第7話 邂逅(後)

 赤茶けた荒地を小さな隊列が行く。先頭にユングヴィが馬に乗り、佐成サセイはその横についていった。後ろを振り返るとラクダが続き、最後尾にクィスが馬に乗ってついてくる。


 佐成サセイが話を聞いている限り、ユングヴィ達はこの辺りの街道を把握していた。戦闘に巻き込まれることを警戒して街道から一定の距離を置いて移動する。この先の阿勒あろくという街を目指しているとのことだった。阿勒あろくたくが支配している西域街道の一つの末端に位置する街で、今から百年ほど前に小さな村に、降伏した異民族を移住・開発させて作った街と聞く。


 動きだしてまもなく、ユングヴィが足を止める。


「何かあったので?」


 佐成サセイが声をかけるとユングヴィは道端を指さした。この辺りはごつごつした岩盤が露出し、所々で薄板のように割れ、所々にたまった埃のように砂が堆積している。ユングヴィが指差した先を見ると、岩盤の一部に大きな足跡が二つつけられていた。


「なんだこれは……鳥?」


 見た感じはにわとりの脚を押し付けたように見えるが、砂の上ではなく、岩盤にはっきりと跡が残っている。余程強い力でこの岩盤を踏みしめたのだろうか。そして、にわとりの足跡に似ているように見えるが、大きさがまるで違う。足跡一つで人の顔くらいはありそうだ。


「かなり、大きそうですね、この足跡の持ち主は」

「大きいっ!」

「……佐成サセイ?」


 佐成サセイはいつの間にか馬から降りて、岩盤に刻まれた足跡を撫でてしまっていた。触った感じでは足跡は岩盤の一部のように硬かった。まるで泥道にできた足跡がそのまま岩石になったかのようだ。どうやってこんな岩に足跡を残したのだろう。


阿勒あろく周辺には人を食らう鳥が出ると聞きます。一説には竜の一種とも……」


 ユングヴィの一言に嫌な記憶がよみがえる。また「竜」か。


「はぁ……」


 また竜か……


 以前、蘇延ソエンの陣で出くわしたあのくすんだ藍色の空飛ぶ蛇のような連中を思い出す。佐成サセイにとって、あの黄色い目は思い出したくなく、再会は絶対にしたくなかった。ユングヴィはそんな佐成サセイの内心を知らず、白皙の顔ににこにこと貼りついたような笑みを浮かべながら、竜の強さを示すような伝承を次々と話して来る。まるで佐成サセイにそれと戦えとでも言うかのように。


「頼りにしようかな?」

「言っただろう? 俺が武勇の達人に見えるのか?」

「貴方は兵士でしょう?」


 佐成サセイとユングヴィが会話するたくの言葉が分からないのか、そもそも関心がないのかクィスは馬上でぼんやりしている。


「それで、その人食い鳥とはどんな鳥なんだ? 色とか、大きさとか……」

「そうですねぇ……」


 歩きながらユングヴィが人差し指を唇に当て、考えるしぐさをする。佐成サセイは美形はうらやましいと思った。何気ない仕草一つが絵になるからだ。


「数年前にもっと西の街で聞いた話なのですが、象をその鉤爪で捕まえて食べるくらい大きく、姿はわしのよう、高い山の上に住み、旅人を捕まえては引き裂いて幼鳥の餌としているそうです」


 ユングヴィは、物騒な話をお隣さんの痴話喧嘩話のようにさらっと、そしてどことなくウキウキと語る。佐成サセイは思った。このユングヴィ、面倒事に首を突っ込むのが好きな性分だ、と。


「象? 昔、都の辺りにもいたという獣の象か?」


 佐成サセイが塾に通っていた頃、先生の私設図書館で読んだ書に載っていたような記憶があった。確か大型の動物で農業や戦にも利用できたが、暴れ出すと手に負えないという。


「さあ、私は存じませんが……ともかく」

「でかくて凶暴?」

「そうだねぇ……いや、そうです」


 ユングヴィは再度にっこり笑う。白い歯に強すぎる太陽の光が反射する。


「それは勝てる、いや人間が戦える相手ではないのではないか?」

「まあ、お話ですよ。それに人食い鳥に勝てないと商売できないのなら、阿勒あろくに商人はいなくなってしまう」


ユングヴィが言葉を続けようとして、ふと歩みを止めた。


「どうかしたか?」

「あれをご覧に!」


 ユングヴィが指差した方向には、彼方まで続く荒れ地が広がっている。遠くの青い山々、その裾野まで続く、頼りない緑が散在するだけの茶色い大地、昨日から変わらない風景だ。その一角がくすんでいる。


 竜巻だ!


