第3話 晩夏の縁と硝煙の香

 夏祭りの後もどんどん暑くなり、本格的な夏に突入した。

 ちょうどその頃、私の勤める会社で規定が変わり毎年夏休みとして追加で四日間の有給が支給されることが決まった。使える時期は八月と九月の二か月間だけだが、社員の好きな時に有給を取れるようになった。

 同僚たちは元々ある有給にプラスして彼氏や夫と旅行に行くなんてはしゃいでいた。

 私はと言えば元々外に出るのにもエネルギーを消費するような性格だ。だから大人になった今ではどれだけセミが鳴いていようが、どれだけ空が高くて青かろうが昔のように夏らしいことはあまりできないように思う。それでも、やはり夏休みという単語を聞くと子供の頃の夏休みを思い出してなんとなく心が浮き立ってきた。

 サモちゃんと一緒にどこかに行くというのも考えたが、水着なんて持っていないしどこに行っても混んでいる上、暑くて疲れてしまいそうな気がしていたので八月後半に夏休みを一気に取って四日間引きこもることにした。

 クーラーの効いた家で観たことのない映画を観て、買ったのは良いが読まずに本棚にしまって飾りと化している本を読んで、夜はサモちゃんが働いてる間にエマノンにふらっと行って軽く飲んだ後に仕事を終えたサモちゃんと一緒に家に帰る。夜も程よく夜更かしして昼前まで寝てしまう。そんな大人の夏休みを楽しもうと思った。





 夏休みの前日にスーパーに寄ってお菓子やアイスを山ほど買って帰る途中、自転車でエマノンに向かうサモちゃんにばったり会った。今日のサモちゃんはグレーのTシャツにジーンズを穿いていた。全体的に落ち着いた色の着こなしだから、サモちゃんが最近エマノンで働いたお金で買った自転車のグリーンのボディがとても映えて洒落ていると思った。

 「おねーさんお帰り。すごい量の袋だけど何買ったの?」

 「ただいまサモちゃん。これは夏休みの友だよ」

 「これ全部お菓子ばっかり? そういえば、おねーさん明日から夏休みだっけ」

 「うん。今日から四日間家から出ないでのんびり過ごそうかと思って」

 「おねーさんはやっぱりインドア派だね」

 「まあね。どこかに遠出するのも考えたけど家が快適っていうのもあるからね。そうだ、これから仕事に行くサモちゃんに良い物をあげるよ。ほら、手出して?」

 私がスーパーの袋の中を漁っているのを見ながらサモちゃんは素直に手のひらを私に差し出した。犬の「おかわり」みたいでちょっと可愛く見えるその手のひらの上にさっき買ったラムネの容器を一本乗せた。

 「はい、今から頑張るサモちゃんに差し入れ」

 「これ一本全部もらって良いの?」

 「うん、いつもご飯作ってくれるしこれくらいの差し入れじゃ足りないかもしれないけど。あっ、彩ちゃんがまかない用意してくれるか。良いなぁ、まかないご飯。これは休憩時間のおやつにでもして?」

 サモちゃんは「ありがとう」と言ってショルダーバッグの中にラムネをしまいながら「あっ、今日は家に帰ってから食べるよ。晩ご飯はチキンソテーのレモンバターソースがけと夏野菜のポトフだよ」と私に晩ご飯の献立を教えてくれた。

 サモちゃんの口から料理名を聞いただけで私のお腹が大きな音を立てて鳴ったので、サモちゃんはくつくつと笑った。

 「そんなにお腹が空いてるなら帰ったらすぐ食べて良いよ? ポトフもまだ出来立てだし」

 「いつもありがとうサモちゃん。んー……。確かにお腹は空いてるし美味しそうなご飯は魅力的だけど、一人で食べるのは勿体ないよ。サモちゃんが帰ってくるまで映画でも観ながら待ってるね。一緒に食べようか」

 お腹が鳴ったことは事実ではあるが私の仕事もしばらく休みだし、久しぶりに二人で一緒に食べたいと思った。

 私の意図にサモちゃんも気付いてくれたようで、今度は嬉しそうに笑った。

 「ありがとう。じゃあ行ってきます」

 「行ってらっしゃい。頑張ってね」

 まだ夕日が空を照らしている中で、サモちゃんは自転車をこいでエマノンに向かった。オレンジ色に染まるサモちゃんの背中を見送ってから、私は買ったものの中にアイスがあったのを思い出して小走りで帰宅した。

 冷凍庫にアイスをしまった時には外袋から触って分かる位に溶けて柔らかくなっていたが明日の今頃にはきちんと冷えてくれるだろう。

 この冷蔵庫も今まで私が一人で使っていたときは大したものをしまってなかったが、二人で暮らしている今は季節の野菜や魚などの生鮮食品がきちんと収納されている。時々サモちゃんが作った保存の利くお惣菜がしまわれる時もある。冷蔵庫としての役割を果たしているそれが可愛く見えて、私は冷蔵庫のドアを軽く撫でた。





 サモちゃんを待つ。と言ったもののやはり空腹は続いていた。気を紛らわせるために浴室をピカピカに磨いて一番風呂に入りもした。汗をかいていた体はすっきりしたが、それでもやはり空腹は空腹だ。もう一度キッチンに行ってしまえばフライパンの中で鎮座しているチキンソテーに手を出さないでいる自信がない。

 空腹を紛らわせるために自分の部屋からリビングにノートパソコンを持ってきて、動画配信サービスで最近配信が始まった海外ドラマを観ることにした。犯罪捜査という重いストーリーの中で個性豊かなキャラクターが活躍する内容に私の目は釘付けになった。

 だが、ソファーで寝転がったまま観始めたのが悪かった。普段聞き慣れない英語を子守歌にして、気付かないうちに私はウトウトしていた。

 


