第7話 フォンダンショコラは発熱で溶ける
好きだと言ってくれるサモちゃんの気持ちにしっかり向き合おうと思っていた矢先、仕事帰りに大雪に降られて体を冷やしてしまい、体調を崩してしまった。
初めはただの風邪だと思い「ちょっと早めに寝るね」と横になったが一向に治らない。おまけに熱も出てきてしまった。
暖房を入れて、布団を首から下まですっぽり被っているのに寒気が止まらない。
私の様子を見にマスクをつけて部屋に来たサモちゃんは、布団の中でガタガタと震えている私を見て目を丸くした。
「おねーさん……それ大丈夫な風邪じゃないよ。とりあえず熱測ってみて。あとは何かしてほしいことある?」
「んー……足暑いから濡れタオルが欲しいな」
濡れタオルを持ってきてもらって足を拭こうと布団を捲った。布団を捲った風が肌に当たっただけでまた寒気がした。
「おねーさん、かなり熱が高いしインフルエンザじゃないかな」
サモちゃんは私が差し出した体温計を見て眉をひそめた。
目は口程に物を言うとはよく言ったものだ。マスクをつけていても、普段のサモちゃんよりも心細い表情が伝わってくる。
「インフルエンザかぁ……。会社から補助費用が出たし、予防接種はしたんだけどなぁ」
「それでもかかる人はかかるみたいだよ。……病院行けそう? タクシー呼ぼうか」
「いや、タクシーの運転手さんとか次に乗るお客さんに移したくない。病院、駅の近くだしコート着こんだら歩けそうだし頑張るよ。サモちゃんも映らないように早めに部屋から出た方が良いよ」
無理矢理起き上がって部屋着の上からコートを羽織った。若干パジャマみたいに見えないこともないが、着替えも億劫なので仕方ない。
フラフラしながら部屋を出ようとした私をサモちゃんが引き止めた。
「おねーさん本当に大丈夫? 熱で判断力鈍ってない? タクシーが駄目なら僕免許持ってるしレンタカー借りるよ」
「大丈夫。今のところ意識はハッキリしてるし、多少ふらつくけどなんとか歩けるよ。今すぐ行かないともっと酷いことになると思う。それにサモちゃんまで病院に付き添って共倒れになっちゃう方が怖いよ」
「僕手洗いうがいはしっかりしてるし移らないように徹底するよ」
サモちゃんは珍しく折れない。きっと私が途中で倒れたりしないか心配なんだろう。
サモちゃんはどこまでも私に優しい。だからこそ、彼には元気でいてほしい。
「大丈夫。何かあったら電話するし、サモちゃんは家にいて? ね?」
「……分かった。おねーさんがそこまで言うなら留守番しておくね。でも心配だから玄関まで付き添わせて」
サモちゃんは渋々納得してくれたが、ここまでサモちゃんが険しい表情をしているのは初めて見た。一時期気まずさから私が生活リズムをずらしていた時で怒ったりしなかったのに。熱っぽい頭ではそんなことしか浮かんでこなかった。
駅の近くにある内科に、いつもより時間をかけて歩いて向かった。家にいる時から頭痛が続いていたが、歩くたびに酷くなっている気がする。頭も痛いと言ったら多分サモちゃんはさらに心配していただろうし、ある意味申告しなくて正解な気がした。
ズキズキする痛みを抱えながらもなんとか病院に着いた。平日だったからあまり待つこともなく診察室に入れたのが救いだ。
白衣を着た恰幅の良い男性医師が恵比寿様のように神々しく見える。
問診をした後、インフルエンザの検査をした。検査キットを鼻に突っ込まれて小さなくしゃみが出た。
検査結果はサモちゃんの見立て通りインフルエンザだった。
「予防接種をしていてもインフルエンザになることはありますよ。むしろ予防接種していたからこそこの程度で済んでます」
穏やかだがハッキリとした口調で言われて違う意味で寒気がした。これから毎年予防接種をしよう。
「おそらく普段の体温が低いとおっしゃっていたので、よけい辛くなっているのでしょう。一時間ほど点滴しておきましょうか」そう促されてベッドに案内された。
私の横でてきぱきと点滴の支度をする看護師がとても頼もしかった。今なら白衣の天使という言葉の発案者と固い握手が交わせる。
点滴の準備が整うと「終わったら声をかけますね」と言われ、カーテンが閉められた。
サモちゃんには少し前にLINEで『インフルエンザでした。点滴を打ってから帰ります。心配かけてごめんね』と送っておいたから後は帰るまでは何もすることがない。
