第2話 見習い1号発進

 四月、五月は引っ越しの後の手続きや荷ほどきに追われているうちにあっという間に過ぎていった。

 そんな中で私が休みの時に、内装やインテリアを選ぶためにショッピングモールに行った日があった。

 家に戻る際にサモちゃんから思い出したように「そうだ。おねーさんお弁当箱って持ってた?」と声をかけられた。

 「え? そういえばないなあ。サモちゃんどこか行くの?」

 私物を思い出しながらそう言うと、サモちゃんは首を横に振った。

 「違うよ。ご飯二人分作るのも慣れてきたし、おねーさんのお昼ご飯もお弁当で用意しようかなって」

 真面目な顔でサモちゃんが言うので私は驚いてしまった。

 「いや、今も朝晩作ってくれてるのに悪いよ! お昼は今まで通り適当にコンビニで買うし」

 サモちゃんは「おねーさんの分も僕が作る」と宣言通りキッチンが片付いていた。 ルームシェア二日目の朝から

 「おねーさんの分も朝ご飯作ったから良かったら食べていってよ。シェアハウスとは言っても一緒に住んでるんだし。晩ご飯も美味しいの作るから期待してて」

 と言われてしまい断るのも悪いなと、そのまま甘えることにした。

 一人暮らしの頃はコンビニで買っておいたパンや栄養補助食品で済ませていたので、朝から温かいものを食べるのは実家から出て以来久しぶりだった。

 サモちゃんは学生時代ずっと自炊していたというだけあって、一つ一つの料理の味付けもとても美味しかった。

 朝晩の食事を任せてしまったので、さすがに昼くらいは自分で何とかしようとして、今まではコンビニでお昼を調達している日々。

 いくらサモちゃんが家に居るからと言って、三食作ってもらうのは気が引けるが

「コンビニご飯って続けてると食費結構かかると思うんだよね。それなら僕作るよ? 僕は今長い春休みみたいなもので家にいるし。こういう時は気にしないで甘えてよ。……それに僕、彼女にお弁当作るのってちょっと良いなと思って憧れてたし」

 なんだか寂しくて夜に鳴く子犬みたいなしょげ方でそう言われてしまったので

 「じゃあ来週からお願いして良い?」と言わざるを得なくなった。

 サモちゃんは私の返事を聞くなり「やった! じゃあ次はこのままお弁当箱買いに行こうよ。どんなのが良いかな。二段になってるやつとか保温出来るやつかな? それかキャラクターものの可愛いのにするとか?」

 サモちゃんはまるで「散歩? じゃあ行こうよ」と言わんばかりにリードを咥えて玄関で尻尾を振って待機している犬みたいにウキウキしながらそう言ったから、なんだか私の申し訳ないと思う気持ちもどこかに行ってしまった。

 「サモちゃん、そこまで張り切ると後からしんどくなっちゃうだろうしシンプルな感じの弁当箱で良いよ」

 私はこの可愛いサモエドを諫めつつも、つられて笑いながらそう言っていた。

 一年後には私たちは別れて違う道を歩いていたとしても、一緒に買った弁当箱はきっと大切にしておくだろうなと帰りの電車の中で彼の世間話を聞きながらボーっと思っていた。





 ある日会社にサモちゃんが手製の弁当を広げると同僚から

 「お弁当なの珍しいね。美味しそう」と言われてしまった。

 彩りをはじめ栄養バランスまで考えて作られた完璧な弁当を、自分が作ったなんて嘘をつくのは出来なかった。とにかく何か言わないとと焦りつつ

 「最近ルームシェアしてる子が料理上手で作ってもらったんだ。褒めてもらったこと言っておくね」と言っておいた。

 「あっ、そういえば引っ越したって言ってたもんね。新居はどう? 慣れた? 私もそろそろ引っ越したいなあ」と返してくれたので、返答的には間違ってなかったと思う。

 私の新居の話から次第に同僚の彼氏の話に移っていったので、私はサモちゃんが作ってくれたミニハンバーグを口に運びながら昼休みの残りの時間を聞き役に徹することにした。

 




 サモちゃんは一緒の家に住んでいても今までの私の生活について詮索したり過去の交友関係について根掘り葉掘り聞いてきたりしてこなかったから一緒に住んでいても気が楽だった。

 彼もひとり上手な所があるらしい。私が帰宅するとリビングで料理のレシピ本を読みながらノートに書き写していたりエントリーシートを書いていたりしていた。

 サモちゃんは就活に失敗したとは言っていたが「内定取るのが難しいなって思った頃からバイトを増やしてなるべく貯金してたんだ。だから一年くらいは仕事が見付からなくても大丈夫かも。無理して海外旅行に行ったらさすがに厳しくなるけど」と話してくれた事があった。

 貯金があると言っていたのは確かなようで「一緒に暮らしてるんだしお金は入れさせてください」と言って生活費の半分を毎月手渡しで貰っている。

 私としては一人暮らしの頃よりもかかる費用が半分で済んでいるので彼の申し出はありがたかった。

 毎日の食事を用意してもらううちに、いつの間にか朝晩は二人で顔を合わせて食事をするようになった。

 「うちの会社に新しく入ってきた人がオグラさんって言うんだけど、その人の出身地が大福って書いてオオフクって読む地名なんだ」

 「大福にオグラってなんだか和菓子屋みたいだね」

 こんな感じで大した話をしている訳ではないが、ちょっと誰かと共有したくなるような話をする事が多い。食事中の何気ない会話が増えていくにつれて、少しずつ親しくなっていった気がする。





