第13話 熱風の街(中)

 阿勒あろくの街のほぼ中心から少し南に寄った位置には、東西を貫く大通りがある。その両側には赤褐色の干しレンガでできた役所や高楼が並び、幾つか大きな宗教施設らしき建物も並んでいる。


 ユングヴィはこの辺りの宗教には詳しくなかったが、前回来た時あたりから建物は大まかに班別できるようになった。牌楼があるのはだいたい華の民の祠堂だ。祀ってある神々はいろいろいるようだが。また、永遠の火の祭壇があれば西方の火を拝む民がいるのだろうし、開けた空間にやたらと高い塔があれば、天空を拝する草原の民か、鳥を拝する山岳の民がいる可能性が高い。


 あれは祠堂だろうなぁ


 そんなことを思いながら大通りをぶらつく。この辺りが阿勒あろくの中心市場であり、毎日通りの両側には露店や即席の屋台が用意され、武具や宝石、食品や飲料、薬草、服飾品、そして薪代わりとなる乾燥したラクダの糞や何かの植物や生活用品が売られている。阿勒あろくに住む住人の大多数を占めるけい族の人々は、元々は北方の遊牧民だった言われ、現在は阿勒あろくやその周辺で家畜を伴っての定住生活を行っている。その服装は氈装せんそうと呼ばれる薄い毛織物の上衣にぴっちりとしたズボンから成り、色はどちらも薄い灰色に染められている。髪や目は黒く、働き者なのだろう、男女ともに肌はよく日に焼けている。この大通りでは、阿勒あろくの人々の灰色の姿に交じって、時折、佐成サセイと同じような恰好をしたの民や、西国から移住してこのあたりにいくつか都市を作ったという、くせっ毛の髪に鼻が高く、ほりの深い顔立ちをしたの民の姿も見える。


「さて、どうしようか」


 とは言ったもののやることは決まっている。佐成サセイに、以前の約束通り新しい衣服を与えるのだ。これから、たくの域内を旅行する以上、脱走だか敗走だかしてきた時のままの服では佐成サセイにとって不都合があるだろう。聞きそびれてしまったが、もし彼の衣服が軍から支給されたものであれば、一発で兵だと見破られてしまう危険性がある。


「見て、ユングヴィ! とってもきれい!」


 クィスが露店で売られている薄い紅色の玉に目を奪われている。南方の山からとれる紅梅石こうばいせきだろうか。淡い色合いではあるが、名前の由来である花のような模様がはっきりと石に表れている。


「お嬢ちゃん、良い目をしているね!それは虞山ぐさんで取れた一級品の紅梅石こうばいせきだよ」


 若く、でっぷりした髭面の商人がもみ手で勧めてくる。無論、その売り込みはクィスに対してではなく、その背後にいる私に対してだ。私のことをクィスの保護者か主人とでも思っているのだろう。


「へー、いい色ですねぇ」


 クィスから石を受け取り、そっと爪を立てる。爪先に薄い紅色の染料がついた。偽物だろう。石の表面に巧みに絵を描いたものだ。絵自体は紅梅石こうばいせきの特徴をよくとらえていたが、偽物のつくりとしては陳腐と言うほかない。


「ね、ユングヴィ、これ買っていいかな?」


 偽物だと気づいていないクィスは、この石が気に入ったようだ。彼女、アオルシの民は装飾品として青い石を多用する。それだけにほかの色の玉や宝石が珍しいのだろう。


「うーん、悪いけどやめときな。色はよいが質は良くない。まるで、みたいだ」


 意図的に後半をゆっくりと話す。もみ手をしていた商人の目つきが変わった。


「ちっ、冷やかしなら他所へ行ってくれ!」


 途端に商人の言葉が冷たいものになり、我々は羽虫のように追い払われた。離れてから、クィスにあれは偽物だと教える。


「ごめんなさい、そんなことも気づかずに……」

「いや、石を知らない人には分からないよ」


 クィスを慰めようと声をかける。だが、その言葉を言い終わったとき、そこにクィスはもういなかった。


「見て!この靴、丈夫そう!」


 いつの間にか靴や外套を売っている店にいた。クィスが見つけてきたのはけい族が用いる革製の長靴だ。一つ一つに違う渦巻き模様が描かれている。けい族の民はおしゃれな人々なのかもしれない。


