第28話 蛇竜(後)

「なに、なんなのよ!」


 クィスが訳も分からず、ユングヴィの馬に乗せられる。手綱はユングヴィが持つ。二人乗りだ。その分の荷物は後ろに続くもう一頭の馬に乗せる。乗り手はいないが、ユングヴィが並走させる。


「大丈夫か、重くないか? しっかり頼むぞ」


 クィスを乗せるとユングヴィは馬にそう語り掛けた。


「ね、ちょっと私のこと? ね、XXX!」


 遠くで黒い影が石塔群の間をはばたいたような気がした。


「かわいそうだが、守ってやれそうにない」


 ユングヴィはラクダを結ぶ紐をほどき、ラクダを自由にさせた。この先は馬で一気に駆ける。佐成サセイはもっと替え馬を確保しておけば良かったと思ったが、後の祭りだ。ユングヴィの商品である塩の板は布に包んだまま、目立つ巨石の根元に×印を作るように倒す。これは持ち主が不慮の事故で荷物を下したという合図になるのだそうだ。


「盗まれないのか?」


 こんな時だが、佐成サセイは思わず尋ねていた。


「長旅の辛さを知っている者は決して盗まない。もし、盗んだことがばれたら、そいつは商人仲間からつま弾きにされる。それよりも雨の方が怖いね。さ、早く」


 ユングヴィに促され、佐成サセイも自分の馬に騎乗した。この馬は軍から逃亡して以来の盟友だ。その時、上空を黒い影がすっと通り過ぎた。


「気づかずに、行ってくれたか?」


 だが、そいつはくるっと旋回し、こちらに戻ってくる。


「ダメか! クィス、しっかり捕まっているんだ!」


 ユングヴィが馬の速度を上げる。竜が奇声としか形容できない声、まるで赤ん坊が低く泣き笑うかのような声をあげながら、横殴りに吹く嵐のように接近して来る。佐成サセイの視界の左隅に、その姿はくすんだ藍色の物体として認識されていた。はばたく音がする度に自分の心臓の鼓動が早くなる。そいつの黄色い目がぬらりと光っている。


 大きい! 以前見たやつよりも一回り大きい!


「このっ!」


 佐成サセイは両脚でしっかりと馬体をはさみ、用意しておいた弓で馬上から矢を放った。


「くっそっ!」


 だが、矢はかすりもしない。佐成サセイに乗馬しつつ射撃する経験はほとんどなかった。遊牧民や訓練された騎兵でもなければ簡単にできることではない。


「おわっ、やめろっ!」


 竜の不気味なほど長い首が伸びるように繰り出される。佐成サセイ咄嗟とっさに頭を下げ、馬に鞭を入れた。ばさばさという翼の音と生臭い風が通り過ぎる。隣で馬に乗るユングヴィが弓を構えた時には、既に竜は通り過ぎていた。


「!?」


 佐成サセイは必死に馬を走らせながら頭と体を確認する。どうやら無事のようだ。竜は胸元をきらきらと煌めかせながら上昇していく。この巨石が林立する空間では、こちらの視界が効かないが、あいつも思うように飛べないらしい。


「ユングヴィ!」


 声をあげる。馬では飛んでいる竜から逃げきれない。逃げきれないなら、いっそ地上に降りて迎撃した方が良いのではないか。佐成サセイはそんなことを考えていた。だが、ユングヴィは手で前を見ろと佐成サセイに示す。石塔の林が密になる。よそ見をしていると竜に食われる前に、石に激突しかねない。


「くそぉぉぉぉっ!」


 石塔の間を風のように駆け抜ける。


 遠くから聞こえる翼の音が急ぐ心を掻き立てる。


 竜が来た。


 石塔の間に開けた空間から竜が飛び込んでくる。


 ハヤブサのようにユングヴィへと襲い掛かる。


「やめろっ!」


 佐成サセイが必死に放った矢が竜の脚に当たる。だが角度が悪かったのか刺さらなかった。


!!!!!!!!!!!!!!!