 どの位眠っていたか分からなかったが、まどろみの中で私は夢を見ていた。

 夢の中で、私はエマノンではないどこかのバーにいた。場所は海外のようで、私以外はみんな楽しそうに聞き慣れない言語で喋っていて私は一人でいることが少し怖くて緊張していた。いつ頼んでいたか分からなかったが、私の座るカウンター席に紅茶の味がする甘いカクテルが置かれていた。バーテンダーにそれを飲むように促され、ゆっくり飲んでいた時に隣の空席に男性が座った。映画のようなカメラワークで私のことを客観的に見ている夢だったから、どんな人が隣に座ったのか分からなかったが、私はその相手が来たことでなんとなくホッとしてその人に笑いかけた。

 隣に座った相手と和やかに話をしている最中に、私は彼に頭を撫でられていた。

 夢の中の私はずいぶんと彼に気を許していたようで大きな手で髪を撫でられても嫌な顔一つもせず、むしろそうされるのが当たり前かのように幸せそうに笑っていた。

 相手が誰だったかも確認出来ないまま、ふっと目が覚めてしまった。



 天井を見つめながら、誰とも分からない男の人に頭を撫でられても気にしないなんて我ながら大胆なもんだと夢の中の出来事を反芻していた。

意識がハッキリしていく中で私の体に柔らかな毛布が掛けられていたことに気付いた。天井から視界を横に向けると、ソファーを背もたれにして座るサモちゃんの背中が見えた。

 「サモちゃん?」

 体を起こして私が呼びかけるとサモちゃんは振り向いて嬉しそうに笑った。

 「おねーさんおはよう。帰ってきたらパソコンつけっぱなしで死んだように寝てたから僕びっくりしたよ」

 「ごめん、ドラマ観てる途中で寝落ちたみたい。毛布ありがとうね」

 「ううん、エアコン結構効いてて寒かったから何もないより良いかなって思って僕の部屋から持ってきたんだ」

 立ち仕事で疲れているだろうにわざわざ寝落ちた私に毛布を持ってきてくれた優しさが嬉しくて、毛布を体に引き寄せた。

 「本当にありがとうね、目が覚めてきたし一緒にご飯食べようか」

 サモちゃんは「じゃあご飯あっため直すからおねーさんはゆっくりおいで。まだ顔が寝ぼけてるよ」と笑ってキッチンに向かった。

 私はそれを見送りながら小さな気配りが出来る彼が夢の中の相手だったら良いなあ、と思い毛布をぎゅっと抱きしめていた。

 サモちゃんの作ってくれた夕飯を食べながら私たちは色々なことを話した。

 「私寝てる時白目むいてなかった?」

 「ううん、普通の寝顔だったよ。おねーさんムニャムニャ言いながら笑っててちょっと面白かったけどどんな夢見てたの?」

 「エマノンじゃないどこかの海外にあるバーでお酒飲んでる夢。周りも外国の人だったし寝落ちるまでに見てた海外ドラマの影響だと思う」

 なんとなく、知らない誰かに頭を撫でられた夢でもあることは気が引けて言えなかったので伏せることにした。

 「なんかお洒落で格好良いね」

 サモちゃんは無邪気に笑って言った。ここまで私の夢の内容を褒められると少し恥ずかしくなってきた。

 何も言えなくなった私は温かいミネストローネに口をつけた。優しいコンソメの風味と煮込んで柔らかくなった野菜の食感にほっとした。

 「おねーさん明日から夏休みでしょ? 明後日隣の市の川沿いで大きな花火大会があるって彩さんに聞いたんだけど、一緒に行く?」

 私がミネストローネの入ったお椀をテーブルに置いたのを見てサモちゃんが言った。

 「花火大会かあ……」

 そういえば花火なんてここ数年しっかり見ていないな。

 夜空に浮かぶ色鮮やかな大輪の花を思い浮かべて私は楽しい気分になった。だが、花火を見ている時に汗ばんだ他人の肌がぴったり密着する位の混雑があるんだろうなと思い、気が滅入ってしまった。それに私もサモちゃんも免許はあるが車を持ってない。多分レンタカーも出払っているだろうから行きも帰りも電車だ。きっと行きは良いとして帰りの電車は満員だろうし駅に着くまでに退場規制もされていそうだ。

 そんなことを考えていたら私は渋い顔をしていたようで、それを見たサモちゃんが吹き出した。

 「おねーさん急に眉間にシワが出来たよ。花火大会嫌かな?」

 「嫌ではないんだけど絶対混むんだろうなって考えてたところ。でも花火は見たいかも」

 私の意見を聞いてサモちゃんはうんうんと頷いた後「確かに人が多いとは彩さんから聞いたなあ……。それか花火大会じゃなくて花火セットを買って家の庭でするのはどう? それなら人混みもないし花火も二人だけで見られるよ!」と提案してくれた。

 私が引きこもりがちな分、歩み寄ってくれるサモちゃんの優しさが嬉しい。

 「庭で花火するの良いね。庭はあるのに今まで洗濯干すくらいでしか使ってなかったもんね」

 「じゃあ決定だね。通販サイト見てるけど結構色々あるね。一気に四百本も花火が届くセットなんてのもあるんだ」

 「そこまで本数あると三年くらい使えそうな気がするね。コンビニで買って今からやる?」

 なんだか花火なんてするのも子供の時以来だから、つい浮足立ってしまう。

 「さすがに今日これからは遅いし明日一緒に買いに行こうよ。ほら、家具とか買ったショッピングセンターで。あそこなら花火のバラエティーセットとかありそうだし。あとバケツもないしついでに買っておこうよ」