 六月の半ば頃、彩ちゃんに近況報告も兼ねてエマノンに呑みに行った。

 サモちゃんには朝から「エマノンで晩ご飯を食べるから夕飯は私の分はなくて大丈夫」と言っているし翌日が休みなので多少帰りが遅くなっても問題はない。

 彩ちゃんはポテトサラダのアンチョビがけをカウンターに置きながら「最近四ツ谷くんと暮らしてみてどうなの? それもあって来てくれたんでしょ?」と聞いてくれた。

 「うん、思ったより快適に暮らしてるし結構楽しいよ」

 「へー。一人暮らしが長いから今頃共同生活に音を上げてると思ってたけど、案外上手くいってるんだね」

 「うん、共用部分のリビングとか水回りなんかの掃除は当番制。洗濯は各自で回す。って感じで暮らしてるから思ったよりストレスフリーだよ」

 「ご飯ってどうしてるの? あんた割と食にこだわりないじゃん。学生の頃もレ ポートの締め切りがギリギリの時なんかエナジードリンクとプロテインバーのローテーションで生きてた時もあったし。……その位の時期だっけ? パン買ったのは良いけど食べ損なってしばらく放置してたら袋の中で緑とか青のカビのコロニーを生み出してたのって」

 「カビパンのことは忘れて下さい。私にとっても黒歴史です……。ご飯に関してはサモちゃんがお弁当も含めて作ってくれてるから。なんとか今日まで生きてこれたよ」

 おっと。うっかり家にいる時と同じようにサモちゃんと呼んでしまった。私が気付いた時には彩ちゃんはニヤニヤしながらこっちを見ていた。

 「サモちゃん、サモちゃんねぇ。あだ名で呼ぶくらい仲良くしてるみたいだし、なんだかんだ上手くいってるみたいで安心したよ。……というか、四ツ谷くん料理出来るんだね」

 ほんの一瞬、彩ちゃんの目の色が変わった気がした。

 「うん。一通りのものは作れると思うって言ってたよ」

 照れを隠すつもりでハイボールを飲み干した。氷が残っているグラスをそのまま頬に当てると心地良かったので、私は相当照れていたのだろう。

 「料理上手なら彼にとっても、うちの店にとっても良い話があると思うんだけど聞いていかない?」

 「どんな話?」

 これ以上彩ちゃんに蒸し返されたくない私は話に乗ることにした。

 「七月中に地域の夏祭りが二日間開催されるんだけど、そこにエマノンも出店するの! うちで出してる自家製ベーコンとブロッコリーをソテーにしたものと、フライドポテトにサワークリームとかトマトパウダーとかのソースを何種類か用意してトッピングしたものの販売が決まったんだ!」

 「なにそれ美味しそう。それから出店おめでとう! だけど夏祭りに彩ちゃんと旦那さん二人だけでお店回るの?」

 ここの地域の夏祭りは市がメインで開催しているので規模は大きい。その分、来客も多いので彩ちゃんと彼の夫の手際が良いと言ってもピーク時は苦戦しそうだ。

 「そこで提案なんだけどね、四ツ谷くんが料理出来る子なら夏祭りの時だけで良いから出店の手伝いをしてほしいんだよね。お給料も奮発するし。悪い話ではないと思うけどどうかな?」

 彩ちゃんの相談に対して、私はキッチンに立つサモちゃんを思い出していた。手際良く料理を作ることが出来るサモちゃんであれば、即戦力になると思う。

 「そういうことなら私から聞いてみるよ。返事はいつまでにすれば良い?」

 「ありがとう! じゃあ四ツ谷くんがダメな時に他に働いてくれる人探さないとだし、来週中にはどうだったか教えてくれる?」

 「分かった。帰ったら話してみるね」

 彩ちゃんから夏祭りの日程を聞いたが、両日ともに私が休みの日に開催されるようだ。

 今年はアイドルやお笑いタレントを呼んで小規模だがライブもやるようなので例年以上に人が多くなるらしい。

 大変そうなのは想像出来るからサモちゃんが働くかどうかに関わらず、彩ちゃんたちに差し入れを持って遊びに行こう。

 家に帰って、まだ起きていたサモちゃんに予定を聞いてみたらあっさりとOKをもらった。

 「ちょうど調理関係の仕事を探してたし凄く嬉しいよ。僕、彩さんの連絡先知らないしおねーさんが窓口になってくれるの? それともお店に直接電話する方が良い?」

 「じゃあ私の方から彩ちゃんに話しておくね。細かい打ち合わせとかどうすれば良いかも合わせて聞いておくよ」

 「分かった。ありがとう、おねーさん」

 彩ちゃんに連絡すると、早速サモちゃんにやってほしいことがリストアップされたものが送られてきた、私はそのままサモちゃんにそれを伝えると「準備をするから」と言って部屋に戻っていった。

 リビングは私一人になってしまった。

 サモちゃんと一緒に住んでからというもの、家では二人でいることが多かった。

 一緒に食事をしたりバラエティ番組を見て笑い合ったりしていたから、久しぶりに一人でいるこの瞬間がぞっとするほど静かで驚いてしまった。

 一人には慣れていると思っていたのに、一人でいるのがこんなに寂しく感じるなんて。

 ふっと沸き上がった考えを振り切るようにスマホで音楽を再生して大きな声で歌って気を紛らわせようとした。

  それからしばらくの間サモちゃんは夏祭りの準備や打ち合わせで家を空けることが多くなった。

 そういう時はいつもLINEで「エマノンに行ってきます。晩ご飯は作っておいたから食べてね」と送られてきた。

 それに加えて仕事から帰って空腹のままキッチンに向かうと「今日のご飯は油淋鶏だよ」や「今日はトマトスープだよ。明日はこれを使ってスープパスタにする予定だから残しておいてね」なんて書かれた手書きのメモが置いてあった。サモちゃんの大きめの丁寧な字の横にはサモエドに見えるモコモコした犬らしきイラストが毎回添えられていた。

