15話 彼女の夢を奪ったのは僕なのです
「
いつの間にか、ミカエラは教室の真ん中で将来の夢を発表してる。
所々ひび割れが見える教室も、そこから見える青々とした森林も今はもう存在しない。
嗚呼、これは夢なんだと悟った。
教室から見える窓の景色から推定すると、おおよそ11歳ぐらいの時の記憶がモデルになってるのだろう。
発表が終わったミカエラは教室をぐるりと見回す。何故かクラスメイトや担任に薄らとモザイクが掛かってるように見える。
しかも、声さえもゴニョニョとした音が聞こえるだけで、何を言っているかさっぱり分からない。
しばらくそのままぼんやりと黒板を見つめてると、凛とした声がハッキリ聞こえた。
「……1年、ゾフィー・シャルロッテ=ヘル・ユスティース。私の将来の夢はピアニスト兼、看護婦です。理由は困ってる人や苦しんでる人を助けたいからです。心を病んでしまった人にはピアノで。身体を壊してしまった人には医療で。多くの人を笑顔にしたいです」
元気よくそう言ったソフィーの顔だけははっきりくっきりとよく見えた。
今はもう失ってしまったあどけなさと、純粋さを宿したソフィーの顔は、ミカエラの中に懐かしさと寂しさを芽生えさせた。
それからいきなり放課後に場面は移る。
ソフィーとルカが両隣にいて、今日の出来事を喋っている3人横に並んでいつもこうして喋っていたことをふわりと思い出し、懐かしくて涙が溢れそうになった。
「それでね……ピアニスト兼看護婦って言ったんだけど、教師にどっちかにしろよって言われてさ。頭にきちゃった」
「ゾフィーらしいよ。君は欲張りだもん」
ルカはのほほんとした顔で言った。
「ルカは将来は家を継ぐの?ほら、墓守りとか呪物管理とか大変そうじゃん」
「勿論!どんなに大変でも
そんな2人の様子をミカエラは何も言わずにじっと見つめていた。
2人の夢は決して叶う事はない。
ルカはミカエラ達の目の前で心臓を撃たれて死んだ。ソフィーの夢は……ミカエラが奪ってしまったから。
ミカエラは、ソフィーの白くきめ細かい手を見つめる。そして目を細めながら唇を噛み締めた。
「ミカエラ〜ミカエラ〜」
ソフィーの声で目が覚める。ミカエラは先程の夢を思い出して、思わず目を顰めた。
「全くもう……眠いからって顰めないて!というか全然起きないんだから……はい……配給の黒パンを代わりに持ってきたよ」
ソフィーは水が入った瓶と黒パンを渡す。
「へへ、私も一緒に食べていい?」
ミカエラは頷くと、ソフィーは黄色いカバンからおかずの缶詰と黒パンを取りだした。
「えへへ、まるでピクニックみたいだね。ずっと行ってないけど、ひと段落したら行きたいなぁ……ってこのパン硬!」
ソフィーは最初はそう笑顔で言っていパンを口齧るとしわくちゃ顔になる。
ミカエラはそんな光景が愛しく、ずっと続いて欲しいと思った。
それと同時に、彼女の夢や将来を奪った癖に彼女と幸せになりたいと願う権利は無いのでは無いか?そもそもソフィーを好きになってもいいのだろうか?と考えてしまう。
改めて長年同居してるのに結婚という選択肢に至れないのはこれが1番の原因だ。
食べ終わると戦闘服に着替える。いつもは憂鬱だが、今日は一刻も早く戦闘に戻りたいと考えてしまった。
「ミカエラ。いつもは包帯の巻き具合とかを何度も確認するのに、今日はしないんだね」
ソフィーはいつも通りの笑顔で言う。その言葉にミカエラはビクリと肩を揺らす。
『ソフィーの目は心の中も見えるのかい?』
「それがあったら、色々上手くいっていたんだけどね。あ、それはそれで苦労するか」
ソフィーは舌をペロッと出しながら、そう微笑んだ。
ミカエラはその様子を見てホッとして思わず小さなため息をついた。
ミカエラは戦闘が一段落して自室に戻ろうとすると、どこからか愚痴を零す声が聞こえた。バレないように近くの壁に隠れて耳を澄すと怒りの感情を含んだ男女の声がハッキリ聞こえた。
「いいな。ソフィーは副官任命されて。私も前線に出て敵をぶち殺したかったし、アインの隣に居たかった。あの女も軍に媚びを売ったかもね」
「俺もグレースと共に戦いたかったよ。アイツばかりずるい。
