第28話 蛇竜(後)
「なに、なんなのよ!」
クィスが訳も分からず、ユングヴィの馬に乗せられる。手綱はユングヴィが持つ。二人乗りだ。その分の荷物は後ろに続くもう一頭の馬に乗せる。乗り手はいないが、ユングヴィが並走させる。
「大丈夫か、重くないか? しっかり頼むぞ」
クィスを乗せるとユングヴィは馬にそう語り掛けた。
「ね、ちょっと私のこと? ね、XXX!」
遠くで黒い影が石塔群の間をはばたいたような気がした。
「かわいそうだが、守ってやれそうにない」
ユングヴィはラクダを結ぶ紐をほどき、ラクダを自由にさせた。この先は馬で一気に駆ける。
「盗まれないのか?」
こんな時だが、
「長旅の辛さを知っている者は決して盗まない。もし、盗んだことがばれたら、そいつは商人仲間からつま弾きにされる。それよりも雨の方が怖いね。さ、早く」
ユングヴィに促され、
「気づかずに、行ってくれたか?」
だが、そいつはくるっと旋回し、こちらに戻ってくる。
「ダメか! クィス、しっかり捕まっているんだ!」
ユングヴィが馬の速度を上げる。竜が奇声としか形容できない声、まるで赤ん坊が低く泣き笑うかのような声をあげながら、横殴りに吹く嵐のように接近して来る。
大きい! 以前見たやつよりも一回り大きい!
「このっ!」
「くっそっ!」
だが、矢はかすりもしない。
「おわっ、やめろっ!」
竜の不気味なほど長い首が伸びるように繰り出される。
「!?」
「ユングヴィ!」
声をあげる。馬では飛んでいる竜から逃げきれない。逃げきれないなら、いっそ地上に降りて迎撃した方が良いのではないか。
「くそぉぉぉぉっ!」
石塔の間を風のように駆け抜ける。
遠くから聞こえる翼の音が急ぐ心を掻き立てる。
竜が来た。
石塔の間に開けた空間から竜が飛び込んでくる。
ハヤブサのようにユングヴィへと襲い掛かる。
「やめろっ!」
!!!!!!!!!!!!!!!
龍は悲鳴とも
「うわっ!」
毒液の噴霧か!?
距離はあったが思わず顔を覆う。その腕が石塔に当たり、
「あ、あがっ、はっ……!」
そこに翼の音が聞こえた。藍色の竜が風を切る音が、上空かららせんを描いて落ちてくる。
「
視界の端でユングヴィが馬から降りたように見えた。待っていては間に合わない。剣を抜こうとするが、動けない。
目の前を何かが飛んでいった。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
赤ん坊の悲鳴のような声と共に、竜がぐらりと体勢を崩して地面に倒れ込んだ。胴体に比して短い脚に何かが絡まっている。
がつん、と鈍い音がした。
竜の頭部に、ユングヴィが肩から体当たりをかましたのだ。ユングヴィは勢い余って地面に転がり込む。
だが、すぐに切り返すかのように姿勢を建て直した。そのまま仰向けに倒れた竜に対して、無駄のない動作で首を切りつける。首の骨にかかったのか刃が一度止まり、ユングヴィはさらにぐっと刃を押し込んだ。勢いよく血が流れ出し、その流れの勢いが弱まる頃には、竜の黄色い目は光を失っていた。蛇のような口は開けられたままだった。
「は、は、はぁぁっ!」
ユングヴィは肩で息をしながら、へたり込むように地面に座りこんだ。顔を天に向けて、乱れた呼吸を解放する。頭まで隠していた緑色の
「ちょっと、どきどきしたね……無事かい?」
いつも余裕そうな表情を見せるユングヴィの顔が砂煙で汚れ、横にほつれた金髪が飛び出していた。
「ゆ、ユングヴィ……!」
まさか倒せるなんて!
