第26話 竈の火(後)

 ユングヴィはクィスを見送ってから、ぱおに戻って来た。ユングヴィはお茶を入れた容器などの片付け始めたのを見て、佐成サセイは慌てて手伝おうとする。


「ああ、ありがとう。だがすぐ終わるよ」


 手伝いさえもさせてもらえない。結局、佐成サセイ自身はこの一件の外にいるのだと再認識させられた気分だった。そんなに深入りしたいわけでもなく、相手もそんな思いでいたわけではない。そう頭では理解はしていたが。


佐成サセイ、君とも飲み直したい」


 そう言って今度はイェスゲンからもらった馬乳酒を取り出す。酸味が強い、動物の乳からつくった酒だ。佐成サセイは苦手だが、飲み直そうと言われては断れない。


「クィスは大丈夫そう?」

「うん、大丈夫だと思うよ。元気そうだったしね。佐成サセイはさっきの会話、分かったのかい?」


 ユングヴィはこちらが話しかけるのを待っていたかのように話題を切り返す。


「いや、ところどころしか……」

「そう、一応君にも少し話しておこう」


 ユングヴィはクィスとの出会いの話を覚えているか確認し、それから新しい話を始めた。


「風の谷から北に大きな湖がある。そのほとりにライイという古い町があるんだ。クィスに大きな街を見せたくてね……」

 

 空っぽになったユングヴィの杯に馬乳酒を告ぐ。


「草原や砂漠の街の住人って優しいと思わないかい?」

「なんだい突然?」

「クィスの話をするためさ」

「俺の故郷の人も優しいし、君も優しいよ」


 簡単に同意しなかったのは、やたらどこぞの人々は優しいと言われると故郷が下だと思われているようで反抗心が湧き上がってくるからだろう。未熟と言われれば返す言葉はない。ユングヴィにとっては予想外の反応だったのか、それとも佐成サセイの内心を見透かしてか少し困った顔をしていた。エルフは本当に人間なのだろうか。困り顔など滑稽こっけいなはずだが、エルフの困り顔がかまどの炎に照らされる様は美しい。


「ああ、うん、親切だと思うよ。見ず知らずに俺たちにここまで世話をしてくれるのだからね。私の家に突然見ず知らずの男女が助けてくれと来たら、力になりたいと思ってもやはり警戒から入ると思う」

「そうだね、私も君と同じだよ。私の故郷でもこうはしないだろう。ライイはパルスの民が住んでいる街だが同じように親切でね……」


 ユングヴィは時折目をつむってゆっくりと思いだしながら当時のことを話してくれた。


「パルスの民は女性は働き者でね、いつも料理だ糸紡ぎだ農作業だと本当によく働いている。私が見てきた中でもあれほどの働き者の民はなかなかいない。一方で男性は商人が多いんだが、とにかく面倒くさがりでね。私も注文したり、買わないかと商談を持ちかけたりしたんだけど、ちょっと面倒だとすぐに、また明日って言い出すんだ」


 ユングヴィが言うには、パルスの民が「また明日」と言うときはやる気がないときで、本当に明日を待ったとしても何も変わらないらしい。


「よくそんなのと商売したな?」


 つい軽蔑けいべつしたような言い方をしてしまう。ユングヴィは笑っていた。


「そう思うだろう。私もそう思うよ。だから、彼らと商売するときは何が何でもお願いするのさ、今売ってくれ、いや今金を払えってね」


 だがね、とユングヴィは言葉をつないだ。


「この面倒な男たちが親切なんだ。商売をさぼっている分、昼間はその辺をぶらぶらしているんだが、何か旅人が困っていると声をかけてくれて最後まで面倒を見てくれるんだ。暇な分、誰かの役に立つのを待っているのか、そう思えるくらいにね」


 クィスとユングヴィはしばらくライイに滞在したが、クィスもそのパルス男性の親切心に助けられたらしい。


「クィスがたまに着る緑色というか草色の服があるだろう。あれ、そこで買ったものなんだけどさ、店でクィスが見つけて欲しそうにしてたんだ。目立たないためにも服は新調した方がいい、そう思ってたから買ってあげようとしたら一度断られて……でもやっぱり欲しそうだったから、買うことにしたんだ。ほら、分かるだろう、クィスのそういうとこ?」