ポタポタと落ちる点滴を眺めながら、サモちゃんは私を待っている間何をしているのか考えていた。
気付けば眠っていたようで、カーテンが開く音と「終わりましたよ」と呼びかける優しい声で目が覚めた。
少ししか眠ってなかったが、点滴をしたおかげで体の倦怠感が少しおさまった。
帰り支度をしながらベッドを見ると、私が横になっていた形に添って汗ジミが出来ていたのでついつい二度見してしまった。思い返せば、家で休んでいた時は全然汗をかいてなかった。
点滴の成分を聞きたくなったが、怖くなったのでやめた。
薬をもらって帰路についたが行きよりも歩く辛さは少ない。それに薬が手元にあるという安心感も加わって、気持ちの面でもかなり落ち着いている。
帰ったらすぐにサモちゃんに出迎えられた。
私がふらつきもせず手洗いうがいを終えたのを見ただけでサモちゃんは泣きそうになっていた。
少し前に犬が出てくる映画をリビングで観た時も、サモちゃんが似たような顔で泣くのを堪えていたのを思い出した。
「おねーさんが帰ってこなかったら、もし最悪のことがあったらってずっと不安だった」
「ごめんね、ちゃんと帰ってきたから安心して? ほら、薬もちゃんともらってきたし。全部飲み終わったらいつもみたいに元気になるよ」と袋の中から薬を取り出した。サモちゃんはそれを見て、やっと安堵の表情を浮かべた。
「熱で食欲ないかと思ってゼリーとプリンとアイス買ってきてるよ。食べきれなかったら残して良いから。少しでもお腹に入れてお薬飲もう。あと、おねーさんが気にしないなら僕の部屋から和室に布団持ってくるからそっちでお休みして。そっちの方がキッチンとか近いし」
「その間サモちゃんはどこで寝るの?」
「前おねーさんがしてたみたいにソファーで寝るよ」
「じゃあお言葉に甘えます」
サモちゃんは部屋から布団を持って来てくれた。元々私が引っ越しの時に持ってきたものだったが、ここでも役に立ってくれたから捨てないで良かったと改めて思った。横になると、布団からなんとなくサモちゃんの匂いがした。
「布団ありがとう。サモちゃん、みかんゼリーもらって良いかな。これ食べたら薬飲んで少し寝とく」
「分かった。じゃあリビングでなるべく静かにしておくね。それから、氷まくらと加湿器も用意したから使って」
みかんゼリーはよく冷えていて、食欲があまりわかない体でもなんとか完食出来た。熱でぼんやりしていたが、優しい甘さがよく分かった。
氷まくらは水もしっかり入っていた。私が横になって頭を軽く動かすとタプタプと揺れるので、なんだかぷよぷよした生き物を枕にしているみたいで少しだけ楽しくなった。
「サモちゃんがいてくれて良かったよ。多分一人でいたら寝て治そうとしてもっと悪化してただろうし」
薬を飲んだ後そう言うと「ちょっと過保護すぎたかなって思ってたから安心した」とサモちゃんは笑った。
サモちゃんがつけてくれた加湿器が音を立てて部屋を乾燥から守ってくれる間に、薬が効いて少し熱が上がったようだ。気付かないうちにまた眠ってしまっていた。
やたらリアルな質感の夢を見た。サモちゃんが家を出て行ってしまう夢だった。
私はサモちゃんを止めようとするものの声が出なかった。そもそも止めるってなんで? 私の何かが気に入らなくなったから出ていくんだから止める資格なんてないのにという諦めの気持ちもあったように思う。出ていくサモちゃんは私から背をむけていたから表情は分からなかった。
靴を履いてエマノンに仕事に行くいつものサモちゃんみたいにドアを開けた瞬間に、声をかけようとして目が覚めた。
寝間着の襟まで汗だくで最悪の目覚めだった。
のろのろと起き上がると、身体のだるさは落ち着いていた。夢で見た間取りが今住んでる家そのものだったから、しばらく夢と現実の区別がつかず、居心地が悪かった。
ぼんやりしながら窓を開けて外を見ると、いつもと変わらない景色がそこにあった。汗をかいた身体に風が当たって心地良くて、少しずつ夢から現実に戻ってくることが出来た。
「おねーさん、まだ換気しなくて大丈夫だよ」
どれくらい窓を開けていたのだろう。
気付いたらサモちゃんが一人用の土鍋に玉子がゆを入れて持ってきてくれていた。
「なんだかうなされてたみたいだけど怖い夢でもみた?」