 はしゃぐ私を見て笑いつつも、サモちゃんはスマホでショッピングセンターの営業開始時間を調べてくれた。

 私の方がサモちゃんより年上なのに落ち着きがなくてやや恥ずかしくなったがあまり気にしないでおこう。

 花火を買いにいくというだけなのに、遠足前日のようにワクワクして夜寝付くのに時間がかかってしまった。





 私の夏休み初日と二日目は、サモちゃんもエマノンでの仕事は休みだったので家で花火をするのには丁度良いタイミングだった。

 二人で朝食を食べた後、洗濯や掃除を一通り終わらせてから電車に乗ってショッピングセンターに行った。

 世間でも夏休みの真っ只中だからか、冷房の効いた館内では子供の姿が多く、以前サモちゃんと来た時よりも賑やかだった。

 「なんかこういうの見ると夏休みって感じがするね」

 サモちゃんは私たちの間を猛ダッシュで駆け抜けていく子供たちの集団を見て笑った。

 「分かるなぁ、それ。私も子供の頃に親に連れてきてもらって映画観に行ったりゲーム買ってもらったりしたよ。なんか平日に遊びに来てるから特別感があって楽しかったな」

 「おねーさんも小さい頃にさっきの子達みたいにこういう場所で遊んでた?」

 サモちゃんに聞かれて私は昔のことを思い出してみたが、友達とこういう所で遊んだ記憶が高校時代になってやっと出てきた位だ。それも彩ちゃんとだから多分それまでは家族と一緒にいたことの方が多かった気がする。

 「私があの子たち位の頃は家で本読んだりしてたかな。サモちゃんは率先して友達誘って遊びに来てそうだよね」

 「正解。なんで分かったの?」

 「サモちゃんは社交的だしなんとなく想像出来るよ。友達が多いってことは良いことだと思うよ」

 「友達が多くても進学したりすると疎遠になっちゃうことが多かったよ。だから、おねーさんと彩さんみたいに十年以上仲良くしてるのって素敵だと思う」

 そうぽつりと呟いたサモちゃんの横顔を見て、他者と関わることが多い人には人と関わらない寂しさとは別の寂しさがあることを知った。

 「変なこと言ってごめんね」

 「ううん、平気。今も時々連絡取り合ってる友達は何人かいるし、おねーさんと彩さんみたいに今後も長く付き合えたら良いなって思ってるよ」

 サモちゃんはそう言うとスマホのアルバムから何枚か写真を見せてくれた。

 写真の中のサモちゃんは今より少し幼い顔で笑っていた。

 「良い写真だしみんな穏やかそうな子たちだね」

 私がそう言うとサモちゃんは得意げに笑った。





 花火コーナーでどのセットを買うか迷っていた時にちょっとした事件が起きた。

 「サモちゃん、これ地面に置くタイプの花火も入ってるよ。うわっ!」

 サモちゃんに花火セットを見せようとした時、足に何かがドンとぶつかってきた。

 驚いた私は花火セットを落としてしまったが、サモちゃんがすかさずキャッチしてくれたので事なきを得た。

 何事かと思い振り返ってみると、私の足に五歳くらいの女の子が抱きついていた。

 「おかあさん! どこいってたの!? ……あれ?」

 私が人違いだと分かると女の子の顔は一気に青くなり次第に目に涙を浮かべ始めた。

 「おかあさんどこ……?」

 私はしゃがんで泣きじゃくる女の子に目線を合わせた。

 「お母さんはお店屋さんに探してもらおっか。見つかるまでお姉ちゃんが一緒にいるから怖くないよ」

 私がそう言うと女の子はしゃくり上げながらも「ほんとぉ?」と言った。

 私は頷きながら「本当だよ。お母さん探してくれるところに一緒に行こうか」と言った。

 「サモちゃん、ちょっとこの子とサービスコーナーに行ってくるよ。お母さん見付かるまで心配だから一緒にいようと思うんだけどサモちゃんはどっかで時間潰しておく?」

 「ううん、僕も一緒に行くよ」サモちゃんは売り場に花火セットを戻しながら言った。

 「ありがとうサモちゃん。ねえ、お兄ちゃんも一緒に来てくれるって。……えっと、お名前なんて言うの?」

 「えりこちゃん」

 「そっか。じゃあえりこちゃん、みんなでちょっとだけお散歩しよっか」

 私は鞄の中からタオルハンカチを出してえりこちゃんの涙を拭いてあげた。

 サービスコーナーに行くまでの間、えりこちゃんは不安だったのか私とサモちゃんに手を繋ぐように言ってきた。サービスコーナーで迷子のアナウンスをしてもらった後も、私とサモちゃんにぴったりくっついていた。

 そんな光景を見た店の人に促されてサービスコーナーの隅にあったカウンター席に座らせてもらった。

 店の人の厚意でスケッチブックとクレヨンを貸してもらったえりこちゃんはお絵描きを始め出して笑顔になっていった。

 「これね、おねいちゃんとおにいちゃん!」

 「すごいね。上手だよ」

 真ん中の椅子に座ったえりこちゃんは私とサモちゃんに描いた絵を見せてくれた。

 小さい子ながら私たちの特徴を掴んでいる良い絵だと思った。

 サモちゃんは描いてもらった絵を見てニコニコしながら「よく似てるね」と言い「えりこちゃんはワンちゃん好き?」と聞いた。

 えりこちゃんはサモちゃんの問いに間髪入れずに「すき!」と答えてはしゃいだ。

 「じゃあお兄ちゃんがワンちゃん描いてあげるね。ちょっとそれ貸して?」

 「はいっ、どうぞ!」

 「ありがとう。ちょっと待っててね」

 サモちゃんは黒と茶色のクレヨンをメインに、私への置き手紙に描いてくれる味のある犬をスラスラと描いた。

 「わんちゃんかわいいね!」

 えりこちゃんはスケッチブックを見て目を輝かせていた。

 サモちゃんが描いた犬が四匹になったあたりで、えりこちゃんの母親が館内放送を聞いて駆け付けた。

 彼女が着ていた服が白とネイビーのボーダーとトップスにジーンズだったが、私も偶然似たような組み合わせの服を着ていた。お互いの背丈もさほど変わらなかったから小さい子に間違えられても仕方ない状況だった。

