大きすぎる目をさらに大きくさせていた。


「え! シャンパン開けてくれるの!? ラッキー! お願いしまーす!」


 二人はどの種類のにするか、ということをひっきりなしに話している。ここまで喋っているヨルンさんは意外だった。もっと寡黙かと思っていた。この会話の間、私側の席に完全武装の女が来ることはなく、二人の会話をただ見守っていた。

 これ、本当に夢なのかな。実は夢遊病で、この人と実際に来ているんじゃないかとまで思えてきた。それくらいリアルだ。

 とはいえ、さっき出てきたモエ・エ・シャンドンは知っている。ミュシャがこの会社にイラストを描き下ろしたことがあるのだ。


 運ばれてきたのは、銀色のバケツみたいなのに入ったシャンパンとグラスだった。ラベルを見て少しがっかりした。ミュシャのラベルではなく、簡素に「MOËT & CHANDON」と書かれていただけだった。

 「モエシャン頂きました! ありがとうございます!」というやけに大きな声で叫んだあと、ぽんっという小気味のいい音と共に開栓された。人数分のグラスに注がれている所を眺めていて気付いた。


「あ、あの、お茶とかって、ありますか、ね?」


「あなた飲めないタイプ? お願いしまーす、ゲストウーロン一つ~」


 じゃあ形だけでも乾杯してよ、という彼女の誘いを断れずに、グラスを持たされた。夢の中とはいえ、飲酒行為にはいささか抵抗があった。

 調子のよさそうにかんぱーい! と音頭を取ったアカリさんと、それに合わせるようにグラスをぶつけ合う。コチンという音を合図に、くいっとそれを一気飲みしたアカリさんは、私のグラスに手を伸ばして、それも一気飲みした。

 ヨルンさんはといえば、こっちも一気に飲み干して少しだけ微笑んでいた。そうしているうちにヤンキー風のお兄さんがウーロン茶を運んできてくれた。


「お、お兄さんいける口~? じゃあ今日は飲んじゃおう!」


 どんどん二人で開けられていくボトルと、アカリさんが一方的に喋っていることに相槌を打つヨルンさんと、それを黙って見守る私。

 ボトルが空くと、ヨルンさんはさらに同じものを注文していた。こういうシャンパンといった類は、もしかしなくても高級品だろう。メニュー表を開いてみると、なんと五万円もする。二本目ということは、つまりこの一瞬で十万円が消えたということだ。恐ろしい世界だ。

 ヨルンさんが煙草を銜えた瞬間、手慣れた手つきでライターに火を灯していた。すごい早業だった。全く顔に変化がないヨルンさんに対し、アカリさんは少しだけ顔が赤くなっていた。


「お兄さん羽振りいいじゃん! ていうか名前は?」


「名乗るほどでもない」


 そんなセリフ、映画か漫画でしか聞いたことない。一度でいいから使ってみたいセリフの、ナンバー八くらいには入ってそうだ。

 少しだけ面食らった顔をした彼女は、お酒の力もあってか食い下がっていた。が、かたくなに教えようとしないヨルンさんに、とうとう諦めて別の話題を引っ張り出してきていた。

 二本目が開けられて、三本、四本目になると、彼女はもう座っているのがやっとというほど酔っぱらっていた。

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