まよなかチェンジ
夜を支配するのは、闇と静寂。
……なんて、ちょっとカッコつけたことを考えながら、私は午前三時、外の世界へと飛び出した。
闇に満たされていると思った深夜の町は、思ったよりは明るかった。家から漏れてくる明かりはほとんどない。だけど先までずっと並ぶ街灯の光は強力で、道路を白く照らしていた。
『最近は街灯もほとんどLEDだから、めちゃくちゃ明るいよね』って、ママが言ってたな。ママが若い頃は白熱灯だったはずだから、こんなに明るくなくって夜道は怖かったって。
だからって、油断はしないこと!って、ママには何度も言われてるけど。
だけど今の私は、いつもとちょっと違う。
「変身完了っと」
改めて自分の胸から下を見下ろした。ぶかぶか、サイズの大きなグレーのパーカー。背中にはスプレーで落書きしたような、なんかちょっとイキった感じのロゴが入っている。私だってパーカーは持ってるけど、こういうハードなデザインのやつはちょっと見つからない。
「借りるね、お兄ちゃん」
私が着ているのは、大学進学のために家を出た、お兄ちゃんが残していった服だった。
男の人の格好をすれば、ちょっとは危険回避になるかも。
そう思って、お兄ちゃんのクローゼットからパーカーを一着失敬したのだ。ジーパンとスニーカーは自分のものだけど、男物のパーカーを着てフードも被っちゃえば、結構それらしくなると思うんだよね。
いやまあ、冷静に見ちゃえばバレバレかもしれないけど。気休めだし。油断はしないし。ほんのちょこっと、散歩したら帰るし。
「……さむ」
深夜の空気はまだ冷たい。昼の汗ばむくらいの陽気が嘘のようだ。
自動販売機が冴え冴えとした光を放っていた。今この時は、自販機の役割は買い物用じゃない。夜道を照らす照明として頼もしい限りだ。
幹線道路の方からは、車の走り抜ける音は聞こえてこない。このご時世、連休でも深夜のお出かけ出発やドライブをする人なんて、ほとんどいないのだろう。
信号機が、走る車も歩く人もいないのに律儀に点滅して、変わる。信号機が発進と停止を促すのに、何も動かない、音がしない。なにもいない。
ああ、見慣れない景色だ。こういうのを、新鮮な光景って言うんだな。
それに私だって今、男の子なんだもん。
いつもと違う世界。
一瞬サンダルを履いて行こうかと思ったけど、スニーカーにして正解だった。足取りが軽い。このまま一歩、もう一歩、何なら夜明けを目指して、歩いて。
そこの角を曲がって。
『なんだ。男かと思ったら女か』
どこからか声が聞こえた。男の声だった。心臓が飛び跳ねて、息すら止まった。
恐る恐る背後を振り返るが、誰もいない。
誰もいないが、自宅も見えなくなっていた。
そんなに離れるまで歩くつもり、なかったのに!
『なぜ男の格好をしてるんだ?』
また声。
私はパーカーの裾を握りしめた。
深夜のテンションでかかったおバカな魔法が解ける。
お兄ちゃんから借りた男物の服を着ただけで、こんなのちっとも変身じゃない!
『なあ、なんでだ?』
頭の真後ろで声がして、私は今度こそ飛び上がった。悲鳴はかろうじて飲み込んだ……といより、恐怖で声が出なかった。
「え」
いったいどんな恐ろしいものを目にするのだろうとすくみ上っていた私は、そこにいたものを見つけて瞬きをする。
「猫……」
私の頭の高さまで積み上げられた石塀の上に猫がいた。人様の家の塀に悠々と寝そべりながら、こちらを黄金色の瞳で見つめている。
「なんだ、猫ちゃん」
良いことだけど、最近じゃ外を歩いている猫も減ってきた。ペットもいなくて滅多に動物をもふもふできない身としては、ちょっとくらい触れ合いたい。恐る恐る手を伸ばすと、猫ちゃんは顔を私の指先まで近づけてきた。鼻をすんすんさせて、匂いを確認してる。
あれ、でも。
謎の声の主は、どこにいるんだ?
『ほら、やっぱり匂いも人間のメスだ』
「うおおおおおお?!」
私はおっさんみたいな雄叫びを上げていた。案外、『きゃあ』とか可愛い叫び声って、出ないものなんだな。こんなところで男らしさを発揮してどうするんだよ、私。
いやでも、変な叫びくらい上げるでしょ。叫ぶよこれは。だって、今、この猫。
『おいおい。みんな寝てるんだから静かにしなよ』
猫は髭の生えた可愛いお口をぱかりと開けた。だけど飛び出したのはあくびでも、『みゃあ』とかいう可愛い可愛い鳴き声でもなくて。
「しゃべってる!」
目の前にいるのは間違いなく猫だ。動物だ。四足歩行のしっぽの生えたもふもふが、流暢に日本語をしゃべってる!
『まあ、俺、魔法使える猫だから』
でしょうね。魔法なんてものでもなければ、こんな状況説明できませんよね。
って、納得してどうする私。
ただの可愛い黒猫ちゃんじゃないのはわかる。
っていうか、私さっきから可愛いを連呼してるな。仕方ない、お猫様の可愛さの前には、人類という名の下僕はひれ伏すしかないと猫飼いの友人が言ってたし。
私、犬派だけど。
「帰って寝た方が良いな、これは」
私は頭を振った。
そうだ、私はもう眠気が限界なんだ。というか、もう半分寝てるんだな、きっと。いや、深夜の散歩にすら出ていなくて、あのままベッドに入ってぐっすり眠ったに違いない。
『おい、起きてるか』
「寝てます」
『嘘つけ。だから、お前なんで人間のオスの格好なんかしてるんだ?』
「防犯上の都合です。女の子が深夜出歩くなんて危険なんですう」
くるりと方向を変えて、私は家に向かって歩き始めた。猫ちゃんを無視しても良かったけれど、もしこれが夢なら、おしゃべりに付き合ってあげても、まあ、良いだろう。
『でもお前、全然メスだってことが隠しきれてないぞ』
「うるっさいな。もう帰るからいいもん」
塀の上をトトトトと歩く猫はやかましい。本当だったら、にゃあにゃあ鳴いてるのかな。それだったら可愛いのに。
『俺が魔法をかけてやるよ』
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