 お世辞にも上手とは言えないが味のあるイラストだったので、捨てるのがなんだかもったいなくて、私はそのメモをクリアファイルに入れて自分の部屋に保管しておくことにした。

 数日後、サモちゃんにメモを取っていたのがバレたが

 「こんな風に残るんだったらもっと上手に描けば良かった」と悔しがっていた。

 それ以降メモが置いてある日はイラストのサモエドが妙な凝り方をし出した。例えばお皿らしきものを持っていたり、なぜか逆立ちしていたり、自転車みたいなものに乗っていたりだ。私はその変化を可愛いと思ってしまった。





 夏祭り初日、サモちゃんは準備もあるからと朝七時には家を出た。前日も

 「おねーさん二日間ともお祭り来るよね? 僕、明日と明後日は早く出掛けるから朝ご飯用意出来ないかも……。冷蔵庫に卵とハムがあるからそれ使って朝ご飯食べて?」と言われていた。

 私がモソモソと十時ごろに起きるとサモちゃんはもう出かけていた。

 今から仕度しても会場に着くのは十二時頃だ。多分エマノンだけじゃなく会場全体が混みあっていそうだし、少し時間をずらしてから行こう。

 カーテンを開けると日差しが強く、夏本番の空の色をしていた。雲一つない晴天で、まさにイベント日和にふさわしかった。

 サモちゃんたちは鉄板やフライヤーの側でもっと暑いだろうし、差し入れに冷たい飲み物でも買ってから行こう。

 ぼんやりと会場に行くまでのプランを考えながら久しぶりにフライパンを握っていたので、うっかり目玉焼きを焦がしてしまった。

 家を出て差し入れを買おうとコンビニに入った途端に、必要なものが色々あるんじゃないか? と考えてしまい、凍らせてあるペットボトル飲料や塩タブレット、それから経口補水液なんかをカゴにあれこれ入れているうちに割と時間を取られてしまった。

 想像以上にコンビニで買ったものが多くなったので、フウフウと言いながら会場になっている市役所そばの大きなグラウンドに向かった。重いものを持って歩いていたせいで、結局到着したのは午後三時ごろになっていた。

 市の主催するお祭だから規模は大きいとはいえ、そこまで混んでないだろうと思っていた私は、会場にいる人の多さに驚いてしまった。

 中高生くらいの集団がカラフルな浴衣姿で、私の横を賑やかに通り過ぎたと思ったら、その横では父親に抱っこされてバルーンアートで出来た剣を持ってニコニコしている子供が目には入った。

 なんだか、この地域に住んでいるうちの八割くらいの人がこの場所に集まっていると言われても信じてしまいそうなほどごった返している。

 カップルがかき氷を食べながら歩いているのにぶつからないようゆっくり追い抜きながら、私は彩ちゃんの出店にようやくたどり着いた。出店がグラウンドの奥の方にあるから、到着にさらに時間がかかったのは仕方ないと思うようにした。

 お昼のピークを過ぎているからか、エマノンはちょうど人がいなかった。

 「彩ちゃん」と私が呼ぶと

 「来てくれたんだね! え、その袋何? 差し入れ? ありがとう! ちょうど喉乾いてたから嬉しいよ!」と私が買ってきた袋を受け取りながら彩ちゃんは嬉しそうにした。

 彼女の夫と彩ちゃんが表にいるが、サモちゃんの姿が見えない。店の奥まで見てみると、サモちゃんが出店の奥のスペースで黙々とブロッコリーを食べやすいサイズに分けていた。

 サモちゃんの近くのボウルの中にもさもさとした緑色の山が出来上がっている。

 「サモちゃん」と声をかけると彼は顔を上げて駆け寄ってきた。

 「おねーさん! 来るの遅いよ! 僕お昼ご飯も用意しないで出てったし、ご飯だって一食分しか残してなかったからお腹を空かせて来ると思ってたのに全然来ないんだから! ……僕、ずっと待ってたんだよ」

 サモちゃんは不機嫌そうに見えたが、私に投げた声は寂し気にも聞こえた。

 ずっと待ってた。と言われて私はなんだか胸の奥がくすぐったくなってしまったが、私がのんびりしていたせいで待ちぼうけを食らったサモちゃんに何も言わないのも申し訳ないので「遅くなってごめんね。起きるのが遅かったのとお昼行っても混んでて邪魔になるかなって思って時間をずらしてたんだよ」と言い訳にしかならない言葉を並べることにした。

 サモちゃんは言い訳を聞いて少しむくれていた。

「明日はおねーさんの部屋の前に大きな音で鳴る目覚まし時計を置いておけば今日より早く来てくれる? 僕、空いた時間におねーさんと一緒にお店回ろうと思ってたのに」そう言って私から冷たい麦茶を受け取り一気に飲んだ。

 私が来るのをそんなに楽しみにしていたのなら、もっと早く行けば良かったと後悔してしまった。

 「ごめんサモちゃん。明日は早く向かうから。それに出店もおごるよ」

 私が必死に宥めているのを見て、彩ちゃんが笑っていた。

 「四ツ谷くんも彼女の前では甘えたり拗ねたりするんだね。接客面では真面目だからそんな風には見えなかったけど」

 「そうなの?」

 「そうそう。手際も良かったし大助かりだよ! 正直に言うとこの二日間だけじゃなくて正式にエマノンで働いてほしいくらい! でも四ツ谷くんモテるんだね。さっきも女の子に声かけられてたし」