 「本当にすみませんでした!」と言いながら何度も頭を下げるのでこちらが恐縮してしまいそうだった。

 「えりこちゃんも大人しかったですし大丈夫ですよ。お母さんと私を間違えちゃったみたいです」と私が言うと彼女の強ばっていた表情が少しだけ和らいだ。

 「少し目を離した隙に居なくなってしまって、ずっと気が気じゃなかったんですが……。お二人とも時間を割いてまでこの子と一緒にいてくれてありがとうございます」

 内心出過ぎた真似をしてしまったのではないかと思っていたが、彼女にそう言ってもらったことで気持ちが軽くなった。それはサモちゃんも同じだったようで、その表情は穏やかだった。

 別れ際にえりこちゃんが描いてくれた私とサモちゃんの絵をもらってしまった。えりこちゃんもサモちゃんの絵を気に入ったみたいで「わんちゃんつれてくの!」とぐずり出したのでサモちゃんが「じゃあ交換だね」と絵を手渡していた。





 「なんだか子供ってすごいんだね。あんなに思いきり泣いたり笑ったりして」

えりこちゃんと母親を見送った後、サモちゃんは感心したように言った。

 私も頷いた後「全力でぶつかってくるのをしっかり受け止める親御さんもすごいよね。尊敬する」と笑った。

 「そう言えばおねーさん足大丈夫? 結構痛そうだったけど」

 サモちゃんは私の足、ちょうどえりこちゃんがぶつかってきたあたりを心配そうに見ていた。

 「あー、思ったより痛くなかったから大丈夫だよ」

 私は片足立ちをしてみたり軽くその場でジャンプしてみたりした後「ほらね」と笑った。

 「良かった。でも痛くなったら言ってね? 僕、これでも体力に自信があるし家までおねーさんを抱っこして帰れると思うし」

 サモちゃんはホッと息をついて無邪気に笑った。

 その後はもう一度花火セットを見に行って、何種類か手持ち花火が入っているものを購入した。需要を見越してなのかバケツも近い場所に売っていたので探し回らずに済んだ。

 フードコートで昼食を食べてから帰ったが、満腹になったのと電車の中が空調で涼しくなっていたのが心地良くてついウトウトしてしまった。目を覚ました頃にはサモちゃんにもたれていたところだった。

 「ごめんね、サモちゃん」

 「気にしなくて良いよ? おねーさん最近お仕事大変そうだったし今日は色々動いたからきっと疲れてたんだよ」

 本当に何も気にせずケロッとした顔でサモちゃんが笑うが、少々申し訳なさが残る。

 「本当にごめんね。邪魔にならなければ今日の夕飯作るの手伝うよ。何か出来ることがあれば言って?」

 電車を降りながら言うとサモちゃんは何かを思いついたようだ。

 「おねーさんって餃子作ったことある?」

 「それなら小さい頃親に頼まれて皮に包むくらいならしたことがあるよ」

 私の返答を聞いてサモちゃんは満足げに笑った。

 「じゃあ決まり。今晩は餃子を作ろうと思います。だからおねーさんは餃子の具を皮に包んでいってください。せっかくだし、この前のお祭で神崎さんにもらった地ビール飲みながら晩ご飯にしようよ」

 「最高の提案だね。夏っぽくて良いと思う。だけど餃子包むのなんて本当に何年ぶりか分かんないから不格好なやつが出来たらごめん」

 「じゃあその時は変な形のやつだけ集めてお皿に盛ろうかな」

サモちゃんはいたずらっぽく笑った。

 「意地悪だなあ……」と口では言ったが、私はサモちゃんに対してムッとしなかった。むしろ失敗も一緒に笑えるのであれば、それも良いなと感じた。

 駅から数歩歩いて、帰る時間を少しずらすべきだったと後悔し始めた。

 今は真夏の八月。しかも昼の二時だから一番日差しが強いと言っても過言ではない。

 荷物は少ないが、私もサモちゃんも汗をかいて口数が少なくなっていった。

 「サモちゃん! 家まであと半分くらいだけど喉が渇いて限界だからジュースを買おう! サモちゃんの分も私が買うから!」

 セミの大合唱を聞きながら、雲一つない夏の空の下を歩くのはもう限界だった。

 家に帰ればサモちゃんが作ってくれた麦茶やミントのフレーバーウォーターがあるのは分かっていたが、帰るまで我慢していたらお互い干からびてしまうような気がした。私はサモちゃんに提案をしたあと、答えは聞かずにそのまま目の前の青い自販機に小走りで向かっていた。

 「サモちゃん、何飲みたい?」

 「えっと、ウーロン茶が良い! おねーさんありがとう!」

 ボタンを押してすぐにガタンと缶やペットボトルが落ちる音がした。

 「はい、サモちゃん」

 「ありがとう。あー冷たい……」

 サモちゃんが首にペットボトルをあてて体を冷やすのを見ながら、私も買ったレモンスカッシュの缶を開けて飲んだ。

 レモンの酸味とハチミツの甘さ、それから炭酸の刺激が一気に体に染みわたった。

 「おねーさんの飲んでるそれって最近CMでやってるやつ?」

 「そうそう。なんか美味しいってネットで話題になってから売り切れ続出なんだって。サモちゃんも一口飲んでみる?」

 何気なくそう言ってサモちゃんに缶を差し出してから、私はハッとした。これっていわゆる間接キスというものになるのではないか? いや、一度飲むか提案しておいたくせに撤回したらそれこそ意識しすぎの自意識過剰になるのではないか?

