第2話 旅人

 どこまでも乾いた空が続く。時折砂煙が舞う地平線をのぞいて、どこにも淀んだ空がない。天を仰げば蒼穹と呼ぶにふさわしい色が望める。それははるか西方のエルフの郷よりずっと旅をしてきた彼 ― ユングヴィにとって故郷では決して見れない空だった。


 この空は何度目かな


 ユングヴィはこの辺りの人々と容姿が異なる。白い肌と朝焼けの太陽光のような金髪を持つ、ここより西方のさらに北の民だ。その故郷の空の色はもっと湿った深い蒼。この空を見る度に、ユングヴィは異国に来たというより、世界の果てに来たような感じがした。

 空から視線を落とせば、そこには赤みがかった褐色の大地が広がり、申し訳程度にくすんだ緑が大地を装飾している。ところどころ白く見えるのは、塩が吹きだしているのだろうか、それとも転石の色だろうか。この先しばらくは、どこまで行っても変わらない大地と空の色。最初は感動するが、すぐにこの馬の一定のペースと相まって眠気を誘う退屈さを帯びるだろう。そう、この先十日前後はずっとこんな景色だ。だがそれも、自分にはあっという間の時間、旅の合間のふと見た景色のように思えることだろう。


「ねー、この道どこまで続いているの? ずっと同じ景色だけど、本当にターグに着くの? あとどれくらい? ねーってばーっ!」


 旅の途中から同行させている少女が後方の馬上から呼びかけてくる。ユングヴィと少女の間には荷を積んだ二頭のラクダが続いている。


「ちゃんと着くさ」


 曖昧に返事をして、後ろに視線を投げる。少女はその褐色の肌と栗色の髪を太陽から隠すかのように、灰色の長衣ローブをすっぽりとかぶり、気だるげにこちらを見つめていた。その青い瞳は、いつもは爛々と輝いているのに、今は暑さのせいだろうか、先行きへの不安だろうか、少し淀んだ光を反射していた。


「ずいぶんうまくなったじゃないか」

「……何のこと?」


 少女は最初まともに馬に乗ることもできなかった。やっと乗れたと思えば、今度はお尻の皮が剥けたと言い出したものだった。今でも疾駆すると危なっかしいが、ある程度手綱で馬を支配できるようにもなった。

 ふと一陣の風が吹き抜ける。乾燥した風だ。素直で、肌にからみつかない。少女が被っていた頭巾が風になびき、少女の栗色の髪が風に撫で上げられる。その上空を数匹の小鳥が飛んでいく。川沿いの虫を食べる小鳥だ。ユングヴィはこの先に大きな川があるのだろうか、とぼんやりと思った。


「この辺りの風が穏やかでいいわね~」


 少女がのびやかに言う。乗っている馬の歩く速度を落とし、少女の横に並ぶ。遠くからは淀んで見えた少女の青い瞳も、近くで見ると洞窟の底の湖のように青く澄んでいた。若さゆえだろうか。


「この先、天気はどうかな?」

「そうね……風はしばらく穏やかそうよ」


 この子は風が分かるのだ。この乾燥地帯を旅するにはありがたい能力と言える。


「この先はしばらく荒地だ。何か見たいものはあるかい?」


 少女に問う。


「砂漠の向こうには、竜がいるって聞いたことあるけど、ほんとかしらね?」

「竜か……」


 噂は聞いたことがある。ある人は王の政治が乱れると現れると言い、ある人は王の政治が徳であふれると現れると言っていた。また、ある人は砂漠の上空を季節がくると群れで飛ぶと言い、また別のある人は五十年ほど前に漁師のあみにかかった、古老はそのことを覚えていると言った。


「遠くから見るくらいなら、僕も見てみたいかな」


 ふと、何かの種子が風に煽られて舞い上がっていくのが見えた。風はいろんなものを運ぶ。時に命を、時に遠くの情報を。ユングヴィは自身の嗅覚の鋭さに自信があった。その鼻が風の中の微妙な鉄の臭いを嗅ぎ取っていた。


 戦か


 もう一度視線を後方へ走らせ、少女に休憩を取る合図を送った。褐色の大地にドンと大きな岩山がうねうねと露出しており、その一部に緑が生い茂っていた。適当な場所を探し、馬とラクダを少し離して木につなぐ。馬は匂いに敏感でラクダを嫌がることも少なくない。本当は乾燥地帯や気温への耐久性からラクダのみで編成したかったのだが、少女がどうしてもラクダに乗れなかったため、なんとかラクダ慣れしている馬を探してきたのだ。それでも万が一に備えて近づけ過ぎない方が良い。


 少女と二人、地面に腰を下ろす。周囲には小さい棘が密生した草本に黄色い花が咲いていた。もう見慣れた乾燥地帯に咲く花の一種だ。その棘のせいで、ラクダくらいしかこいつを食べない。ユングヴィと少女は棘に刺されないように、馬とラクダから荷物を降ろす。足場が悪く、荷降ろしには意外に時間がかかった。


