第5話 ヒイラギと本音

 「おねーさん、クリスマスイブって仕事?」

 十二月初旬の夜、風呂上りのサモちゃんに声をかけられた。

 洗いたてのサモちゃんの髪は普段よりもフワフワ感が減っているが、これはこれで可愛い。

 「ちょっと待ってね……あ、早く帰れる日だよ」

 スマホのカレンダーを確認してそう言うと、サモちゃんはパッと笑った。

 「じゃあ家でクリスマスパーティーしようよ。ガスオーブンでチキン焼いたりローストビーフ作ってみたいし」

 「本格的で素敵だね。じゃあ会社の近くに美味しいって評判のケーキ屋があるし、そこで予約しようか?」

 そこまで聞いた後で私はハッとした。

 「……まさかサモちゃん、ケーキまで自作するつもりじゃ」

 「さすがにケーキはまだ作れそうにないから任せても良い?」

 不安げに呟いた私に対してサモちゃんは間髪入れずに訂正した。

 「分かった。明日帰りに予約してくる。でも『まだ』ってことはいつか作るの?」

 「うん。実はエマノンでデザート類も充実させてみないかって検討中なんだ。メインは食事だけどスイーツバーみたいにちょっと洒落た感じのケーキとかを出せたら良いねって彩さん達と話してるんだ」

「スイーツバーってどんなの?」

 流行に疎い、もとい空腹を満たしてくれる飲食店をメインに通っていた私にはあまりピンとこない名称だった。

 「えっとね……ほら、こんな感じのお店とか」

 サモちゃんがスエットのズボンからスマホを取り出した。

 風呂上りの彼の隣に立つと、シトラス系のシャンプーがふわりと香った。

 スイーツバーの画像をいくつか見せてもらったが、プレートの上に粉糖や果物が見目良く並べられているので、目と舌両方で楽しめそうだと思った。

 「手間がかかってる上に絶対に美味しいやつだ」

 「おねーさんの食いしん坊の勘はすごいね。今見てもらってる店に彩さんが旦那さん連れて行ってきたらしいけど、丁寧に作ってあるし美味しかったって言ってたよ」

 確かにエマノンは食事メニューと酒類は豊富だが、デザートといえばアイスクリーム位だったからバランスが良くなりそうだ。

 しかし十一月の終わり頃にエマノンに行った時にはデザートを増やすなんて話聞いたことなかったので、寝耳に水とはこういうことなんだろうと思った。

 「エマノンがそのスイーツバーみたいに色々増やしたらもっとお客さん増えそうだね。私も食べてみたいけど、いつから始めるの?」

 「試作とか材料の仕入れとかの準備期間もあるから来年の春ごろから本格的にスタートかな。あっ、試食する時は僕か彩さんのどっちかがおねーさんを呼ぶ予定だから楽しみにしててよ」


 来年の春。


 その頃にはサモちゃんとの生活に対して継続か終了かの答えを出さないといけない。

 私としては、今の生活は心地が良いが、ちゃんと「恋」になっているのかが分からない。

 たしかに一緒に暮らす中で手を繋いだり抱きしめあったりする時にドキドキすることはある。だが、単にそれは慣れていないだけだからなのでは? 同じことを他の人にされたとしてもドキドキしてしまうのではないか? こういうことを考えること自体、サモちゃん本人に失礼なのではないか? と一人で考えすぎてしまい、最終的には考えることが億劫になって思考が停止してしまう。それでも、思い出した時にふっと考え込んでしまう。ここ数ヵ月の間、私の脳内はずっとこんな感じだ。

 一応サモちゃんには何事もなかったかのように接しているから、私が一人でグルグル悩んでいることは気付かれてはいない。

 だけど、いつまでも逃げている訳にはいかないから自分の気持ちは整理しないといけない。

 今まで避けていた気持ちに少しずつ向き合っていかねば。

 「おねーさんどうしたの? 眉間にシワ寄ってるけど」

 「ん? ああ、エマノンでどんなデザート出すのかな? って考えてたら集中しすぎたみたい」

 考えごとはしていたし、半分は正解だろう。

 私の答えを聞いたサモちゃんは笑いながら私の眉間をぐりぐりと押した。

 「シワが定着したら怖い顔になっちゃうよ」

 「ありがとう。人にやってもらうと効果がありそうな気がする」

 私が笑うとサモちゃんはニッと笑った。

 「やっぱりおねーさんは笑ってる方が良いよ」

 この笑顔を手放したくないと思う気持ちは執着じゃなくて恋であれば良いのに。

 そう思いながら、私は背伸びをしてまだ少し濡れているサモちゃんの髪をわしゃわしゃと撫でた。





 二人だけとはいえクリスマスパーティーだ。やっぱりプレゼントは必須だろう。

 しかし、男性向けのプレゼントって何が良いんだ?

