第8話 新参

 馬とラクダで隊列を組み、乾燥した転石地帯を移動する。この辺りは地下水の流れがあるのだろうか、局所的に青い小さな花が無数に咲いている。ソバの花だろうか。時折、乾燥した風にのって濃密な香りが流れてくる。


 ここのところ気候には恵まれているな……


 そう思って空に目をやる。この辺りの乾燥地帯は今の時期はそれほど気温が高くならない。砂漠では、日中の暑さがあまりにもひどい場合、夜間に移動することもあるが、高温な季節に長期間の移動をするのでなければ、視界の良い日中に行動することが基本となる。時に景観の変化の乏しい地域において、水のある村の跡やオアシスをたどっていくからだ。


 隊商の先頭を馬に騎乗して進む。その後方にはクィスの乗る馬、荷物を運ぶラクダが続き、最後尾に先ほど雇った拓の兵士が騎乗して続く。佐成サセイはこちらの最初の指示通り、頑なに最後尾を守っている。


「ねぇ、あの男、使えないんだけど?」


 栗色の編み込まれた髪を片手でいじりながら、クィスが単刀直入に言う。この子は遠慮というものを、あまり知らない。


「うーん、まあ今まで彼がいた立場とかやっていた仕事とは違うのだろうねぇ」


 新しく旅に加えた男は、いわば少人数での旅に「不慣れ」であった。兵卒だったと言っていたが、それなりの地位にいたのだろう。馬に乗ることはできるが、その世話や移動中の家畜の扱いが「足りない」。できないわけではないが、足りないのだ。例えば、列を組んで移動する場合、最後尾は、隊商のラクダに気を配り、ラクダがお互いをつないでいる紐をちぎって隊列から離れた時、それを連れ戻す役割を担っている。また、様子のおかしいラクダがいれば体調を確認し、適時休憩などを求めるのも仕事のうちだ。だが、彼は周囲の景色を見てばかりだった。


 ある時など、一頭のラクダが隊列を離れてしまい、だいぶたってから彼は


「あの、ラクダが一頭向こうの方に離れてしまったので……連れ戻した方が?」


 と困惑して尋ねてきた。これまで彼に何をどうすべきか事細かに説明してきたわけでもない、という事実。

 しかし、雇ったからにはその辺はこちらから逐一指示を出さなくても自分で学習・理解に努めて欲しい。せめて、事が起こる前に、という不満。

 その両方を飲み込んで、ユングヴィは穏やかに声を絞り出した。


「離れる前に何とかしよう。原因にもよるけど紐を結び直す、勝手に動くラクダをなだめる、とかね。手に負えなければ私に一声かける、とかね」


 また、万事に付けて自分から率先して雑事をする、という意識がない。休憩すればラクダや馬に草を食ませ、水を飲ませ、そして自分たちの分の水を確保する。寝る時は荷物をまとめ、炊事のために燃料となる枯草やラクダの糞を集める。以上のような作業が必要になるが、彼は指示しないと動けなかった。まだ慣れていないのだろう。

 しかもある時など、作業中にもかかわらずラクダの糞に珍しい甲虫が集まっていたと、所持していた竹簡の裏側に絵をかき始める始末だった。好奇心旺盛なのだろうが、視点が自分のところから出てきてくれない。

 もっとも召使いとして雇ったわけではないので、そこはこれから何をどう担当していくかお互いの性格を見て決めていくことになるだろう。ただ、少人数で旅、それも長距離を移動する予定である以上、やれることは自ら動いていく姿勢がないと共倒れになる危険性もある。


「ただね、クィス」

「なに?」


 こちらの問いかけに、湖の水底のような青い瞳をした少女は首をかしげる。


「君と違って彼は馬や羊といつも一緒に暮らしていたわけではないみたいだよ」

「どういうこと?」

「君のいた村では、日々、家畜の世話をしていただろう? ところが、彼、まあ多分華の民だと思うけど、彼らは地面を耕してそこで育った食用植物を食べるんだ。家畜を育てるところもあるけど、君らのように誰もが家畜を育ててるのではなくて、専門業者に任せている」


