2話 息をすることはとても苦しい(後編)

ミカエラは眩しい光と息苦しさで目が覚めた。白い天井とうっすらと鼻に沁みる消毒の香り。腕や鎖骨に繋がれている点滴やカテーテルや栄養チューブ。


 そして息をする度曇る酸素マスク。


 間違いなくここは病院だと理解したものの、何故病院にいるのかが分からなく、ミカエラは目覚めたての意識がはっきりしない頭で、必死に考えていた。


「ミカエラ……?ミカエラ!目が覚めたの?……本当によかった!」


 視界の端で、ソフィーが嬉しそうに微笑みながら、ぎゅっと手を握った。いつも温かい手は今日は何故だか冷たい。


「ミカ……気が付いたか?ここは基地内の軍病院だ。なにがあったか覚えているか?」


 アンドリューは、いつもと変わらない仏頂面と、腕組みの姿勢でゆっくりと言う。

 ミカエラは覚えてないと、首を振ろうとしたが、上手く顔が動かない。


「そうか……ミカ……お前は一週間程前に ズッヒャーハイト で撃たれで倒れていたんだ」


 アンドリューは、腕組みをしたままぶっきらぼうな声で言う。


 その瞬間、全て思い出した。自分が得体の知らない敵と戦っていたこと、そしてレオンハルトが撃たれたこと。


 ──レオンハルトは無事ですか?──


 声を出そうとしても、何故か声が全く出ない。


もう一度振り絞るが、掠れたような声さえ出ない。


 その瞬間、ただでさえ息苦しい喉に焼かれるような激痛が走り、それと同時に気道が閉まる感覚が襲う。


 息が吸えない……吐けない。ミカエラは思わず喘ぐような呼吸になる。


「どうしたの?ミカエラ?」


「どうしたんだ!ミカ?!」


 アンドリューとソフィーは同時に目を大きく見開き、驚いたような声と顔でこちらを見つめる。


 必死に声が出ないことを伝えようと、何とか動く右手で小ぶりなジェスチャーをする。

 しかし、2人は不思議そうな顔をするばかりで何も伝わっていないようだった。


「ミカエラ苦しいの?痛いの?辛いの?医者を呼ぼうか?」


 確かに痛いし、息苦しくて辛いが、今はそれどころでは無い。とりあえず何とか首を微かに横に振る。


「じゃあどうしたの?」


 必死に『声が出ないの』と唇をパクパクとするしてるが、2人には一向に伝わらない。


『声が出ない』という、たった6文字の言葉さえ伝えることが出来なくて、悔しくて悲しくてまた涙が溢れ出てきた。


「ミカどうしたんだ?息苦しいのか?ジェスチャーだけじゃ……言わないと分からないぞ」


 違う!言えないんだ。喋れないだ。何故か声が出ないんだ!見てくれよ、察してくれと、涙が混ざった目でじっと訴える。


 ──声が出ないんだ。なんにも呻き声さえ出ないんだ──


 ミカエラは息苦しさを我慢して、必死に声をもう一度出そうとするも、カヒュウという音で消される。


「コエガ……デナイ……?……ミカエラ!声が……出ないの?」


 しばらくしてから、ソフィーは目を大きく見開きながら、恐る恐る聞いてきた。

 ミカエラはやっと気づいてくれたと、安堵しながら小さく頷き、目を細めた。


「……ヴァルトを呼んでくる!」


 アンドリューも目を大きく見開いてから、滅多に崩さない仏頂面を崩し、勢いよく部屋から出ていった。


  しばらくして何故か軍医総監ヴァルトが、笑顔でゴム手袋をはめながら入って来た。


それにしても何故軍医のトップが、自分の主治医なのだろうかとミカエラは思いつつ、それを伝えるすべが無いミカエラは、考えることを辞めた。


「こんにちはミカエラくん。目覚めて良かった……声が出ないって?どう見せてくれる?」


 ミカエラは目で小さく頷くと、ヴァルトは「失敬」と言いながら布団を剥がす。

 ミカエラはベットから少し起され、それから酸素マスクを外し、口を開けるように指示をされた。


「もう1回出来るかな?声を出してみてくれないかい?」


 もう一度喉に力を入れるが、やはり掠れた声さえ出ない。苦しくて顔を小さく横に振ると、「ごめんねー」と、言いながら、ヴァルトは、いきなり鉄の器具を口の中に突っ込んた。


 ポケットからペンライトを取り出すと、ヴァルトはまるで宝探しをするように、口腔内をじっと見る。


 金属のひんやりとした冷たさと、舌にじりじりとくる鉄独特の苦味と酸味。ミカエラは何事かと背中にひんやりとした汗をかく。


「……うん、いきなり器具を入れてごめんね。ありがとう」


 ミカエラの体勢や酸素マスクを元に戻すと、ヴァルトは目の横の皺をクシャとさせ、笑顔でそう言う。


「……それでヴァルトさん、どうですか?」

 

 アンドリューは仏頂面を崩さず、腕を組みドアの入口にもたれかかっているような姿勢で低く濁った声で訊く。


「首を切られた時だと思うんだけど、声帯が損傷している」


「そこから何らかの理由で機能が麻痺して声帯としての機能が果たせていない……」


「ステロイドを投与しながら暫くは様子を見るけど、もしかしたら、ずっとこのまま……の可能性があることを頭の片隅に置いて欲しい」


 ヴァルトは一瞬、目を伏せてから、真顔に戻りミカエラをじっと見る。

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