「クィス、楽しそうだね」


 そのはしゃぎように思わず声をかける。


「だって、見て、こんなにいろんなものが売っている」


 あまり熱心にお店の話を聞いて回っていると鴨にされるよ、そう言おうと口を開く度に、クィスは北方の小動物の毛皮で作った装身具だの、瑞々しい色合いの果実だのを発見して興奮してしまい、こちらの話をまったく聞いてくれない。


 ふと、クィスと会った頃のことを思い出す



 クィスはアオルシ族、天柱てんちゅう山脈と呼ばれる東西に連なる巨大な山脈の西端、その谷合に住む小さな部族の出身だ。地理的に周囲とは隔絶された地域であり、互いに牽制と協力を繰り返しながら生きている二、三の部族を除けば、他の世界とはほとんど関わらない。複数の民族が入り乱れ、老若男女問わず多くの人々が呼び込みや値引きのために声を張り上げている市場など、彼女は故郷で見たこともないだろう。彼女は事情があって家族のもとから逃げ出した。彼女と両親の関係は良いものではなく、望まぬ結婚を強いられたとか、そんな理由だったはずだ。たまたま村に滞在していたユングヴィに逃亡の手引きを依頼したのだ。

 その部族のもとには何度か交易に訪れたこともあり、事を荒立てたくはなかった。だが、その時は不思議とクィスの頼みを聞いてしまった。今でもなんでだろうと思うこともあるが、それはもういい。


 クィスも随分と苦労した。隊商の一員として旅をすることに。まず、そもそも旅をする体力がついていなかった。クィスは決して不健康で軟弱な子ではなかったが、村にいた頃は毎日歩き続けるようなことも、砂漠や大河を荷物とともに越えていくこともなかった。最初はユングヴィについてくるだけでも一苦労だった。


