第14話 熱風の街(後)
ここは砂漠一歩手前の乾燥した平原と、砂漠という概念に数歩奥深く突っ込んでしまった荒原とが複雑に入り混じった地域にある小さな街。この
「素晴らしい……素晴らしい朝焼けだなぁ」
美しい自然には心から感動させられる。もうこれと全く同じは二度と見られない。全てが一瞬一瞬の現象なのだ。問題は
「おーい、朝食よ!」
クィスの声がする。ないとは思うが、万が一にでも呼びに来て排泄している姿を見られたら死ぬ他ない。
「はぅあっ!」
尻に稲妻のような痛みが走る。おそらく葉のつかんだところではなく、その縁辺部に棘があったのだ。砂漠には動物に葉を食べられないように葉全体やその一部を硬化している植物も多い。やってしまった。
「おーい! ご飯冷めるわよー!」
痛い。尻が痛い。思わず尻餅をつく。
だが、なんとしても尻を拭き切っていかなければならない。朝食とはいえ、待ってくれている人がいるからと。そこで気が付いた。尻餅をついた。そう、大便の上に。黄金の日の出の中で。
◇
無事だったかのように
「いただきます!」
今朝は涼しいうちから
ユングヴィは湖塩の板を売ったのか、栄養をつけろと昨晩は鶏肉を食べさせてくれた。クィスは故郷の薬だと言って、何やら市場で売っていた美味しそうなブドウと道端に生えていた「お察しください」な植物をどろどろに混ぜたものを飲ませてきた。
「ま、待ってくれ、クィス! 心配してくれるのは嬉しいが、その色は人間の飲み物とは思えない!」
「はぁぁっ!? このXXX! 誰のために作ってあげたと思ってるの!」
「いや、待ってくれ。本当におかしいだろう。ブドウと草を混ぜ合わせてなんでこんなに鮮やかに黄色くなるんだ?」
「……XXX、護衛、黙って飲め!」
こちらの不意をついて名状し難く冒涜的な舌触りの液体が口内にぶちまけられる。そのまま意識が飛んだので味は覚えていない。幸いなことにケガの治りは良好なようだった。まだ、右腕には傷跡や変色した
その後、ユングヴィ、クィスと三人で話をした。今後の旅のことだ。都を目指すなら、ここ
「……ですから、この
ユングヴィは足元の砂に簡単な地図を描きながら説明する。
「ユングヴィ、出発はいつぐらいに?」
案内役と雇い主とは思えない口調で我々は話している。最初は丁寧に部下としてふるまおうと気を付けていたが、ユングヴィはこの三人は対等だ、互いに尊敬の気持ちがあれば大丈夫と言って、上下を気にする様子もなかった。いつしか、
「五月になるとこの辺りは砂嵐が増えるらしい。だからその前に出たい。」
ユングヴィはまぶしい太陽に目を細めながら、口を閉じた。いつもにこにこと穏やかな表情を浮かべているユングヴィだが、こういう表情を取ると凛々しい探検家に見える。言葉には直接出さないが、
「俺のことならもう大丈夫だ……っ?」
いつの間にか横にいたクィスが
「あひゃあああああああっ!」
思わず上ずった悲鳴を上げてしまった。
「XXXダメじゃない」
クィスが無表情でため息をつく。日の出を背にしているため、軽く波打つ栗色の髪は太陽の光を受けてその輪郭を金色に燃え上がらせていた。その逆光のために顔は真っ黒で表情は見えず、ただ水底のように青い瞳が爛々とこちらを見つめている。
「無理ダメ」
「だったらつままないでくれ! 悪化する!」
クィスが顔の角度を変える。横殴りの光線に照らされたその顔には、その太めの眉と相まってどことなく威厳を感じさせる。
「あはははははっ」
何が面白いかユングヴィがけらけらと笑っている。
「仲が良くなったようで結構!
