第12話 熱風の街(前)

 熱い風が吹いている。乾いた熱風だ。砂漠から吹く、佐成サセイが憧れた熱風。なぜか知らないが、小さい頃から異国を旅したかった。そういうものに憧れた。海という広大な水域の彼方から渡ってきたという祖父の話に夢中になり、塾の図書室で見つけたある武将の西域の旅の記録や地方の風土をまとめた書物を読むたびに想像の世界に没入し旅をした。いつかあちこちを旅してまわり、まだみんなが見たことのないようなものを記録するのだ。拓の民は歴史書に名を残すことを無上の喜びとする。だが、皆は官僚や武将として記録されたいのだ。自分は違う。旅人として、記録者といて記録されるのだ。


 からんからんと車輪の音がする。誰かが誰かを呼ぶ声がする。家の外に胡人こじんの商人が来たのだろうか。何か異国の話が聞けるだろうか。


 ああ、でも、両親が佐成サセイを呼ぶ声がした。勉強に戻らないと。役人にならないと生活できないのだ。




 ふと目が覚めた。赤みを帯びた砂色から跳ね返った光が目に染みる。佐成サセイが、それが天井であることを認識できたのは、目覚めてからしばらく経ってからだった。


「いってぇっ!」


 起き上がろうとして右腕に鋭い痛みが走った。開け放たれた窓からぬるくどこか甘い風が室内に躍りこんでくる。外からはがやがやとした人の話し声、からんからんと進む車輪の音、風に吹かれて何か木製のものが転がっていく音が聞こえてくる。街の中のようだ。阿勒あろくにたどり着いたのだろうか。

 

 自分はここでなにをしているのだろうか、佐成サセイがそう考えようとすると頭が真っ白になる感覚があった。確か、自分は怪物のような巨鳥に蹴られたはずだった。死も覚悟した。それがこうしているということは生き延びたのだろうか。


 ふと、右腕を見ると赤黒く変色した包帯でぐるぐる巻きにされていた。薬草か何かだろうか、包帯の所々から見慣れない草が飛び出している。血は固まっているようだが、腕のあちこちに異物感があり、腫れのせか親指はうまく動かせない。ケガをした部分が少し熱を帯びているようにも感じられた。


 ケガのない左腕を使い、上半身を起こす。どうやら、日干し煉瓦でできた家の一室にいるらしい。粗末な木の寝台に毛皮を数枚敷いたものに寝かせられていたようだ。服は清潔な寝間着を着せられていた。枕元に口の部分が欠けた、素焼きの小さな杯が置かれている。のどが渇いていたので、その杯に入っていた水を一気に飲み干した。


「ユングヴィ? クィス?」


 二人の名を二度、三度と呼んでみたところで、ガタッと物音がした。何だと思っていると、ぱたぱたとクィスがのぞき込むようにして部屋に入ってきた。


「起きたのね! XXX大丈夫? XXX痛み?」


 クィスはいつもの灰色の長袍ローブをすっぽりと被った姿ではなく、動きやすそうな、淡い草色の筒袖・詰襟の袍の上着と、同じ色のズボンを身に着け、その上から黒地に貨幣のような金属板と藍い小石で飾り立てた帯を巻き付けている。以前は特に結んでいなかった栗色の髪も束ねられ、その上に菱形の黒い帽子が行儀よく乗せられている。「外行き」の装いなのだろうか。いつもの「無愛想」から「可愛いおてんば娘」くらいには出世したようだ。しかも、口から出てくる言葉が悪態ではない。


「XXX、ユングヴィXXX、買ってくれた。食べる?」


クィスは抱えていた大きなナンを見せつけてにこやかにほほ笑む。いつもは湖底のように静かな青い瞳が、今は水面のように輝いている。クィスが持って来たのは、ただ焼いたナンではない。円形の模様が複数絡み合い、なかなか芸術的な装飾になっている。焼きたてなのか、匂いが香ばしく、甘い香りがする。乾燥させた果物が何か乗っているようだ。


「おーおー、目が覚めましたか!」


 こちらはいつもと変わらぬ緑色の長袍ローブに身を包んだユングヴィがつかつかと部屋に入ってくると、寝台から半身を起こした俺の両肩をがしっと握った。


「あの丘での君の戦いぶり、身をていして我々を守ろうとしてくれこと、感謝しています。ケガの方は街の薬師に見てもらいました。傷は浅くはないが、ちゃんと養生していれば問題なく治るだろうとのことです。君が無事で、何より」


 そう話すユングヴィの口調と砂色の瞳から投げかけられる眼差しはいつになく真剣だった。いつものにこにこした笑みがなく、眼はまっすぐにこっちを見つめている。佐成サセイへの呼びかけも「君」に変わっていた。


「いや、あの、何の役にも立てていません……まだ旅をするなら、すまないが護衛を別に雇ってはどうでしょうか? 俺では貴方方を守り切れそうにない」


 佐成サセイは自分の無力を実感していた。今回は逃げずには済んだが、やはり戦場では役に立たなかった。いや、家畜の世話もできず、戦場で役に立たなかった。

 ケガをしたことで、自分の才能に諦めもつきそうな気がしていた。なぜか知らないがユングヴィらは佐成サセイのことを大事にしてくれた。何度も失態を重ねたが諭すようにどうすればよいか教えてくれた。まるで面倒見の良い上官に手取り足取り教えてもらっている気分だった。少なくとも、金で雇った護衛に対する態度として「和やか」に過ぎる。だが、そうであればこそ、自分が期待された仕事をできていない現状には、ただただ申し訳ないと思っていた。