 調理器具や少しお高めの調味料も考えたが、何となく「これを使ってもっと美味しいものを作ってください」アピールになってしまわないか? それに食い意地が張ってるやつに思われてそうだ。

 メンズ用のスキンケア用品やハンドクリームも考えたが、サモちゃんの肌質がイマイチよく分からない。そもそもそれだけのために肌質がどんなものか聞いたり触ったりしたらセクハラだろう。あとは香りの好みもリサーチ不足だから却下だ。

 最終的に部屋に戻ってスマホとパソコン両方で「メンズ クリスマスプレゼント」や「彼氏 クリスマス もらうと嬉しい」なんて検索ワードで色々検索しているうちに余計に何が良いのか分からなくなってしまった。

 散々悩んだあげく、良いものが思いつかないので諦めて眠ることにした。

 すると、寝落ちる直前に彼がVネックやクルーネックなどの首が寒そうな服を着ていることが多いのを思い出した。

 「そうだ、マフラーにしよう」

 真っ暗な部屋の中で呟いた後、私は忘れないようにスマホに「サモちゃん マフラー プレゼント」と断片的な単語だけ打ち込んでそのまま眠った。

 サモちゃんが私のあげたマフラーをつけて嬉しそうに「彩さん達に見せてくる!」と言って自転車に乗ろうとしている夢を見た。残念なことに夢の中で彼が着けていたマフラーの色がどんなものだったかは忘れてしまったが、サモちゃんがマフラーを撫でながら微笑んでいるのはしっかり覚えている。アラームで目を覚ました後、正夢にしたいと強く思った。





