第6話

 光が弱まると、辺り一面が青々と茂る草原だった。高い空には雲一つない。そよそよと吹く風が心地いい。どこまで続いているのかもわからないこの空間は、さっきの場所と違ってかなり解放感のある場所だった。

 前を歩いている金髪男は無言で歩き出した。私もそれにならって後ろを着いていく。少し後ろを歩きながら、周りを見渡しても誰も存在しなかった。

 前を向くと長身の細見で、いかにも「スタイル抜群」という雰囲気だった。日本人離れした顔だって、ついさっき見ただけだけどかっこいいほうだと思う。もう少し目が垂れていたら良かったのにな。自分の妄想なら少しくらい私好みでもいい気がするけど。


 不意に何かにぶつかる感触に一歩下がった。どうやら突然立ち止まった金髪男の背中にぶつかったらしい。頭に残る衝撃もよそに、頭を持ち上げると急にしゃがみこんだ。

 すると、小さな子供がいた。六歳くらいだろうか。透き通るほど白い肌に薄い茶色の髪がよく似合っていた。男の子にも女の子にも見えるその子は、くりくりとした大きな瞳は涙をいっぱいにため込んでいた。


「お兄ちゃん……!」


「どうしたボウズ」


 どうやら男の子らしいとっても可愛いその子供は、この黒づくめ男に躊躇なく抱き着いた。金髪男は優しく受け入れて、男の子の頭をぽんぽんと撫でていた。


「僕、僕ね、何もないの……うぅ、空っぽなんだ……」


 肩を震わせながら、男の子は金髪男に抱きしめられながら泣く。涙は透明な血液、と聞いたことがある。それが本当なら、人体の液体の中で一番綺麗に流れているものだと思う。透き通った彼の血は、流れに流れて金髪男のジャケットを濡らせていく。そんな様子を、ただ見つめていた。


「誰にも見つけてもらえないままなんだ、僕には何もないんだ……」


「大丈夫だ。俺が見つけたからな」


「ほんと?」


「だからここに居るんじゃねえか」


 また泣きだす男の子。こちらからは金髪男の顔は見えないが、ずっと頭を撫で続けていた。ずっと泣き続ける子供に、少し胸が痛みだす。

 なにか、できないかなと思った。そういえば白い空間にいたとき、瞬きをしただけでスニーカーが現れた。夢だからなんでもあり、ということだろうか。頭の中で思い描くだけでいいのだろうか。

 正解は音もなく現れたスケッチブックとシャーペンが教えてくれた。便利なものだ。

 

「お姉ちゃん、それなぁに?」


 可愛い男の子だ。とっても様になっている。その場に座り込むと、いつの間に金髪男から離れたのか、私の近くに男の子はいた。金髪男もその場に座って、よく見ると男の子と手を繋いでいた。兄弟なのかな、なんて妄想が膨らむ。

 一枚めくると、何も書かれていない新品のスケッチブックだった。手にあるのは、いつも使っている手になじんだシャープペン。やっぱりなんでもありなんだなあ、と思いながら、私もにこりと微笑み返す。


「お姉ちゃんね、絵が得意なの」


 さらさらと描きだすと、物珍しそうにスケッチブックをのぞき込んできた。カラーまではできなくても、様になってくれればいいけど……。


 絵が完成に近付いていくと、男の子はだんだん目を輝かせていった。さっきまで涙に濡れていた瞳は、本当にキラキラと光っていた。隣で無言で眺めていた金髪男もスケッチを見て少し目を見開いていた。

 にっこりと笑った男の子の姿をスケッチした絵だった。少し時間がかかったような気もするけど、夢はまだ覚めてはいない。


「どう、かな?」


「すっごーい! お姉ちゃん、本当に絵が上手なんだねっ!」


 もうあの泣き顔ではなく、すっかり花が咲いたように笑っていた。ふわふわの髪が、風に撫でられてふわりと揺れた。


「ありがとう。これ、君にあげるね」


 スケッチブックごと男の子に渡すと、うわぁ、と声を上げながら受け取ってくれた。少しだけ照れ臭いことをしたな、と思う。でも、こうして笑ってくれるのはとても嬉しい。


「よかったな、ボウズ。もう、大丈夫か?」


「うん! 大丈夫だよ、お兄ちゃんもお姉ちゃんもありがとうっ!」


 ぱっと私たちから飛び退くと、スケッチブックに描いたそっくりの無邪気な笑顔で、スケッチブックを大事そうに抱えながら手を振った。反射的に小さく手を振ると、金髪男は煙草にまた火を付けていた。びっくりするほど優しそうな顔で手をあげた。


 しばらくすると、男の子は光に包まれてやがて粒となって消えていった。光の粒はどんどん空に上っていき、やがて見えなくなった。

 神秘的な光景だった。彼は、夢から覚めたんだろうか。私も夢から覚めるとき、こうして覚めているのだろうか。一緒に見守っていた金髪男は突然立ち上がって数歩だけ歩いて煙を吐くと、また扉が生まれた。ここに来た時と同じような白い扉だった。


「志筑都、お前も起きろ」


「だから起きろって言ったって……」


「覚めたいと思えば覚める」


「そういうもんなんですか」


「そういうもんだ」


 ぶっきらぼうにそう答えると、彼は扉へ向かって歩き出した。つくづく便利な夢だ。だが彼が扉の向こうへ消えたら、もう二度と会えないかもしれない。


「あ、あの!」


 私も立ち上がって、扉を開けた彼に声をかけた。声をかけたはいいが、何を聞けというのだろう。考えが上手くまとまらないまま、ずっと持ちっぱなしだったシャーペンを胸元で強く握りながら叫んだ。


「お、お名前はなんていうんですか!」


 こちらを振り返ると、無表情のままこちらをまっすぐ見つめていた。


「ヨルンだ。多分、これっきり会うことはないだろうがな」


 そう言い残して、彼は扉の向こうへ消えていった。私は草原をもう一度見回した。草原と空は夢の中という事実を忘れさせるように、どこまでも続いていた。

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