 龍は悲鳴とも嬌笑きょうしょうとも言い難い声とともに霧を周囲に噴射して上空に舞い戻る。


「うわっ!」


 毒液の噴霧か!?


 距離はあったが思わず顔を覆う。その腕が石塔に当たり、佐成サセイは落馬した。体の均衡を崩し、顔はかばったものの、強く胸を打ってしまう。


「あ、あがっ、はっ……!」


 佐成サセイの口内に苦い味わいが広がる。視界が蛍火のような輝きでいっぱいだった。呼吸ができず、乾いた大地の上をのたうち回る。驚いた馬が走り去ってしまった。


 そこに翼の音が聞こえた。藍色の竜が風を切る音が、上空かららせんを描いて落ちてくる。佐成サセイは石塔の陰に移動したかったが、上半身を起こすことすらままならなかった。せめて視線だけでも戦おうとするかのように上空をにらみつける。


 禍々まがまがしいくらい黄色い目玉が見えた。次に赤黒い口が見えた。


佐成サセイっ!」


 視界の端でユングヴィが馬から降りたように見えた。待っていては間に合わない。剣を抜こうとするが、動けない。


 目の前を何かが飛んでいった。


!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 赤ん坊の悲鳴のような声と共に、竜がぐらりと体勢を崩して地面に倒れ込んだ。胴体に比して短い脚に何かが絡まっている。


 佐成サセイが状況にわからずにいると、飛んできた紐が竜の首に絡みついた。竜の藍色の長い首が重石を付けられたかのように地面に沈む。だが、竜は力を振り絞って起き上がろうとした。一瞬、それは可能なように見えたが、次の瞬間緑色の旋風が竜の頭部に飛びかかった。


 がつん、と鈍い音がした。


 竜の頭部に、ユングヴィが肩から体当たりをかましたのだ。ユングヴィは勢い余って地面に転がり込む。

 だが、すぐに切り返すかのように姿勢を建て直した。そのまま仰向けに倒れた竜に対して、無駄のない動作で首を切りつける。首の骨にかかったのか刃が一度止まり、ユングヴィはさらにぐっと刃を押し込んだ。勢いよく血が流れ出し、その流れの勢いが弱まる頃には、竜の黄色い目は光を失っていた。蛇のような口は開けられたままだった。


「は、は、はぁぁっ!」


 ユングヴィは肩で息をしながら、へたり込むように地面に座りこんだ。顔を天に向けて、乱れた呼吸を解放する。頭まで隠していた緑色の長袍ローブがずり落ち、編み込まれた金髪が零れ落ちるように露わになった。ぶつかった衝撃のせいだろう、右肩の衣が裂け、血が赤くにじんでいる。


「ちょっと、どきどきしたね……無事かい?」


 いつも余裕そうな表情を見せるユングヴィの顔が砂煙で汚れ、横にほつれた金髪が飛び出していた。


「ゆ、ユングヴィ……!」


 まさか倒せるなんて!


 その驚きに高揚しながらも、息を整えることがやっとだった。エルフの運動能力とはなんとまあ、凄まじいとしか言いようがない。戦雲時代の半ば伝説的な武将たちの活躍ですら、このエルフの身体能力、武勇の前にはかすむのではないだろうか。


佐成サセイ!XXX?」


 クィスが逃げた馬を捕まえてやって来た。表情からして、こちらを心配してくれているらしい。なかなか起き上がれない佐成サセイの上半身を起こし、膝に乗せるようにしてもたれかからせてくれた。少し気恥ずかしい。


 ユングヴィは何度か、竜の生死を確認すると、竜に巻き付いた「紐」を取り外していった。佐成サセイは呼吸を整えながら、その様子を見ていた。クィスが革袋の水を少し飲ませてくれた。