 コーディネートの邪魔にならないようなマフラーをプレゼントすることに決めたが、せっかくなら良いものを長く使ってほしい。

 思い立ったが吉日とばかりに仕事が早く終わった日に、まっすぐ家に帰らずデパートに買いに行った。

 元々化粧品を買いに時々来ているデパートだが、メンズコーナーに足を踏み入れるのは初めてだった。なんだかゲームの新マップに踏みこむ瞬間みたいで少し緊張する。

 コーナー全体がシンプルで見やすかったが、陳列されているものが多いようだ。

 自分と馴染みのないものだからどんな種類を選んで良いのかが分からず、しばらくは回遊魚のようにウロウロしていた。

 どれを選べばサモちゃんは喜ぶだろうか。たしか暖かそうな色のシャツやセーターをよく着ていた。それなら、服と喧嘩しない色のマフラーが良いように思う。

 向かうべき方向が決まったから、そこからは一気に選択肢が絞れた。

 私は何点か吟味した中で、カシミヤマフラーを手に取った。無地のグレーとオレンジとネイビーのボーダーのリバーシブルになっているから多分使いやすいだろう。

 レジでラッピングしてもらう際、年配の女性店員が

 「カシミヤって質が良い分、虫も大好きなんですよ。だからプレゼントの際は保管には気を付けてって一言アドバイスしても良いかもしれませんよ」と困ったように笑っていた。

 私は丁寧にラッピングされて紙袋に入れられたマフラーを受け取りながら

 「はぁ、なるほど」

 なんて返答しか出来なかった。

 なるほどとは言ったものの、サモちゃんならきっと、きちんと管理してくれそうだし大丈夫だろう。

 むしろ、学生時代にカビパンを育てたことのある私の方が虫食いの服を量産してきたと思う。振り返ると、駄目にした服はいくつかある。

 そういえば今のところ服を食べる虫に出くわしていないが、庭もあるし今後はいつエンカウントしてもおかしくないような気がする。

 「……ついでに私の分も防虫剤買っておくか」

 つい独り言を呟きながら、紙袋抱きかかえてデパートを後にした。

 デパートのある周辺が繁華街なこともあって、街全体がクリスマスムードで賑わっていた。

 すれ違う人たちも楽しそうな表情を隠しきれずにいるように思える。

 街路樹もライトアップされて華やぐしクリスマスソングも嫌いではない。だから一人で生きていた今までもクリスマスの時期の朗らかな雰囲気は嫌いではなかった。



 クリスマス特有の明るくて華やかな空気をもう少し味わいたくて、デパートの向かいにある駅ビルについ寄り道をしてしまった。

 駅ビルの中を当てもなく歩いていると、ふと雑貨店が気になった。

 雑貨店ではアクセサリーやルームウェアの他にもクリスマスグッズがいくつか並んでいた。

 その中でディスプレイの中央に陳列されていた小さなクリスマスツリーを気に入った。

 三十センチくらいの背丈のそれはライトが巻き付けられているし、松ぼっくりや木の実が飾られていて可愛らしかった。

 ダイニングテーブルの真ん中に置けば一気にクリスマスっぽくなりそうだ。

私はうんうんと一人頷きクリスマスツリーを手に取った。

 後から思えば、私は店内の有線でかかっていたクリスマスソングを浴びて浮かれきっていた。

 だからつい、レジ近くにあったものをいくつか手に取って「これもください」と衝動買いしていた。





 「……で、色々買っちゃったんだ」

 「はい……浮かれきってたのが敗因です」

 サモちゃんは私が買ってきたものの中からミニオーナメントをいくつか手に取った。木製で温かみのあるもので一つ一つが可愛らしいものだ。

だが、その他にもヒイラギのクリスマスリースやトナカイの抱き枕なんかがオーナメントの隣に並べられた。

現在私は「ツリーやリース以外はクリスマスシーズンが終わっても使うんだよね?」と言われ、購入経緯を説明している最中だ。

サモちゃんは特に怒っている様子もなく、むしろ私のやらかしを面白がっているようだ。よく見ると口元が若干ニヤついている。

「僕としてはおねーさんが買ってきたの可愛いし全然良いんだけどね。でも、クリスマスが終わって物置にしまったら恨まれそう『暗いよー出してよー』って」

サモちゃんがトナカイの抱き枕を両手でつかんで急に寸劇を始めた。しかもしっかり声色を変えてくるので、私は思わず吹き出してしまった。

「サモちゃん! 反省しているから抱き枕しまって!」

 笑いながら止めるが説得も虚しく、最終的に興が乗ったサモちゃんの寸劇が五分程度続いたおかげで私は笑いすぎてお腹が痛くなった。

 結果としてトナカイの抱き枕はリビングにあるソファーで通年使うことが決まったし、マグカップ系の雑貨も同様の使い方をすることになった。

 私にとって幸いだったのは、サモちゃんが私の衝動買いに気を取られていたおかげでクリスマスプレゼントのマフラーがあることはバレずに済んだことだった。


 あと少しでクリスマスだが、サモちゃんはプレゼントを喜んでくれるだろうか。

 子供の頃、大きなクリスマスツリーの下に自分用のプレゼントが置いてあったのを見付けた時とは違う種類のドキドキを感じながら、私はクローゼットの中にサモちゃんへのプレゼントをしまった。





 クリスマス当日、仕事が終わったのと同時に予約していたケーキを引き取りに行った。

 職場近くの店なので、会社の人と鉢合わせするのがなんとなく気まずそうで行ったことのない店だったが、同僚がよく「彼氏が甘いもの好きで、ここのケーキ気に入ってるんだ」と言っていたのは最近のことだった気がする。

 店に着くと、予約受け取りの列とは別に予約なしで直接ケーキを買うために並んでいる人たちで列が出来ていた。

 早く仕事が終わるとはいえケーキが買えない場合もあると思って予約をしていて正解だったと私は胸を撫で下ろした。

 店内に入るとショーケースの中には六百円くらいのクリスマス仕様のケーキが五種類ほど並んでいた。

 頭良いなケーキ屋。クリスマス用のケーキだけにしておけば買う人も迷いにくいし作る方の工程も省けそうだ。

 そんなことを思いながら私は予約していたホールケーキの箱を受け取って、少し暗くなりつつある空を眺めながら帰っていた。

 ちょっとはこれでサモちゃんも笑ってくれたら儲けものだと思い、帰る途中でサンタ帽と白ヒゲを買っておいた。

 私は家の前でいそいそと帽子とヒゲをつけてみた。ヒゲはぐるんぐるんにカールしているし着けてみると鎖骨の下あたりまでの長さがあるから思っていたより本格的だ。ポーチの中に入っている鏡で自分を見てみると中々にシュールで悪くない。

