第4話 敗走(中)

 翌日、蘇延ソエンに呼ばれてりょの本陣になっている天幕を訪れる。蘇延とその配下の者が二人ほどいた。


佐成サセイ、良く来てくれた。前線はどうだった? 知っていることを教えてほしい」


 蘇延ソエンの求めに応じて、佐成サセイは昨日の戦いについて知っていることを、自分の敗走も含めて包み隠さず話した。その途中で、佐成サセイは机上に広げてあった絵図に目を留めた。この辺りの街や山川の位置が描かれている。蘇延ソエンの幕僚が作ったものだろうか。


「どうした佐成サセイ? 地図が気になるのか」

「いや、大したことではないのです。街の名前が間違っているのと、ここの川の位置が少し……書物で読み実際に見ているので……もっとこちらにありました」


 蘇延ソエンはその大きな目を細めてからからと笑った。


「相変わらずだな。博学で記憶力がいい。俺みたいな凡愚には真似できん」

仲徳チュウトク殿が雄飛されていた頃、しがない私は書を読むしかやることがなかっただけです」

「そうか、そうだとしてもお前は軍や県令けんれいの幕僚になったら活躍すると思う。俺の幕下に欲しいな」

「自分でお力になれるのでしたら、いくらでも」

「頼もしい!」


 蘇延ソエンの後方で蘇延の配下らしき者が醒めた目でこちらを見ている。彼らからすれば、蘇延ソエンが汚い敗走兵相手にふざけているようにしか見えないのだろう。


「あ、仲徳チュウトク殿」


 佐成サセイ蘇延ソエンの天幕を去ろうとした時、ふと思い出して例のうろこ蘇延ソエンに見せてみた。事情も説明する。


「場違いは承知の上でお尋ねしますが、これが何だかご存じですか?」

「いや、俺は分からん……相変わらずお前は生き物が好きなのか」


 結局、帰って来たのは蘇延ソエンの苦笑だけだった。佐成サセイにとっては予想したことであった。


「竜の龍のうろこかもしれんぞ。ガキの頃、伯父上から聞いたことがある。竜の巣にはうろこが散らばっているのだそうだ」

「それでは私がいたあたりの陣地は竜の巣だったと? それなら早くここから離れた方が?」

「おいおい、竜なんて誰も見たことがない。その話が本当だったとしても、気にするなら目の前の戦の方が先だ」


 佐成サセイ蘇延ソエンの天幕を後にした。幕僚云々は置いておくとしても、久しぶりの旧友との会話は佐成サセイを安心させた。敗走中はずっと落ち着く場所を知らずあっちへこっちへと浮ついていた心がやっとこさ落ち着いて座れる場所を見つけた。そんな気分になれた。



   ◇



 だが、その安堵は本当に一時的なものでしかなかった。かく族が後方で反乱を起こしたとの知らせが舞いこんで来た。これが本当ならば遠征軍と中央との連絡が脅かされたことになる。おそらく、そのかく族を討伐するためだと推測するが、佐成サセイがいた蘇延ソエンりょは陣を払うことになり、動き出したところに敵の強襲を受けた。

 佐成サセイ蘇延ソエンから地位を与える約束はされたものの、まだ中身が伴う前だった。今回は、周囲よりもわずかに高い地形にある本陣警護の一兵卒として、前方で繰り広げられる戦いの推移を見守っていた。


 の軍は強い


 前線で下働きしかしていない自分でもそれが分かる。阿薩あさつの白い軍装の軍団が迫ってきても何度も押し返している。また、剽悍ひょうかんな敵の騎兵が攻撃してきても陣地に拠っている限りは負けていない。よく見ていると弩兵が敵を十分にひきつけてから射撃をしている。慌てて射撃をするような練度の低い者がいないのだろう。突如、味方から歓声が上がった。本陣右翼側より援軍が姿を現したのだ。歓呼の声と銅鑼どらの音が戦場に響く。これを機に攻勢に転じるのだろう。


 ふと近くから悲鳴があがった。まさか敵の奇襲かと冷や汗が走る。視線をまわす。


 どこだ。なにがあった!?


