事の発端(6)

「ギニャアアアアアアアアアアアアアア!!」


 キリュウの鳴き声だった。

 他の猫とは違うという謎のプライドを持つ彼が、猫みたいに鳴く事は基本的にはないけれど、とてつもなく怖い思いや嫌な思いをした時はボロが出る。

 つまりは今回も、それに該当する何かがあったということだ。


(久しぶりに聞いたなぁ)


 傍から見れば相棒の危機に対して呑気すぎると取られかねないが、キリュウの事だからどうせひょっこり戻って来るだろう。

 問題はない、まあ僕も油断しないように慎重に探索しよう。


 廊下の突き当りの大きな扉を開けると広間に出た。

 前方には廊下にあったものよりも立派なトラス階段と、そのT字型に折り返す踊り場の地点に設置されているステンドグラスは月の光を虹色へと変換している。

 今立っているすぐ近くにはグランドピアノがどっしりと座していた。

 どうやらダンスホールのような場所らしい。


 ここに来るまで綺麗、立派、豪華、高尚、飽きるほど称賛の言葉を並べてきたけど。

 その反面不審な所と言えば、全体的な劣化以外に目ぼしい特筆事項は見当たらない。

 2階を調べてから改めて重点的に調査する部屋を決めたほうが良さそうだ。


 その前にいい加減キリュウの様子を見に行こう。


 踵を返したその時だった…


 コツッコツッ…とヒールで歩くような音が聞こえてきた。

 テンポが速く慌ただしい足音だ。

 どこからか?音のなる方へと意識を向ける、さっきの階段の上の方だろうか

 僕はすぐにランタンの光を消し止め、階段の上の様子を目視しながらピアノの影に隠れようと試みようとした。



 ――そう、試みようとしたのだが、階段の上を見ただけで、僕は雷に打たれたかのようにピタッと行動を止めてしまった。


 その人物はちょうど階段を駆け下りステンドグラスの辺りにいる。


「は…」


「な…」


 思わずお互い声が漏れる。

 その人は僕と同じくらいの少女だった。


 この状況で僕はこう思った。

 振り向くべきではなかったし、目を合わすべきでもなかった。

 余りに衝撃的だったのだろう、なにか損害を受けたわけでもないのに、胸の高鳴りと同時に後悔のような感情が沸き上がる。


 彼女は走ってきたせいか息を切らし気味にこちらを見て立ち止まっていた、その様子も少しだけ色っぽい。


 その少女について「麗しい」という、未だかつて人に対して感じたことのない印象が浮かび上がった。

 透き通った長いブロンドの髪がステンドグラスの光を受けて輝き、身に纏っている薄水色のワンピースドレスもまた、後方からの美しい光と比べても、影ってはいなかった。


 恋愛の類に興味を抱いたことはなかったし、経験もない。

 そんな事を気にする余裕もなかったのかもしれない。

 だが誰しも必ず好みの異性のタイプというものが確かに存在するのだと実感する。

 この場合は外見の好みなのだろうか、どんな性格でどんな話し方をするのかは関係ない。

 なぜなら僕は眼前の彼女について何も知らないのだから。


 僕はきっと目を大きく開けていて…いや口も開いていたかもしれない、そうだとしたらその口は塞がらない。

 ランタンを消したことで、確保できる視界はステンドグラスからの光頼りのものでしかなかったが、それでも僕は…


 ――僕は目はその人を捉え、釘づけになっていた。


 互いに見つめ合っていたというのに、彼女の様子がどうだったかは覚えていないが

 僕は絶句し何かを考えていたのか、いなかったのか


 そんななか階段の上で輝く彼女は叫ぶように沈黙を破るのだ。


「た、助けてください!」


 予想だにしていない…いや彼女が何と口にするかなんて考える余裕もなかったのだけど

 とにかくその一言は僕の耳にハッキリと届いた。


「………あえ?」


 度肝を抜かれた僕が返した一声は情けない事にそれだけだった。


 状況を理解しようと思考停止していた僕の頭を慌てて再起動する。

 彼女の口にした言葉はどういう意味を持つのか、多分そんな事から考え始めたんだと思う。

 2秒で無理やり出した結論はこうだ。


「ああ!待ってくれ!僕は怪しい者じゃない!不法侵入…ではあるんだけど、これは調査のためでキミに危害を加えるつもりは――」


「助けてください!」


 なんということだ、僕の弁解の言葉が届いている様子がない。

 彼女は構わず階段を駆け下りてこっちに向かってきた。


「落ち着いて!まずは話を聞いてくれ!」


 僕は諦めずに意思疎通を図ろうと試みた。

 しかしそれも空しく、彼女はいよいよ手の届く範囲まで接近してくる。

 そして再度一言


「助けてください!お願いします!」


「いやだから――えっ?」


 これはどう考えても僕に話しかけている。

 それもかなり必死の形相だ。


(あ、これもしかして…)


 この方は僕を不審者とみなしてどこかから助けを呼んでいたわけじゃない、他でもないこの僕に助けを求めているのだ。

 その事実に気づいたとき、自分の間抜けさに思わずふらつきそうになるがなんとか堪える。

 軽く息を整え、平静さを取り戻したように繕った。


「…何があったんだい?話せる?」


 僕がさっきまで無茶苦茶なことを口走っていた事実はもうどこかへ捨て去っていた。

 誰がなんと言おうとそんな事は知らんとシラを切る腹づもりだ。


「えっと…あの、私!」


 彼女もだいぶ余裕が無いようだった、この分なら僕が取り乱していた様子は認識されていないだろう。

 …などと余計な事に安堵している場合ではないけれど。

 一度キリュウを回収してこの人と屋敷の外に出たほうが良いかもしれない。


「大丈夫、落ち着いて」


 僕は一歩踏み出すと再び話しかけた。


「あ……はい」


 彼女は乱れた呼吸を整えようとしながら、こちらをまっすぐ見つめてくる。

 さてこういう時はどうすれば目を逸らさずに済むのだったか、眉間かおでこ辺りを見ればなんとか恥ずかしがらずに視線を維持できる…だったか。

 そんな事考えていた気がする。



 と、事の始まりはタニア夫人の猫探し、そしてフランソワーズさんの幽霊屋敷についての相談ではあったか。

 長い冒険の記憶を辿ると、彼女と出会ったこの瞬間こそが「事の発端」と呼ぶにふさわしいイベントだっただろう。

 波乱万丈を嫌がる人は、あのローブの謎だらけ人物の忠告は素直に聞きいれるべきだと助言したい。

 転機、文字通りここから僕の人生は大きく変わり始めてゆく…


第1章 事の発端 end

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