第6話 邂逅(前)

 どれくらい眠っただろうか。微風が吹くたびに、木漏れ日が俺の顔を撫でる。日が傾き、風が冷たい。季節のことなど戦ですっかり忘れていたが、季節は四月。本来ならの山は濃密な春の匂いで満たされていても良い季節だが、ここ西域では朝夕の冷え込みが依然厳しい。それでも咲いている花もあるあたり、西域の厳しい環境に生きる動植物の強さが感じられる。


 ふと奇妙な気配を感じた。


 後ろを振り返る。馬はつながれたままだった。遠くに軍旗も見えない。ほっと安堵してもう一度周囲を見る。


 ぎょっとした。


 すぐ隣に緑色の長袍ローブをまとった人物が座っていた。何やら四方がぼろぼろになった古めかしい紙を眺めている。


 敵か!?


 俺は後方へ飛び退きつつ抜刀した。もし、俺の動きを上から見ているものがいたらエビが水中で逃げる動きに見えたことだろう。


「誰だ!」

「ああ、そう驚かないで」


 緑色の長袍ローブを羽織った人物は落ち着いた口調で、いや多少気が抜けるようなのんびりした口調で俺にそう告げた。穏やかなだが、中性的な声だ。横刀を握ったままこの人物をしばし観察する。


 場違いなくらい鮮やかな緑色の長袍ローブを纏い、ほうと一体化した頭巾を深々とかぶっている。背丈は俺より頭一つ分くらい高いくらいだろう。日よけ、砂よけだろうか。頭部と口元は白い布をぐるぐると巻いているため、顔は良く分からない。わずかに布の間から金髪が一房垂れており、微かにのぞき見える鼻のあたりからも美しい顔だちをしていることが分かる。体形から見て男だろう。その腰にはあまり見ない幅広の剣をさしていた。金髪の人間は西域でも見かけるが、持ち物からしてこのあたりの人間ではないように思える。


「貴方が起きるのを待っていたのです」


 どう見てもこの国の人間ではない。だが、その言語は多少の訛りがあるようだが確かにたくの言葉であった。発音もしっかりしていた。この者は帝国内に住む俺の知らない蛮族だろうか。


「私はエルフの一族の者で、ユングヴィと申します」


 相変わらず、その口調はのんびりしていた。


「エルフ? はるか西方に住むという白亜仙はくあせんのことか? 貴方がそうなのか?」


 「史続西域紀」や「後沙書」など書物で読んだことはある。西方に国を持ち、非常に美しく長命な種族だと言う。王朝の時代に来朝し、その神仙のごとき容姿や歌舞の姿で都の人々を驚かせたという。仙人の一種だという説もあり、それゆえ亜仙と呼ぶ。長袍ローブを羽織った男は俺の問いかけにこくりとうなずく。白い肌をした若い男のようだ。


「貴方は? 見たところ兵士のようですが」


 俺は答えに窮した。事情はあれども俺は脱走兵なのだ。本当のことを言って良いのか?この白亜仙はくあせんの一族を名乗る者は敵ではないのか。敵でないにしても、ここで本当のことを言えば後々禍の種になるのではないか。


「そうですねぇ、実は貴方を道案内として雇おうかと悩んでいます。私を天子の都まで案内していただきたいのです……何か答えてくれませんか?」


 俺が言葉につまっていると、ユングヴィが苦笑した。長袍ローブと一体となった頭巾を取った。この男の輝く金髪が風に舞う。口の周りに巻いていた布も取り払い、言葉を続けた。


「私は商人でして、世界を旅して商売をして生活しております」


 雪のように白い肌、磨いた石のようになめらかな灰色の瞳、金色の絹のような光沢の髪は丁寧に編み込まれて顔の横に下げられている。尖った耳、くるりとした愛嬌を感じさせる眼にすらっと通った鼻、全体的に中性的で整った顔立ちをしている。あまりこの国で見る顔立ちではない。俺たちよりも、西月氏さいげっしなどの一部の遊牧民や西域の商人で時折みられる「白皙碧眼はくせきへきがん」の種族に近いが、彼らと違い髭は薄いようだ。