「怪我人XXX面倒をXXX街歩き?」
クィスが露骨に面倒くさそうな表情をする。
「クィス、まあそう言わなくてもいいじゃないか」
「まだ寝かせていた方がいいと思うけど」
クィスはやれやれとでも言いたげにかぶりを振った。
◇
「見て! こんな大きなウリ、XXXっ!」
クィスは爛々と目を輝かせ、市場を疾駆する。クィスが見つけ出したのはこの辺りの特産の
「ウリィィィィィィィ!」
「お嬢ちゃん、うちの商品はね……」
「XXX! あっちは見たことない魚よ! XXX、なにXXXうねうねしてて気持ち悪いー!」
そして、売り込む商人の声もよそに、草色の上着を翻し、帯の装飾をじゃらじゃら鳴らしながら次の関心の対象へと疾走していく。その姿はもはや草色の旋風だ。
「あまりあちこち行くな! 迷子になるぞ!」
そう声をかける
「まあ、竜巻を退散させる子とはいえ、子供は子供か」
「ははは、かわいらしいものでしょう? 彼女のいた村の近くにはこんな大きな街なかったですしね、珍しいのでしょう」
走り回ってなお、ユングヴィは息切れ一つせずにこにこと涼しい顔をしている。この
「このっ! いい加減にしないか小娘!」
野太い怒声が響き渡る。一瞬、クィスに何かあったのかと驚いたが、声の調子から少し安堵した。この声はしょうがない子供を叱る大人の声だ。
「XXX! 離せ!」
クィスが地元の者らしい、褐色の肌に、くしゃっとした
「すいません、何かありましたか?」
「あんたんとこの娘か? 困るんだよ、次から次へと商品を触られちゃ」
疲れた前掛けをつけた白髪の老婆が、やれやれと言いたげな困り顔でぐいっとクィスをこちらに差し出す。その動きは年齢を感じさせないくらい力強い。
「XXX!」
クィスが栗色の髪の毛を振り乱しながら、何やらぶつぶつ言っているがさっぱりわからない。横を見るとユングヴィは苦笑していた。クィスが触ったという商品は積み上げられた菱形の
だめだ、腹が減る
「私、これ初めて見るの! XXX作りたい! おじいちゃん、おばあちゃん、私を弟子にして!」
拿捕されているクィスが好き放題話している。ここで弟子入りしたらこの後の旅はどうするつもりなのだろう。ずっと苦笑していたユングヴィが、クィスが触った分も含めて
「すごい!!! XXX!!!」
クィスは水底のような青い瞳をきらきらさせて食べていた。おそらく美味しいと言っているのだろうが、口の中に食べ物が入った状態でしゃべっているため良く分からない。だが、いつもの無愛想な表情からは想像がつかないくらい、その表情は輝いていた。料理をすることが好きなのだろうか。
「これは……うまいな」
肉汁とネギの甘味が口いっぱいに広がる。肉は少しくせがあるが噛む度に旨味が広がる。羊肉だろうか。そして、ネギがこんなに甘く味わえるとは知らなかった。これは確かにうまい。
「いい食べっぷりだなぁ、お嬢ちゃん、よーし、こっちも持ってけ」
クィスの反応に気を良くしたのか、先ほどまでかりかりしていた老爺が別の
「いやぁ、これは美味しいですね。ずっと旅してきましたが、こんな美味しいのは初めてです」
「あらそうかい、この異国のお姫様みたいなお兄さん、お世辞が上手ねぇ」
向こうでは、ユングヴィが老婆よりたくさんお土産をもらっていた。はきはきしていて自分の関心のあることにはまっすぐなクィスと、穏やかで常に笑みを絶やさない異国の美青年とでもいうべきユングヴィ、この二人はおじちゃんおばちゃんから買い物をする上では最強の組み合わせかもしれない。
こんなことがあったからか、ユングヴィはいつになく上機嫌だった。少なくともこんなにも表情を崩すユングヴィは初めて見た。
「なぁ、ユングヴィ」
「なんだい? 君」
「なぜ、俺を仲間に加えようと思った?」
「今更なんだい? 君が何を考えているのか知らないけれど、期待するほどはっきりした答えなんて出てきやしませんよ」
ユングヴィはにこにこしながら金髪をかき上げてこちらをまっすぐに見る。
「戦があって、職に困っている者はたくさんいたから、そういう連中なら誰でも良かった? たまたま俺と出くわした?」
「あはははは!」
ユングヴィが愉快そうに笑う。そして次の瞬間、唇を三日月型にゆがめ、人の悪い笑みを浮かべた。
「私は商人ですよ。相手のペースで商売されない、できるだけ誠実に安く買う。これは商売の鉄則です。商品を仕入れるにしても、食料を買い入れるにしても、そして案内人を雇うにしても、ね?」
そりゃあ、必死に逃げている途中の敗走兵なら、食糧と安全を用意してくれれば安い値段でも喜んで仕事を引き受けるだろう。
「ただね、敗残兵ってのは時として荒々しい。
「それに?」
「出会ったのは偶然でも、続くかどうかは自分がしたことの因果、必然で決まるものだよ。きっとこの先どうなるかもね」
ああ、今まではこんなことをぶつぶつと考えなかった。考えてもすぐ中断させられた。やるべきことがあったから……いや、やるべきことはどこでもそれなりにあるはずだ。旅先だからだろうか。その解放感から考えてしまうのだろうか。
きっとこの二人といる時間が居心地が良いから、こんなことを考えるのだろう。
もう一度空を見上げる。
俺は、この楽しくはあるが一時的な「横道」から、故郷に、官吏への道になんとしても戻らないといけないのに。
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