第15話 砂の縁

 その日は一日中、佐成サセイ、ユングヴィ、そしてクィスの三人で阿勒あろくの街の市場を散策していた。美しき金髪の白亜仙はくあせんユングヴィが各方面から大いに商品を売りつけられ、店に呼びこまれるが、それを屈託のない笑顔でかわしていく。クィスはあふれんばかりの元気で旋風となって市場を駆けまわり、ナンを売っていた店では好奇心の竜巻となっていた。佐成サセイにとってもこの街の市場の様子は珍しいものであったが、二人がそんな様子であったため、自分の思い通りの行動などできなかった。


「しかし、本当にクィスが弟子入りしてくるとは思いませんでした」


 呆れたような、からかうような口調のユングヴィのつぶやきにクィスはにっと笑う。


「あのナン、XXXな細工だったでしょう! 私が作ったのも筋がいいってXXX!」


 クィスはナンを売っていたとある夫婦に気に入られ、夫婦の指導のもとナンを作らせてもらったのだ。今はそのナンを抱きしめながらくるくると歩いている。その度に彼女の栗色の髪がはね、腕に巻いた藍い小石をあしらった腕輪がじゃらじゃらと鳴る。クィスがご機嫌な時の音色だ。


「今日作ったナンはユングヴィ、貴方にあげるね。XXX? あ、そっちのあんたには明日作ってあげるわよ」

「はいはい、ありがとうございます」


 佐成サセイは苦笑しながら、クィスの軽口を適当にかわした。やっとのことで市場から移動し、しばらく歩いて行くと大通りの端の方に砂埃で赤茶けた素朴な牌楼はいろうがあった。祠堂のようだ。中に何人か拝観している姿が見える。


「ユングヴィ、これは?」


 ユングヴィがおやおやとでも言いたげに、金髪をかき上げ、その一房が緑色の長袍ローブからこぼれ落ちる。乾燥地帯の強い太陽を浴びると白亜仙はくあせんの金髪は豪奢に輝く。


「君の国の宗教施設だろう? 君が分からないのかい?」


 ユングヴィの指摘ももっともだが、たくで祠堂に祀られている神様は何種類も存在している。外観だけでは、祠堂の性格や祀られている神様までは分からなかった。佐成サセイがユングヴィに尋ねたのはそのことだったのだ。仕方がないので、祠堂から出てきた人のよさそうな青年に尋ねてみる。


「もし、すいませんが、ここはどなた様を祀っているのですか?」

「はぁ、旅の方ですか? ここは銀寧宮ぎんねいきゅうと言って沙山真君さざんしんくん麴公きくこうをお祀りしています。貴方も旅をされるならお参りしておくと良いですよ」

「ははぁ、沙山真君さざんしんくんでしたか! ありがとうございます」


 沙山真君さざんしんくんは砂地の旅の守り神であり、水の旅の守り神である碧流娘娘へきるにゃんにゃん、山地の旅の守り神である雲雀童子うんじゃくどうしとで三旅神とされることもある。ちなみに麴公きくこうとは、おそらくこの土地の土地公、土地を守る神様のことだろう。


「ユングヴィ、旅の守り神様だってさ、お参りしていくかい?」

「いいね、行ってみよう」


 ふと、あることに気が付く。


「ユングヴィ、貴方は別の神様を信仰しているのだろう? 別のところの神様の祠堂、まあ神殿みたいなところだよ、そこにお参りしていいのかい? クィスもユングヴィも夷教いきょう……いや、信じる神様が違うだろう?」


 思い返してみれば、二人とも夷教いきょうの徒だ。我が国の神仙を拝んでも良いのだろうか。我が国では、神仙を像や絵図にするが、このような行為を偶像崇拝として嫌う夷教いきょうもあると聞く。


「固く考える方もいますが、ご挨拶ぐらいしてきても良いでしょう」


 こちらの考えを見通したのか、ユングヴィがそう言う。いろいろな土地で商売をしていると、あまり宗教に厳格ではやってられないということだろうか。深く考えずに、三人で祠堂に参拝することにした。