「ちょっと! どこまで……どこまで歩けばいいの?」

「もうすぐだよ……ほら、あの森の切れ目に町が見えるだろう?」

「……ぜんっぜん見えないわ……すっごい見たいのに」


 根性だけはあったので、文句を言いながらもついてきた。そんなクィスが最初に根を上げたのは馬だった。


「お願い! お願いだから休ませて!」

「どうしたんだい? 馬に乗っている身分で疲れたのかい?」

「そうじゃないけど……お願いだから休ませて!」

「失礼を承知で聞くけど、小便かい? 大便かい?」

「ちっ、違うわよ!」

「じゃあ、どうしたんだい? 疲れや体調不良なら正直に言ってもら……」

「……お尻が痛いの……多分、お尻の皮が剥けたわ……」

「……しばらく休もうか……」


 だが、今では馬やラクダの扱いや食事の用意など彼女なりのやり方で活躍してくれている。それに料理だけは最初から得意だった。



「聞いてるの!?」


 誰かに袖口を引っ張られて回想から現実へと引き戻された。今まで忘れていたかのように、急に肌が周囲の熱気を帯びた大気を感知する。


「ユングヴィ!」


 袖口を引っ張っていたのはクィスだった。彼女の太めの眉が八の字になりかけ、湖底のように深い青色の瞳がこちらを怪訝けげんそうに見つめている。


「ああ、ごめん、ぼーっとしていたよ。何かあったかい?」

「そうなの? さっきあそこで果物が売ってたんだけどね、この……」


 そこまで言いかけて、クィスがはっとしたように周囲を見回す。まるで頭の周囲を回る羽虫を目で追うようなしぐさだが、何も飛んではいない。


「何、この色……?」

「どうした?」


 クィスが不安そうにさらに周囲を見回す。その澄んだ湖底のような青い瞳が、見えない何かをとらえようとするかのようにくるくるとあちこちに視線を向ける。


「ねぇ、ユングヴィ、聞いてくれる?」

「いいよ、なんだい?」

「前話したっけ? わたしね、風が見えるの、風を動かす力」


 知っていると言ったところ、それは誤解があるとクィスは言葉を続けた。なんでも、クィスには風の「色」が見えるのだ。風を動かす力、皆はそれを「ジン」とまるで不思議な種族がいるかのごとく呼んでいるが人格を持ったものではない。正確には、人格があるかどうかはクィスら風の民にも分からない。だが、その力はクィスたちの呼びかけに答える。

 

「この街の風はとってもにぎやか、乾いた厳しい色に混ざって、色とりどり……みんなの喜怒哀楽がたくさん流れているのが分かるわ」


 クィスがくるりと一回りし、その身に着けた草色の衣がふわっと風を切り、帯につけた金属板と藍い石が音を立てる。そこにも色が見えているのだろうか。


「でも、さっき、何か違う色が混ざった。強くて鮮やかに光ってて……なんだか強い生命力みたいなものを感じたの……」


 クィスは言いながら周囲に視線を走らせる。彼女が感じたという強い生命力を探しているのだろうか。


「生命力……それはいったい何を意味するんだい?」


 しばしの沈黙の後、クィスが答える。

 

「わからない……いえ、何かいる……? あの私たちを襲った鳥よりももっと……」


 ふとクィスが上空を見上げ、その動きにつられた。


 何かがいた。


 上空を、乾燥地帯の突き抜けるような青い空を、何か大きな翼をもった黒いものが飛んでいた。何人かほかにも気づいた者がいるらしく、にぎやかな市場に先ほどまではなかった困惑が飛ぶ。


「あれか……竜?」


 一匹、空高くを羽ばたいて大きなものが飛んでいた。陽光を反射してくすんだ緑色に見え、ある部分は灰色にも見えた。その周囲にはより小さな黒い影が飛んでいる。鳥だろうか。だが、鳥にしては空を飛ぶ姿がいささか不格好にも見える。見たことのない生き物だった。


「あれ! あれよっ!」


 クィスが上ずった声を上げる。あれは何だろうか。我々が竜と呼んでいるものに似ているようにも見えるが、そもそも竜は話で聞くばかりで実際に見たことなどない。古い友人に見たことがあると言っていた者がいたが、それもどこまで信用してよいかわからないような話だった。


「あれはなんだ?」

「わからない、私もわからない……」


 しばらくするとそれは建物の陰に入ってしまい、見えなくなった。位置を移動してその姿を追ったが、わずかに再度見えただけで、すぐに視界から飛び去り見えなくなった。


 あれがうわさに聞くロック鳥だろうか。


 そんなことも考えたが、何もわからなかった。同じものを見たという人間に聞いてまわったが、誰も初めて見た、あれはなんだ?と異口同音に繰り返すのみだった。


「いや、すごいものを見たね」


 私の感想にクィスがあきれた顔をする。


「ユングヴィ、のんきね」

「そうは言うけどね、危機感を持ったところでできることはないだろう? あれがこの街を襲う可能性を恐れてすぐにでも出立するかい?」


 そう言ってみたものの、何もない荒野の道で私、クィス、佐成サセイの三人であれに対峙するよりはこの街にいた方が安全だろう。あれが人間を襲うと仮定しての話だが。

 よくわからない生き物、それも大型の生き物を目撃した以上、どうしても話がそういう方向に行ってしまう。そのまま、しばらくクィスと感想と議論を行ったり来たりしたが、最終的には目覚めた佐成サセイのために夕飯の材料と果物を買い求めることになった。彼には早く回復してもらわないといけないのだから。


 だが、脳裏にはさっき見たものへの好奇心と不安がこびりついていた。今後の旅に悪影響を与えるものでないといいが、と思いながら。

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