 「彩さん! 何でそれ言うの!」

 サモちゃんがこんなに動揺するのは珍しいので、ついじっくり見つめてしまった。

 私が見ていたのにハッと気づいて

 「僕はちゃんと断ったよ! 彼女がいますって言ったら引いてくれたけど、何回かそういうことがあったし午後からは裏で作業してた。彩さんと旦那さんが表に立ってくれて僕が見えないようにガードしてもらってたけどちょっとそこは申し訳ないな」

 「四ツ谷くん、私達は気にしてないから大丈夫だよ。むしろ午前中お客さん多かったの四ツ谷くんのおかげでもあると思うし」

 「……迷惑かけてないなら良かった」

 サモちゃん達のやり取りを聞いていると、一緒に住んでいるうちに見慣れてきたから忘れていたが、サモちゃんの顔が整っていたこと思い出していた。

 確かに女性から声をかけられてもおかしくないだろう。

 「サモちゃんはモテるんだね」

 「違うよ。そう言うんじゃないんだよ。おねーさんまでからかわないでよ……」

 私が笑いながら言うと、サモちゃんはまた少しむくれていた。

 この時の私は、自分の気持ちに無頓着すぎたのでサモちゃんが女の子に声をかけられたという事実しか頭に残っておらず、嫉妬するなんて気持ちは浮かんでこなかった。むしろ、人から見て魅力的な男の子と知り合いになれたことを誇らしげに思っていたような気がする。

 彩ちゃんから「しばらくは私とダンナだけで大丈夫だと思うからしばらく二人であちこち回っておいで」とお許しが出たので私とサモちゃんは二人で出店を見て歩くことにした。

 サモちゃんは私が奢ると言ったこともあり、色々出店の料理を買ってとねだった。

 私が買ったものはすぐサモちゃんのお腹の中におさまるので、育ちざかりの男の子は凄い。と思いながらサモちゃんの食べっぷりを見られたので面白くもあった。

 サモちゃんはチキンカレーとチーズナンのセットを食べた後、牛肉の串焼きを食べていた。

 私も鶏肉専門居酒屋が出していた焼き鳥と唐揚げ串のセットを買って、出店を一緒に回った。

 「さっき彩さんが言ってたことだけどね」

 大きめの牛串を半分くらい食べ終わったサモちゃんが唐突に話を切り出した。

 「ああ、女の子に声かけられたってやつ?」

 私は紙コップに入った二本目の焼き鳥に手を出そうとしていたが、一旦その手を止めた。

 「それ。相手は女の子だったけど、知らない人に声をかけられるってびっくりするし、ちょっと怖いなって思ったんだ。だから……その……」

 サモちゃんは言葉を探すように言い淀んだ。

 そういえばサモちゃんはカレーを食べながら何か考えごとをするようにぼんやりしていて、私が気付かなかったらカレーを服にこぼしそうになっていたのを思い出した。

 少しの間が空いた後

 「おねーさんも、僕が初めて声をかけた時に嫌だったんじゃないかって不安になった」

 とサモちゃんは緊張した面持ちでそう言った。

 いきなりのことで私がきょとんとしていると、サモちゃんは私の答えを待つようにじっと見つめてきた。サモちゃんの目は不安そうに揺れている。

 確かにあの日急に声をかけられて驚きはしたが、四ヶ月くらい一緒に暮らしてみた今となっては私にとって楽しいと思えることの方が多い。

 一緒に暮らしていてもストレスをあまり感じないというのは凄いと思う。実家で血の繋がった家族と住んでいた頃ですら、ちょっとしたことでイライラしたりしていたというのにだ。

 「サモちゃん」

 「はい」

 「あの日のこと私は全く気にしてないよ。むしろ、今の家に住めるようになったのはサモちゃんのおかげでもあるし。食事の面でも色々助けてもらってるから感謝しかないよ。むしろ、あの時声をかけてくれてありがとう。」

 私の答えを聞いてサモちゃんはほっと息をついて笑った。

 「……良かった。おねーさんが不快に思ってないならちょっと安心した」

 いつもは堂々としているサモちゃんの、こういう笑顔は初めて見るので少しどきりとした。

 「私はサモちゃんと二人で暮らしてて凄く楽しいよ。一緒に暮らすのが一年限定にしてるって時々忘れちゃうくらい。こうやって深く知り合えた男の人の初めてがサモちゃんこと四ツ谷鴇くんで良かったよ」

 私にとっては当たり前のことだったので、特に気負わず、それこそ少し冷めてきた焼き鳥を一口食べた後に言った言葉なのに、サモちゃんは急に顔を背けた。よく見ると耳が赤くなっている。