お粥を食べやすいように折り畳み式ローテーブルを組み立てながらサモちゃんが聞いてきた。なんでも、何を言ってるかは分からなかったが私の声が廊下まで聞こえてきたらしい。
「やたらリアルな白昼夢をみてた。サモちゃんが出てく夢」
私がぽつりと呟くと、サモちゃんはテーブルを組み立てる手を止めて私をじっと見つめた。
「それは、僕がおねーさんから離れてしまうってこと?」
それを聞いて私の心ははっきりした。
サモちゃんと居るのは嫌ではなく、むしろずっと一緒に居たいんだ。
この気持ちだってサモちゃんへの好きという気持ちなのは間違いない。こんな白昼夢で気付かされたが、私の心はずっと決まっていたのだろう。
私が頷いて次の言葉を口に出そうとしたときにサモちゃんはそれを制した。
「今のおねーさんは弱ってるから判断力も低下してると思うんだ。だから、今おねーさんが思ってる気持ちが、元気になった時も変わらなかったら言おうとした言葉を教えて?」
サモちゃんは優しい眼で私を見ながらそういった。
「この状況だとおねーさんの弱みにつけこんでるみたいで嫌だから。さっ、お粥冷めちゃうし美味しいうちに食べてもう一回眠ってしまおう。おねーさんが眠るまで側に居るから」
サモちゃんが作ってくれた玉子がゆは出汁がきいていて、体が弱っている私でも美味しさが分かるものだった。おかげで、あっという間に食べきっていた。
すっかり空になった土鍋を見て、サモちゃんは嬉しそうに笑った。
「食欲があるのは良いことだよ。固形のものも食べられそうなら後でリンゴも剥くから」
「なんだか至れり尽くせりだね」
「そりゃあね。普通の風邪でも辛いのにインフルエンザだったらもっと大変だよ。おねーさんが苦しいのに僕だけ何も出来ないのは嫌だなって思ってたから」
サモちゃんは温くなった氷まくらを回収しながら笑っていた。
しっかり治ったら、タイミングを見て好きだと伝えるから。もう少しだけ待っててください。
私のことを好きだと言ってくれた優しい背中を見つめながら、もう一度瞼を閉じた。
部屋にいるサモちゃんの息遣いを子守唄にしていたからか、今度は、悪夢は見なかった。どんな夢を見たかは覚えてはいないが、穏やかで優しい夢の中にいたように思う。
病院でもらった薬とサモちゃんの手厚い看病のおかげで、割と早い段階で熱は引いた。
サモちゃんは私の看病と他の人に移さないために念の為エマノンでの勤務を休んでくれた。
今度謝罪も兼ねてエマノンに行こう。そう思っていた矢先に『具合はどう? 元気になったらまた食べにおいで。病み上がりの体にも優しい料理、新しく追加したから』とLINEが来た。
私の周りは優しい人に溢れている。そのことを噛みしめながら『薬も効いてきたしだいぶ落ち着いてきたよ。あと、私の気持ちを自覚する良いキッカケになったよ。元気になったら詳しく話すね。LINEありがとう』と返事をした。
細胞は日々生まれ変わると聞いたことはあるが、人の感情もきっと同じだ。
サモちゃんへの気持ちも知らないうちにずっと一緒に居たいと思うほどに変化していた。
この気持ちを例えるなら、真夏の太陽のようにジリジリとした熱ではない。生まれて間もない子犬をそっと抱きしめた時のような温もりに近い。
サモちゃんと過ごした日々を思い出しながら、サモちゃんが様子を見に来るまで、もう一度眠ることにした。
数日後インフルエンザも完治して、いつもの日常が戻ってきたが、一つだけ変化があった。
サモちゃんに髪を撫でられたり抱きしめられたりする度に、くすぐったくなるような気持ちと共に「もっとこのままでいたい」と名残惜しく思うことが増えたことだ。
恋心の自覚というものは厄介でもあるのだな。そのうちもっと触れたい触れられたいという欲も出てくるのだろうか。サモちゃんに抱きしめられながら、そんなことを他人事のように思った。
「お菓子作りって得意?」
職場でサモちゃんの作ってくれたお弁当を食べている最中、同僚に質問された。
何事かと思ったが、あと一週間でバレンタインだったことを思い出した。バレンタインなんて、これまでの私に縁遠いイベントすぎて存在がないものになっていた。
「いやぁ、私は全然だよ。彼氏さんに何か作るの?」
「うん、付き合って初めてのバレンタインデーだし頑張りたいなって」
「へぇ、良いね」