 私はうんうんと頷いて何事もなかったかのように「ただいまー。ケーキ買ってきたよ」と言いながら家の鍵を開けた。

 「おかえりー。……ごめん、そう来ると思ってなかった」

 私を出迎えに来たサモちゃんは床に崩れ落ちて肩を揺らして笑った。

 「本当はサンタの服も買うか迷ったんだけどね、着替えるのが面倒そうだったからこれだけにしたよ」

 「サンタの服って言ってもスカートのやつじゃないでしょ」

 「当然。王道のサンタの服だよ。ケーキの箱に保冷剤入ってるとはいえ長居できないしなあ……って思いながら財布と相談してたよ」

 サモちゃんは私を見るたびに必死に笑いを堪えている。

 「……おねーさんって衝動買い結構多い方でしょ」

 「そうだよ。引っ越す前は色んなところで買った『なんでこんなもの買ったんだろう』って後悔するような小物が山ほどあった」

 「あー……おねーさんのそういう所が嫌いじゃないのが悔しい」

 「サンタの服とは別に鼻眼鏡も買うの我慢したし、もっと褒めても良いんだよ」

 サモちゃんはそれを聞いてとうとう吹き出した。

 「褒めません。ねえ、笑ってまともに話が出来ないからせめてヒゲは取って?」

 サモちゃんはゆっくり立ち上がりながらもまだ笑っている。

 ここまで笑ってもらえたんだし、ヒゲも大役を果たしただろう。

 私はヒゲを外して鞄にしまった。

 「ほら、これなら大分マシでしょ。あとこれケーキ、一応オーソドックスなイチゴのホールケーキにしたよ」

 「うん、ありがとう。ご飯出来てるし部屋に鞄置いといでよ。それにしても出迎えたら立派なヒゲが生えてるってインパクト凄かったよ」

 サモちゃんは時おり鞄からはみ出たヒゲを見ては笑っていた。

 ダイニングに向かうと、ローストビーフやアボカドとサーモンのサラダ、それから野菜のポタージュなんかのクリスマスのごちそうがテーブルにずらっと並んでいた。

この量をサモちゃんが一人で仕込んで頑張って作ってくれたんだと思うと私はちょっと感動してしまった。

 テーブルにはクリスマスのごちそうの他にも私が買ったミニクリスマスツリーやサンタとトナカイが大集合して飾られていて微笑ましくなった。

 「ちょっとはりきって作りすぎたから、余ったら明日食べよう?」

 「うん。なんかここまでごちそうが並んでると貴族になったみたいでちょっとワクワクするよ」

 サモちゃんは私が料理を褒めるたびに照れていた。

 「多分僕もクリスマスで浮かれてたみたい」

 サモちゃんはにかみながらポタージュスープを口にした。

 「クリスマスは多少浮かれても良いイベントだと思うよ」

 そう言いながら、サモちゃんが鼻歌でも歌いながら料理を作っている姿を想像してしまい微笑ましくなった。

 夕食を食べ終わったので、こっそり部屋に戻りサモちゃんへのプレゼントを持ってきた。

 「サモちゃん、これあげる」

 そう言って私は余った料理にラップをしていたサモちゃんにプレゼントを手渡した。

 「えっ、これプレゼント? 開けても良い?」

 そう言うサモちゃんは驚きと喜びが同居している顔をしていた。

 「どうぞどうぞ」

 サモちゃんは包装紙を丁寧に開いて中に入っているマフラーを取り出した。

 「サモちゃんは首の辺りがスース―してそうだったからマフラーつけたらあったかくなるかなって思って。もし良かったら使って?」

