第9話 乾いた路

「ここで今夜は寝ましょう。クィス、佐成サセイ、それぞれ準備を」


 ユングヴィが隊商を止めて指示を出す。


佐成サセイ、馬はこっちでつなぎますから、ラクダをその杭に繋いでください」

「はい!」


 佐成サセイはユングヴィの指示通り、杭にラクダを繋いでいった。まだ、ラクダの頭のあたりの臭いには慣れない。なるべく頭に触れずに済むように仕事をしていく。


 その日の日没直前、一行は小さな村の跡に到着した。井戸は残っていたが人影は全くなかった。流行り病にやられたのか、戦乱に巻き込まれたのか……この村が廃墟となった理由は分からないが、人がいなくなって数年以上は経っているようだった。天井が崩れ、日干し煉瓦の壁だけが残る廃屋をこの日の宿とする。

 佐成サセイは馬とラクダをつなぎ、今後のためにその餌となりそうな草を刈り集めた。指示通りの行動を一生懸命やるだけでなく、何かできることはないかと目を光らせる。自分が新入りゆえに仕方ない部分もあるのだろうが、明らかにこの小さな隊商の中で自分だけが何をやるべきか理解が浅い。佐成サセイにはそういう意識があった。一通りやれることを済ませると、ユングヴィの様子をちらちらと見る。自分の仕事ぶりに何か問題点がないか、その素振りから察するためだ。


「はぁ……」


 昼の出来事を思い出して、佐成サセイはため息をついた。今日は、ラクダが勝手な行動をしづらいようにとラクダとラクダを結ぶ紐の長さを短めに工夫してみたところユングヴィに呆れられてしまった。なんでも紐が短いとラクダがお互いの荷物を噛み合ってしまうらしい。かのエルフは私が失敗しても声を荒げることはないが、失望した表情が目に出る。それを見ると自分が無能であることを再確認させられているようで辛い。


「ゆ、ユングヴィ殿、ラクダの手綱を結ぼうした木が枯れていたので、こちらに移します。かまいませんか?」


 佐成の口調も次第にへりくだったものに変わっていった。ユングヴィがそう求めたのではない。佐成にとって、その方が自然に思えてしまったのだ。


 その後、馬やラクダから降ろした荷物に、袋の破れなどがないか点検し、暇を見つけては馬やラクダに異変がないかその様子を見に行った。ユングヴィが「そこまでしなくても大丈夫だよ」と呆れたような、労わるような口調で声をかけて来るまで、そんなことをしていた。


「はぁ……」


 ユングヴィが去った後で大きくため息をする。


 夕飯はクィスが作ってくれた。乾燥したラクダの糞で火を起こし、平豆と米を炊いたものに、良く分からない野菜や干し肉の切れ端、香草で風味付けがされている。


「うまい! うまいよ!」


 軍にいた頃の飯と言えば、穀物の粥と干し肉や塩漬けの魚などだった。たまに地元の野菜や魚を食べることができたが、味気ないものやひたすら塩辛いものが多かった。


「XXX、しっかり食べるといいわ」


 こちらの反応に気を良くしたのか、クィスは得意げに胸を張る。太めの眉にはっきりした目鼻立ちもあり、クィスは自信にあふれた表情が良く似あう。この子はあの竜巻を退けた呪術をのぞけば、勝気な少女といったところだった。明るく笑い、良く動き、そして文句が多い。クィスの軍務中に学んだ西域訛りよりもさらに良く分からない音や単語が混ざる。それだけに意思疎通が切れ切れであり、結局昼に見せてくれたジンとやらの呪術か何かについても教えてもらうことができなかった。主に火や祖先供養、呪術を行う道士なら都にもいるらしいが、風を使う道士とは聞いたことがない。


「あの、ユングヴィ殿。この子とはどういう関係なので?」


 都で育った人間としては、どうしても異国の少女を連れていると、愛妾や芸妓のイメージを持ってしまう。だが、クィスがユングヴィの下で担っている役割はそのようなものには思えなかった。