「距離はありますが、どこか隠れられそうな……」


 ユングヴィは周囲を見回すが、手近なところに隠れられそうな場所、例えば大樹や岩の陰のような場所は皆無だった。


「先を急いでかわしましょう」


 ユングヴィの声を合図に、少しでも竜巻から遠ざかろうと佐成サセイは歩みを速めた。馬の手綱を引く手にも力が入る。しかし、竜巻はまるでこちらを追尾するかのように向かってくる。近づくにつれ、かくの踊り子の細くくびれた腰のごとく、灰色の渦が天に昇っている様子がはっきりとしてきた。佐成サセイたちは懸命の竜巻のルートからずれようと歩みののろいラクダを促して進むが、どんどん竜巻が近づいてくる。

 

 いつしか周囲の空気にはごうごうと音を立て、砂が次々と佐成サセイの皮膚を連打していく。目を開けていられない。まるで密集射撃された矢の中に飛び込んだみたいだ。ユングヴィが口に巻いていた布が吹き飛ばされた。竜巻の渦は大きさを増し、もはやこの小さな隊商すべてを飲み込もうとしているかのようだった。


「!!!」


 ユングヴィとクィスに大丈夫か、と声をかけたが、佐成サセイ自身の耳にすら声は届かなかった。竜巻から逃げるのを諦めたらしいユングヴィは懸命にわずかな窪みにラクダを伏せさせようとしている。その隣で、いつの間にか馬から降りていたクィスは、平然と地面に座りこんでいた。不思議とその長袍ローブや栗色の髪は風に動いていない。まるで少女の周りだけ空気が泊まっているかのようだ。

 ユングヴィが何事か叫び、佐成サセイの手をつかんでラクダの隣に伏せさせた。佐成サセイはクィスも近くに伏せさせようとしたが、ユングヴィが邪魔をした。なぜ、と思っているとユングヴィはクィスの方を見るよう促した。クィスはどこからか、青い目を象った小さな魔具を取り出すと、それを空に向けて掲げ、祈るような姿勢を取る。その刹那、竜巻の音が止んだ。


「一体なにを?」


 佐成サセイのつぶやきは音として出ていかなかった。それと同時にクィスは目を閉じて竜巻に向けて何事か叫んだ。隣にいるユングヴィがそっと、彼女の言葉を翻訳してくれる。


「ジン! ジンよ! 我の声を聞け! 人より先に生まれ、光を渇望する者よ! 汝、我が前より立ち去れ! アルタンの青い目を……」


 ユングヴィの通訳より早く、クィスが言葉を言い終えた刹那、何かが破裂したような音がした。そう思った次の瞬間には竜巻は消え失せていた。


「え……え?」


 佐成サセイは何事が起きたのかわからず、辺りを見回した。一陣の柔らかな風が顔を撫でていく。


「竜巻を消したのか? あの子が? クィス? 貴方は道士? 呪術士なのか?」


 数は少ないが、たくにも長命を目指す道士や火を操る道士はいる。だが、風に関わる者は聞いたことがない。その質問をユングヴィが通訳してくれているのか、何事かクィスに告げる。


「あれはただの竜巻ではなく、ジン」


 このクィスの言葉は佐成サセイにも理解できた。


「ジン? 書物に漠精霊ばくせいれいと書かれているもののことか?」


 佐成サセイのさらなる問いかけに答えたのはユングヴィだった。


「貴方の言う漠精霊ばくせいれいとやらが何を指すのかは知りませんが、ジンは砂漠に住むとされる精霊です。その姿は蒸気や風であり、時に自在に変化する。人のような姿も取りますが、移動の際は竜巻の姿を取ります」


 要するに風に化ける妖怪の類ということだろうか。


「では、そのジンとやらをお祓いした?」

「違うわ。竜巻はジンXXX、消すXXXできない。あれを」


 クィスが指さした方角を見ると、先ほどまで竜巻がなかった場所に竜巻が生じ、こちらから遠ざかっていく。


「我々を避けるXXX。それだけ」


ぺろりと舌を出し、クィスはにっこりとほほ笑む。どう?私役に立つでしょ?とでも言いたげに。もう一度穏やかな風が吹く。クィスの服は思い出したかのように風にたなびいた。

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