 サモちゃんは何度もマフラーを撫でながらはにかんだ。

 「ありがとう。大切に使います」

 「あっ、これ虫食いしやすいみたいだから。クローゼットの防虫剤もおまけであげる」

 追加で、特になにもラッピングしてない防虫剤の箱(クローゼット内 一年有効)も手渡すとサモちゃんは吹き出した。

 「僕さっきまですごい感動してたのに! 急に防虫剤が出てくるから色々言いたいことがあったのに全部吹っ飛んだよ!」

 「まあまあ。ゆくゆくは十年くらい使ってほしいしケアは大切だよ。ついでに持っておいき」

 「なんか調子狂うなあ……でもありがとう。毎年使うよ。あと、僕もおねーさんにプレゼント用意するからそこにいて?」

 サモちゃんはそう言って席を外すと丁寧にラッピングされた縦横それぞれ十五センチくらいの箱を私に手渡した。

 「はい、これ良かったら」

 「ありがとう! 中身なんだろう」

 リボンをほどくまでは良かったが、包装紙がサモちゃんみたいに綺麗に開けられず一部破ってしまった。多分、こういう面で人柄が出てしまうのだろう。

 箱の中には淡い水色のオーガンジーの巾着に手袋と四角いプラスチック製の何かが入っていた。

 「わっ、手袋だ。それとこれ何? モバイルバッテリー?」

 「充電して何度も使えるカイロだよ。おねーさん冷え性って言ってたし、長く使えそうな物候補で絞り込んでどっちをあげるか迷ってたけど、結局両方買っちゃった」

 手袋は黒のレザーで出来ていて、着けてみたらサイズもピッタリだし手袋をしたままでも問題なくスマホが操作できた。カイロもコンパクトなものだったのでどこにでも持ち歩けそうだ。

 何よりも、サモちゃんが私の為に色々考えて選んでくれたことが一番嬉しかった。

 これは長持ちさせて、この気持ちと共にずっと使っていたい。

 しばらく私が黙り込んでいたこともあり、サモちゃんは不安そうに口を開いた。

 「こういうのよりクリスマス限定のネックレスとかの方が良かったかな?」

 「ううん。これが良い。凄い嬉しいよ。ありがとう」

 サモちゃんは私の答えを聞いて、ホッと息をついた。

 「良かった。おねーさんが自分で買わなさそうなものにしておけば持ってるものと被るってこともないと思ったけど、喜んでもらえるかちょっと不安だったんだ」

 「それは私も一緒だよ。家族以外の男の人にプレゼントあげるのなんて初めてだし」

 言い切って思ったが、これは中々恥ずかしい。サモちゃんを見るとちょっとニコニコしている。

 「そっかあ。初めてかあ。それならなおさら大事に使うよ」

 「よし、この話終わり! サモちゃん、ケーキ取ってくるから切って! 私が切るとサモちゃんの取り分が小さくなるよ!」

 さすがに恥ずかしさが限界を超えたので私は話を切り上げて冷蔵庫にしまっていたケーキを取りに行った。ケーキを持ってきた時にはサモちゃんはマフラーを巻いて嬉しそうにしていた。

 サモちゃんが均等にケーキを切り分けている間に少しずつ気持ちは落ち着いてきた。

 ケーキに合うようにと思って私が用意した紅茶の茶葉がティーサーバーの中でゆっくり開いていくのをぼんやりと眺めているうちに、ふと、なんでサモちゃんが初めて会った日に声をかけてきたのだろうかと思ってしまった。

