第11話 鳥の丘(後)

「さて、では頂上に行ってみようか」


 ユングヴィが気合を入れるかのように皮の帯を締め直す。


 佐成サセイは迷っていた。自分とユングヴィとが頂上を見て、その間クィスがここで待つ。または、自分が頂上を見てきて、ユングヴィにはクィスとここで待ってもらう。一瞬、後者にすべきではないかと迷った。護衛として働かなければという義務感がそうさせていた。

 だが、ユングヴィはこちらの迷いを知ってか知らずかさっさと進んで行く。佐成サセイは慌ててそれを追った。今度は、護衛は少しでもユングヴィの前を守らないといけないと思ったからだ。ユングヴィを追い抜き、そのまま駆け上がる。頂上までは意外なほどあっという間に着いた。


「もうすぐだ!」


 ユングヴィに呼びかける。頂上と思しき場所の手前には、燃え尽きた松明の残骸らしきものがあった。


「うわっ!」


 頂上にたどり着いた瞬間、一斉に鳥が飛び立った。


「な、なんだ鳥か!」


 佐成サセイはつい驚いて声を上げてしまった。異様な見た目の大きな鳥だった。頭がおどろおどろしいほど真っ赤で、体の羽は真っ黒、人の子供ほどもある鳥だった。


 佐成サセイは心を落ち着かせて、改めて丘の上の様子を見た。丘の頂上は開けた広場のようになっており、ほとんど赤茶けた岩石がむき出しになっていた。植物はほとんどない。幾つか祭壇のような平らな石の台があり、それを遠巻きに囲むように、数体の人の形に似せて削られた石、人の背丈くらいの高さの石が何らかの秩序に沿って並んでいた。石像というほどの精巧さはない。一見すると子供がつくる泥人形のようだ。遊牧民が作る石人というやつだろうか。よく見ると、戯画のような顔や装飾が削りこまれている。だが、真に注目すべきものは、その石人の視線の先、祭壇のような石台の上にあった。


 変色した死体があった。


「なに……」


 佐成サセイは思わずつぶやきを漏らした。赤黒くなった中に白い斑が散在するそれは、明らかに生者がとり得ない姿勢で寝かされていた。平らな岩盤の上に一体、まだ黒い肉や髪の毛が残った死体が置かれており、その隣にはさらに二体ばらばらの骨になった死体がある。骨のところどころには、筋や皮膚、体毛が張り付いており、かさかさに乾いている。


「ぐっ」


 ひどい光景と臭いに思わず吐きそうになる。特に眼球があったはずの空間がぽっかりと赤黒い穴になっている映像が目から脳天へと突き刺さった。佐成サセイはのどまでこみあげてきた酸っぱい液体を必死にこらえた。その後ろから足跡が聞こえてきた。


「これはひどい……ひどいが……」


 ユングヴィがせき込みながら、後に続いて頂上に姿を現した。途端に顔をしかめる。だが、警戒というよりは何かを探すように周囲を見回した。


「ユングヴィ、ここは危険なのでは、逃げ……」

「待って……死体の周りを良く見て」


 ユングヴィが何かに気づいたようだった。佐成サセイは、できることなら何も見たくもない。だが、死体に焦点を合わせないようにしてその周囲を観察すると、丁寧に飾られていたであろう花や供物やお香らしきものの残骸が散らばっていた。


鳥葬ちょうそうってやつだね……」


 ユングヴィが言うには、蒼空を祭る民がおり、彼らは死者を野晒のざらしにして鳥に食わせることで、穢れた肉体を清浄な天に昇らせるという信仰を持っているのだという。


「ひょっとして」


 ふと気が付いたことがあった。


「人食い鳥の話って元々はこれのことか?」


 ユングヴィがおおっと目を見開く。


鳥葬ちょうそうの風習が人の口を介して伝わるうちに、人食い鳥の伝承になったと……なるほどねぇ、あり得るかもしれないね」


 だが、感心している間に鼻が限界を迎えそうだ。ユングヴィのしかめっ面がどんどん深いものになっていく。


「さっさと街道を探そう」


 ユングヴィも同じ気持ちだったようだ。なるべく呼吸する回数を少なくして周囲に慌ただしく視線を走らせる。


佐成サセイ、見つけた!」


 ユングヴィが指差す。思っていたよりもだいぶ南の方に街道らしき線が見えた。どうやら廃村から出た後、目指していた方角から少しずつずれてしまっていたようだ。佐成サセイとユングヴィの目と目とが合い、ふふっと笑った。思いは一つ。早くこの場所から立ち去ろう。佐成サセイがそう思い、無言で歩きだした時だった。ふと視界の隅に石人が入る。


「ん?」


 妙な雰囲気を感じて、死体を見ないように気を付けながら数体の石人に視線を走らせた。明らかに位置がずれている。


「ユングヴィ、なんだか……」


 その時、佐成サセイははっきりと見た。石人の位置がずれているのではない。動いていたのだ。ここから近いところにいる三体の石人がよたつくように体を左右に振りながら動いていた。だが、石人は石碑せきひを人型にしたようなものだ。脚はない。そのため、ずりずりと左右に体を振動させるようにして動いていた。