「ああ、想像にたやすい」


 きっとふくれっ面をして、自分がその服に関心があることをしぶしぶ認めたのではないだろうか。


「ところがその店頭にあった服が売れてしまってて……店に聞いたが同じものはない、店先でクィスに他の出はどうかと聞くとあれが良かったの一点張り……」


 目に浮かぶようだった。クィスは素直じゃないところがある。そして、そこから頑固や強情が派生してくるのだ。


「そうしたらね、そこの店の親父さん、髭もじゃの無愛想なパルス人だったんだけどさ、クィスのためにあちこち走り回って、とうとう知り合いの別の店にあったと教えてくれたんだよ」

「ほかの店を紹介してはその親父さんの儲けにならないのでは?」


 ユングヴィがにこっと笑ってうなずく。


「そう、そうなんだ。親切だよね」


 佐成サセイは素直に親切になれる人をうらやましく思うし、尊敬もする。きっと自分なら恥ずかしいとか、ひょっとしたら手を貸す方が迷惑じゃないかとか、やらない理由ばかり気にしてしまうから。


「別の機会には……ああ、確かライイでもクィスが体調を崩して、宿の主人や近所の人がそれを聞きつけて代わる代わる医者を紹介してくれたり、食物を持ってきてくれたり……まあ、労わってくれたよ。そして、それがクィスには嬉しくてつらかったんだな」


 ユングヴィが確認するようにクィスの家族のことを話してくれた。それは以前、ユングヴィがクィスと出会いそして旅に同行させるまでのことを話してくれた際に聞いていた。確か、両親にうとまれ、望まぬ結婚を強いられ、ユングヴィに助けを求めたはずだ。


「クィスが言うにはね、自分の両親には大事にされなかった。両親のために何かしても認めてもらえなかった。他の兄弟姉妹は親に可愛がられていたらしいが、クィスが言うには彼女だけはいつも怒られ、ダメなやつだとバカにされていたらしい。親からの見方がそんなだから、他の兄弟姉妹からもバカにされていたらしい。なのに……」


 ユングヴィが一呼吸置いて、酒を一口飲む。佐成サセイは自分の親はどうだったろうか、と考えた。宮廷に使える高官の子供たちなら自分の親よりも、乳母や教育係に育てられる。物心ついてからはお父様にはご挨拶と勉強の進展を報告し、お母様には時折日常の様子を報告に行く、そんなものだ。佐成サセイの家は官僚とはいえ、勢家でも富豪でもない。乳母がいて本当に可愛がってもらったが、母の料理を食べ、父に古典を教えてもらったこともあった。比較的庶民の家庭に近い雰囲気だったのだろうと自分では思っている。クィスのような異国の小さな部族の家庭とはどんなものなのだろうか。ユングヴィが話を再開した。


「彼女は両親にうとまれて、世の中そんなものなんだろうと諦めていた。なのに、見ず知らずのおじさんやおばさんが彼女に親切にしてくれるんだ。なんでってなったんだ」

「親切にしてくれることはうれしいことじゃないのか?」

「もちろんそうさ、彼女もそう思っているよ」


 ユングヴィがもう一口飲む。


「もし、このみんなの親切さが世の中で普通なことなら、彼女は余程悪い家庭に生まれたか、彼女を良く知る両親にとって彼女は余程悪い子だったことになる」

「そんな単純じゃないだろう」

「大人はそう割り切るが、彼女はそう考えている。で、クィスはああ見えて自分に対する自信がない。とても優しい子だし、いろんなことができる子だし、優秀だと私は思っているのだけど、家族に認めてもらえず育ったことが心の奥で悪い根を張り巡らしているらしい」


