第27話 蛇竜(前)
クィスが回復し、イェスイとイェスゲンのもとを去ることになったのは、その二日後のことだった。空は青く、草原の草からは日の光を浴びて
「イェスイさん、大変お世話になりました。私は旅の商人で、個人に差し上げて喜ばれるようなものは持っておりません。ですが、せめてクィスの面倒を見ていただいたお礼としてこれらをお受け取り下さい」
「そんなとても受け取れません! 普通のことをしただけですよ?」
イェスイを太陽の下で見たのは初めてではないだろうか。
「ご存じですか? エルフは、我々は義理と戦いからは決して逃げないことを美徳としております。クィスは大切な仲間です。それを助けていただいたお礼はちゃんとしたいのです。本当にお世話になりました」
ユングヴィがお礼の言葉を言い終わらないうちに、クィスがイェスイに抱き着く。クィスは涙ぐんでいた。
「おば……イェスイお姉さん、XXXになりました! XXX、たくさん迷惑をXXX……絶対また来る! お土産持って、絶対にXXX会いに来るから!」
クィスは最後の方は泣いてばかりで何を言っているのか良く分からなかった。いつの間にかイェスイももらい泣きしている。
「クィスちゃん……ほんとにこの数日間、私に、私に娘ができたみたいんで……」
そう言われて感極まったクィスの涙腺が大崩壊する。
「XXX! うわぁぁん!」
「でもね、クィスちゃん、私まだおばちゃんじゃないからねぇ!」
前にもこんな光景があった。クィスの泣き顔を見る度に、
「これ、私の部族のお守り!」
クィスはいつも身に付けている藍い小石がじゃらじゃらとつなげられた腕飾りをイェスイに差し出した。
「絶対また来る……来るから!」
「いつでもおいで……私の可愛い娘」
クィスがイェスイから離れるまで、それからまたかなりの時間を要した。だが、クィスの家族への思いを思い起こせば、
イェスイとはそこで別れたが、イェスゲンが馬に乗って途中まで見送ってくれた。
「見送りはここまでだ。ではな、客人。」
「イェスゲンもありがとう!」
「イェスイさんともども、お体に気を付けて」
クィスとユングヴィがイェスゲンに感謝の言葉を述べる。
「お世話になりました」
「今年は
「
イェスゲンの忠告に、思わず
「知らないのか? この辺りの
「なんだいユングヴィ、
「いや、私の故郷では塩ゆでにする」
冗談のつもりなのか、ユングヴィも分からないのか、そんなことを軽く言っていた。
「出会えば分かるが、出会わないことを祈ろう……では、客人の行き先に幸運があらんことを」
イェスゲンとはここで別れた。クィスが何度か振り返る。イェスゲンは別れたその場所で、ずっとこちらを見ていてくれた。距離が離れ、遠くに黒い点にしか見えなくなっても、見送っていてくれた。こうやって振り返っている我々の姿も、あの眼のよい遊牧民にははっきりと見えているのだろうか。
◇
「これはすごい景色だな……仙人でも出てきそうだ……」
「これ神様かXXXの作った神殿なんじゃないの?」
クィスが途方もないことを言うが、そうも思えそうな景観であることは間違いない。石塔の間の距離はばらばらだが、だいたい馬数頭が横に並んで通れるような間隔だった。
「行こう」
ユングヴィが合図をして、馬やラクダが静々と石塔の林に入っていく。ふと上空を見ると、青空が林立する石塔に分割されている。石造りの大神殿の廃墟から空を見上げているかのような感覚だった。数時間も進むと、相変わらず周囲は巨石の石塔が林立しているものの、少し開けた場所に到達した。
「ここで一休みしよう。このまま進めば明日には川の
ユングヴィが休憩を指示する。
「クィス、君は病み上がりなんだ。ちゃんと休みなさい。ひと眠りしたらどうだい?」
「そこまでじゃないわ!」
ユングヴィとクィスのやり取りを横に、
ふと、何か人工的に草や植物の繊維を敷きつめられた場所があった。明らかに生物の手が加わっているが、敷き詰められていたであろう植物が散乱しており、まるで放棄されて時間が経った巣のようだった。草や植物の繊維だけでなく、金属の欠片や装飾具などきらきら光るものが散乱していた。生き物が好きな
「なんだ、鳥の巣か?」
鳥の中には光る物を集めたいという欲求を持ち、祠堂の金属製の装飾や、富豪が好む蒼銀の腕輪などを盗んでは巣に集めるものがあるという。一つ二つ拾ってみると、矢じりや横刀の鞘の金具の一部などもあった。身に帯びる玉飾りもあった。玉は石より磨かれたものとして、貴族の象徴とされる。どこから持って来たのだろう。
「これは……印?」
まだ新しい矢じりに、印、それも
「なんだこれ……?」
そこにあったのは抜け殻だった。何か大きな生き物の抜け殻が風に揺れていたのだ。人の背丈くらいはありそうだが、皮がくしゃっと潰れていて分からない。だが、
「
「すまん、ちょっと後で!」
間違いない。あの時に拾った黒い鱗と同じものだった。ただ、それがこの抜け殻に密集していた。
「あいつ……脱皮したのか?」
いや……
あいつは確かに黒い鱗に反応していた。まるで大事な物とでも言うかのように、顔をこすりつけていた。しかし、あいつ自身にはこの黒い鱗は生えていなかった。
この脱皮殻の主が、あの竜どもの餌なのか?
「おいってば」
「ひゃああっ!」
ユングヴィの手が突然、肩に置かれ、
「びっくりしたなぁ!」
「いや、だから何しているんだい?」
「では、君がこいつが正体不明の生き物の抜け殻で、この黒い鱗におびき寄せられてその竜が来る可能性があると?」
「俺が見た地点もちょうどこんな風に、巣みたいになっていたんだ」
「もし、そいつに襲われたらどうやって戦えばいい? 逃げればいい?
「あの鱗には何か誘引されているみたいなんだ」
鱗を活用すれば誘き出して攻撃することもできるかもしれない。
「それが確かだとして、鱗に気を取られているところを矢で射ろってことかい?」
だが、そのために鱗を大量に持ち歩くこと自体が、あいつらを誘引しそうで怖い。
「以前、ユングヴィ、貴方はあの巨鳥を倒した。覚えているか、鳥葬の丘の。貴方ならあの竜とも戦えるとは思う。だが、相手は空を飛ぶ」
「……すると、空からの奇襲が怖い?」
「それもあるが空を飛ぶということは、骨格はそこまで頑丈じゃないと思う」
以前、イェスゲンが狩りで捕らえた鳥を何種類か
「なら、先に見つけて射ってしまえば……」
ユングヴィがそう言い終わるか終わらないうちに不思議な声が遠くから響いた。どこか赤子の鳴き声のようだが、それにしては音が低い。だが、いつしか遭遇したあの竜の声にどこか似ていた。
「ユングヴィ、移動しよう。やつかもしれない……!」
もう一度、同じ声が響いた。さらに別の声が響く。音程が少し違う。
まさか二匹いるのか……!
佐成の首筋を冷たい汗が流れた。
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