 バタバタと天幕がはためき、何かが崩れる音がした。兵士の叫びが重なり、何か金属質の音が響く。あの音は何度も聞いた。剣や兜が放り出される音だ。


「どうした!」

「何事だ!」


 天幕から武将や兵が異変を聞きつけて姿を現す。


!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 形容しがたい雄叫びが響いた。まるで大きな赤子が泣いているような雄叫びが。


「うわあああっ! ば、化け物っ!」


 慌てて兵士が逃げていく。佐成サセイもその「赤子」を見た。いや、それは「赤子」ではなかった。

 その雄叫びはもっと毒々しかった。そして、振り返って見たそいつの姿は異様だった。大きさは人の丈を優に超えて、ちょっとした小屋ほどはあるのではないだろうか。古ぼけた藍染のような色合の体に、長い首を持て余すかのように動かしている。体のおよそ半分が首だ。その先に蛇のような頭部がついており、鼻のあたりには短い剛毛か棘のようなものが密生している。体は細く、首に比べると脚など貧弱にも見えるが蝙蝠のような翼を持ち、足先には鋭い爪が生えている。佐成サセイは生き物が好きで、よく生き物に関する書を読み漁ったが、こんなやつは見たことも聞いたこともない。

 

 一瞬、ほんの一瞬だが心から見惚れた。初めて見る異形の姿に。


 竜か、まさかこいつが竜なのか


 古い書によれば、竜は時に神意を現すという。だが、こいつにそんな神々しさはない。こいつは禍々しいほどに黄色い蛇のような目をぬらりと輝かせながら、地面に顔をこすりつけてかぷかぷと笑っていた。まるで笑っているかのように口を動かしていた。


「誰か! 誰か弓はないか!」

「おい! 竜だぞ!」


 げきを持った兵士が叫ぶ。武器を構え、視線はこの竜と呼ばれた化け物に向けられたままだ。佐成サセイも槍を構え直すが、こいつが我々の武器で傷つけられるとは思えない。


 ふと、化け物が頭をこすりつけていたあたりを見ると、昨日のあのうろこが集められていた。誰かが集めたのだろうか。それともこの化け物が集めたのだろうか。化け物を取り巻く兵士が増えたが誰も動こうとはせずただ武器を構えて化け物をにらみつけている。化け物の方もうろこに執心している様子でこちらを相手にしようとはしていない。うろこを食べようとしているわけではない、まるで匂いを嗅ぐかのように頭部をこすり続けている。


 ひょっとしてこいつはあの鱗に魅かれているのではないだろうか。それが匂いなのか、色なのか、光沢なのかは分からないが。


 遠くで歓声が湧き、はっと我に返った。そうだ今は戦いの最中なのだ。


「みんな聞け、こいつはうろこに執着しているだけだ」


 差し出がましくもそう周囲の兵に言い聞かせようとした。蘇延ソエンにお前は参軍だと言われて舞い上がっていたのだろうか。


「ここは遠巻きに囲い、放っておくのが……」


 矢が二本飛んだ。一本は外れたが、もう一本が化け物の軟質の首筋に刺さる。


「!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 化け物が絶叫した。長く、ぬらぬらした尾が鞭のようにしなり、矢を射かけた兵士たちを弾き飛ばした。


「ぎゃああああっ!」

「うわああああっ!」


 兵士たちが混乱する。さらに化け物が口から何かを霧のように噴射した。一人の兵士の顔に当たり、兵士は倒れて悶絶する。


「な、なんだこれ……あああああっ! 痛いっ! 助けてくれえええ!」

「おい! こいつ毒を吐くみたいだぞ!」


 兵士たちが動揺する。その時だった。


「おいっ! こっちにもいるぞ!」


 羽ばたく音と共にもう一匹の化け物が空から舞い降り、兵士の腕に噛みつく。さらに尾によってまた一人したたかに顔面を打ち砕かれて倒れ込んだ。もう戦どころではない。

 

「助けてくれぇっ!」

「おい! 逃げるな!」


 こいつには勝てない。遠くから矢で射かけて針鼠にするか、空へ帰ってくれるのを待つ他ない。佐成サセイも後退しようとした。


 目が合った。合ってしまった。最初の一匹と。


 化け物が口を開け、しゅるしゅるとした音を立てる。


 おい、頼む、このまま目をそらしてくれ


 だが、佐成サセイの願いは聞き届けられない。化け物をじっとこちらを見て、まるで威嚇するかのように音を出し続けている。


 佐成サセイがゆっくり後退しようと脚を動かしたその刹那、化け物の尾が鞭のように飛んできた。


「あうっ!?」


 咄嗟に繰り出した槍が弾き飛ばされる。佐成サセイは体の均衡を崩して、尻餅をつくように無様に倒れ込んだ。

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