孤独のミカタ

@r_417

孤独のミカタ

 古くから『スポーツは孤独な戦いである』と表現されるケースは多い。

 そのバックグラウンドには、限界まで己を鍛え上げるプロセスは誰も肩代わりできない事実は元より、絶対に裏切らない存在は己に課した練習という努力だけだと断言したくなるような壮絶なレギュラー争いという名の悪しき風習に巻き込まれる等、複雑な事情が絡んでいる。

 昭和から平成、そして令和の時代へ移り行く中『スポーツは孤独な戦いである』という価値観は選手生命を潰しかねない固定観念として疑問視する風潮が高まってきたこともまた周知の事実だろう。


 そして、令和2年となる2020年夏。事態は更なる変化を遂げる。

 『孤独を楽しめる戦いこそがスポーツである』、と。


 スポーツをする上で、戦いという言葉が試合を意味していたのは過去の話。

 イベントや試合の度重なる中止が続き、試合という名の戦いが絶対的なモチベーションにならない。しかし、試合が成立しないからといって、スポーツから離れてしまうなら人類に弊害が多発しかねない。健康維持や対策に大きく寄与するスポーツ離れが加速していくならば、介護や医療崩壊等の問題も大きくのし掛かる可能性が極めて高まってくるだろう。


 将来への懸念もさることながら、打ち込んできたスポーツへの接し方に工夫が必要となった2020年夏。数世代前から耳にする『スポーツは孤独な戦いである』というフレーズを捩ったキャッチフレーズ『孤独を楽しめる戦いこそがスポーツである』が台頭する。

 試合に重きを置くことなく、一人孤高のトレーニングをすることの楽しさを徹底的に突き詰めるスポーツに対する取り組み方改革とも言えるだろう。


「(とは言え、最終的に『孤独な戦い』だろうと『孤独を楽しめる戦い』だろうと、そのスポーツを心の底から好きな人だけが高みにのぼることが出来るんだろうな……)」


 トレーナーとして、パソコンの画面越しにフォームを確認してくる某アスリートを見ていた瞬間。ふっと、素直な気持ちが過ぎる。


 画面越しにフォームを確認してくる彼は、今夏の国際試合への出場がすでに決まっている選手でもあった。そして、彼もまた他のアスリートと同じく今夏の国際試合に対して並々ならぬ意欲を燃やし、日々練習に励んでいた。

 モチベーションを今夏の国際試合に向けていた彼にとって、出場が決定していた試合中止の一報は勿論、今までと同じ練習が出来ない環境変化も大きなダメージを受けていた。


 だが、画面越しの彼から伝わる情熱は未だ健在だ。むしろ、更に磨きがかかっているから心底驚く。そして、実感する。


「(どんな状況であれ、対象のスポーツと関わり続ける工夫をする人が、結果として高みにのぼるのだろうな。優勝という高みに限らず、最後まで楽しみ続けるという点でも)」


 古くからスポーツと孤独は隣り合わせ。

 だけど、孤独の見方を変えれば、最強の味方にさえ出来るだろう。


【Fin.】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

孤独のミカタ @r_417

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