3話 希望のために扉はいつも開けておきましょう
鼻へ繋がれたチューブが痛痒いせいで気になり弄っていると、啄木鳥が木に穴を開けるような高速ノックが病室に響く。
ベッドに横になっていたミカエラは、返事の代わりに近くにあった鈴を鳴らした。すると凄まじい速度でドアが開き、ソフィが入ってきた。相変わらず行動が賑やかだ。
「やっほーーい遊びに来ちゃいました〜!あ、ミカエラ、酸素マスクは取れたんだね!良かった!」
ソフィーはそう言いながら、ベットサイドに座る。ミカエラは、自分だけ寝ていては申し訳ないと、まだ痛みと息苦しさが残る体を無理やり起こそうとした。
「ミカエラは無理しないで寝ていて!」
ソフィーは、起きようとしたミカエラの身体を軽く押さえつけて寝かせると、布団を胸元までかける。それから寝てるミカエラと同じ目線になるように座り直した。
ベッドに横になった状態で、掌を出すようにというジェスチャーをしたが、ソフィーは何故か、お手をした。これからコミニュケーション関係が大変だな……と、考えたら、鈍い頭痛がしたのでしかめると、ソフィーは驚いた表情を浮かべる。
「なんか、しかめていたけど大丈夫?もしかして調子悪いなら、日を改めるけど……」
ミカエラは慌てて首を振ると、ソフィーは安心したような表情を浮かべ、ミカエラの額を撫でた。
しょうがないのでミカエラは、ソフィーの手首を無理やり掴むと、掌に指で文字を書いた。
ソフィーは一瞬驚いた顔をしたが、掌で文字を書いていることが分かると、少し嬉しそうな顔をした。
──
「全然気にしていないよ。だってしょうがないじゃん。徐々に受け止めて色々なことを考えよ?」
──でもアンさん達に嫌な気分にさせてしまった──
「いや?ミカエラよく考えてごらん?アンさんがあれくらい嫌だと思っていたら、キリがないよ?私のイタズラなんて特に」
続けてソフィーは、ミカエラの目を見つめてから、手をそっと握りしめながら
「アンさんも、きちんと分別がある大人なんだから事情くらい分かるし、気にしないよ!」
と、ソフィーはいつものように微笑んだ。
ミカエラは、凪のように静かに安堵の息を吐くと、良かったと口を動かした。
「……ミカエラ……これだよミカエラ!」
突然ソフィーは嬉しそうに目と口を大きく開け、歯を見せてニンマリと笑う。
「ミカエラ!ついに!ついに!私の得意分野が役立つ時が来たよ!」
突然の大声にミカエラは大きく肩をビクッとさせる。
「あ……急に驚かせてごめんね」
ソフィーは少し目を見開き、捨てられそうで鳴く子犬のような声で言う。
しかし、数秒後には再び子供のようにはしゃいだ声になり、興奮したように少し早口で喋り始める。
「読唇術。私の得意分野の読唇術!ほら試しに少し口を動かしてみて!」
ミカエラは不思議に思いつつ、言われるがままに頭に浮かんだ言葉である『トマトがスープ飲みたい』と、口を動かした。
それと同時に、こんな時にトマトスープをのみたいと言うなんて呑気だなと思った。
「えぇ……トマトスープ飲みたいの?!まだ流石にその体じゃあ飲めないでしょ……飲んたら、誤嚥で肺炎で昇天タイムだよ……」
ソフィーは少し困惑したような笑み浮かべながらそう言った。当たり前だ。数日間昏睡状態の重病人が突然そんなこと出来るわけない。
ましてや、声帯が麻痺してるのだから、下手したら食べ物が気管に入り、肺炎になる可能性もある。
『うん、おかしいことくらい分かっているけど、なんかあの酸味が身体が欲していてね……点滴だけだと、喉が干からびそうなんだ』
「うーん……分かった。あとでヴァルトさんに聞いておくよ……」
それから、お互いにハッとしたような顔になり、数秒後に同時に笑顔を浮かべた。
「ほら!ミカエラ!今までと同じように会話出来るじゃん!やったね!」
ソフィーはそう言うと、ニッコリと歯を見せて、欲しいものを貰った子供のように無邪気にはしゃぎ「良かったねえ」と、ミカエラの手を握って喜んだ。その時のソフィーの顔は本当に嬉しそうで、その顔を見ていると自分までも何故か嬉しくなった。
「おーい入るぞ」
お互いに喜んでいると、硬く重いノックが3回響いた。アンドリューだ。
2人はお互いに目を合わせ頷くと、ソフィーが返事をした。
「ミカエラお兄ちゃんひたちぶりネ」
返事をした途端、少女が隙間から部屋に入ってくる。
桃色のおかっぱの髪に、黄緑の瞳が特徴的なこの少女はアンドリューの娘だ。
容姿が全く似てないのは、アンドリューとは血が繋がりがない。それどころか、ネロはマギ王国出身と人種も全く違う。
今はこのようにどこにでもいるような女の子だが、アンドリューの養子になったばかりの3年前は、酷くボロボロでやつれていた。