「言った……でしょう? もう一人の……案内役ですよ」


ユングヴィはクィスが作ってくれた料理を咀嚼そしゃくしながらしゃべる。


「こんな年端もいかない女の子が?」

「ふふ……その年端もいかない子に……我々は竜巻から……守ってもらいました」


ユングヴィが干し肉の切れ端を食べこぼして地面に落とし、一瞬悲しそうな顔をする。心なしか尖った耳も落ち込んだ犬のように下がっているように見える。


「砂漠を旅するときは……砂漠に詳しい者を雇い……たくの国を旅するときは……たくの国に詳しい者、貴方を雇う……どうです、おかしいことですか?」


んぐっと飲み込んだ。


「ちょっといいかしら?」


 佐成サセイとユングヴィのやり取りから何か察したのだろうか、クィスが割り込み、その言葉を選ぶようにしてゆっくり、はっきりと語る。


「わたしはね、村から出たかったの、それだけ」


 それっきりクィスは自分の料理を食べることに夢中になり、ぱったりと会話に加わらなくなった。料理を食べ終わり、片付けが済むとユングヴィは娘を気遣う父親か兄のようにクィスを寝かせ、自らは馬とラクダの様子を見に行った。佐成サセイは何もやることがなくなり、ふらりとたき火から離れた。旅の方向が誤っていないか、何か天に変異はないかを見定めるために星を見る。天文学は塾にいた頃に多少心得があった。


 満点の星空だ。青みがかった銀色の星明りが平原や遠くの山並みをうっすらと浮かび上がらせる。


 すごい星空だった。乾燥している空気のせいか、都よりも星が澄んで見え、そのうえ、平原ゆえに空を遮る屋根も木々もない。どの方向を向いても色も光の強さも様々な星々が輝いている。まるで金銀の粒を真っ暗な水底にぶちまけたかのようだ。軍にいた頃は、慣れない兵隊暮らしにいっぱいいっぱいで、星空をゆっくり見る余裕などなかった。軍から離れたことや帰り道のことといったこれまで抱えていた不安が、一時的にせよ心の中で薄まっていく感じがした。


「何をしているんだい?」


 尖った耳を星明りにくっきりと浮かび上がらせて、ユングヴィが歩いてきた。


「火から離れる際は薪は近くに置かない方がいいですよ。うっかりしました?」


 ユングヴィは教え諭す先生のような口調で言った。確かにその通りだ。彼の口調は穏やかでいらだった様子はまったく見えないが、なんだか自分がどうしようもなく無能者になった気分だ。


「すいません」

「そうですねぇ、隊商の一人として行動する姿勢、自分の目の前の課題だけでなく、全体のために何をしておくべきか……まあ、頑張ってくれているとは思ってますし、お小言になりますからこの辺で。で、何をしていたんです?」


 ユングヴィの表情は穏やかそうだが、星明りでははっきりとは見えない。


「あの赤い星が見えます? あれを我が国では酔星すいせいと呼びます。酔っ払いみたいに真っ赤だから。あの星は南の天空の一角を支配していると言われていて、あの星が見える方向がだいたい南……」

「だいたい?」

「書物によれば季節によって位置がふらふら動くらしく、今一つあてにならないと。それも酔星すいせいの名の由来だそうなのです」

「なるほど、星から自分の位置を知ろうとしているのか。航海者が良く使っている方法だね」


 夜の北天には、青白い北極星、いわゆる天元帝てんげんていが輝いている。北極星の輝く方向が北だ。一方、南天には北極星のように方向との関係が完全に固定された「南極星」とでもいうべき存在はない。その代わり、南天八星なんてんはっせいという星がある。季節によって夜空に輝く八星は移り変わるのだが、日が暮れた後に八星のうちいずれかがある方向がだいたい南を指している。今の季節は酔星すいせいが夜中に高く登る方向が南であり、もう少し季節が過ぎると今度は緑色の玉星ぎょくせいが南天高く上がるようになる。そんな話をユングヴィに聞かせた。


「そのうえ、東宮とうぐうに見慣れない赤い星がある……戦乱の時に現れる妖星ようせいでないといいんですが……」

「君は良く星を見ているなぁ。君を星をみる人と呼ぼうか」


 ユングヴィはいつものようににこにこと笑う。ユングヴィは男ではあるが、その星明りに照らされる横顔にはぞくっとするものがあった。都に着けば、街の女たちが放っておかないのではないだろうか。ただ、その笑みには得体の知れないものがある。こちらの話題に関心を示しても、何かに笑っていても、どことなくめたものがユングヴィの心の奥底からこちらをのぞいている。そうな風に感じる瞬間があるのだ。この人は何者なのだろう。

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