 この説明は正確ではない。華の地は訪れたことがあるが、非常に広大だ。農業の仕方、家畜への接し方、それぞれ多様性がある。


「よくそれで生きていけるわね、地面を耕して麦や豆は取れるんでしょうけど、肉やチーズはどうするのよ?」


 お肉を食べなくて生きていけるの?とでも言いたげに問いかける。この子の出自から言えば、そう思っても仕方がないことなのだろう。


「まあ、食べてるものが違うのさ。私の故郷には魚と麦ばかり食べている人々もいたよ」

「ええ!? 気持ち悪っ!」


 クィスが無邪気に嫌悪感を露わにする。この子の部族も魚くらい食べると思うのだが、どうだったか。


「さて、食文化はともかく、彼にはもっとここでの仕事の仕方を覚えてもらわないと」

「覚える気あるかしら? 覚える気なしに適当にこなす、そういう悪ガキ、近所にいたわよ」

「まぁまぁ、非難だけじゃ通じないよ。彼とちょっとお話して来ようか」


 新しく旅に加えた男、セイ佐成サセイと名乗ったか、彼のもとへと馬首を向ける。


「ユングヴィ?」


 クィスが問いかける。水底のように青い瞳に非難がましい色が宿っている。


「どうしてあの人を雇ったの? あの人にしようと思ったの? この先、案内役になりそうな人ならこの先の街で雇っても良かったんじゃないの? 家畜の扱いになれている人が欲しいのなら、私のとこの部族みたいな遊牧をする民から雇えば良かったんじゃないの?」

「そうだね、何かを選ぼうと思えば気にすべき点は多いが……」


 ユングヴィはふと思い出したかのようにクィスの方に振り向いた。


「ただね、クィス。彼は無難そうだった。知らない人と一緒に旅をするには大事なことだよ」


 クィスの太めの眉毛が八の字になる。普段は強気が顔に出ているクィスだが、こういう表情をするとまだまだ子供なのだなと思わされる。


「ああ、その表情かわいらしいよ」

「ふざけないでよ、面倒くさいから」


 クィスは呆れたとすねたの中間の表情をした。何が面倒くさいのだろう。この性格だろうか。


「無難はいいけど、無能だったら旅に支障が出るんじゃないの?」

「そうだね、時として無能な味方ってのは敵以上に脅威だとも言うね。そうだねぇ、ただ知らない人を雇うなら能力も大事だけど、まず信頼できるかどうか、それが一番大事」

「会ってすぐに信頼できるかどうか分かるの?」


 それが分かれば誰も苦労しないだろう。人々が人間関係や人材登用、商売相手のことで悩むこともないだろう


「分からないね」

「じゃあ、ダメじゃない!」

「そうだね、でも長く生きて、他人を見ていると雰囲気とかから分かることもある、あるんだよ……そういうふうに君に教えられた記憶もあるけどね?」


 ユングヴィはクィスに対して肩をすくめて見せた。感覚的なこと、経験的なことは相手に頑張って説明しても、伝わらない時は伝わらないものだ。


「じゃあ、ユングヴィは私のことも信頼してくれてるの? てっきり風の力のために同行させてもらえてるんだと思ってわ」


 クィスは何か言いたそうな表情をした。


「ふむ、まあ信頼し、頼りにしているさ」


 クィスに手を振り、馬を進める。佐成サセイのところにはほどなくしてたどり着いた。佐成サセイは緊張した面持ちでこちらを見ている。知らないうちにミスでもしたのかと疑っているのだろうか。


「やあ、こんにちは」

「こんにちは、ユングヴィ殿、どうかされたので?」

 

 さて、なんと切り出したものだろうか。


「貴方はずっと最後尾を守っていますね」

「そういう指示だったかと……何かまずかったか?」


 思わず苦笑しそうになるが、指示の徹底した伝達はこちらの責任だろう。一を聞いて十を知る者ばかりではない。


「今、見てきたところ、二頭目のラクダを引っ張っている紐が緩んでいました」

「え! それは気づいておらず……! 申し訳ない」


 佐成サセイは本当にすまなそうにする。おそらくは神経質なところがあるのだろう。その険がある顔だちが不安に歪む。佐成サセイに最後尾として隊商を守る役目を果たすには何をどうするか具体的に指示を出す。


「つまり、最後尾を定位置としながら、時に隊列を見て回り、ラクダ同士をつないでいる紐の様子やラクダの様子、ええと、歩き方やダニがどれくらいついているか、鼻の様子などを見て回る。そして、列からラクダが離れれば連れ戻し、手に負えない時はユングヴィ殿にできるだけ早く知らせる、という務めを果たせばよいのでしょうか」