恋をする女の子は綺麗になる。なんて聞いたことはあるが、今の同僚はキラキラしているからきっと事実なのだろう。それが私にも当てはまるかと言えば少々怪しくなるが。
「私じゃなくて同居人が最近お菓子作りを始めたよ」
「何か注意点とか言ってた?」
「同居人は絶対レシピ通りに作れって。あとオーブンは途中で開けるなって言ってたよ」
そう言いながら、私はサモちゃんを思い出した。
エマノンで出すスイーツの試作をしていた彼は「オーブン途中で開けたらこんなことになっちゃった……。お菓子って今まで作ったことなかったから色々勉強しないとなあ」とペチャンコになったシュー生地を横目に苦笑いをしていた。
私は「そうなんだ。でもそれって昨日のサモちゃんより一つ成長したってことだと思うよ。このシュークリーム、見た目は確かに不揃いだけど味は美味しいし」と言いながら「失敗作でも良いなら」と前置きされたシュークリームを食べていた。
「同居人さんの言ってたこと、参考にやってみる」
「うん。あとは個人的な意見になるけど気持ちがこもってたら良いんじゃないかな。……なんか一般論みたいになっちゃうけど」
「ううん、良いの。ありがとうね」
バレンタインデー当日はサモちゃんに何か渡しても良いかもしれない。私もサモちゃんのことを好きな訳だし。
買うならデパートのバレンタインフェアに行こう。確か有名なブランドのチョコレートを使ったソフトクリームや焼き菓子を扱ったイートインコーナーもあるようだし。半休を使って買いに行けばサモちゃんにもバレずに済む。
バレンタイン当日の勤務が五時までだから、半休を使えば昼には仕事が終わる。五時間あればいくら優柔不断だったとしても良いものは買えるだろう。
予定は決まったから行動は早い方が良い。休憩後、上司にすぐ「私用のため」と半休を出した。
バレンタインデー当日、仕事を終えてデパートに向かった。
今までは「縁がない」と足を踏み入れることすらしなかったが、バレンタインフェアは驚くほど混んでいた。きっと宣伝もしていたし遠方から来ている人もいるだろう。
私はイートインコーナーに長蛇の列が出来ているのを見てため息をついた。
美味しそうなアイスは来年のバレンタインフェアに行くことにしよう。それよりも、今はサモちゃんにあげるためのチョコ選びだ。
私は覚悟を決めて売り場に足を踏み入れた。
デパート全体に暖房が入っているのに加えて人だかりが出来ている分、売り場が暖かいを通り越して熱い。しばらく歩き回っているうちにマフラーも手袋も外してしまった。
甘い匂いで満たされた売り場には世界各地のチョコレートブランドが集結している。
マダガスカルや南米、それからベトナムが産地のチョコレート売っている。ふむふむとフロアを見ているだけでも世界一周している気分になった。
ただ、あまりにも出店している店が多すぎる。これだけあると何を買えば良いか迷ってしまう。
ホットチョコレートの粉末やチョコレートスプレッドなら気負わず渡せそうだが特別感があるかと言うと微妙な気がする。かといって三個くらいしかチョコレートが入っていない小箱だと、いかにも「本命です」感が強くて重たい気がする。
きっとある程度量が多い方が気兼ねなく受け渡し出来るだろう。
そんなことを思いながら売り場の中で回遊魚みたいにウロウロしながら迷った挙句、ベルギー王室御用達のブランドの十二個入りのチョコレートを買った。十二個もあれば一つくらいはサモちゃんの好きな味も入っているだろう。
私はチョコレートの箱を見てうんうんと頷いた。これを渡した時にサモちゃんが喜んでくれたら嬉しい。そう思いつつ自分用にもいくつかチョコレートを買って売り場を後にした。
催事コーナーが暑かったから、少し涼むつもりで、屋上庭園に来た。普段は敬遠している寒さも火照った体には心地良かった。
二月の寒空の下で屋上に出てくるような人は私しかいないから貸し切り状態だ。私は遠足に来た子供のような気分で、サモちゃんがお弁当として作ってくれたタマゴサンドを頬張った。あげた時にサモちゃんはどんなことを言ってくれるだろう。想像しただけでもワクワクしてきたからバレンタインデーも良いものだと思えた。
帰りの電車内で延々チョコレートをあげるシミュレーションをしてみたが、あまりピンとくる渡し方が思いつかなかった。変に緊張してしまうよりも、普段通り気負わずに頑張ってみた方が良い気がする。
