第5話 敗走(後)
化け物がしゅるると長い音を発しながら、倒れた
うまくいくかは分からないが……
今だ!
脱兎のごとく逃げ出す。幸い、追って来ない。
あんなのと戦っても無理だ。まずは
「えっ!?」
だが、本陣に行く途中で思わぬ光景に出くわした。さっき来た援軍の陣列が乱れている。よく見ると白い装束の騎兵が援軍の陣中を切り裂くように駆け抜けていた。忘れもしない
「敵襲! 敵襲!」
本陣周辺も混乱していた。前方から兵士が逃げてくる。督戦している上官が戦うよう怒鳴り、剣を振るっていたがまもなく、味方と敵の兵士が入り乱れて殺到してきた。どこかの陣が崩れたのだ。辺りが武器と武器とで響き合う打撃音で満ちる。
もうここまで敵が来ているなんて!
「て、撤退だ! 逃げろ、いや、一度後方で再編成するんだ!」
立派な鎧を身にまとった武将が馬に乗って走り去り、その部下らしき武将や兵士がそれに続いた。
「うわあああっ!」
「こっちへ来るなっ化け物ぉっ!」
向こうではあの化け物が暴れ続けていた。
行かなければ、せめて馬に騎乗して突っ込めば本陣にたどりつく可能性もあるのではないかと思っても足がすくむ。もうここは無理だと脳内で声がするのだ。自分は救ってくれた旧友の助けにすらなれなかったと、
もう……だめなんだ……
それでも生きるためには逃げなければならなかった。
こんなはずじゃなかった
例の白い装束の敵兵がもうすぐそこまで来ていた。阿薩の言葉だろうか、独特のキツネが鳴くような鯨波が轟く。やつらが一斉に突撃して来る前触れだ。馬蹄の音が響く。敵の騎兵も近くにいるのではないか?
こんなはずじゃなかった!
結局、
ああ、
俺は屑だな。何の役にも立たない。
逃げている間、ずっとこの二つの思いがぐるぐると
◇
あれからどれだけ走っただろうか。最初のうちは敵兵を警戒し、周囲の気配に中止ながら行動していたが、いつの間にか何も考えることができなくなっていた。疲れ切ってしまったのだ。乗っていた馬も疲れ、もう走ろうとせず、ふらふらと歩くのが精一杯になっていた。
「……そうだな、ずっとずっと走らせてしまったもんな」
改めて気づき、ぼそりと独り言を言う。ここで馬を失うわけにもいかない。馬から降り、その手綱を引いて歩くことにした。
「どうどう、すまなかったな、疲れただろう」
改めて辺りを見回す。何もない。笑ってしまいそうなくらいの大平原だ。こんなに広くて人気のない平原は初めて見たのではないだろうか。今までは無人の荒野で行動する際も味方や敵がいた。所々に乾燥地帯特有のくすんだ色の頼りない草が密生している以外は、ほとんど植物もない。北の方はるか彼方には茶色い大地、そしてそのさらに向こうに白い冠を有するとがった山並みが見えた。その上に広がる空には乾いた青が広がっている。
隠れるところがどこにもない……
そう思うとぶるっと震えが走る。後ろを振り返ったが、追う敵兵の姿も敗走する味方の姿も見えなかった。夜間、無我夢中で逃げているうちに街道から大きく外れてしまったのだろうか。
馬の背に乗せた荷物をがさごそと漁る。竹の水筒に入った水、配給された
「……空が青いな……」
諦めが入る。これからどうすればいいのだろう。結局、軍と離れてしまった。故郷に帰るにも道の心配、食料の心配がある。かといってぐずぐずしていれば敵兵に追いつかれ殺されてしまうかもしれない。だが、故郷に帰ったら帰ったで、逃亡兵として責任を問われるのではないだろうか。なんとか合流できる部隊を探し、必死に弁明すれば保護してもらえるのではないだろうか。いや、いっそのこと、どこかこの辺に定住して、余生を過ごすのが一番安心できるだろうか。西域の言葉はなんとか習得できそうにはなっていた。
ぶひひーんと、突然馬がいななく。
「どうした?」
跳ね返るように起きあがり、敵でも見つけたのかと辺りを見回すが、何もいない。ふと遠くに一筋の緑が見えた。ゆるゆるとうねりながらも、木々が生い茂っている。柳だろうか。
そうか、川があるのか!
馬も水が飲みたかったのか、水辺近くの柔らかい草を食みたかったのだろう。水があるのは自分にとってもありがたいことであった。早速、川へ馬を連れていってやる。木々をかき分けると確かに川が流れていた。それほど頼もしい水量ではないが、乾燥地帯の川にしてはしっかりと流れており、水色もきれいだ。馬はうれしそうにごくごくと水を飲み始めた。
ふと自分の身だしなみを確認してみる。自分の耳が赤黒くなっていてぎょっとしたが、良く見ると返り血のようだった。水面に写った顔、自分の顔は「その年齢にしては険があり、気難しそう」と評されてきた。その顔が今は砂埃で汚れ、さらに目尻や頬に明らかに疲労の影響が見て取れる。必死に逃げてきたせいか、服のあちこちが砂や泥で汚れていた。頭部の結った髪をほどいて洗いたいところだが、時間がかかるので、巾をつけ直すに留める。気候が乾燥しているせいか、不思議と汗で汚れた感じはない。
考えてもしょうがないことは考えてしょうがない。せっかく生き残ったからには、生き延びるためにできることをしよう。
不安を無理やり飲み込み、そう思い込もうとする。馬を川辺近くの木につなぎ、しばらく自由に草を食ませた。その近くに座り込み食事を取ることにする。火を焚いて敵に見つかるわけにはいかないので、携帯食の餅を一つ紐からむしり取り、口の中でゆっくりとふやかして食べた。それにしても疲れた……さっきまで動いていた脚が、座りこんだ途端、大地に吸着してしまったかのように動かせない。
懐に手を入れる。そこには、亡き父親からもらった護符が入っている。なんでも祖父が東方の異国の出身で、その時から受け継がれているものらしい。触るといつも不思議としっとりとしており、なおかつひんやりとした感触がある。
ご先祖様、どうぞお守りください。無事に故郷に帰れるその日まで。
気が付くと
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