 間違ってはいないが、気になる点があった。


佐成サセイ、そのつまりというまとめ方に気を付けるよう忠告させていただくよ」

「え?」


 こういう考え方をする人間は珍しくはない。言われたことをやることには無難な能力を発揮する人間だ。悪いことではない。組織の中で良いこととされる場面は多々あるだろう。あくまで、無難な、ではあるが。


「貴方と話していると、つまり~とまとめる場面に何度が出くわした。貴方はきっと情報の中から自分にとって大事なこと、取り組むべき責任があることを抽出することが上手なんだろう、頭がいいんだね」


 佐成サセイは困惑した表情を続けている。何を言いだすのだろう、と思っているのだろう。


「だが、つまりとまとめた内容だけに集中してしまうと硬直したことしかできなくなる。旅もラクダのような動物を相手にしていると、決まった問題しか起こらないわけじゃない。何が起こるか予測できないことも多いんだ。」

「は、はぁ」


 佐成サセイはますます困惑しているようだ。


「そうだねぇ、判断に迷ったら自分で考えるんだ。目的は何なのか、それを忘れなければきっとできるよ……年長者からのお節介だと思って、聞いておいてくれると嬉しいな」

「は、はい。わかった」


 佐成サセイは口数少なく、そして居心地悪そうに答えた。


「頼りにしていますよ。それで、どうです? 旅には慣れましたか?」


 伝えるべきことは伝えた。空気が重くなるので話題を変える。


「食べ物などは大丈夫かと。これでも軍で長い旅を経験している!」


 佐成サセイはふっと笑った。


「それにしてもこの辺りは本当に自然の色合いが黄土と違う! かつて古の西域諸国が活動した土地に実際に来れたこと……いや、本当にすごい」


 佐成サセイはこの地域の歴史や自然について語り、それを実際に目の当たりにできたことに感動しているらしい。聞いてもいないのにある書物にどう描写され、どんな王や氏族の活躍があったかを滔々と話し続けた。佐成サセイはこのあたりのことに本当に詳しい。ただし、その知識は経験に基づくものではなく、書物によるもののようだった。


 まあ、悪い人ではない


 それは間違いないことのように思えた。後は彼が我々の旅仲間になろうという姿勢を示してくれるか、努力をしてくれるか。それはこれから分かることだろう。もちろん、積極的に仲間として迎え入れたいのなら、こちらも彼を理解しようと努めることになる。


 佐成サセイの話を聞きながら、ふとこれまでの旅をともにした仲間たちの顔が脳裏をよぎった。得難き友もいれば裏切り者もいた。優れた人物と見込めば、思わぬ欠点がゆえに自滅していった者もいた。今となっては過去のこと、特に恨むようなこと、思いだす度に恨み直すようなこともない。短命な者たちに期待し過ぎてはいけない。


 かつて、若い頃は各地を旅し、世界の様々なところで交易を行って富を築き、部族や国の違いを越えて友をつくることを夢見た。我らエルフは北辺の民、厳しい気候の中で限られた農業や牧畜で生活していくことは用意ではない。それゆえ、海を越え、山を越え、交易を行うことを生業としてきた。また、エルフは寿命が長い。一般的な他種族の四倍は生きるとされ、より長く生きる者もいないわけではない。だが、恋をして家庭を築くことに懸命になれるのは最初の数十年程度だ。その後は、恋だの愛だのを求める気持ちが薄れる。個人的な傾向ではなく、みんな同じようにそうなるのだ。きっと種族の特性・体質的なものなのだろう。昔、交流のあったある君侯からは「人並みの青春と長い長い老後」と揶揄されたこともあった。だから我々エルフは、残りの余生を旅に捧げる。各地に赴き、ある者は好奇心のままに探検し、ある者は征服し、ある者は交易に従事する。


 ユングヴィ自身もその一人だった。特に交易しながら各地の人々の様子を見ることにのめり込んだ。そして、少し疲れた。旅をすることにではない。短命な者たちと交流することに。彼らはエルフの視点から見れば生き急いでいる。それ故に愚かしいこともする。侮るつもりはないが、期待し過ぎてはいけないのだ。


「かつてこの辺りに勢力を誇った王朝は、雪解け水を引く灌漑を作ることで勢力基盤にしたそうで、今でもその時に作られた……」


 佐成サセイの話はまだ続いていた。彼は本当に博識だ。まるで短命さがゆえに焦って世界を知ろうとするかのように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る