 たしかに、あの日のことは一瞬一瞬のつながりが奇跡のようだったが、あえてあの場で声をかけてきたサモちゃんの気持ちというものをしっかり聞いたことがなかった。

 もう時効だろうし、聞けるなら聞いてみたい。

 今日の雰囲気であればきっとサモちゃんも話してくれると、飲み頃になった紅茶を カップに注ぎ入れながら思った。

 「おねーさんが買ってきてくれたし好きなの選んで良いよ」  

 「えっ、良いの? ……じゃあこのチョコの家が乗ったやつで」

 「分かった。お皿に分けるからちょっと待ってね」

 「ありがとう」

 サモちゃんは私の分を取り分けた後、砂糖菓子で出来たサンタの人形が乗ったケーキを自分の皿に乗せた。

 ケーキはクリームもスポンジ部分も甘すぎず口当たりも軽く、バランスの取れたものだった。

 「こんなに美味しいなら、会社と反対方向にあるから帰りに寄るのが面倒くさいとか思わないでもっと前から買いに行けば良かったな」

 「なんだろう。それ聞いちゃうと仕事が終わったら速攻で会社から出ていくおねーさんが目に浮かんだよ」

 サモちゃんは苦笑いしながら最初の一口をほおばるためにフォークで大きめにケーキを切った。

 今の和やかな雰囲気であればサモちゃんに質問しても許されるだろう。

 「そういえばサモちゃんに一個聞きたいことがあるんだけど」

 「なあに? なんでも聞いてよ」

 「サモちゃんって初めて会った時になんで私に声かけてきたの?」

 私が問いかけた言葉に対して、サモちゃんはケーキを食べる手が一瞬止まった。

 「え、それ言っても良いの」

 やや戸惑うサモちゃんに対して私は頷いた。

 「うん。あの時の私、だいぶ面倒な感じになってたけど何が良くて声かけたのかなって。もし言いたくなかったら言わなくて大丈夫だし」

 サモちゃんはそれを聞いてテーブルの上で手を組んでフーっと大きく溜め息をついた。

 「……笑わないでくれる?」

 「うん、笑ったりしないよ」

 「あの日、エマノンに行く前に大学のゼミで送別会があったんだ。ただ、僕以外はみんな卒業後の進路が決まってたのに僕だけ今後住む場所すら見つかってなかったから心から楽しいと思えなくて」

 紅茶を飲みながらぽつりぽつりとその時のことを思い出して言葉を紡ぐ彼は、あの日の私と同じように見えた。

 「送別会が終わった後に家に帰っても気落ちして何も考えられずに寝ちゃいそうだったし今後のことをちょっと考えるために一人で飲み直したくなったんだ。エマノンを選んだのは今まで行ったことのないお店なら知り合いと鉢合わせはしないだろうなって思ったから。しばらく一人でこれからどうしようかなって思ってた時に、おねーさんの声が聞こえてきたんだ。おねーさんが話してるのを聞いてたら、悩んでるのって僕だけじゃないんだな。って思って少し気持ちが軽くなったんだ。それで、落ち着いたら話してる内容が気になって、本当は人の話を盗み聞きなんて良くないのは分かってるけど、そのままおねーさん達の話を聞いてたんだ」

 「ちょっと待って。あの時いつから聞いてたの?」

 話を遮るのは良くないと分かりつつも口を挟んでしまった。頼むから聞かれていたのはせ途中からでありますように。

 「えっと、多分おねーさんがエマノンに来る前からいたはずだし、割と最初の方からかな」

 「なんか改めてそう言われると恥ずかしい……」

 私が頭を抱えながらそう言うとサモちゃんは小さく笑った。

 「結論から言えば、一人でいるのが寂しくなったって言ってるおねーさんがどんな人なのかもっと知りたくなって声をかけたって感じかな。あと、正直に言うとおねーさんのこと可愛いなって思ったってのもあるよ」

 面と向かって可愛いと言われ慣れてない人間にとって、サモちゃんの最後に放った一言は刺激が強い。

 「いやいやいや! 私そこまで可愛くないよ」

 私自身を否定する言葉に対して、彼は首を横に振った。

 「そんなことないよ。おねーさんは可愛い。一緒に住んでるうちに改めて思ったけど、なんてことない仕草とか話し方とか、そういうものも全部ひっくるめて可愛いよ」

 私を見つめるまなざしと同じ位、まっすぐな言葉でサモちゃんに可愛いと言われてしまい、私に出来ることは照れること以外残されていなかった。

 「ありがとう……」

 照れること以外の動作をしようと食べかけていたケーキの半分に手を出したが、頭がふわふわしているせいで、なんだかさっきより味がしない。

 「あっ、おねーさん顔にクリームついてる」

 「どこらへん?」

 「そっちじゃないよ。……そのまま動かないでね」

 サモちゃんは席を立って私の隣に来たが、サモちゃんの両手が私の肩に置かれた上に顔が少し近い。サモちゃん、クリームを取るだけにしては距離が近すぎませんか? 今ならサモちゃんのまつ毛の本数も数えられそうだと、ぼんやりしたままの頭で考えていた際にテーブルの上に置いてあったサモちゃんのスマホがけたたましく鳴った。

 サモちゃんは着信音を聞いて一瞬苦い顔をした後、私の口元についていたクリームを手に取り、そのまま彼の口に運んだ。

 「ごめん、ちょっと電話出てくるね。あとクリーム取れたから」

 「あ、ありがとう」

 サモちゃんはスマホを取ってそのまま廊下に出てしまった。



 一人になってみると、さっきまでロクに働いてなかった頭がフル回転を始めて直前の状況を整理し始めた。

 まず、私の顔についたクリームを取る程度なら「こっちについてるよ」と口頭説明だけで済んだのではないか。

 次に、サモちゃんがしていた動作は人の顔についているクリームを取るようなものではなかったように思えるんだが?

 最後に、部屋から出る直前に私の口についていたクリームを食べて出ていったぞ!?