「そろそろ人を雇おうか? 二人ではこの荷物は多いかもしれない」

「え、赤の他人を仲間に入れるの?」


 少女は不満そうに言う。警戒しているようだ。


「君だって、元は僕にとって赤の他人だろう?」

「そりゃあ、そうだけど……信用できるかどうか、判断できるの?」


 少女の問いにおもわず笑う。


「そうだね、それが問題だ。それが間違いなくできるのなら、僕はもっとお金持ちになっていたかもしれない」


 ユングヴィの人生の半分以上は、旅に費やされてきた。今も以前に住んでいた街を出て一年以上が経つ。これまでの旅の経験から、個人か少数での旅を好んでいた。それは人数が増えれば信用できないものも紛れ込む確率が高くなり、信用できる者を集めた場合でもお互いの関係にいざこざが起こるからだ。


 自分の部族の外の世界を見たいと希望したこの少女を連れ出したのは、半ば気まぐれだった。少女の人柄自体は信用している。だが、旅慣れていないこの子の安全を考えれば、ユングヴィは自分一人の目では不安に思うこともあった。仲間であれ、荷物であれ、守るべきものが増えれば増えるほど、自分一人ではできないことが増える。かといって安易に仲間を増やせば、さきほどの問題点が不安の海から浮上してくる。


 二律背反だな、さて、どうしたものか


 だがこのまま旅を続けるならこの辺りの事情に詳しい人間が必要だろうな、本当に人手がいる区間だけ雇おうか、そもそもどこで雇うのが一番良いだろうか、などとユングヴィがぼんやりと考えてると、ふと、その視界の隅で何かが動いた。


「おい! そこのお前たち、動くな!」


 しわがれた声と共に岩山にこびりつくように茂っていたやぶの影から武装した男が飛び出してくる。人数は四人。胸当てと脚部に黒く輝く防具をつけ、槍や剣を手にしている。一人が粗末な兜をかぶっているほかは、日除けに白い布を頭に巻いているだけだった。服装や兜の形状からして東方の様式だろう。顔だちも丸顔で目が細く、このあたりの部族の人間とは違うようだ。


 遠征軍の兵卒崩れか……


 服装は哀れに思えるほど汚れていた。「盗賊」で食っていけているわけではなさそうだ。本当に兵卒崩れだとしたら、辛くなって後先考えずに脱走したか、逃げるに逃げれず仕事もなく盗賊になった類だろう。


「貴様! 死にたくなければ馬と荷物を寄越せ! おとなしく差し出せば命は助けてやる」

「いや、その女も渡せ! 死にたくなければなぁ」


 先ほど戦の臭いがしたことから考えて、遠くから遠征してきた兵卒だろう。それが盗賊紛い、いや盗賊を働こうとしているのだから敗残兵の類ではなかろうか。


「あーあー、こんな待ち伏せに気づかないなんて、ぼんやりするもんじゃないなぁ」

「おいてめぇ、ふざけてるのか! 助けて欲しければ黙っておとなしく従え!」


 ユングヴィのつぶやきに盗賊が噛みつく。盗賊に向けられたユングヴィの目玉がぎらりと光った。


「どこの国でも盗人の科白せりふって同じだな。なんで君たちに助けてもらわないといけないんだい?」


 強盗たちの表情が一瞬の戸惑いの後で危険なものへと変貌した。簡単に積み荷を渡すと思っていたのだろう。四人が武器を構え、ユングヴィらと仲間に交互に視線を走らせる。ユングヴィは盗賊たちの様子から弓矢は持っていないと見て取った。そして、少女をかばって前に進み出る。少女は緊張からか、歯を食いしばって盗賊をにらみつけていた。


「てめぇ、逆らうと命がねーぞ!」


 吠える盗賊を無視して、少女に大丈夫か?と小声で聞く。少女がうなずいたのを視界の端で確かめる。


「僕の命だ。僕の好きにするさ」


 ユングヴィは言い終わったか終わらないかのうちに、素早く腰に帯びた剣を抜き、一番近くにいた男へと踏み込み、斬りあげる。


「あっ!?」


 男の大腿部だいたいぶがぱっと赤く染まる。さらにユングヴィは鞘を別の男に投げつけて動きを牽制する。別の男が横から斬りかかろうとした。


「君らにはあげないよ、もったいない」


最初に斬った男の体を盾にして、横から来た男の腕を斬りはらう。


「はぁっ!? な!?」


 男が疑問形で悲鳴をあげた。自分が斬られたことを信じられないのだろうか。


雑魚ざこだな」


 ユングヴィがつぶやく。この速度に誰もついてこられるはずがなかった。鮮血が散った。何度も散った。命が散った。

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