私は、サモちゃんと暮らした時間に対する『答え』が入っている紙袋の持ち手を強く握り直した。
家に帰ってもサモちゃんには半休を使ったことはバレていない。チョコレートも鞄の中にしまっておいた。いつも通りだとホッとした反面、少しくらいソワソワするサモちゃんが見られるかもしれないと思っていた私は若干ガッカリしていたのも事実だった。
「おねーさん、今日もエマノンで出すデザートの試作作ってみたから、お腹に余裕があれば食べてほしいな」
そう言われたのは夕食のクリームシチューをおかわりしようとしていた時だった。
「おかわりするのやめるから余裕はいくらでもあるよ! 今日は何作ったの?」
「じゃあ、あと一分くらい待ってね」
サモちゃんは冷蔵庫から取り出した何かを電子レンジで少し温めた。ダイニングに甘い香りが漂い始めた。
「はい、フォンダンショコラです」
手のひらサイズのフォンダンショコラが私の目の前に置かれた。粉砂糖も上にまぶしてあり、買ってきたと言われたら信じてしまう。
「サモちゃん、最近ますますクオリティ上がってない? これなら即エマノンで出せると思うよ!」
今までサモちゃんの作ってきたものを食べてきたから分かる。これはサモちゃんの作ったものの中でもかなりの自信作だ。
私が何度も褒めていると、サモちゃんはホッとした顔を見せた。
「良かった。元々エマノンで出してみたいと思ってたものでもあるけど……これは、本命チョコとして作ったんだ。ほら、今日バレンタインデーでしょ? 気持ちも込めたつもりだから。食べてくれると嬉しいな……」
サモちゃんは言い終わった後、少し顔が赤かった。
世のカップルには、ここまで自分に向けられる好意が込められたものを渡してもらえる人はどの位いるんだろう。多分私が今年のバレンタインデーで一番幸せ者な気がする。
「元々何が出てきても食べるつもりだったけど、そこまで言われたら絶対残したりしないよ」
フォンダンショコラにフォークを入れると、チョコレートがとろりと溶け出した。
口いっぱいに広がるカカオの風味。苦さと甘さの丁度良いバランス。底にクッキー生地が敷いてありサクサク感が良いアクセントになっている。
サモちゃんの気持ちごと、私は完食した。
「すごく美味しかった。ごちそうさまでした」
「ありがとう。おねーさんに美味しいって言ってもらえて嬉しい」
サモちゃんは穏やかな笑みで私を見つめている。私もチョコレートを彼に渡すなら今が良いと思った。
「サモちゃん、ちょっとそこにいて」
鞄に隠していたチョコレートの箱を持ってきて後ろ手に隠した。
「サモちゃんみたいに手作りは無理だったから。でもプロが作ったものだし味は間違いないよ」
サモちゃんは一瞬目を丸くした後、顔をほころばせた。
「良いの? こんなにもらって」
「うん、バレンタインデーだし良いもの渡したかったの」
サモちゃんは私から受け取った箱を、宝物みたいにぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう。少しずつ大事に食べるね。……一個だけ聞くけど、僕が作ったフォンダンショコラと同じ意味でくれたんだよね?」
「あー……うん。そうです」
「ちゃんと口に出して言ってよ。僕がいつも言ってるみたいに」
「今までおひとりさまだった恋愛初心者にはハードル高くない?」
「ハードルなんてないしそのうち恋愛初心者じゃなくなるから」
私は覚悟を決めて、自分の気持ちを口にした。
「サモちゃんと暮らして色んなことを共有出来るのって良いなって思ったんだ。その中で、サモちゃんとこのまま一緒にいたいと思った時に私の気持ちがきちんと恋だってことを自覚したの。これからはお試しじゃない恋人として一緒に暮らしてください」
サモちゃんに促されて口に出した私の人生初めての告白は、あまりにもベタでチープな恋愛映画のセリフみたいに甘ったるいと思ってしまう代物だった。
言い終わった後で顔から火が出るくらい恥ずかしい気持ちになったが、私の告白を受けてキラキラしたサモちゃんの表情を見て、王道というのも愛されているからこそ王道だし悪くはないんじゃないかと心の中で肯定している自分がいることも確かだった。
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