「では、被っているものは脱いで。祠堂の神への礼儀だと思って。そっちで手を洗い、次にそこの香炉にお香を捧げる。それから、神様のところに行く」


 教えてから、旅慣れているユングヴィなら参拝の作法など知っているのではないかと思った。だが、始めてしまった以上、クィスに教えるつもりでそのまま続ける。


「何、このおがくず?」

「こら、それは供香そなえこうだ。神仙は食べ物を食べるのではなく、香りを食べるのだそうだ。ああ、そういうふうに、なんか汚いものを持つような持ち方をしないでくれ。こうやってつまんで香炉に捧げ入れる」


 クィスは神経質なほど、佐成サセイの指示に従っていた。


「これが、あんたの神様?」


 クィスが沙山真君さざんしんくんの絵象を指さす。たまらずその指をぐっと下げさせた。


「こらっ、高貴な存在を指さすものではない。そうだ。我々の国の神々の一柱だ」

「XXX?……その辺のおっさんじゃん」

「何か言ったか?」

「いいえ」


 最後に沙山真君さざんしんくん、土地神の順に参拝した。都や西域さいいき都護府とごふの近くで見た沙山真君さざんしんくんは白い旅装に剣と宝珠を持ち、白虎に乗った姿で描かれる。しかし、ここ阿勒あろく沙山真君さざんしんくんが騎乗しているのはどう見てもラクダだった。時代や場所によって神仙の描かれ方も変わるのだろうか。それとも、まさかラクダを知らない絵師が描いて写してを重ねた結果、都で見た白虎になったのだろうか。そんなことをぼーっと考えながら、祠堂を出ようとするとお札を売っている道士がいた。三枚購入し、クィスとユングヴィに渡す。


「ほら、道中安全を祈願するお札だ。身につけるか、それが貴方方の信仰上難しいなら、荷物に忍ばせておくといい」

「なんだか君、今までで一番道案内らしい働きだね」

「……ユングヴィ、その言い方はあんまりじゃないかな?」


 ユングヴィらは特に抵抗感もなく受け取った。信仰については、どうも佐成サセイの方が気にしてしまっているようだ。クィスはへーっとお札を眺めていたが、たくの文字は読めないようですぐにしまい込み、帽子をかぶり直した。


セイセイ佐成サセイではないか!」


 突然、佐成サセイを呼ぶ声がした。どきりとする。


 誰だ?


 佐成サセイが振り返ると見覚えのある顔がいた。佐成サセイよりも二回りくらい大きな体に、口からあごがたっぷりとしたひげで覆われた熊のような顔が乗っている。その背後にはたく兵らしい格好をした者が数名続いていた。確か、がく将軍の下で、別の属を構成していた隊頭たいとう満九マンキュウとその部下だろうか。懐かしい顔ぶれだが、佐成サセイの心臓の鼓動が早くなっていく。脱走兵として処罰されるのではないかという恐れは、ずっと脳裏に貼りついていたからだ。


マンマンであったか? どうしてここに?」


 なるべく落ち着いた声に聞こえるよう、努めてゆっくりと穏やかに話す。


「やはりセイか! 無事で何よりだ。あの負け戦で良く生き延びたものよ!」


 そう言ってマンはがはがはと笑う。マンの後ろに控えた何名かは、こちらを静かな視線で見ていた。上機嫌のマンとの対比がどことなく恐ろしく感じられる。


「俺たちも負け戦の中、必死で戦っていたのだがな。撤退命令が出て、引いているうちにはぐれてしまったのだ。すっかり迷ってしまい、たどり着いたこの街で部下達と商いの真似ごとをしてなんとか生きているところよ」


 マンの後方にいる者の中に良く知っている顔がいた。


鮮于センウ鮮于センウではないか!」


 鮮于センウ イン佐成サセイの属にいた兵士だ。頭部の結った髪を収める朱色の巾が良く目立つ。まだ二十になったばかりくらいの年齢で、顔だちも幼く、くりっとした丸い眼に人の好さそうな眉、髭の生えない顔は時として少年のようにも見える。属でも皆から弟のように可愛がられていたが、佐成サセイが戦場から逃げた時には、乱戦の中で行方知れずになっていた。