 「サモちゃん?」

 「ちょっとこっち見ないで。唐突にそう言うこと言われたら照れる……。そう言うことって僕が言いたかったのに」

 サモちゃんの赤くなった顔を見ようとするも、サモちゃんは上手く顔を隠していたので残念ながら照れた顔は見られなかった。

 サモちゃんが大きな深呼吸をしたあと、私に顔を向けた時にはいつもの穏やかなサモちゃんだった。見慣れた笑顔を見せてサモちゃんはこう言った。

 「じゃあ今まで通りこれからもよろしくね」

 「はい、こちらこそ。あっ、サモちゃん、りんご飴買ってきていい?」

 照れたサモちゃんを見ようとしていた最中に、近くの屋台で売っていたつやつやとした赤が眩しいりんご飴が目に入り急に食べたくなってきていた。

 「良いよ。おねーさん、実はりんご飴って家に帰ってから切って食べた方が美味しいの知ってた?」

 「そうなの? ここで美味しそうな部分から丸かじりしていくつもり満々だった」

 「丸かじりって……。おねーさんって時々発想が雑な時あるよね」

 「いやぁ、それほどでもないよ」

 「まあ良いや。じゃあ、食べ終わってから彩さんたちの所に戻る? りんご飴って大きいから、多分食べ終わったら良い感じの時間になると思うし」

 「ううん、家に帰ってサモちゃんに切ってもらう。それで私もお茶かコーヒー淹れるから二人で食べよう。駄目かな?」

 私の提案を聞いてサモちゃんは上機嫌になった。

 「じゃあ、うんと美味しそうなのを選んでいこうか」

 そう言ったサモちゃんの笑顔は夕日に照らされてすごく綺麗に輝いていた。

 私は、彼と別れてしまう日が来ても忘れたくないと思える笑顔だった。

 りんご飴を買って彩ちゃん達の出店に戻ると小さな行列が出来ていた。

 行列の向こうから「彩ちゃーん」と呼びかけると

 「おかえりー! 四ツ谷くんもいる? 悪いけどまた売り場に戻ってほしいんだ! 向かいにある神崎のおっちゃんの店でお酒買った人がおつまみ買いにこっちに流れてきてる!」

 「はい! おねーさん、ごめんね。落ち着いたら連絡するね」

 サモちゃんはそう言うと売り場に戻ってしまった。

 神崎のおっちゃんの店とは何だろうと思い、エマノンの出店の向かいを見てみると赤く塗ったイベントテントに白いペンキでかでかと「神崎酒店」と書かれていた。それに、テントの横に大きなのぼりで「地ビールあります」と宣伝されていたので見ただけで何の店か分かった。

 近くに寄ってみると、青いアイスボックスいっぱいに入れた氷水の間にビールやジュースの缶が涼し気にぷかぷかと浮かんでいる。これは夏が始まった今の時期には飛ぶように売れそうだ。

 私がアイスボックスをまじまじと見ていると「なんだい嬢ちゃん、彩ちゃんの知り合いかい?」と急に声をかけられた。驚きつつも声の主の方に目を向けると色黒でクマのような中年男性がいた。

 彩ちゃんの夫より背は低く見えるが、腕や肩の周りの筋肉がしっかりしている。

 この人が彩ちゃんの言う「神崎のおっちゃん」らしい。

 神崎さんは、にこにこしながら私の返答を待っていたので「彩ちゃんとは学生時代からの友達なんです」と返した。

 神崎さんはガハハと力強く笑った後「そうかそうか! あの子の友達かあ! 急に声かけて悪かったな、俺はあの子の店に酒を卸してる神崎だ。しかし彩ちゃんは良い子だよなぁ! うちの店から配達に行くと「重たいのにいつも沢山ありがとう」って言ってくれるんだからこっちも気分が良いんだ。この祭りだって俺の店が向かいで売るって分かったら「エマノンで酒に合うメニュー考えたから神崎のおっちゃんのお酒とコンビが組めて売り上げが凄いことになるよ!」なんて言ってくれてな。ダンナも細かい所まで気が付く良い奴だしよぉ」

 友人夫婦を褒められるとこっちまで嬉しくなってしまう。私は自分が褒められた時のように照れながらも「ありがとうございます」と笑った。

 「彩ちゃんの友達なんだし、後でサービスするから寄ってきな。そういや、彩ちゃんの店にいる若い兄ちゃんはバイトかい?」

 「そんな感じです。今日明日臨時で入ってます」

 「あの子も目が合うたび会釈してくれて感じが良いし、このままエマノンで働いてくれたらおっちゃんもっと配達が嬉しくなるねぇ。あの兄ちゃん、あんたの彼氏かい?」

 彼氏、と言われ私は少し戸惑った。確かにサモちゃんとは一緒に住んでいるしお試しとは言え付き合っている関係だ。サモちゃんはその辺にいる男の子よりも格好良いのも分かってる。だけど、私達は特にスキンシップをしている関係でもないし今の私にとってサモちゃんは歳の離れた弟のようなものだ。一緒に居て楽しいのは確かだが、彼氏として断言して良いのかまで分からない。

 だから「まぁ、一応彼氏です」と曖昧にしか答えられなかった。

 神崎さんは私の答えを否定せず笑っていた。

 「ほーう、そうなのかい。俺の勘だがあの子は相当良い子だと思うから手放したりしないようにしなよ! おっ、お客さんが来たから失礼するな。今日か明日の帰りにでも彼氏っぽいのと寄ってきな!」

 と言い残して家族連れの客の会計に向かってしまった。

 神崎さんと話した時間はわずかではあったが、自分の今の境遇を考えるきっかけを作るには十分すぎる時間だった。

 サモちゃんと過ごす日々が楽しくて忘れかけていたが、一年という期間とはいえサモちゃんと付き合っている。

 私は彼と過ごす時間は好きだが彼のことを、ちゃんと異性として好きなんだろうか。

 彼も、私に対して特別な感情を持って見てくれているのだろうか。

 私はエマノンの出店を振り返って見てみた。彩ちゃんの店でてきぱきと無駄なく働くサモちゃんを見ていると、私にはもったいない、遠い存在のような気がしてきた。

 それに比例して私自身がちっぽけな存在に思えてしまい、なんだか一気に悲しくなってここから離れたくなった。

 「彩ちゃん」先に帰るね。と言うつもりで声をかけたつもりだったが

 「おっ、丁度良いや! ごめん、店の鍵渡すから調味料取ってきて! LINEにどこに何があるか書いて送るから! 業務用で量が多いから四ツ谷くんと一緒に!」と急なおつかいを頼まれてしまい帰るタイミングを逃してしまった。