「ああ、これはボーラだよ。二つの鉄の分銅が両端についた紐さ。これを投げつけて獲物の脚や腕を絡め取り、その動きを封じて狩る、そういうことをする人々がいるんだ」


 ユングヴィが取り外したボーラを地面に落とすと鈍い音がした。見た目以上に重いものらしい。


佐成サセイ、君が空を飛ぶものの骨は軽いと言っていただろう。あの細長い体形もあるし、こういうので動きを封じれるんじゃないかと思ったんだ。君と話したおかげだよ」


 ユングヴィがそう言って笑う。林立する石塔の間を風が走り抜けていく。さわやかな風だが、竜の血の匂いが生臭かった。


 この竜は体が細いとはいえ、翼を全開にすれば小屋くらいの大きさはある。その自由を奪ったのだから、ボーラという道具もさることながら、やはり骨格が軽いのだろう。そう思ってじっと竜の死体を見ていると気になることがあった。あの金属光沢を持つ黒い鱗が、その死体の胸元にあたる部分に密生していたからだ。まるで、竜の胸元にだけ黒水晶が発達しかのような外見だった。


 あれの黒い鱗は、竜の餌となる生物のものではなかったのだ。どう見てもこの竜は、前に戦った竜とよく似ている。だが前に戦った竜には黒い鱗はなかった。とすると、この鱗の有無は雌雄の違いか、成体か幼体かの差異なのだろか。


 佐成サセイはそんなことを思いながら、視線を前方に移した。青空を分断するかのように、自然石の石塔群がまだ続いている。だが、それは少し先で終わっていた。石塔の林が終わり、また青空と緑色の平原の世界が待っているのだ。その奥には今まで見えなかった山並みも見えていた。

 だが、周囲の石塔の根本のあたりに、あちらの石塔にもこちらの石塔にもあの抜け殻があった。生臭い風に揺れる抜け殻には、黒い鱗を密生させたものもあれば、それが見られないものもあった。



   ◇



「ああ、クィス、ほんとに染みるんだが!」

「我慢!」


 クィスは佐成サセイの腕や背中、脚の傷一つ一つを貴重な飲み水で洗い、何やらよく効くという干からびた薬草を酒ですりつぶし、塗り込んでくれた。これがやたらとすーすーひりひりとするのだ。佐成サセイは我慢できず、そっと背中に塗りつけられた薬草をかき落そうとする。


パンッ


「はがっ‼」


 無情にもクィスはそんな佐成サセイの背中をはたく。我慢しろと表現しているのであろう。その視線が厳しい。佐成サセイが傷の手当てを受けている間、ユングヴィは周囲を偵察し、戻って来た。まだ日は高い。


佐成サセイ、動けるかい?」


 ユングヴィの問いかけに佐成サセイは黙ってうなずいた。


「今その辺を見てきた。抜け殻はあちこちにあるが、竜の姿はない」


 佐成サセイはほっと安堵した。エルフ、の民が白亜仙はくあせんと呼ぶ人々の感覚は非常に鋭い。ユングヴィがそう言うなら少なくとも近くにはもういないのだろう。


「だが、まぁいろいろと落ちていたよ」


 ユングヴィは持って来たものをいろいろと見せてくれた。


 馬の金具、西域さいいきの様式の銀に藍色の石をあしらった首飾り、祠堂しどうで用いられる金属杯、兵士の武器……完全なものもあれば、壊れて一部だけになっているものもあった。たくの軍のものでない武器も見られた。近隣の遊牧民でも襲ったのだろう。


 明らかに高級品であろう、玉をあしらった髪飾りもあった。玉は石の中でも磨かれたものが成熟して作られるとされる。数多の石の中に玉の血筋として君臨する雲客うんかくのような貴族の象徴と言える装飾品だ。金色に光る革帯の留め具もあった。何やら犬のような動物が二頭噛み合っている。遊牧民が好む様式だ。


 光るものが多い


 例の黒い金属光沢を持つ鱗もよく日を反射しており、竜はあの鱗に魅かれていた。あのよく反射する鱗には、孔雀の羽のように異性を惹きつける力があるのだろうか。その力のせいで、竜は同様に光る物体にも魅力を感じてしまうのだろうか。佐成サセイは秘かに道中の記録を付けている木簡に、竜やその鱗の絵も描いていた。無事に故郷に戻ったら、道中とそこで出会った生物や部族の記録をまとめてみたいと思っているのだ。後世に残る記録となることを夢見て、可能な限り綿密に記録していた。