その驚きに高揚しながらも、息を整えることがやっとだった。エルフの運動能力とはなんとまあ、凄まじいとしか言いようがない。戦雲時代の半ば伝説的な武将たちの活躍ですら、このエルフの身体能力、武勇の前には
「
クィスが逃げた馬を捕まえてやって来た。表情からして、こちらを心配してくれているらしい。なかなか起き上がれない
ユングヴィは何度か、竜の生死を確認すると、竜に巻き付いた「紐」を取り外していった。
「ああ、これはボーラだよ。二つの鉄の分銅が両端についた紐さ。これを投げつけて獲物の脚や腕を絡め取り、その動きを封じて狩る、そういうことをする人々がいるんだ」
ユングヴィが取り外したボーラを地面に落とすと鈍い音がした。見た目以上に重いものらしい。
「
ユングヴィがそう言って笑う。林立する石塔の間を風が走り抜けていく。さわやかな風だが、竜の血の匂いが生臭かった。
この竜は体が細いとはいえ、翼を全開にすれば小屋くらいの大きさはある。その自由を奪ったのだから、ボーラという道具もさることながら、やはり骨格が軽いのだろう。そう思ってじっと竜の死体を見ていると気になることがあった。あの金属光沢を持つ黒い鱗が、その死体の胸元にあたる部分に密生していたからだ。まるで、竜の胸元にだけ黒水晶が発達しかのような外見だった。
あれの黒い鱗は、竜の餌となる生物のものではなかったのだ。どう見てもこの竜は、前に戦った竜とよく似ている。だが前に戦った竜には黒い鱗はなかった。とすると、この鱗の有無は雌雄の違いか、成体か幼体かの差異なのだろか。
だが、周囲の石塔の根本のあたりに、あちらの石塔にもこちらの石塔にもあの抜け殻があった。生臭い風に揺れる抜け殻には、黒い鱗を密生させたものもあれば、それが見られないものもあった。
◇
「ああ、クィス、ほんとに染みるんだが!」
「我慢!」
クィスは
パンッ
「はがっ‼」
無情にもクィスはそんな
「
ユングヴィの問いかけに
「今その辺を見てきた。抜け殻はあちこちにあるが、竜の姿はない」
「だが、まぁいろいろと落ちていたよ」
ユングヴィは持って来たものをいろいろと見せてくれた。
馬の金具、
明らかに高級品であろう、玉をあしらった髪飾りもあった。玉は石の中でも磨かれたものが成熟して作られるとされる。数多の石の中に玉の血筋として君臨する
光るものが多い
例の黒い金属光沢を持つ鱗もよく日を反射しており、竜はあの鱗に魅かれていた。あのよく反射する鱗には、孔雀の羽のように異性を惹きつける力があるのだろうか。その力のせいで、竜は同様に光る物体にも魅力を感じてしまうのだろうか。
「ユングヴィ、これからどうするんだ?」
「
皆、あの竜がまた襲ってくるのかどうか、それを気にしていた。これだけ抜け殻があるのだ。近くに群れのように生息していてもおかしくない。実際に抜け殻の中には、まだ湿り気を残しているものもあった。
「
「昼行性か夜行性かって話か……」
「ここから先は開けた地形だ。もし竜が来ればすぐ分かる」
そして、それは同時に見つかったら隠れる場所はないことを示している。
「ねぇ、さっき倒したやつのことだけど……」
クィスが何か気づいたのだろうか。栗色の髪を指先で遊びながら、迷うような目をして、こちらに話し掛けて来た。
「クィス、それは食べられないと思う……」
「そう? 顔がヘビに似ているから、XXXいけるんじゃない?」
「あ~おほん、
ユングヴィが尋ねる。毒の話でクィスを思いとどまらせるつもりなのだろう。
「毒らしきものを吹き付けては来る。まぁ、動物が持つ毒は、敵や餌に向けて出すものと、自分の身を守るために持っているものとがあって、相手に出す側の動物は食べても毒に当たらない、そう言っている人はいた」
「じゃあ、いける?」
クィスの深みのある青い瞳がきらりと光る。この子は好奇心が食と結びついている。食こそが異文化への窓なのだ。
「クィス……まず、食べられそうなところが限られる」
ユングヴィが竜の死骸に一度視線を投げた後、
「そして、解体する道具がない」
竜の体のかなりの部分が薄い皮膜のついた翼とヘビの胴のように長い首だ。脚部も貧弱で食えそうにない。筋肉質なのはその翼を動かすための部分、となると人間でいう肩あたりの部位だろう。だが、翼をのぞいた体幹部でも大木ぐらいの大きさはある。これを解体するというなら、斬馬刀かのこぎりが必要だろう。
「なぁ、ユングヴィ」
「以前、俺があの鳥葬の丘で大きな鳥と戦ったな。あの肉、食べていたよな……」
そう確か、養生のためにと俺にも提供された。非常に筋張っていてかたく、なかなか飲み込めなかったのを覚えている。それでもクィスは懸命に
「それはね、道具を街から持って来たんだよ……ところで」
ユングヴィがため息を一つつく。風で乱れた金色の前髪の間から、岩から崩れ落ちた砂のような灰色の瞳が疲れた表情を見せていた。
「私は逃げるためにラクダも売り物も手放したんだ。そろそろ行かないかい?」
そうだ、行かなければならない。
佐成≪サセイ≫は立ち上がった。だが、何か忘れている気がした。
生きて帰りたい物語 テナガエビ @lake-shrimp
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