「ミカエラオニイチヤンだいぢようぶヨ?」
ネロはベットの横の椅子に腰をかけると、ミカエラの顔をマジマジと見る。そして、首を傾げながら舌っ足らずが混じった言葉でそう言った。
「ネロ!ミカは
後から入ってきたアンドリューは、ドアに寄りかかりながら、いつもとは違う優しげな声音と眼差しをネロに向ける。
アンドリューはネロを愛してる。例え血が繋がっていなく、人種が違っても。そう感じさせるには十分の仕草だった。
「ああ、そうだ……ミカ」
アンドリューはベットの傍に近づくと、持っていた紙袋から万年筆とスケッチブックと赤いマフラーを取り出した。
「その……意思を図るのに苦労するだろ?」
「あと、赤いマフラー……首の傷……気にしているんだろ?もし良かったらこれで隠せ……」
アンドリューはぶっきらぼうにそう言うと、少し目を細め口角を上げた。
さっそく代わりに受け取ったソフィーが、万年筆のカートレッジにインクを吸わせてから、ミカエラは万年筆を受け取ると、スケッチブックにこう文字を書いた。
『ありがとうございます』
アンドリューは、頭を掻きながら少し目を細めて笑い、ソフィーは何も言わずに、ニッコリと歯を見せてミカエラの肩に手を置いた。
ああ、これで少しは会話が出来る。
少しだけ熱くなった目頭を抑え、目を閉じると上を向いた。
窓から見える空は厚い雲ゆっくりとしたスピードで移動していく。その空を鴉が二、三匹同じ方向へ飛んでいった。普段は気に留めないありふれた光景さえ、美しくそして愛おしく感じた。
春にしては暑苦しいその日の夜。ソフィーが帰る際に、開けたままにしてもらったドアを誰か来ないかなと思いながら眺めていた。
人が入って来る時は、
だからドアに人影や足音が近づく度に、自分の客じゃないかと思ってしまうが、ほとんど通り過ぎてしまう。
「やあ、ミカエラくん。回診に来たよ。調子はどうだい?」
人が入ってきたのはいいが、回診に来た
『お疲れ様です。いつも色々お忙しいのにありがとうございます』
「いえいえ。紙とペンもらったんだね!良かった……それじゃ腕と胸と喉を見せてくれないかな?」
ミカエラは頷くと、袖を捲った。腕には無数の傷跡と点滴の管が刺さっている。
「カテーテル苦しいと思うけど、もうしばらく我慢してね。トマトスープはまだだけど、少しづつ食べる練習していくから。あ、口開けて」
ヴァルトはそう言いながら、看護師から器具を受け取ると、先日と同じように口の中を見る。それから、隣の看護師になにか言って、ヴァルトは「じゃあ僕は失礼するね」と、言うと、看護師を置いて部屋から出ていく。
「あ、失礼します。ご飯の時間です」
看護師はテキパキとベットの角度を変え、それからカテーテルと栄養剤を繋げると、何かあったら呼ぶようにだけ言うと、部屋から去っていった。
「少佐!夜分遅くに失礼します。荷物を届けに参りました」
しばらくして、先日の声が高い少尉が、ドアをノックすると、血に濡れた服と、茶色の皮のリュックを持ってきた。
服は戦場で着ていた服。リュックは、本部に置いてきた日用品が入っている。
ミカエラは、急いでリュックのポッケの中に入れたイヤリングがあるか確認をする。ミカエラにとっては大切な物だ。命の次の次くらいに。
ポケットの底には、金色に光る月のイヤリングがあった。ミカエラはほっと一息つくと、それを耳につける。
「レオンハルトの件は残念でした……少佐だけでも生き残ってくれて幸いです」
少尉は前に手を組みながら、残念そうな声でそう言う。
ミカエラは急いで紙に『嘘でしょ』と、書くと、少年兵は目をつぶり、首を横に振ってから「残念ながら」と、静かなに言う。
薄々分かっていた。
だけど認めたくは無かった。手厚い治療を受けていると信じたかった。
レオンハルトは境遇もミカエラと似ており、隊に入って数日で意気投合してから、保護も兼ねて副官として、常に自分の横に置いといた。
死んで欲しくないから傍に置いていたのに、傍に置いていたのが仇になってレオンハルトは死んでしまった。
楽しかった思い出が次々に蘇る。休みの日に映画を見に行ったこと、夜警の時にしたくだらない雑談。
どうしてだろうか?何度も人の死に遭遇してるのに、覚悟していたはずなのに目から雫がポタポタと頬に滴り落ちる。
「では、少佐失礼します。」
ミカエラは、少尉が出ていったのを確認すると、涙のせいでグチョグチョになった包帯を取り、咳を一つすると、湿ったため息をついてから、そのまま目を閉じた。
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