隊頭たいとう、良くご無事で……」


 鮮于センウもこちらに気づき、目を潤ませる。少しやつれたようだ。他の者は生きているのだろうか。


「おお、そうか鮮于センウはお前の部下であったか!」


 マンが感慨深そうに話す。だが、マンには別に話したい話題があるようだった。


「ところで、お前も軍を離れたのだろう? ここで何をしているのだ?」

「え?」


 一瞬困惑した。どこまで話したら良いだろうか。このある程度の関係性はあるにしても、そこまで親しいわけでもない戦友たちに。


鮮于センウも案じておったのだ、そうだろう?」

「あ、はい、セキソウはあの戦いで戦死し、チンとは逃げている途中ではぐれました。途中、運よくマン殿らと合流できたのですが……隊頭たいとうはどのように?」


 元々同じ属にいた鮮于センウの頼みでは断れなかった。逃げた後、ユングヴィらに雇われたというか拾われたこと、街道を目印に旅し、この街に着いたこと。この先、都を目指すこと。


「なら俺たちも護衛として雇ってくれないか」


 唐突に申し出たのは、マンであった。


「俺たちも軍を抜けて正直行く当てがない。できることなら故郷に帰りたいが、我々だけでこの先を行けるか不安だ。旅の成功のためにお前たちの役に立つ! お願いだ!」


 どう判断したものだろうか。元は同じ軍の仲間だ。一緒にいてくれれば心強いが、佐成サセイ、ユングヴィ、クィスで我々の小「隊商」は完成されているようにも思えた。それが拒む理由になるのだろうか。いや、そもそも責任者は自分ではない。

 佐成サセイは助けを求めるようにユングヴィの方を振り向いた。その砂色の瞳は結論を出している、そんなめた光を宿していた。


「申し訳ないが……」


 ユングヴィがいつになく冷静に口を開きかけた時、マンは期先を制するかのように食い下がった。


鮮于センウはずっとお前を探していたのだ、どうか鮮于センウだけでも連れていってやってはくれぬか」


 鮮于エンウが驚いたようにマンを遮る。


「え? あ? それはできません。私にも助けていただいた恩義があります。私だけというのは……」


 鮮于センウは気弱だが優しい男だ。おそらく、マン鮮于センウの反応を見越して言っているのだろう。だが、自分も一人で逃げてきた身、たくの国内とは言え、辺境でさまよう不安、恐怖は良く分かる気がした。

 佐成サセイ隊頭たいとうとして特に頼られる方ではなかった。知識はあっても現場を知らないことが多く、古参兵にはやりにくい上司であったことだろう。そんな自分を頼ろうとする、豪傑であるはずのマンのことを哀れに思った。そして、かつての部下である鮮宇センウのことはより一層何とかしてやりたい。苦渋に口元をゆがめながら、ユングヴィの方を振り向く。


「ユングヴィ、都の周辺、いやせめて磐州ばんしゅう賀州がしゅうまで行けばこの者たちも自力で都に行けると思う。せめてその辺りまででも同行させてやれないか?」


 ユングヴィが金色の眉毛をひそめる。端正な顔立ちがたちまち曇った。良い表情ではない。ユングヴィの表情を曇らせる雲をかき散らすかのように、言葉を続けた。


「彼らに対しては俺が責任を持つ。前より食費がかかるだろうから、俺の雇い賃を下げてもらって構わない……まあ、それで足りると思っているわけでは……」


 ユングヴィはしばらくこちらを困惑した表情で見つめた後、大きく一つ、ため息をした。


「わかりました。君がそこまで言うならいいでしょう。ですが、とりあえず次の街までですよ? これは私の隊商なんですからね?」


 次の街というのは、馬利克まりくのことだ。ここ阿勒あろくから馬利克まりく沙京さきょうへは西域さいいき街道の脇道のような道が続いているが、砂漠を越えなければならない部分もある。次の街へ行くだけでも鮮于センウらには大きな助けとなるではないだろうか。

 ふと視線を感じた。振り返ると何を言う出もなく、クィスがじっとこちらを見ている。鮮于センウらを助けられるのはユングヴィの持っている旅の技能であり知識であり経験だ。佐成サセイ自身によるものではないのだ。そう気付かされたようで、恥ずかしかった。


「XXX、あんた」


 気が付くとクィスがつかつかとこちらに足早に歩いてきた。そして佐成サセイの耳を乱暴にぐいっと引っ張る。クィスは佐成サセイより小柄なので下に引っ張られる形だ。


「いてっ」

「あんた、ここはユングヴィの、XXXの隊商。あんたのじゃない。あんたが来る前は私とあの人で旅してきたの。XXX?」


 言いたいことを言ってから、クィスは耳を解放してくれた。


「お友達を助けられてさぞいい気分でしょうね?」

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