第10話 鳥の丘(前)

カンカンカン


 けたたましい金属の連打音が響く。佐成サセイは街の警鐘けいしょうの連打か!と飛び起きる。ところが、辺りは一面、静かな廃墟だった。日干し煉瓦れんがが崩れ落ちた壁から、澄み切った朝の空気が流れてくる。一瞬の困惑の後に、自分が今、小さな隊商の一員として西域の小さな村の跡で一泊したことを思い出した。空はまさに朝焼けの時間帯だ。天頂はまだ藍色のとばりに覆われているが、東の空は遠くの山火事が広がるかのように色づき始めている。


「朝ごはんよ、起きた?」


 警鐘けいしょうだと思ったのは、クィスが鍋を連打した音だった。


「もう少し静かに起こして……」

「起きろ、働け、護衛」


 やっと動き出したの佐成サセイに対して、クィスは容赦ない言葉を連弩のように浴びせる。そして無表情のまま灰色の布を翻すとたき火の方へと戻っていった。既にナン白湯さゆが用意されている。


「おはよう、良く眠れたかな」


 たき火の横に座っていたユングヴィが相変わらず愉快そうににこにこしている。佐成サセイは一瞬、はっとした。ひょっとして自分は何かやるべき仕事を放置して寝坊してしまったのではないかと、不安に思ったのだ。だが、ユングヴィはそんな素振りもなく、黄色い塊を渡してきた。


「これは?」


 どうも食べ物らしいが、臭いを嗅いでみるとどことなく臭い。


「遊牧民が作るチーズです。栄養はありますよ」

「?……ああ、乾酪チーズ?」


 ユングヴィとクィスはぱくぱくと乾酪チーズを食べていたが、佐成サセイには馴染みがない食べ物だったのか、ちまちまと端から少しずつ齧っていく。そして、少し砂の混じった白湯で流し込んだ。

 日が出てきた。金色の光が横殴りに差し込み、遠くに続く砂丘の連なりを一気に燃え上がらせていく。世界が神様に祝福される瞬間があるとしたら、きっとこんな光景が見られるのではないだろうか。


「いや~、ははは……」


 佐成サセイが思わず変な声を出してしまう。


佐成サセイ? どうしましたか?」


 ユングヴィが佐成サセイを心配そうな顔で見つめる。


「ユングヴィ殿、私は泣きそうです」


 佐成サセイの目は既にうるんでいた。彼は感動していたのだ。金色の太陽光に浮かぶ砂丘の美しさ。この景色の壮大さに。都にいた頃や軍務についていた頃、見ていなかった自然の色合いに。


「そうだなぁ……きれいだなぁ……小さい頃からこういうのが見たかったんだよなぁ……」

「XXXXX」


 クィスが遠くの景色を見つめながら何事が呟いた。その言葉が誰に向けたものであるかは、佐成サセイにはわからなかったが、その表情には穏やかな笑みを浮かべていた。



   ◇


 

 その日、出発してしばらくするとユングヴィが落ち着きなく、周囲を見渡すようになった。正面やや右に孤立した丘が見える他は、どこまでも頼りない緑の斑点に彩られた褐色の大地が続き、どこまでも青い空と覇を競っている。


「ユングヴィ……? 何か?」


 また、竜巻でも察知しているのだろうか。ユングヴィが困惑したようにつぶやく。


「おかしい、そろそろ街道が見えてくるはずなんだ」


 状況を察したらしいクィスも、馬上から辺りをきょろきょろと見回し始めた。


「高いところXXXX?」


 クィスが前方の丘を指さす。


「ううむ……クィスの言うように登ってみましょうか」


 どうやら高いところから周囲の地形を見てみようということらしい。重い荷物を背負っているラクダとまだ本調子ではない自分の馬はその辺りに繋いでおき、貴重品を担っているユングヴィの馬のみを連れて行く。丘の一部が急勾配だったためだ。他に旅をしている者もいないようなので、盗まれることはないだろう。わずかな木とまばらな草本が生えているだけの寂しい丘に足をむける。遠くから見ている限り、この丘は大した高さはなさそうだったが、実際に登ってみるとなかなか頂上にたどり着かなかった。中腹から見える範囲では、街道の位置は分かりそうにない。


「ちょっと……ちょっと……待って……お願い」


 馬から降り、自らの脚で斜面を登るクィスが肩で息をしながら嘆願してくる。斜面を馬に乗っていると酔うというから降ろしたのだ。だが、ちょっとした丘であっても、いつも馬に乗って移動していた「お嬢様」にはきつかったようだ。いつもは一文字に結ばれた口が呼吸で喘ぎ、周囲を睥睨へいげいしている青い瞳は上気し、そしてその上に力強く鎮座ちんざしているはずの太めの眉毛が力尽きて八の字になっている。


「旅がしたいなら、無理をしないことと体力を……」

「うっさい! このXXX!」


 クィスはここぞとばかりに労わろうとした佐成サセイに最後まで言わせず、さらに罵声らしき言葉の連打を浴びせかけた。多分、死ねとかうざいとか言っているのだろう。さらに手を貸そうとするユングヴィを振り払い、是が非でも自分の脚で歩こうとする。


「自分が先に丘の上を見てくる」


 佐成サセイがしびれを切らして申し出た。クィスの根性は見上げたものだが、待っていられなかったのだ。先に上に行き、自分たちのいる位置を確認したい。佐成サセイはそう思い、ユングヴィらの返答も待たず、足早に丘を登っていった。

 頂上までは佐成の予想よりもまだ距離があった。だが、頂上がはっきりと視界にとらえられるようになると、この何もない平原で丘の上から周囲を見ることを少し楽しみを覚えていた。次第に足取りも軽くなる。ふと、一瞬、異様な臭いが鼻についた。もう一度、空気を嗅ぎ直すが再度は捉えられなかった。だが、佐成サセイにとって嗅いだことのある臭いだった。


「まさか……死体?」


 戦場で嗅いだその臭いに似ているが、違うようにも感じられた。楽天的な気分は一瞬にして吹き飛ばされる。無意識のうちに刀を抜き、しばらくはそのまま進んだが、歩みを止める。やはり、ユングヴィらと合流して頂上に進むことにした。


「くっそ、臆病だな……」


 三人の中で唯一の兵士がこれでは、と情けなく思った。だが、自分はその程度の兵なのだという確信もあった。一人でどうにもならない事態に遭遇するのが怖い。


「おや、どうしたの? 先に行ったんじゃあ?」


 しばらくして、ユングヴィらが追いついてきた。ユングヴィの緑色の長袍がこの褐色の景色の中で鮮やかだ。クィスは汗まみれで真っ赤な顔をしており、ユングヴィが足を止めたのをこれ幸いと、必死で息をする。


「一瞬だけだが、嫌な臭いが……。何か感じませんか?」


 佐成サセイの表情と手に持った横刀を見て、ユングヴィが眉を曇らせ、何度か深く呼吸をした。端正な顔が歪み、いつも穏やかな灰色の瞳が冷たい光を放つ。それと調子を合わせるかのように尖がった耳がぴくぴくと動く。


「……なるほど、微かに死体の臭いがします。それも時間が経ったもののようですね」


 ユングヴィは馬に預けていた荷物から剣を取り出す。鞘から抜かれたのは幅広のまっすぐな剣だった。拓では見ない装飾が柄についている。


「XXX?」


 何事かと問いかけたのであろうか? 疑問形の口調で話すクィスにユングヴィが何事か話す。おそらくここで待っていろというのであろう。


「頂上はもう少しのようだ。佐成サセイ、行ってみよう」

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