第19話 クィスの不調(前)

 翌日、我々の隊商は元の三人構成で出発した。風のない穏やかな暑さがまとわりつく、そんな日だった。その日の午後には、砂丘の地を抜け、断崖があちこちにむき出しになっている山道を登った。断崖には地層が断ち切られたかのように現れ、真っ赤な地層と重々しい黒褐色の地層が幾重にも重なっていた。その上、ところどころにある岩があまりにも大きく、遠近感が狂いそうだ。あの世に続く道があるとしたら、こんな道なのではないだろうか。


「ふう、少し休憩しようか……大丈夫かい、クィス」


 ユングヴィがクィスの下馬を手伝いつつ声をかける。昨日はマンら一党との戦いがあったためだろう、今朝からクィスには疲労の色が濃い。いつもは凛としている太めの眉毛も心なしか八の字になり弱々しい。いつもは力強くこちらを見てくる両の青い眼がずっと地面をうつろに眺めている。


「XXX……」


 クィスの言葉はまだ時折分からなくなる。「大丈夫」、そんなことを言っているのではないだろうか。だが、大丈夫そうではなかった。良く見ると汗のかき方も異常だ。佐成サセイは軍にいた頃、このような兵士を何度か見たことがあった。そのような兵士はその後、意識を失ったり、嘔吐おうとしたりして倒れることが多かった。原因は疲労だと言う者もいれば、暑さにやられたのだという者もいてはっきりしなかった。


「ユングヴィ、クィスを岩陰で休ませた方がいい。このままだと倒れる」


 佐成サセイとユングヴィは手分けして、馬やラクダを何かしらに繋ぎ、クィスと荷物の中でも大切なものを岩陰に下ろした。クィスはユングヴィの手を借りて馬から降りる時もふらつき、足元が覚束なかった。そんなクィスをユングヴィは抱きかかえ、毛布を敷きつめた一角にそっと寝かせる。


「ううむ、病気かな……思えば、クィスは勝気なだけに、変な言い方だけどあまり心配していなかった」


 ユングヴィにいつもの軽い雰囲気がなかった。端正な顔立ちは少女への心配に陰ってなお端正であったが、いつもはぴかぴかに磨いた石材のような輝きを宿しているその灰色の瞳は今は曇り空のようだった。本気で心配している、あるいは年長者としての責任を感じている、もしくは両方なのだろう。


「ああ、いつも元気でいっぱいだった」


 外の世界が見たいから旅についてきた、そう言っていた少女はいつも強気で勝ち気で、料理や荷物の積み下ろしなど自分でできることを率先して行おうとしていた。拾い親とでもいうべきユングヴィには良く懐いており、まるで仲の良い兄妹のような雰囲気で旅をしていた。一方で、クィスは佐成サセイに対しては、兄妹の間のお邪魔虫のような扱い、また時折いらだちを感じさせるような視線を向けてくる。少なくとも佐成サセイ自身はそう感じる場面が多々あった。だが、巨鳥と戦った時や、鮮于センウを埋葬して戻ってきた時は、昔からの仲間のように迎えてくれた。そんな優しくてまだ年若い少女を気遣っていなかった。


「いつもいつも、自分のことしか見えていないな……」


 戦いから逃亡した頃のことを思い出す。何事にも一生懸命取り組んできたつもりが、今振り返れば自分のことしか見えていなかった。

 クィスはぐったりとしており、眠ってはいないようだが一言も話そうとはしなかった。話すことすら億劫なのだろう。苦しいのか、呼吸音が荒い。

 クィスに見られる症状は、以前、医師に太陽の熱気にやられた症状だと教えられたことがあるものによく似ていた。水気のある食物を食べさせ、良く休ませるのが良いという。阿勒あろくの市場で手に入れた小さめのうりを取り出す。砂漠を行く非常食にしようと買っておいたものだ。


「ユングヴィ、小刀ないかな?」

「はい」


 ユングヴィから借りた小刀でさくさくとうりを切り、適当な小皿に盛る。


「クィス、気分が悪いのだろうがこれを食べろ。きっと良くなる」


 うりを食べさせてやろうとすると、クィスはなんとか自分でそれを食べようとする。面倒くさいのか、うりの切れ端を何枚かつかむとぐっと口の中にねじ込み、咀嚼そしゃくしていた。ユングヴィが水袋を取り出し、クィスに飲ませる。ちゃんと食べて、飲むことはできるようだ。