私が一人でぐるぐる考えていた横で、サモちゃんは私の手から缶を受け取ってレモンスカッシュを飲んだ。なんとなくサモちゃんの口元から目が離せなかった。

 「……あっ、これ僕好きな味だ。僕も今度見かけたら買おう」

 サモちゃんは笑って何の気なしにそう言うと私に缶を戻してきた。


 なんだ。私ばっかり意識してたみたいだ。サモちゃんは私と違って人と関わることも多かった分、男女問わず回し飲みするのにも慣れているんだろう。


 「よし、一息ついたし頑張って歩こうか! 帰ったら餃子とビール。それから花火だ!」

 私は自分のモヤモヤした気持ちを振り払うようにそう言って足早に歩いた。

 歩きながら彼から返してもらったレモンスカッシュを飲んだが、夏の暑さ以外の熱も少し感じるような気がした。やたらとセミの声が耳にこびりつく帰り道だった。





 帰って涼しい部屋で一息ついたらサモちゃんはせっせと餃子の具を作り始めた。

サモちゃんが下ごしらえを始めているのに私ばかり何もしないのもなんだかなあ、と思いサモちゃんにひと声かけてから花火の時に使うつもりでかったバケツを使わせてもらい、廊下の水拭きを始めた。

 帰り道に悶々としていたことを吹っ切る意味でも始めたことだったが思った以上に精が出て廊下がピカピカになっていた。

 私が一通り片づけを終えてキッチンを覗き見した時にはサモちゃんは黙々とキャベツをみじん切りにしていた。トントンと小気味良いリズムでキャベツを切る姿がなんだか本格的な料理人のそれのようで、私が感心しながら見ていると

 「エマノンで鍛えられたんだ。彩さんもだけど旦那さんの方が結構スパルタだったよ」と笑っていた。

 具を混ぜ合わせた後は冷蔵庫で少し置いて味をなじませるそうで、その間に一緒にリビングで映画を見ながら洗濯物を畳んだりした。

 映画のエンドロールが流れ始める頃にサモちゃんは時計を見て

 「おねーさん、そろそろ出番だよ」とキッチンに向かった。

 サモちゃんに続いてキッチンに行くとボウルに山盛りになった餃子の具と、同じように山になった餃子の皮が置いてあった。

 量的にちょっとしたパーティーでも出来そうで少しワクワクしてしまった。

 サモちゃんは「ちょっと用意しすぎたし僕も一緒に包むよ」と私の隣に立って黙々と餃子の具を皮に包み始めた。

 「サモちゃん、これ全部焼くの?」

 時々具を入れすぎてパンパンになった餃子を作りながら私は聞いた。

 「ううん。一部は焼かずに冷凍しておこうかなって。これニンニク入れなかったからおねーさんのお弁当としてワンタンスープみたいにしても良いと思うんだ」

 「えっ、すごい。気遣いが嬉しいよ。ありがとう!」

 私が言うとサモちゃんははにかんだ。

 本当に彼は優しい。一緒に住んでいる私にここまで気を遣ってくれるのは大したものだと思う。

 「サモちゃんは立派だよ。私なんて実家に帰ると気配りが足りないって怒られたりするのに。今まで付き合ってきた子もサモちゃんのこういう優しい一面に触れられたのかと思うとちょっと羨ましいよ」

 本当に何の気なしに、むしろサモちゃんを褒めるつもりで言ったのだが、サモちゃんは少しだけ悲しい顔をした気がした。おや? と思ってサモちゃんを見つめるとサモちゃんはいつもの笑顔を見せた。

 「んー今はノーコメントで。というか僕これでもおねーさんの彼氏なんで。やれることはしたいなって精神で動いてます」

 口調こそ穏やかだったが、あまり過去のことには触れてほしくないというのが伝わってきた。

 「そうだね。とても良い彼氏さまさまだよ。一緒に暮らしてお付き合いしている私としては出来ることが少ない気がして申し訳ない部分も多いけど」

この話はもう終わらせよう。そう思って私もサモちゃんに返事をした。

 「おねーさんは今のままで良いよ」とサモちゃんは笑っていた。

 私がもたもたと餃子を一個包んでる間にサモちゃんは餃子を二個は包んで蓋つきのバットに並べていた。

 時々サモちゃんは餃子の皮の上に大葉を乗せて具を包んでいた。

 「変わり種もありかなと思って」

と笑った後、しまったという顔で「おねーさんもしかして大葉苦手だった? ごめんね」と言った。

 「ううん、大葉は普通に食べるから平気だよ」

 私の答えを聞いてサモちゃんはホッとした表情を見せた。

 料理の出来るサモちゃんと比べると、ほとんど自炊をしなかった私では餃子の出来は一目で分かるほどひどい代物だった。

 サモちゃんの出来上がりと比べると具が少なすぎたり反対に具を詰めすぎてたりヒダがやたら多かったりと散々な仕上がりのものが多かった。

 「おねーさんって他はそうでもないけど料理のことになると急に不器用になるよね」

 作るうちに次第にマシになっていった餃子の進化過程を見てサモちゃんは苦笑した。

 「今まであんまり自炊してなかったからね。多分指先が不器用なんだと思う」

 「あのさ、おねーさんさえ良かったらなんだけど、僕が料理教えようか?」

 サモちゃんは餃子の具をスプーンに取って、そっと餃子の皮の上に乗せながら訊いた。

 「私本当に不器用だよ。一応卵を割るとかお肉を焼くとかなら出来るけど、それ以外は本当に駄目だけど良いの?」

 サモちゃんの提案はありがたいが、料理に関して私は本当に大人になる過程の中でセンスをどこかに落としてしまったと思える位には料理下手だ。

 一人暮らしを始めた頃、張り切って焼き魚を焼こうとしてコンロで使える魚焼き網を買ったものの、火加減を間違えたのか火柱が立って火事になりかけたこともある。

 料理に関するやらかしを思い出して渋い顔をしているのを見たサモちゃんは

 「大丈夫だよ。おねーさんはきっと慣れてないだけだと思う。僕だって最初は失敗ばっかりだったし」と微笑んだ。

 器用に餃子を包めるサモちゃんでも初心者だったことはあるのか。そう思うと少しだけ希望はあるように思えた。だが、私の失敗の中でどうしても引っかかっているものが一つあった。