 状況整理が終わり、鈍いながらも一つの結論に辿り着いた瞬間に私は両手で口を押さえた。

 『サモちゃんは、あの電話が鳴らなかったら、私にキスをしていたのではないか?』

 いやまさか。そんなことは気のせいだと思いつつも、あれが仮に未遂ではなく本当にキスされていたとしたら、私たちのこの綿菓子みたいなフワフワした関係が少しは変わっていたのかもしれない。

 だとしてもだ。不意打ちは良くないと思うぞサモちゃん。いや、世間一般の恋人同士はわざわざキス一つ程度するのに許可は取らないものかもしれない。よく考えれば映画でもなんとなく良い感じの雰囲気でキスしてたしなあ。グルグルとまとまらないことばっかり考えているうちに頭の上から「おねーさん」と声が降ってきた。

 思わず「わひゃい!」なんて間抜けな声を出して立ち上がっていた。

 サモちゃんが小声で電話に出ていたのと、最後に食べようと思って残しておいたチョコレートの家をにらんでいたせいで、サモちゃんが戻ってきていたのに気付かなかった。

 「今の声、どこから出てきたの?」

 サモちゃんは笑って言った後、また私の向かいの椅子に腰かけたが、さっきまでと違い浮かない顔をしていた。

 「あんまり良い電話じゃなかった?」

 「あー……うん。実家からだったんだけど今月二十八日から帰省してこいって。最初は断ってたんだけど『ちゃんと会って近況報告を聞きたい』って言われて仕方なく年末年始に帰ることになりました」

 がっくりと肩を落として、まるで全財産が入った財布を落とした位の口ぶりでサモちゃんが言う。

 確かサモちゃんは子供の頃親戚の家に居ることが多かったと聞いていたし、卒業したら援助はしないと言われていたくらいだし、家族関係が複雑なのかもしれない。

 「あんまり家の人と仲良くないの?」

 「ううん、関係としては良い方だと思うけど、久しぶりに帰るってものあって少し気が重いんだ。今まで電話とかしかしてなかったし」

 「まあ、帰れる時に帰った方が良いんじゃないかな。実家に帰りたくなった時に誰も実家にいないタイミングの悪い女が目の前にいるんだし」

 サモちゃんを励ますつもりで話している気でいるが、どうしてもサモちゃんの唇に視線が向いてしまう。バレてませんように。

 「じゃあおねーさんはこっちに残るの?」

 「うん。私以外の家族で台湾旅行だって。なんか良いものがあったら買っておいてって頼んだけど、せめて一言教えてほしかったな。そういうわけで、私は一人でのんびりしてるからサモちゃんは実家でゆっくりしてきなよ」

 私が言うとサモちゃんは少し難しい顔をした後

 「分かった。じゃあ行ってくるよ。僕の実家の近く山も多くて空気も綺麗だからいつかおねーさんにも遊びに来てほしいな」と笑った。

 「あのさ、サモちゃん」

 「なあに、おねーさん」

 さっき電話が鳴ってなかったら私に何してた? そう訊こうとしてカップや皿を流しに持っていく彼をつい呼び止めてしまった。だが野暮な気もするし、何より私の自意識過剰だったとしたら庭に穴を掘って埋まりたくレベルで恥ずかしい。

 「あー……お土産はお菓子が良いな。なんかこう……サモちゃんの地元のお店で人気のやつとかそういうの」

 「じゃあ両手いっぱいにお土産持って帰ってくるよ」

 私がしどろもどろになりながら呼び止めた理由として思いついたものを伝えると、サモちゃんは楽しそうにそう言った後「おねーさんは食いしん坊だし多めに買わないとね」とニコニコしていた。

 「ありがとう。楽しみにしてるよ。そうだサモちゃん、洗い物やっとくから荷造り始めたら? 時間もあんまりないし。食器持ってくよ」

 「良いの? ごめんねおねーさん」

 「良いの良いの、というか今日のご馳走作ってくれたのに洗い物までさせたら失礼だと思うし。これくらいはやらせて?」

 「じゃあ、お言葉に甘えてお願いしようかな」

 サモちゃんの持っていた食器を奪うようにして、やや強引ではあるが彼を部屋に帰した。

 単に私の勇気がなかっただけの言い訳かもしれないが、答えを求めるのはやめた。

 食器たちが泡いっぱいの洗い桶に沈んでいくように真相も沈んで泡と共に消えれば良い。そう思いながら普段より時間をかけて丁寧に食器を洗った。


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