「休む必要があるが、ちゃんと食べられるなら大丈夫だと思う」


 佐成サセイの言葉にユングヴィがうなずく。


「クィスがひと眠りして起きた頃には夕方になっているだろう。そうしたら少しでも移動しよう。あと少しで村があったはずだ」


 やがて、クィスが静かな寝息を立て始めた。佐成サセイとユングヴィの二人もちょうどいい大きさの石の上に腰を下ろし、一休みした。どこかで水の音が聞こえる。周囲を見渡してみると、地層を削り続けているのだろうか、かなり下方に緑色のか細い流れが見える。水を汲み、火を起こして白湯さゆを一杯飲みたいところだが、さすがに川まで距離がある。いや、高さというべきか。ふと、この流れもどこかで、我々が敗北を喫したあの勒水へとつながっているのだろうか、と思った。


「あとで水の流れにもっと近づけたらお湯を沸かそう」


 ユングヴィはそう言って腰に巻き付けた小袋から干し葡萄ぶどうを取り出し、幾つか分けてくれた。口の中でぐにぐにと噛んでいると刺激の強い甘みが口いっぱいに広がっていく。元気が出る味だ。依然としてクィスの状態は心配だが、座って甘いものを食べていると自然と気持ちの強張りがほぐれていく。


「なあ、砂漠ってのは昼間に動くものではなく、夜に移動するものだと聞いたことがあるんだが」


 ふと、何となく疑問に思っていたことをユングヴィに尋ねてみる。


「そうだね、日中の暑さにやられないためにはそうすることもあるね。ただ、君が聞いた話は正しいが、絶対じゃないんだ。」


 どういうことかと聞き返すと、ユングヴィは話を続けた。


「我々が長距離砂漠を移動するのなら、水を節約するためにも夜に移動しただろうね。夜間に襲ってくる沙狼さろうがいない地方ならね。」

「では、我々も沙狼さろうを避けるために昼に移動を?」

「いや、実は違う」


 ユングヴィは砂の上に指で簡単な地図を描き始めた。我々が出発した阿勒あろく、これから行く馬利克まりく、そしてその間に横たわる砂漠のおおよその図を描く。


「これが我々が歩いている砂漠だ。昔の地図によると、ここ、今歩いている道は砂漠がもっとも細くくびれているところを横断している。つまり、最短距離を突っ切っているんだ。夜を待つよりもさっさと移動した方が効率的なんだ」


 思わずなるほど、と感嘆の声を挙げたが疑問も湧き上がる。


「また、夜間はどうしても視界が制限されるのが問題だね」

「星を見て移動することができると聞くが」


 ユングヴィがよくできる生徒を見るような目でにっこりと笑い、右の人差し指をすっと立てた。


「それは正しい。夜間でも正しい知識を持っていれば東西南北は分かる。分けるけど」

「けど?」

「例えば小さな集落や井戸など、地面にあるものはやはり夜間は見落としやすい」


 ユングヴィが話すことをまとめると、今回は砂漠を横断する距離が短いことと、東西南北は遠くの山並みなど地形で分かるので、周囲の地形が観察しやすい昼間に移動する計画なのだそうだ。


「ユングヴィはどうしてこんなことを知っているんだ? この国では、精度の高い地図はだれでも見れるわけではない。以前にもこのあたりで商売したことがあるのかい?」

「ああ、何度か来ているし、旅の商人たちが自分たちで作った地図もあるんだ……そうだなぁ、前に来たのは十五年前……いや、この道筋だと八十年前かな?」

「あはは、白亜仙はくあせんは長命と聞くけど、冗談はよしてくれ」


 ユングヴィは端正な眉を曲げ、やれやれといった表情をした。


「冗談ねぇ……」


 ユングヴィは立ちあがり、クィスの様子を見に行ってしまった。その日はクィスが目覚めた後、二つ峠を越えた。クィスは意識ははっきりしていたが、依然として苦しそうであった。夕食はクィスではなく、佐成サセイが用意した。いつもより味気ない食事となった。夜、満点の星の下、遠くで何か動物が悲しげに吠えていた。

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