 依然、問いかけに答えない俺に対してユングヴィはにっこりとほほ笑む。不思議な感覚に包まれた。全てを見通す目を持っているかのような人物を前にしたときの、あの適当な嘘や小手先の策略が通用しないような感じ。俺はこの人物に対して嘘はつけないと悟った。圧倒されたのか、それとも安堵したのか、自分でもよく分からない不思議な感覚だった。


「俺はたくの兵で……セイ佐成サセイと言う。敵に敗れ、戦場の混乱から逃げてきた兵だ」

「おお、そうでしたか、それはご苦労なさったのですね。お怪我などありませんか?」


 ユングヴィはまるで井戸端で雑談をするかのように軽妙に話す。そして、はるか西の方角を指さした。


「この間、川の下流の方であった大戦ですよね? たくの方なら話が早い。私よりこの国にはくわしいでしょうから」

「いや、だが、こちらは自分一人逃げるのでいっぱいいっぱいで……」


 俺は都で官吏を目指してうまくいかず、そして軍と共に辺境にやってきた。商人や旅人のいろはなど分からない。俺がこの商人だという白亜仙エルフの役に立つとするならば、護衛か通訳だろうが、武力に秀でているとはお世辞にも言えない。言われたこともない。通訳をしろと言うのならば、たくの都の言葉は当然話せるが、国内でも西域や南方ではかなり言葉が違う。俺はこれまでの経験から西域の言葉なら多少話せたが、それはあくまで軍と一緒に行動しながらなら苦労しない程度の会話力であって、他人を案内できるようなものではない。それにこれ以上、敗走に加えて厄介事を背負い込む気にもなれなかった。


「でも、私と一緒に旅をすると非常にお得ですよ? 食糧もありますし、そうだ! 隊商の一人だと思われれば脱走兵と思われることなく都まで行けるのではないでしょうか?」


 俺の否定的な言動は、ユングヴィにまったく届いていないようだった。良く分からない仕草をたくさん交えて、にこにこと近所の悪童に優しく教え諭すかのように語り掛けてくる。


「……戦のことを知っているなら、敗走兵は他にもいるだろう? 俺はそんなに強くないぞ。あと俺は脱走したわけじゃない敗走だ!」


 自分で言っておいて、いざ軍の上官に出会ったときに脱走兵でないと見なしてもらえる理由がないことに気が付き、少し怖くなった。今回の場合、軍の者に見つかれば処罰されるだろうか?


「そんな早口にならないで下さい。痛いところでしたか?」


 ユングヴィの腹立たしいほど穏やかな調子の言葉をよそに冷静に考える。俺はついつまらぬ意地を張っていないだろうか。ユングヴィの誘いに乗った方がこのまま一人でいるよりは生き延びる確率が高いのではないか。


「……わかった。期待に沿えるか分からないが……」


 俺は意を決した。


「お?」

「代わりにと言ってはなんだが、服を融通してくれないか」


 思えば、河畔で敗戦してからというもの、服を替える余裕すらなかった。乾燥地帯ゆえに臭うような汚れはないように感じられるが、どこもかしこも砂埃で色がくすんでいた。


「はい?」

「この格好ではたくの人間に対して目立つ。隊商の一員らしく見える服装を用意してくれないか」

「なるほど」


 ユングヴィは次の街にたどりつき次第、新しい服を給与として与えてくれることを約束してくれた。


「実はもう一人お伴がいるんです。紹介しますよ」


 ユングヴィはそういいながら、身振りでついて来るよう示した。立ちあがって気が付いたが、このユングヴィという男、背が高い。すらりとした体つきで、私よりも頭一つと少し分高い。