「動きは遅い! 逃げよう」


 ユングヴィは石人の動きを見るが早いか、さっと身を翻す。佐成サセイもそれに続いて走り出した。だが、その瞬間、さっと石人の動きが止まった。二人は視線を合わせ、しばらくその場で止まり、無言で石人の様子を見る。再び、石人が動きだす。だが、それは我々に近づくものではなく、来た道を引き返すものであった。


「近づくと反応する?」


 佐成サセイのつぶやきにユングヴィがうなずいた。


「どうやらそのようだね。きっと呪術が込められた石人……この墓を守っているのだろうね」

「では、近づかなければ大丈夫……か」


 二人はほっと大きなため息を一つすると、丘を降りることにした。


「きゃああああああああっ!」


 クィスの悲鳴が響き渡る。


 俺とユングヴィは即座に走り出していた。悲鳴の理由はすぐに判明した。


 無残に血塗れになって倒れている馬。


 馬の腹を貪り食う巨大な鳥、その背丈は六尺はあるのではないだろうか。


 全身が黒い羽で覆われ、所々に錆のような色合の斑点がある。


「なんだこいつ……!」


 佐成サセイは緊張で手が冷たくなっていくのを感じた。横刀を落とさないよう必死に握り直す。


 いや、本当に鳥だろうか? 翼はないが、その代わりと言っていいのか、猛禽もうきんのような顔に、凶悪なまでに大きく曲がったクチバシがついていた。クチバシはもはや凶刃と表現したくなる。そして、筋肉隆々たる脚を持っており、その膝は人間とは逆の方向に曲がっていた。脚の先には鋭い鉤爪が付いている。このような鳥は見たことがない。体の上半分はくすんだ色合の羽毛が生えているが、下半分には頑丈そうな鱗が見えている。龍の一種だろうか。


「ひっ……はあっ……」


 恐怖でひきつり、なんとかこちらへ来ようと這いずるクィスをユングヴィが保護する。巨鳥はクィスを気に留めることもなく、熱心に馬から腸を引きずり出していた。佐成サセイとユングヴィは巨鳥から目をそらすことなく、刀を構え、徐々に後退する。


「丘の頂上に行こう、こいつが追ってきたら……そうだね、石人が反応して場が混乱したら隙を見て駆け下りる、とかね」


 ユングヴィが小声でそう告げた。あの鳥葬ちょうそうの様子をクィスに見せるのは不安であった。そのうえ、あの石人はこちらにも反応するはずだ。だが、時間はなく、他に選択肢もなかった。下りへの道は巨鳥にふさがれている。巨鳥と十分に距離を取ると、ユングヴィはクィスを抱きかかえて走り出した。


 その瞬間だった。


 巨鳥が馬の腹から顔を上げた。そのまりのように大きな瞳がユングヴィとクィスを捉える。佐成サセイは本能で悟った。逃げる者を追う気なのだ。


「ユング……!」


 巨鳥が滑った。いや走り出そうとした。動きが速い。迷う暇はなかった。佐成サセイは刀を両手で握りしめ、跳んだ。


 こんなはずじゃなかったのに!


 巨鳥と目が合った。まりのような瞳がこちらを捉える。佐成サセイはその瞳に映った自分の姿が見えた気がした。


 人生が終わる、そう思った。


 だが、商人や子供を置いて逃げることはできない。仮にも兵士が自分より弱い者を置いて逃げることは絶対にいけない。世の中では珍しいことではないのかもしれないが、佐成サセイの中ではあってはいけないことだった。


「しゃああああああああああああああっ!」


 佐成サセイは声を挙げて遮二無二斬りかかった。巨鳥が向きを変え、跳躍するようにして蹴りを繰り出す。佐成サセイも相対するように刀を突きだす。


 次の瞬間、佐成サセイの体に重い衝撃が走った。その体が宙を舞い、右肩から地面にたたき付けられた。刀がからからと手から離れる。


 佐成サセイは頭を打ち、その衝撃で頭の中ががんがんと鳴り、何がどうなったのか理解できていなかった。視界には金色のもやがかかったようになり、また指先は痺れ、右腕の感覚がない。ただ生暖かった。


 ああ、まただ、いややっぱり、役に立たないな


 軍でもここでも、自分の役目を果たせなかった。それだけは漠然と理解できていた。体の痛みに悔しさと後悔と情けなさが入り混じる。


 そして、鳥と目が合った。巨鳥の頭部の羽毛が逆立ち、鼻の当たりの色合が赤く変わる。佐成サセイは死を悟った。華の地に生まれた男子は誰しも史書に名を残すことを史上の名誉とするというが、自分の名は残らないだろう。どうやって死んだかすら家族や知己に伝わることもないだろう。だが、不思議とほっとしたという気持ちも心の中にあった。


「!」


 誰かが何かを叫んだ。倒れている佐成サセイの隣を緑色の旋風が吹き抜けていく。そこで佐成サセイの意識は途切れた。今回は逃げなかったという安堵と共に。

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