 私が他に何か言う前に

 「じゃあお願い! とりあえず今は旦那と二人でなんとかなるから!」

 そう言われてサモちゃんと二人で放り出されてしまった。





 「大繁盛だったね」

 「うん。朝はそうでもなかったんだけど、昼ごろから一気にね。やっぱり神崎さんのお店でお酒も売ってたし、おつまみになってるんだと思う」

 彩ちゃんが神崎さんに話した読みは大当たりだったようだ。

 エマノンの店についた私達は頼まれていた調味料各種を袋に入れて、会場に戻り始めていた。

 サモちゃんと並んで歩きながら、なんとなく彼の大きい手が気になってしまった。

 きっと、神崎さんからサモちゃんは彼氏かと聞かれたからだろう。

 「サモちゃん、ちょっと手貸して」

 「? なあに、おねーさん。えっ、ちょっ……」

 サモちゃんから差し出された右手を、袋を持ってなかった私の左手で握ってみた。

 自分から手を繋ぐなんて、今までロクに人と触れ合ったことのない私にとって物凄く勇気のいることだった。異性と手を繋ぐなんて、思い返してみたら小学生の時の遠足まで遡らないとないかもしれない。繋いでみて分かったが、やっぱり男の子らしいしっかりとした手をしている。

 突然のことで驚いたサモちゃんは左手で持っていた業務用ケチャップを入れた袋を落としそうになっていた。

 「お試しだけど一応付き合ってるんだし、手ぐらい繋いでみようかなって」

 「だからって急すぎだよ」

 「うん、私もそう思う。だからこれはあれだよ。暑さのせいで私の頭がどうにかなったから唐突だったって事にしておいて。ごめんね、急に」

 私が左手を離そうとするとサモちゃんはきゅっと指を絡めて私の手が離れないようにした。一連の流れがスマートだったので今度は私が驚いてしまった。

 「サモちゃん?」

 「僕結構ドキドキしてるし汗もすごいかいてると思うけどもう少しこうしていたい。僕もおねーさんと手繋いでみたかったから。だから謝らないでほしい」

 そう言いきったサモちゃんの手のひらからじんわりと熱が伝わってきて私まで熱くなってくる感じがした。街灯に照らされたサモちゃんの横顔は少し赤いが堂々としているようにも見える。

 結局のところ、私は会場に戻る直前までサモちゃんに手を離してもらえなかった。





 夏祭りの初日が終わり、エマノンの後片付けを手伝っていた際に彩ちゃんから

 「今日は色々ありがとう! あのさ、もし無理だったら断ってくれて良いんだけど明日も色々手伝ってもらっても良いかな? 申請してないから厨房に立ってもらうのは無理な分、今日みたいなおつかいとかの雑用になっちゃうけど……」と頼まれた。

 翌日も特に用事は入れていなかったし、元々夏祭りには行くつもりだったので快く引き受けた。彩ちゃんも彼の夫ももちろん喜んでくれたが、一番喜んでいたのはサモちゃんだった。

 会場では彩ちゃん達がいる手前「明日おねーさんも一緒に来るなら僕起こすからちゃんと一回で起きてね?」なんて言っていたが、家に帰ったとたんに

 「明日はもう少しおねーさんと出店一緒に回れそうだから楽しみだなあ」

 と嬉しそうに笑いながらりんご飴を丁寧に切っていた。

 飴がしっかりかかっていて切りにくそうだと思っていたが、サモちゃんはりんご飴に刺さっていた割り箸を支えにしてあっさりとりんご飴を切って皿の上に並べた。私はその鮮やかな手つきに驚きつつもヤカンにお湯を沸かしていた。

 「明日も同じ位に起きるの?」

 「うん。支度とかあるからね。だからおねーさんも同じ時間に起こすよ」

 「サモちゃんが出てった時間って私の仕事の早番と同じ時間帯じゃん……。もう少し寝られるかなって思ってたけど、お店って甘くないなあ……」

 「おねーさん起こさないとずっと寝てるだろうし僕しっかり起こすからね」

 「よろしくお願いします」

 「ふふっ、僕割と早起きは得意だから任せてよ」

 「良いなあ。その方が人生楽しめると思うんだけど、私は夜型なんだよね……。つい夜更かししちゃう」

 「おねーさん夜遅くまで起きて何してるの? お店とかしまっちゃうから遊びにも行けないでしょ?」

 「んー、サモちゃんと暮らすまでは普通に夜中三時まで動画配信サービスで映画見たり昔のアニメ一気見したりしてた。なんか昔のアニメって小さい頃の自分が見てたって親しみと愛着もあるからかつい時間を忘れて見ちゃうんだよね」

 「それ体に悪いんじゃない……?」

 困惑した様子を隠せずにサモちゃんが言う。サモちゃんはきっとこういう趣味には走らない健全な生き方をしてきたのだろう。どうか今後もそのままの君でいてほしい。

 「最初はちょっとキツかったけど、慣れちゃえば平気だったよ。でもこの家に引っ越してからはそこまでハードな夜更かししてないな」

 思い返すとサモちゃんと生活リズムが違うとはいえ、同じ家に住んでいる彼に迷惑をかけないように、夜は遅くても日付が変わるころには寝るように心がけていた。そのおかげか、ここ数ヵ月間は顔色が良いと同僚にも言われたことがある。バランスの良い食事と睡眠。これは思ってもみなかったメリットの一つかもしれない。

 「夜更かしも良いけどほどほどにね」

 私の顔を覗き込みながら心配そうな顔でサモちゃんは言った。私の分のご飯も大変だろうに作ってくれるような優しい彼のことだから、きっと心からの言葉だろう。

 「ありがとう。あっ、お湯沸いたからお茶淹れるよ。サモちゃん、りんご飴向こうに持って行っといて。お茶用意出来たら私も向かうから」

 私がそう言うとサモちゃんは「分かった」と言って笑った。

 サモちゃんがりんご飴を綺麗に並べた皿をダイニングに運んだのを見届けてから私は紅茶の缶を開け、サモちゃんへの感謝の気持ちがこもるようにそっと茶葉をポットに入れた。

 すっきりした香りの紅茶と甘いのにみずみずしさが美味しいりんご飴は想像以上に相性が良かった。私達はゆっくりお茶を飲みながら、翌日のことについて色々話をした。穏やかで優しい夜だった。

