第7話 浄化
自身の魔力を細く、柔らかく、穏やかになだめ、対象へとゆっくりと絡みつかせていく。少しずつ探ってみれば、恐ろしく繊細で複雑な壁が立ちはだかっている。少しでも強く押せば簡単に崩れてしまいそうで、でも全くそんなことはなく強固な壁としてその役割を果たしている。
固く閉じた心を優しく解きほぐすように、慎重に、少しずつ。決して傷つけないよ、そう語りかけるように少しずつ。
自分の両サイドでは頼もしい友が守るように背に庇ってくれているのを意識の端で感じていた。
≪精霊の花≫は強くしなやかで、繊細な魔法の核を務めるには十分すぎるほどであった。複雑で、繊細で、とてつもなく緻密な計算をもとに組み上げられたであろうこの魔法の構造は、ディアナにとってどこか懐かしさを感じるものでもあった。
大丈夫、ほかの誰でもない、私ならこの魔法を解き放つことが出来る。癒し、治して浄化することが出来る。
少しずつ壁を越え、その内側を覗き見ればそこは優しさと慈愛で満たされた、とても柔らかくて傷つきやすい心が見えた。柔らかい光で満たされているそこに落とされた一点の真っ黒なシミ。これだ、と思った。
真っ黒な点を、そっと包み込むように魔力を広げた。
ゆっくりと、じわじわと、少しずつ光の中に黒いシミを溶かし込むように。
優しく包み込んでいると、黒いシミは少しずつ光の中に滲んで消えていった。注意深く探ってみるが、黒いシミは確かに消えたらしい。
ほっと息を吐き、それからもう一度気を引き締めなおして魔力を慎重に操り≪精霊の花≫から引き上げる。最後の最後まで、傷つけないように。
やがて≪精霊の花≫に絡みついていた光が完全に消え去り、自分の魔力がどこにも残っていないことを確認するとディアナはほっと息をついた。
ディアナが集中を解いた様子を見ていたヒューノは、≪精霊の花≫とディアナを見て安心したように笑った。
「お、無事終わったか」
「えぇ、貴女たちのおかげで集中できたわ。……それにしてもずいぶんと張り切ってくれたのね」
ディアナは自分が背に庇われていることには気が付いていたが、背に庇ってくれていた人たちがどこまでやらかしていたのかには意識がいっていなかったようだ。
コトハ達三人はそれぞれ顔を見合わせると苦笑いを浮かべた。
「ディアナ、すっごく集中してたもんねー」
「私たちも頑張りました」
ディアナが魔力操作にひたすら集中している間に、コトハ達は軽く一山出来る量の魔物を狩っていた。その量の魔物を狩れたことにも、狩れたほどの時間集中し続けていたことにも驚きだ。
「まさかこの森にまだこんなにも魔物がいたなんて。貴女たちだけに押し付けてしまったわね」
「ディアナはディアナにしか出来ないことしてただろ。適材適所、っていうんだぜ」
「そーそー。ディアナを守るのはお任せぇ」
だから安心して守られろ、と笑う三人の頼もしさにディアナも同じく笑みを浮かべた。なんとも頼もしい仲間たちだ。
「ディアナ、浄化は成功したんだろ? その割にはあんまり変わっていないような」
辺りを見回して不思議そうな顔をしたヒューノがふと疑問の声を上げた。
たしかに、明らかに怪しげな≪精霊の花≫にははっきりと魔法を組まれていた痕跡があったし、それを浄化したという手応えはあった。
強力な術式であったようだし、もし≪迷いの森≫の魔法がきちんと解かれたのであればいくら森の内縁に近い場所とは言え景色に変化が表れていてもおかしくはないはず。
ヒューノの言葉を聞いたリリアとコトハもどこか不安げな表情を浮かべている。
「……たしかに、この花に組まれていた魔法は解き放ちました。なのに変化が見られない?」
「もしかして、核はこれだけじゃない、ってことー?」
「その可能性が高そうね。これだけ強力な術式だもの」
まだ終わりじゃないのかー、とコトハがその場に座り込んだ。それを見たリリアやヒューノが苦笑を浮かべた。いくら従魔たちがいるとはいえ、彼女が一番動き回っている。それはそれは疲れていることだろう。
「やっと終わったと思ったのにー! また同じようなの見つけなきゃいけないの?」
「そうだよなぁ。こんな珍しいものがそうそうあるわけないし、似たようなの探し回らないと、か……」
「いえ、≪精霊の花≫が核として使われていたのなら、もう一つの核は見当がつきます」
「リリア、本当?」
リリアはひとつ頷くと、エルフに伝わる伝承をもう一度話してくれた。
「妖精王の二つの心、二輪の花。その一つである≪精霊の花≫が核として使われたのであれば、その対となる≪妖魔の花≫が核として使われているのではないでしょうか」
「たしかに、対の花があるのならそれを核とすれば魔法は安定しそうね」
「……この魔法、人為的なんだよな? よくもそんな妖精王の心なんて大層なものに手を出したよな」
「たしかに、ある意味勇者だよねぇ……」
真剣な顔で頷きあうリリアとディアナとは対照的に、ヒューノとコトハの顔は引きつっている。
妖精王の心なんて普通に暮らしていれば見ることも聞くことすらそうそうないだろう。
「あら、聖都の聖魔導士部隊になんて籍を置いていれば≪魔王の杖≫とか神話時代の書籍とかいろいろ目にするわよ」
「それ、絶対一般的な隊員には関係ないよねー?」
「そんなの聖女だけだろ」
にこやかに微笑むディアナとは対照的にヒューノとコトハの顔はげっそりしている。そんな二人を見ながらリリアは苦笑していた。
「エルフもなかなか特殊な環境に置かれていると思っていましたが、聖女の方が特殊そうですね」
「退屈はしなかったわね」
今は楽しそうに微笑んでいるディアナであったが、その背景には様々な苦難を乗り越えてきた過去があるのだろう。
だからこそ、ディアナは強い。
「……本当、今代の聖女は頼もしすぎるな」
「もしかしたら、今魔物が溢れだしたのも必然だったのかもしれないねー」
今、この時に生まれて生きていること。それが幸いだったような、恨めしいような、複雑な気持ちになったコトハとヒューノであった。
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