「君は護衛じゃない」


 ユングヴィが穏やかな口調できっぱりと言い放つ。


「君は我々の案内役だ。まだ一緒に行動して短いが、真心のある方だと思う。とても助かっている」


 いつになく真剣に話すユングヴィになんだか気恥ずかしくなる。佐成サセイの人生において、周囲の自分に対する扱いはもっと粗雑なことが普通だった。例外があるとしたら、蘇延ソエンら塾の学友たちくらいだった。基本的に、こういう感じではないと思うのだ。


「あ、そういえばあの鳥はどうなったんです?」


 半分は関心から、半分は気恥ずかしさから逃げるために尋ねた。佐成サセイが最後に見たのは、自分を蹴り飛ばしたあの巨鳥の化け物のような脚だった。


「ああ、それはご心配なく。そうだ、ほら、食べます?」


 そう言ってユングヴィは脇に置いてあった皿に高々と盛られた大きな肉塊を取り出す。こんがりと焼いた肉が香草で巻かれており、食欲が刺激される。


「血を失った分、栄養が必要でしょう」


 佐成サセイはまともな肉なんてしばらく食べていなかった。その匂いにつられるように腹の音が鳴る。


「ああ、そうだ、腹が減っていた……いただきます」


 佐成サセイが肉を受け取ると、クィスが何事かユングヴィに言う。おそらく、私の分はないのか?といったことを言っているのだろう。そのやり取りを見ながら肉にかぶりつく。香草の香りと肉の旨味が口いっぱいに広がるが……


「んぐ!?」


 噛み切れなかった。かなり筋張っており固く、なかなか噛み切れなかった。佐成サセイが何度も何度も咀嚼してやっと飲み込めるようになったころには、肉の旨味も香草の香りもすっかりなくなっていた。クィスも同じように調理された肉をユングヴィから受け取り、真っ赤な顔をして無我夢中で咀嚼している。あまりに頑張って肉にかじりつくため、せっかくの草色の衣が食べこぼしで汚れないかと心配になる。


「かってぇ……かたいですね、この肉」

「うーん……」


 ユングヴィはやっぱりだめか?みたいな顔をしている。その背後でクィスは相変わらず頑張って咀嚼している。一心不乱に咀嚼するその姿はもはや修行に取り組んでいる行者のようだ。


「で、あの鳥はどうなったんです? あいつから良く俺を救い出せましたね? いや、逃げきれた?」

「あ~、ですから……」


 次の瞬間、ユングヴィがとんでもないことを言った。


「その肉があの鳥さ」

「ぶふぅっ!?」


 意外な答えに、思わず肉の破片が佐成サセイの口から噴き出た。申し訳ないことにそれはユングヴィへと降りかかる。


「うわあっ! 汚いっ!」


 ユングヴィが慌てて、噴き出た肉を落とす。


「あ、ごめんなさいって、いや、あの鳥? あの鳥の肉って、ええっ!?」


 クィスはやっとの思いで肉を飲み込んでいた。そして、こちらを見ながら言葉を選ぶように、だが平然として言った。


「ユングヴィが倒したのぼふっ!?」


 クィスが言い終わらないうちに、むせた少女の口から咀嚼されつくした肉片がこぼれる。だが、佐成サセイはそれよりも他のことに気を取られていた。確かに刀を持っていたが、有閑の美青年といった雰囲気のあるユングヴィはそんな豪傑には見えなかったからだ。


「本当に!? よくあんなのを!」

「いや~」


 ユングヴィは頭をぽりぽりと掻いた。その顔にはいつもの張り付いたようなにこにことした笑みが戻っていた。


「まだ言ってなかったけど私はそれなりに強い。君を護衛としてではなく、案内役として雇った、さっきそう言ったでしょう?」

「いや、護衛だって言ったことなかったか?」

「は? いや、ないはずです。クィスが言ったのでは?」


 佐成サセイはふと考え込んだ。白亜仙はくあせんというのは、自分たちの、たくの人間の基準で考えてはいけない種族なのだろうか。ユングヴィのきれいな微笑みには安心すると同時に、どことなく言い様のない底知れなさを感じるのだ。

 そう言えば、佐成サセイが巨鳥にやられて倒れる寸前、緑色の疾風が巨鳥に向かって吹き抜けたように見えた。あれが跳びかかるかかるユングヴィだったのだろうか。そう思いつつ、しげしげとユングヴィの着ている緑色の長袍ローブを見る。


「ねぇ?」


 クィスがこちらを向き、話しかけてきた。


「ねえ、お肉もうないの?」


 この言葉は不思議なくらいはっきりと聞きとれた。クィスの胃袋にも底知れなさを感じた。ところで、あの巨鳥は人食い鳥の伝承から、ひょっとして人肉を食っていたのではないだろうか? 佐成サセイがそんなぞっとする想像をしてしまったのは、食後しばらく経ってからのことだった。

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