 「サモちゃん、私はヒモチャーハンを作って彩ちゃんにふるまったことのある女だよ? それでも本当に良いの?」

 一番隠しておきたかった失敗をおずおずと口にした私に対してサモちゃんは首をかしげた。

 「何? ヒモチャーハンって」

 「実家から焼き豚が送られてきたからチャーハンを作ろうとしたんだ。だけど焼き豚を紐で縛ってたことに気付かなくて紐ごと切ってたの……」

 サモちゃんはぐっと笑うのを堪えながら「それって切ってる時に変だなって思わなかった?」と聞いた。

 「うん、紐付きの焼き豚切るなんて初めてだったし焼き豚の割にはちょっと硬い部分もあるんだなって思ってた。だから全部焼き豚だと思い込んで無理矢理切ったの」

 私が当時を思い出しつつそう言うと、サモちゃんはとうとう我慢しきれず大声で笑った。大きくて低い声で笑うので、なんだかゲームに出てくる魔王のようだ。こんな風に笑うサモちゃんは初めて見たので少し面食らった。

 「おねーさん凄いよ……ある意味天才だよ」

 サモちゃんはまだ笑いが抑えられないままだ。

 「小さめのサイズだったから全部切っちゃったんだよ! 彩ちゃんが食べる前に気付いてくれたからお腹を壊さなくて済んだけど」

 「それなら良かったよ。そういうことがあったから料理してなかったんだね」

 図星だったので私は頷くしかなかった。ヒモチャーハン事件の後、彩ちゃんに色々言われたこともあって、自炊は向いてないと決め込んで今までの食生活をしてきたのが実状だ。

 「きっとおねーさんは手順とか火加減とか覚えたら料理出来るようになるよ。今だって餃子包むの上手くなってるし」

 「そうかな。それでも心配だよ」

 「僕だってさっきおねーさんのこと笑ったけど、昔は調味料の加減を間違えて凄く辛い煮物が出来たり野菜炒め焦がしたりしてたから。そんな僕が今はおねーさんと自分のご飯を作りつつエマノンで働いてるんだよ。だから大丈夫」

 サモちゃんの一言はまるでカサカサに乾いた水に土が染みこむように、頑なに自炊を遠ざけていた私の心にスッと吸収された。

 なんだか一人でも料理が作れる私のビジョンが見えた気がした。

 「それなら……ちょっとずつで良いので教えて下さい」

 「じゃあ今日の餃子もちょっとだけ自分で焼いてみる?」

 夏祭りの初日に目玉焼きを焦がした実績があるくらいだ。餃子なんて気付けば黒焦げになりそうだ。一気にハードルが上がった気がした。

 「なんだか焦がしそうだけど……平気?」

 「それに関しては僕がメインで焼くから心配ないよ。それにおねーさんが焼く時は隣で見てるし、餃子って蒸して焼くから焦がす心配はそこまでしなくて良いかも」

 サモちゃんは自分の胸を叩いた。

 「サモちゃんがそこまで保証してくれるなら……頑張ります」

 私がおずおずと頭を下げるとサモちゃんは朗らかに笑った。

 「うん、今日以降はおねーさんの休みと僕の休みが被った時に少しずつ色々やってみよう。最初は今日みたいに僕がメインで作って最後におねーさんが作るって感じにして、慣れてきたらおねーさんメインで頑張ってみようか」

 「ありがとう。不器用なりに頑張るよ」

 彼に教えてもらったことが、思い出と共に私のスキルとして身に着くのなら悪くない。

 見守られて自分で焼いた餃子は、サモちゃんが焼いたそれと比べるとパッとしない感じがした。

 それでも「初めてでこれならバッチリだよ」と私が焼いた分から手をつけてくれたから、どこかソワソワした気分になった。

 自分で焼いたものを口に運んだが、サモちゃんの下ごしらえのおかげで美味しく出来ていたので穏やかな気持ちで夕食をとることが出来た。





 夕食の後、花火をするために庭に出ようとした時にサモちゃんが「ちょっと待ってて」と部屋に戻った。

 しばらくするとサモちゃんは虫よけスプレーとランタンを持って帰ってきた。

 「はい、おねーさん。念のため虫よけ持ってきたよ」

 「ありがとう。これってサモちゃんの私物?」

 「うん、友達とキャンプしたことがあるって言ったでしょ? その時の残り。一回しか使ってないしまだ使えると思うんだ。あとこっちは充電式のランタン。明るさ調整出来るから花火の邪魔にならない程度の灯りになると思って。ほら、一応火を使う訳だし危ないかなって。……ここまでしなくて良かったかな?」

 不安げに首をかしげたサモちゃんに対し、私は首を横に振った。

 「そんなことない。虫よけ買うの忘れたなって帰って来てから気付いたくらいだし、それにカーテン開けっ放しで花火やるしかないと思ってた位だから。サモちゃんの用意が良いのは滅茶苦茶助かってるよ」

 私が言うとサモちゃんはふわりと笑った。

 「良かった。じゃあ外に出る前に虫よけ使って? 僕その間にバケツに水汲んどくから」

 「あっ、サモちゃん水汲むのちょっと待って」

 掃除の後、私がそのまま廊下に置いていたバケツを持って風呂場に行こうとしていたサモちゃんを呼び止めた。

 「ビニール袋なんて持ってどうしたの?」

 「これの底にちょっと穴開けておいたからバケツにかぶせとくつもり。その上から水くんだら花火の燃えカスと水が分けやすいんだよ」

 「知らなかったよ。おねーさんすごいね」

 「実家でこういう風に花火してたの思い出したんだ」

 ビニール袋をバケツにかぶせながらそう言う私をサモちゃんは感心して見ていた。本当にさっきまでそんなことがあったのも忘れていた位だが、テーブルに置かれた花火セットの袋とバケツを持って洗面所に向かうサモちゃんを見て唐突に昔のことを思い出した結果だった。