 夏祭り二日目は初日以上にもっと夏祭りが成功してほしいと思った私は、ノートパソコンを起動させ久々の夜更かしをしてちょっとしたものを作ることにした。





 「列に並んだ人や買ってくれた人たちにこれを配ろうと思うんだけどどうかな?」

と会場で合流した彩ちゃんに提案したそれはエマノンの住所と電話番号、それからおすすめのメニューを数点記載したショップカードだった。パソコンで作った後にプリンターで印刷して名刺サイズに切っただけのホームメイド感満載のものだったが彩ちゃんと彼女の夫は大変喜んでくれた。

 「えっ、これ一晩で作ったの?」

 「うん、昨日サモちゃんとインド料理の屋台に行った時、カレーと一緒にショップカードも渡されたから。それを参考にしてちょっと作ってみた。昨日みたいな行列が出来るなら、並んでる人にこれ渡すだけでも宣伝になると思う。紙はペラペラだし一晩で作った低クオリティな代物だけど何もしないより良いかなって」

 「凄いよ! ありがとう! ショップカードを渡すって発想が出てこなかったから大助かりだよ。やっぱりヘルプお願いして良かった」

 そう言ってくれたので内心「余計なことをしたかもしれない」と思っていた私は心底ほっとした。

 サモちゃんは「おねーさんも僕と同じ位の時間に寝てたと思ってたから起こした時なんでこんなに眠そうなんだろう? って思ってたけどこれ作ってたんだね」とショップカードをじっくり眺めていた。

 「言ってくれたら僕も手伝ったのに」

 「最初は一緒に作っても良いかなって思ったんだけど、寝る前の急な思い付きだったからサモちゃんを付き合わせたら良くないなあって思って」

 「それはそうかも、睡眠不足で彩さん達に迷惑かけられないし……。おねーさん、気を遣わせてごめんね」

 夜更かしを注意されてすぐのことだから、サモちゃんが怒っていたらどうしようかと思っていたが特にその様子はないようで安心した。

 「でも次にこういうのを作る日があったらその時は手伝わせて」

 そう言ってサモちゃんはジーンズのポケットに私が作ったショップカードをそっとしまった。

 「そんなに大したものじゃないのに」

 「おねーさんが今日のために作ってくれたのがなんだか良いなあって思って。記念に取っておきたくなった」

 「家に帰ったらデータあるし印刷するよ?」

 「ううん、これが良い」

 はっきりとそう言われると照れてしまうが、サモちゃんが気に入ってくれたようなのでそっとしておくことにした。

 私とサモちゃんのやり取りを見て彩ちゃんは彼の夫に

 「なんかあの二人初々しくて可愛いよね」と話しかけていたのでますます私は照れてしまった。





 夏祭り二日目は朝からエマノンは大行列が出来た。

 どうやら「あの屋台は美味しい」や「ここの店の前で地ビール売ってるから合わせて買っていこうか」なんて声が列を整理している間に聞こえてきたので口コミで人が増えているようだ。並んでいる人たちを整理している最中時々「昨日のイケメンくんにまた声かけるんだ」なんて可愛らしい声も聞こえてきたので、サモちゃんは苦労しそうだったけど。列に並びながらわくわくしている人たちを見ながら私は夜中急ごしらえで作ってみたエマノンのショップカードを列に並び始めた人に配っていた。

 人の波が落ち着いてきたのは午後一時を回った頃だった。それまで私は列の整理をしつつエマノン周辺の片付けもしていたから思っていた以上に忙しかった。調理をしている彩ちゃんたちは私以上に大変なのは分かっているから、私が少しでも役に立っているのが嬉しかった。

 「お疲れ様、ちょっと落ち着いてきたし四ツ谷くんとご飯でも食べておいでよ」

 「彩ちゃんたちのご飯は?」

 「私たちは簡単だけどお弁当みたいなの用意してきたから大丈夫だよ。それよりも二人でデートらしいことしておいでよ」

 「ちょっと、彩ちゃん? そういうこと言われると恥ずかしいんだけど」

 少しからかうように笑う彩ちゃんに見送られながら私とサモちゃんは出店を見ていくことにした。とりあえず一時間、私とサモちゃんはまた出店を見て回ることにした。

 「今日は自分の分はちゃんと払うからおねーさんは安心してね」

 「そうなの? 私サモちゃんの分も合わせて買うつもりでお金多めに持ってきたけど」

 私の一言に対してサモちゃんは少し申し訳なさそうに

 「昨日はおねーさんに甘えちゃったけど僕も彩さん達からお給料もらってるしね。それに昨日は色んな事でモヤモヤしてたのを発散しようとしてたのもあるし」

と言った。

 「分かった。でも沢山食べるサモちゃんもなんか良いなあって思ったから機会があったら何かまた奢らせて」

 私の提案にサモちゃんは恥ずかしそうに「うん、その時はお願いします」と笑った。

 エマノンから数ブロック離れた場所にある屋台でサモちゃんは立ち止まった。

 「昨日おねーさんが来た時にはドリンク以外売り切れてたのに今日はまだ全部ある! おねーさん、お昼ここのご飯にしない?」

 そう言って指差したのはタイ料理の店だった。タイ料理は食べたことがなかった私は少し気が進まなかったが、サモちゃんが私を見る目が期待に満ちていたのでせっかくの機会だと思い、その店でご飯を買ってみた。