 クィスの姿を想像すると、必ずあの生意気な顔と逆八の字に曲がった気の強そうな太い眉毛が重いだされる。そんなクィスにも自分への不満や不安があったのだろうか。だとしたら、少し親近感と同情を感じてしまう。試験でも軍でもうまくいかず、自分というものへの諦めが育っている者に同情されても、クィス本人は嬉しくもないだろうが。


「では、自分の家族が世間一般と比べて、余程悪かったのだと思うのも、やはり辛いところがあるらしい」

「クィスは親が嫌で逃げてきたのだろう? だったら、そんなことで……自分の家族が嫌なやつだったと分かったところで辛いのか?」


 今までの話からして、クィスは両親を心から憎んでいたのかと思っていた。そうでもなければ、故郷から逃げださないだろう。逃げ出した後になって、やはり家族への想いが変化したのだろうか。


「そうだね、クィスは親が嫌いだとよく言っていたよ。だが、心のどこかでは、やっぱり自分のことを愛していてほしかったんじゃないかな」

「言い方が悪いが、矛盾じゃないか。自分の行動とその気持ちとが」


 少し時間を置いたが、ユングヴィはこちらの言葉を待っているようなので続けた。


「俺の国では親への孝は人として第一のこととされる。例え、どんな親だったとしてもだ。好かれたい気持ちと嫌だという、二つの気持ちがあるなら、故郷でうまくやりながら孝を尽くす道もあったんじゃないか?」


 言ってから少し嫌になった。うまくやる、それがどうするか分からないからこそクィスは逃げたのに、肝心のその部分について曖昧あいまいなことしか言えなかったからだ。


佐成サセイ、君の親御さんはどうだった? 君は親御さんが好きかい?」


 まともに考えたこともなかった。勉強して官吏かんりになって天子様にお仕えしろと繰り返す母の姿と、小さい頃なかなか書の暗記ができず、全部暗唱できるまで休ませてくれなかった父の姿が浮かぶ。だが、一方で俺が病気になった時は、母は女中と一緒にずっと看病してくれたし、父は何度も周囲の祠堂しどうへと快癒を祈りに行ってくれた。郷試に合格したときは、二人ともそれはそれは喜んでくれた。出征前、父は腰が痛いといい、母は白髪を気にしていたが、今も元気しているだろうか。

 ここまで回想して、ユングヴィが質問していたことを思い出した。


「普通だ。普通の親だよ」

「それは君の親御さんが立派な人だったから言えるんじゃないかい?」

「そうは言っても普通なんだ。特に何か言うことがない……」


 ユングヴィはにこにこしながら、佐成サセイの器に酒を注いだ。なぜだろう、佐成サセイはふと両親のことを思い出して目元が熱くなってきた。これまで気に留めていなかったことに罪悪感を抱くと同時に、帰って無事を確認したかった。


「まぁ、あまり我々で他人を悪く言ってもしょうがない。クィスの親御さんが実際どんな人かは、クィスからの伝言でしか知らないのだから」

「ユングヴィ、君はクィスをどうするつもりなんだ? いつか故郷に返すのかい? それともどこかに嫁がせたり、あるいは隊商の下働きとして仕事をさせていくのか……


 ユングヴィが静かに笑った。


「言ったことありませんでしたっけ?」

「ん? 何を?」

「君もクィスも仲間です。私は旅の仲間たちが欲しかっただけです。君らが私と一緒に動く気があるうちは私も君らのために頑張る、君らが私とは別の道を選ぶときが来たら……」


 かまどの炎に照らされたユングヴィの顔にどこか寂しそうな微笑みが浮かぶ。


「その時はその時だね。クィスがどうするか、それは彼女が決めることさ。年若くても彼女が決めることさ。私は私で冷たいやつなのさ……」


 冷たいとはちょっと違うのではないだろうか、ユングヴィはどこまで本気で言っているのだろう、そう思ったが酔いがまわって来た。ユングヴィがさらに言葉を続けるが頭に入らない。


「自分で歩んだ道で自分を作るんだよ」


 ユングヴィは何のことを言っているのだろう。炎が見えなくなった。まぶたが重くなってきたからだ。

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