一瞬だけ壁から顔を覗きこむ。どうやら話愚痴を言っているのはアインとグレースのようだ。そんな彼らは恋人同士だ。度々人目をはばからずに昼間からイチャイチャしているのを度々目撃している。
アインの階級は中尉だ。
副官を付けるのには少佐までに上り詰めないといけない。しかし、アインの実力だと頑張って昇進出来ても大尉くらいだろう。
最も努力をすれば、だいぶ歳をとってからになるが少佐にはなれるくらいの才能はある。しかし、彼は疲れたから面倒臭いからと何かしらの理由を毎回つけて、自主練習さえ参加しない。
ただ、それを指摘するのは可哀想だし、何よりもこれ以上いざこざに巻き込まれるのはごめんだ。ミカエラはその場を後にしようとしたその時こんな話が聞こえた。
「それにしても、あの2人ってお似合いだよね。馬鹿で空気を読めない女と、化け物みたいな少佐って」
「というか、この前噂で聞いたんだけど、あの女の手の平にある火傷跡って自分で火の中に手を突っ込んだらしいよ」
「マジか。女としてないわ。手は女の子の鏡みたいなものなのに、そんなことするなんて馬鹿じゃないの?」
ミカエラは足を止めて拳をギュッと握りしめた。そしてソフィーの手に火傷ができた日の出来事を思い出した。
「この手を掴んで。今すぐ助けるから」
あの日、燃え盛る炎の中で命尽きようとしていた時、ソフィーはその中に手を差し伸べて助けてくれた。
痛かったはずなのに、それをやったら将来が潰れるって分かっているはずなのに……
「ピアノを弾ける人は世の中に沢山いるけど、今こうして炎の中にいる君を助けられるのは私しかいないじゃない」
そういって泣きながら笑ったソフィーの顔はきっと二度と忘れられないだろう。
ソフィーの手と夢を犠牲した代わりに、ミカエラは今この場に立っている。
「ああ、ずるい……俺だってやればできるのに……少佐ばかり……ずるい」
「羨ましい……ソフィーばかり!私は好きな人といつも一緒に入れなくて辛いのに!それにいつもニコニコ笑ってばかりで!悩みなんて1つも無さそう」
『誰か羨ましいって?ずるいって?』
ミカエラはそっと背後から近づいて2人の肩を叩く。2人は目を大きく見開いてから、全力で首を振る。
『隣の庭の桜桃は甘いし芝生も青く見えるよね?でも、それを維持させたり完成させるにはとても大変なんだよね 。
君達はそれに似合った努力というものをしているかい?』
2人は顔を真っ赤にして睨んでいる。
『努力もせずにただ活躍してる人を見て羨ましいと嘆くのは、自らを私は高慢で偏見がある人間ですと言っているようなものだよ』
いつもは出ない言葉がどんどん指から紡がれる。
「うるさい!劣等人種の癖に偉そうに!お前は最底辺の劣った人間なのに、
『君は階級が2つも上の少佐にタメ口を叩くんだね。軍で優先されるのは人種じゃなくて階級だ。さっき君が馬鹿だと言っていたソフィーだってきちんと使うのに、君はそれさえも使えないんだね。
それと物事を憶測で言わない方がいいよ』
ミカエラは無表情でそう書いた紙を見せた。同時に、少しだけ申し訳なさが心の中によぎった。しかし、ソフィーのことをあれだけ言ったんだ。これくらいの反論くらいはさせてもらいたい。
自分は何を言われてもいい。だけどソフィーが悪く言われるのは嫌だった。
2人は舌打ちをするとどこかに行った。ミカエラはその様子を史上最高の笑顔で見送った。
あまりにも最高の笑顔だからヨダレが垂れそうになった。
「ミカエラどうしたの?左手で適当に捏ねてぶん投げたの油粘土みたいな顔して」
チラリとソフィーが壁から顔を出す。
『今の話って聞いていた?』
「うんこの話?」
『……うん……馬のフンを踏んだって話……』
ミカエラは聞かれてなかったことを安堵のため息をついた。
「……ねえ、ミカエラ。いつもありがとう」
満面の笑みでソフィーは微笑む。
硝煙と泥と糞尿に塗れた灰色の世界。そんな世界を照らすような、笑顔を見て思わず祈ってしまった。
ずっと隣にいて笑い合いたいと
いつか断罪されるその時まで。
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