 サモちゃんが水をくんでくる間に虫よけスプレーを使わせてもらった。体にまいた時、ひんやりした感触と虫よけスプレー独特のにおいがした。

 「おねーさん、お待たせ。用意出来たからいつでも花火出来るよ」

 「ありがとう。私も袋から花火出しといたからすぐに使えるよ」

 庭に出て花火を始めたが、手持ち花火も私が子供の頃に比べて進化しているようで驚いた。

 花火自体の勢いも強く、カラフルな手持ち花火の先端に火を点けてすぐに流れ星のようなキラキラした光の川が庭の中に広がった。

 あまりにも明るいので、庭が一気に明るくなった気がした。

 「小さい頃花火をするのが楽しくて、興奮しすぎて庭を全速力で走ったことがあったよ」

 私はそう言って火が消えた花火をバケツに入れると、サモちゃんは信じられないという顔で私を見ていた。

 「子供の頃は割とアグレッシブだったの?」

 「まさか。子供の頃からすごい内弁慶だったよ。きっと子供の頃の私が迷子になっても知らない人と一緒に親を待つのってハードル高かったかも」

 「今は僕と話しても平気じゃない?」

 「サモちゃんと話すのは慣れたから良いの」

 私の答えを聞いて、サモちゃんはどこか満足げに笑って

 「そっかあ。僕にはもう慣れたのか」と言って手持ち花火二本一気に火を点けた。

 「二本持ち良いね。私もやりたい」

 私もサモちゃんの花火から火を移してもらい、新しい花火に火を点けた。

さほど大きくない自宅の庭での花火だというのにやけに楽しくて、ついつい子供の頃のようにはしゃいでしまった。気付けばあっという間に残りは線香花火数本だけになっていた。

 「今日のメインイベントも終わりかあ」

 私は庭の隅にしゃがんでそう言ったあと線香花火に火をつけた。しばらくすると花火の先端の光の玉からパチパチと火花がはじけた。

 サモちゃんも私に続いて火をつけて線香花火の光の瞬きを見つめていた。手持ち花火の激しい光とは違い、穏やかな光が庭にぽつんと瞬いていた。

 どこまでも続きそうな夜の闇の中で花火の光とサモちゃんの持ってきたランタン、それからカーテンの隙間からもれる照明の灯りだけがすべてだった。

 「僕、子供の頃はあんまり線香花火って好きじゃなかったな。なんか他よりも地味だしちょっと持って歩いただけですぐに落ちちゃうし……。でも今こうやってやってみたらこの小さな光もきれいで良いね」

 そう言ったサモちゃんの横顔は、光の大きくなる線香花火に照らされてオレンジ色に染まった。

 「サモちゃんの言うことなんか分かるよ。私も久しぶりに花火やってみて線香花火をじっと見てるのも悪くないなって思ったよ」

 「こういうのが分かるって大人になったってことなのかな」

 「多分? でも二十歳越えてそこそこ経つけど、大人になったって実感はあんまりないかな」

 私が今までの人生を振り返りつつ、やや苦笑しながらそう言うと持っていた花火の先がポトリと地面に落ちた。しばらく地面の上でパチパチと光と音がはじけていたが消えてしまうと一気に庭は暗くなった。

 「やっぱりさっきまでの花火に比べたら消えちゃうと寂しくなるね」

 私は手探りで新しい線香花火を手に取った。

 新しい花火に火をつけてしばらくした後

「おねーさん、そっちの花火から火もらって良い?」と言ってサモちゃんが私の隣にすとんと腰を下ろした。

 「はい、これで移るかな」

 「ありがと。……あのさ、もう少しこのまま隣にいて良い?」

 パチパチと互いの花火がはじける音が響く中で、サモちゃんはポツリとそう言った。

 言葉自体は短かったが、その中に何かしらの熱を感じた。どういう気持ちからくるものかまでは汲み取れなかったが、否定したくない。

 「……私は別に良いけど、暑くない?」

 「大丈夫。このままが良い」

 サモちゃんはもう一歩分私の隣に寄った。その瞬間に彼の腕が私の体に一瞬触れた。

 普段なら他人の体と自分の肌が当たるのに抵抗のあるはずなのにサモちゃんは気にならなかった。

 よく考えてみれば手を繋いだこともあるし、サモちゃんなら良いのかもしれない。

 私たちは、今までで一番近い距離で線香花火を見つめながらずっと黙っていた。

 夏の夜独特の湿り気のある空気の中で火薬のニオイが私たちの間に漂っていた。

 無言の状態でも居心地の良さを感じるのは、やはり彼に対して気を許せているからなのだろう。恋に発展したのか親愛止まりなのかまでは分からないが。

 私はサモちゃんと一緒にいるのは楽しいと夏祭りの時に伝えたが、サモちゃんは私と一緒にいる時はどう思っているのだろうか。

 ぼんやりとした気持ちで花火からサモちゃんに視線を移すと、サモちゃんは視線に気付いたのか目が合ってしまった。

 「どうしたの?」

 「あー、いや……サモちゃんって私に色々合わせてくれるけど、一緒にいて無理してないかな? ってちょっと思っちゃって」

 私のことどう思ってる? とストレートに尋ねることが出来ないからとは言え、自分でもちょっとずるい質問の仕方だと思ってしまった。

 「あー、変なこと言ってごめん。忘れて?」

 私がそう言って少しした後、お互いの線香花火が同じくらいのタイミングで落ちたので、さらに気まずくなった。

 「花火も無くなったし戻ろうか」

 私が立ち上がると、サモちゃんが私の手首を掴んだ。

 振り返ると、真剣なまなざしで私を見上げるサモちゃんがいる。

 「僕はおねーさんと色々するの楽しいし無理なんてしてないよ。なんて言うか、一緒にいると自然体でいられるし。だから、おねーさんには僕との生活でモヤモヤしてほしくないな」