 誘われるがまま歩いて行くと、少し離れたところに二匹のラクダと二匹の栗毛の馬がつながれていた。川辺の草を食むラクダの隣に、ユングヴィと同じように、全身に灰色の長袍ローブをまとった人物が座りこんでいる。下に別の服を着ているのだろう、ほうから突き出た脚には白い(ズボン)を見に就けていた。座り方からして女性だろう。雰囲気からしてまだ若いようだ。少女は我々の足音に気が付いたのか、こちらに顔をむける。

 まだ十代半ばから後半といった頃の少女だろうか。灰色の頭巾から艶やかな栗色の髪が無造作に零れ落ちている。日に焼けた褐色の肌に、太いというか存在感のある眉が印象的だ。太陽を受けて植物の綿毛のように光るまつげ、その中に収まっている深い水底のような青い目には、はっとさせられる色合いがあった。本国のたく人や南方のこう人よりも目鼻立ちがはっきりしており、西方から移住してきたというかく族の民の顔だちにどことなく似ているかもしれない。


「彼女は風の民、アオルシ族の出身、こちらでは阿蘭あらんと呼ぶんだったかな。ああ、クィスと言います」


 少女は立ちあがったと思いきや、こちらをきっとにらみつける。腕を動かす度に、彼女の腕に巻き付けられた藍い小石が多数つながれた腕飾りがシャラシャラと音を立てる。


「護衛?案内? XXXXXX役に立つ?」


 鼻っ柱が強そうなしゃべり方だ。とりあえず一礼を返す。この少女の話す言葉には西域っぽい音の中に聞いたことのない単語や良く分からない発音が混ざる。西域からそれほど遠くはないが、異なる文化圏の出身なのだろうか。ユングヴィもまた俺のわからない言葉で少女に一言返し、俺には俺にわかるこの国の言葉で話した。


「彼女も私の案内役です。一人目のね。あまり言葉は通じないようですね。まあゆっくりお互いに覚えていって下さい」


 ユングヴィはさらにラクダの背に結びつけられた荷物を見せた。動物の毛皮でぐるぐると大事そうに巻かれている。クィスと呼ばれた少女は、警戒しているのか、こちらには興味がないのか、向こうへと行ってしまった。


「これは貴方の商品か?」

「ええ、ちょっと待って下さい」


 ユングヴィが毛皮をくるくると剥がすと、さらに繊維質の袋に入れられた板状の物体があった。袋から取り出すと、それは万年雪を切りだしてきたかのようなきれいな純白の板だった。ユングヴィの仕草からしてある程度重いもののようだ。良く見ると、中央がうっすらと蒼く見える。


「塩の板です。塩が取れない国では金と交換されることもあります。いい色でしょう?」


驚いた。


「塩だって? なぜ、こんなきれいな板になっている?」


 俺が見たことのある塩とは、海水から海藻を焼いて取り出すものだ。白いのは同じだが、粉状で時に湿気で固まっているくらいだ。ユングヴィは灰色の瞳を得意げに輝かせ、説明してくれた。


「はるか西の砂漠の奥地で、地面の下から層になっている塩を削り取り、持ちやすい形に加工していると聞きます。その現場は実際に見たことは……私はありません」


 どうにも想像できなかった。地面の下から塩が出てきたところなんて見たことがない。世界には俺の知らないことがたくさんあるということは分かったが。


「この塩は食用はもちろん、家畜に与えれば、家畜の健康促進に役立ちます。これを売りながら必要物資を買い、都へ向かいましょう」


 ユングヴィはそう言って、髭のない顎を撫でながらにこにこと笑う。この量の塩の板がそれほどの旅費になるのだろうか。そして、これを売ったら、何をしに都に行くのだろう。他に商品があるのだろうか。疑問は尽きなかったが、まずは歩きだすことにした。


「クィス、君は馬に乗って。佐成サセイでしたっけ? 貴方は貴方の馬に乗るなり、歩くなり、お好きに」

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