 サモちゃんは焼きそばみたいな食べ物とレモングラスのジュースを買っていた。私はガパオライスにパイナップルジュースを買ってみた。

 会場にはイベントステージ近くに長机とパイプ椅子が日陰に設置されていたので二人でそこでお昼を食べることにした。

 イベントステージではプロのジャズバンドが演奏を始めていた。長机に置いてあったチラシを見ると、歌手に楽曲を提供したり海外でもライブ活動をしたりしている人たちだと紹介されていた。

 「ジャズをBGMにしてこういうエスニックなもの食べるのってなんだか変わった取り合わせだよね」

 私は笑いながらパイナップルジュースに口を付けた。暑い中で手伝いをしていた分、冷たさと甘さが心地良い。

 「僕も初めてだよ。タイ料理の店って行くと大体アジアって感じの音楽がお店で流れてるからこういうものちょっと面白いかも。あっ、おねーさん僕が買ったパッタイすごい美味しい! おねーさんも一口食べてみてよ」

 「その焼きそばの友達みたいな料理パッタイって言うんだね。じゃあいただきます」

 「おねーさんから見たら焼いてる麺は大体焼きそばの友達になりそうな言い方だね」

 私の一言に対して呆れもせず笑うサモちゃんを見ながら、食べたことのなかったパッタイを口に運ぶ。なるほど。これは料理が上手なサモちゃんが美味しいというのも分かる。もちもちとした麺に少し甘めのソースが合っていた。

 「本当だ、美味しいね。タイ料理って初めて食べたけどなんか良いなあ」

 「暑い時に外で食べるからさらに美味しいのかもしれないね」

 サモちゃんは私が食べるのを見てニコニコしていた。

 パッタイもガパオライスも思っていた以上に食べやすくて、今まで食べなかったことを少し後悔してしまったほどだ。

 甘いパイナップルジュースをごくごく飲みながら、もくもくと辛いガパオライスを食べている最中、ふとサモちゃんの方を見た。サモちゃんはもうパッタイを食べ終わり真剣な顔をしてイベントステージのトランペットソロを聴いていた。

 夏空の下で、頬杖の一つもつかずじっとステージ上で演奏しているジャズを聴いている横顔はなんだか絵になっていた。

 もし私が画家だったら、空気や匂いも全て切り取ってこの瞬間を絵に残す。ほんの一瞬だったがそう感じていた。

 私の視線に気付いたのかサモちゃんは私の方を向き直して笑った。

 「ジャズってしっかり聴くのは初めてだったけど、なんかいいね。一気に大人になった感じがする」

 「分かる。なんか少し背伸びした感じになるよね。もうしばらくここで聴いていこうか。この人たちの演奏が終わっても彩ちゃん達の店に戻る時間までに余裕あるし」

 「やった。ありがとうおねーさん」

 サモちゃんは笑いながらそう言った。ゆったりとしたジャズの旋律に合わせるかのように穏やかな風がさっと吹いた。カラッと晴れた夏の空とタイ料理とジャズ。なんだかとても贅沢な時間の使い方をしている気がして私もサモちゃんにつられて笑った。





 のんびりとした空気の昼食の後、エマノンに戻ってしばらくするとまた一気に慌ただしくなった。ショップカードも内心「こんなに印刷したけど余るかな」と思っていたが、危うく全部なくなりそうになる位の人が来た。

 祭りが終わり、後片付けが全部済んだ夜の九時には私たちはかなりへとへとになっていた。

 「今日は無理言って手伝わせてごめんね! すごい助かったよ。ありがとう! これ良かったら少ないけどもらって」と言われ、私まで彩ちゃんにバイト代をもらってしまった。

 「友達が困ってるんだし助けるのは当たり前だからバイト代とか大丈夫だよ」

 「友達とは言え貴重な休日を使わせたんだからこれ位はさせて」とまで言われてしまったので受け取らざるを得なかった。

 このバイト代に自分のお金を上乗せして使って、またエマノンでご飯を食べたら彩ちゃんたちに還元出来る気がするので近々またエマノンに行こう。

 片付けが終わるころに神崎さんが差し入れと称して冷たいお茶やビールをビニール袋に入れて持って来てくれた。

 「神崎さん、ありがとうございます」

 「良いんだよ。昨日サービスするって言っただろ? 彼氏っぽいのと飲めなかった分は家に持って帰って冷やしておきな!」

 「神崎のおっちゃんー! 私と旦那の分は?」

 「ねーよ! これは頑張ってた嬢ちゃんたちへのプレゼントだ! それに彩ちゃんたちには頑張った分良い酒安く卸してくるからそれで良いだろ?」

 「十分すぎるよ! ありがと!」 

 彩ちゃんと神崎さんの会話を聞きながら、私とサモちゃんはよく冷えたジュースの缶で乾杯をした。本当ならビールを飲んだ方が打ち上げ感はあるのだろうけど、なんとなく今夜は酔ってしまうのはもったいない気分だった。

 蒸し暑さが残る夜だったが、気持ちは晴れやかなこの夜を酔ったまどろみの中に置き忘れたくなかったから。

 




 夏祭りの数日後から彩ちゃんから誘われてサモちゃんは正式にエマノンで見習いを始めた。働いているサモちゃんの仕事ぶりを見た上でのスカウトだった。

 サモちゃんも「僕で良ければ喜んで」と笑っていた。

 彩ちゃんの店で彼が働くことは喜ばしいことなのだが、仕事から帰った時の

 「おかえり、おねーさん」があまり聞けなくなってしまうことに対して若干寂しく思っていた。

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