 サモちゃんはそう言った後「急に掴んでごめんね」と私の腕から手を離した。

 彼の一言を聞いて私は大きく溜め息をついてしゃがみ直した。

 「サモちゃんがそう言ってくれるなら良かったよ。居心地良いなと思ってるのは私も同じだし」

 「本当? なら今はそれで十分だよ」

 薄暗い中だったが、サモちゃんの声は明るかった。

 「サモちゃん」

 私は思い切って声をかけた。

 「なあに、おねーさん」

 「今日の花火みたいに、私の夏休みの間に色々付き合ってくれる? あ、どうしてもインドア派の夏休みだから映画一気見とかであんまりいつもと変わらないかもだけど」

 「そのくらいなら夏休み抜きでもいつでも付き合うよ。なんなら明日から一緒に早起きしてラジオ体操でもやろうか。なんか夏休みっぽいでしょ」

 サモちゃんはそう言った後、ラジオ体操第一のイントロを口ずさんだ。

 いつもの私であればすぐに「早起きは遠慮します」と即答するところだが、サモちゃんの気持ちを少しだけ知ることが出来て気分の良い私は

 「じゃあラジオ体操用にスタンプカードでも一緒に作る?」と笑って答えていた。

 サモちゃんが私を花火大会に誘ってくれたように、今度は私も一人で行っていた美術館の展示会や映画にサモちゃんを誘ってみるのも良いかもしれない。

 そう前向きに感じた夜だった。





 花火の翌日含め私が夏休みの間、サモちゃんは文字通り付き合ってくれた。

 私が大量に買いだめしたお菓子をつまみながら一緒にリビングで三本くらい立て続けに観たり、お互いの持ってる漫画を貸し借りして読んだりと基本的に家から出ないで楽しむことを満喫した。

 「僕、ホラー映画ってちょっと苦手かな」

 ホラー映画を再生し始めた頃に、サモちゃんはソファーの奥に腰かけながら少し小さな声で言った。

 「あっ、ごめん。違うの見る?」

 「大丈夫。見始めたら平気なんだけどポスターとかパッケージが特に怖いなって」

 「ストーリー自体は平気なんだ」

 「うん。見るって身構えてたら気にならないし、むしろストーリーが進んでいくのを見るのは好き。でもポスターとかは街をボーっと歩いてる時なんかに急に目に入るとビックリするから苦手」

 「あー。作る人もそれが狙いなんだろうね」

 サモちゃんが怖いポスターを見て軽く飛び上がるのを想像して少し笑いそうになった。

 「うん、だからもっと明るい色を沢山使ったホラー映画のポスターが増えたら良いのに」

 不満げにそう言いながら、クッションを抱きかかえるサモちゃんはやっぱりホラー映画が苦手なんだろう。

 「サモちゃん、やっぱりこれ見るのやめる?」

 「いやだ。ここで止めたら怖いまま僕の頭の中に残って寝られなくなるし最後まで見る」

 そう言いいつつも時々怖いシーンをクッションで隠しながら見るサモちゃんはいつも苦手な物がなさそうな分、ギャップが可愛いと思ってしまった。

 映画が終わってからサモちゃんに教えてもらいつつ、材料を切るところから焼きそばを全部自分で作ってみた。

 サモちゃんの教え方が良いこともあり、包丁で指を切ることもフライパンの中で具を焦がすこともなく上手く作れた。

 サモちゃんが美味しそうに焼きそばを食べるのを見てホッとしたのと同時に「自分が作ったものを美味しく食べてもらうのって良いな」と思った。

 彩ちゃんにもLINEで『一人で頑張った』と焼きそばの写真を送るのと一緒に料理を作ることに対して少し抵抗がなくなったと伝えてみた。

 彩ちゃんは『そう思ってくれるならもっと早く私が料理を教えても良かったかな。でも私だと今までの距離が近すぎた分、厳しくしすぎて逆効果になったかもしれないし、教えてくれるのが四ツ谷くんで良かったかもしれないね』と返事をくれた。

 最終的に彩ちゃんから『このまま愛妻弁当でも作れるくらい頑張れ!』と茶化されてしまったが、そこは彩ちゃんなりの優しさが込められていたので良しとした。

 夏休みの残りの二日間もサモちゃんに程良く甘やかしてもらいつつ、久しぶりにのんびりする事が出来た。

 夏休み最終日の夜、エマノンで働くサモちゃんを迎えに行くついでに食事をしてから帰ることにした。

 「四ツ谷くんがうちに来てくれて本当に良かったよ。今後も居てくれると助かるな」

 「当分辞める気はないので安心してください」

 サモちゃんはグラスワインを飲んだ後そう言った。

 「だけど勤務日を増やすのはもう少し慣れてからも良いですか?」

 「それで良いよ。元々私とダンナだけで営業してたし」

 私の昔からの友人の経営する店でサモちゃんが働いているのは何だか不思議な感覚だったが彩ちゃん達と話しているのを聞いていると、これはこれで悪くないと思っていた。

 店から帰る時、自転車を手で押していたサモちゃんが「おねーさん、手繋ぎたい」とよく通る声で言った。

 あまりにも唐突すぎたので私は「へぇ?」と間抜けな声しか出なかった。

 サモちゃんは「この前繋いだ後からずっと手繋いでないなって思ったから。今なら人も少ないし……駄目、かな」

 サモちゃんは立ち止まり、まっすぐ私を見て言った。街灯で照らされているサモちゃんの顔が少しずつ赤くなっていく。きっと言いきった後で恥ずかしくなったのだろう。

 「そういうことなら、どうぞ」

 サモちゃんの気持ちに応えたくなった私はそう言って手を差し出した。サモちゃんは自転車のハンドルから右手を離し、私の左手にそっと指を絡めた。

 サモちゃんの横顔を盗み見ると、満足げだ。

 「この前は気付かなかったけど、おねーさんの手、ちょっと冷たい?」

 「冷え性なんだよ。今は夏だからそこまで酷くないけど、冬場は氷みたいに冷たくなるから嫌なんだよね」

 「じゃあ冬場になったらもっと手を繋いで僕の手をカイロ代わりにして良いよ」

 「冷たすぎて引かれちゃうかもしれないし悪いよ」

 「おねーさんなら特別に良いよ」

 そう言ってサモちゃんはもっと強く手を繋いできた。サモちゃんの言い方が可愛くて思わず私は笑っていた。

 「じゃあ寒くなった時はぜひともよろしく」

 手を繋ぎながら歩く中で、鈴のような虫の音が微かに聞こえてきた。

 私とサモちゃんの距離が少し近付いたように、秋はもうすぐそこまで来ていることに気付いた帰り道だった。

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