「ユングヴィ、これからどうするんだ?」

馬利克まりくは近い。早く街に逃げ込みたいが……」


 皆、あの竜がまた襲ってくるのかどうか、それを気にしていた。これだけ抜け殻があるのだ。近くに群れのように生息していてもおかしくない。実際に抜け殻の中には、まだ湿り気を残しているものもあった。


佐成サセイは前にもあの竜と遭遇していたと聞くけど、時間帯はどうだった?」

「昼行性か夜行性かって話か……」


 佐成サセイは腕組をして考え込んだ。あの蛇みたいな顔をした藍色の竜は、今まで昼間に襲撃してきた。夜の襲撃と言うのはまだ経験していない。そのことをユングヴィに話し、明るいうちに、よく周囲を警戒しつつ街を目指すことにしたのだ。


「ここから先は開けた地形だ。もし竜が来ればすぐ分かる」


 そして、それは同時に見つかったら隠れる場所はないことを示している。


「ねぇ、さっき倒したやつのことだけど……」


 クィスが何か気づいたのだろうか。栗色の髪を指先で遊びながら、迷うような目をして、こちらに話し掛けて来た。


「クィス、それは食べられないと思う……」


 佐成サセイはからかってそう言った。クィスは食いしん坊だからだ。


「そう? 顔がヘビに似ているから、XXXいけるんじゃない?」


 佐成サセイとユングヴィは思わず「あんぐり」した。本当にクィスがこの竜を食べられるか気にしていたからだ。


「あ~おほん、佐成サセイ、こいつそもそも毒を出すんだよね?」


 ユングヴィが尋ねる。毒の話でクィスを思いとどまらせるつもりなのだろう。


「毒らしきものを吹き付けては来る。まぁ、動物が持つ毒は、敵や餌に向けて出すものと、自分の身を守るために持っているものとがあって、相手に出す側の動物は食べても毒に当たらない、そう言っている人はいた」


 佐成サセイが知っているのはそこまでだった。本当かどうかは分からないので、判断はユングヴィとクィスに投げた形になる。


「じゃあ、いける?」


 クィスの深みのある青い瞳がきらりと光る。この子は好奇心が食と結びついている。食こそが異文化への窓なのだ。


「クィス……まず、食べられそうなところが限られる」


 ユングヴィが竜の死骸に一度視線を投げた後、さとすよう話しかける。その表情はどことなく面倒くさそうではあったが。


「そして、解体する道具がない」


 竜の体のかなりの部分が薄い皮膜のついた翼とヘビの胴のように長い首だ。脚部も貧弱で食えそうにない。筋肉質なのはその翼を動かすための部分、となると人間でいう肩あたりの部位だろう。だが、翼をのぞいた体幹部でも大木ぐらいの大きさはある。これを解体するというなら、斬馬刀かのこぎりが必要だろう。


「なぁ、ユングヴィ」


 佐成サセイはふと、あることに気が付いた。


「以前、俺があの鳥葬の丘で大きな鳥と戦ったな。あの肉、食べていたよな……」


 そう確か、養生のためにと俺にも提供された。非常に筋張っていてかたく、なかなか飲み込めなかったのを覚えている。それでもクィスは懸命に咀嚼そしゃくして飲み込んでいた。その強靭な精神とあごには恐れ入ったものだった。


「それはね、道具を街から持って来たんだよ……ところで」


 ユングヴィがため息を一つつく。風で乱れた金色の前髪の間から、岩から崩れ落ちた砂のような灰色の瞳が疲れた表情を見せていた。


「私は逃げるためにラクダも売り物も手放したんだ。そろそろ行かないかい?」


 そうだ、行かなければならない。


 佐成≪サセイ≫は立ち上がった。だが、何か忘れている気がした。

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生きて帰りたい物語 テナガエビ @lake-shrimp

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