第52話 理不尽だらけの世界
慧と唯衣の家を訪れた次の日。
8月の中旬、東京ビックサイトは夏の暑さとオタクの熱さで蒸し返っていた。
夕璃は並ばずに入れる昼過ぎに訪れ、ハルマのサークルに向かった。
ハルマのサークルのブースには前回の冬コミの時よりも並んでいる人が多く、忙しそうにしているハルマを見かけた。
自分の作品の二次創作をメインに手がけてくれているハルマの成長が見え、夕璃は少し誇らしい気持ちだった。
作者とはいえしっかりと列に並び、一時間かけてハルマの同人誌とグッズを買うことができた。
売り子のお姉さんが買ったものを袋に詰めていると、ハルマが夕璃に気づき、急いで駆け寄ってきた。
「お久しぶりです先生。ちょっと今忙しいのでコミケが終わったらどこかで一緒にお食事をしながら話しませんか?」
「いいですよ。終わるまで他のところも回ってきます」
夕璃はハルマと食事の約束をして、他のサークルなどを回った。
好きなアニメの同人誌などをいくつか購入し、一通り回りきったので東京ビックサイトを後にして駅に着くと、ちょうどハルマからメッセージが来た。
たった今コミケが終わったので急いで駅に行くという報告だった。
しばらくするとハルマの姿が見えた。
時刻は六時を回り、夕焼けが東京湾を照りつけていた。
「お待たせしました。さあ、行きましょうか」
二人は電車に乗り、いつもハルマがコミケ帰りに打ち上げに使っているという焼肉屋に向かった。
目的地の焼肉屋に着くと、店員に個室へ案内された。
個室は畳が敷いてあり、ドアは
「ここ、すごく日本酒が美味しいんですよ。焼肉屋だけど個室があって落ち着いて食べれますし」
「こんないいお店知りませんでした。焼肉屋で落ち着いて日本酒を飲めるなんて中々ないですね」
二人は座布団に座り、日本酒と上タン、和牛カルビ、熟成ヒレを頼み、アニメやラノベ、『俺ラノ』の話をした。
しばらくすると、店員が肉と日本酒を持ってきてくれた。
「「おぉ……」」
二人は肉を見つめて思わず声を漏らした。
肉にはたっぷりと脂が乗っていて、肉自体が光沢を放っていた。
店員が日本酒を升の中に入っている冷酒グラスに注いでくれた。
日本酒は冷酒グラスから溢れ、升の半分までたっぷりと注がれた。
「ハルマさん、コミケお疲れ様です」
「先生こそ『俺ラノ』完結おめでとうございます」
二人は冷酒グラスをぶつけて乾杯した。
まずは上タンを網に乗せた。
乗せた瞬間に上タンから脂が溢れ、匂いが部屋中に漂った。
それだけで二人は日本酒がいつもより進んでいった。
焼けた上タンを二人は一枚ずつ取り皿に移し、口に運んだ。
塩の味が最高に上タンの旨みを引き出していた。
今までレモンやねぎ塩で食べていたのが嘘のように、塩で食べるのがやめられなかった。
次に食べた熟成ヒレは口に運んだ瞬間に溶け始め、脂と肉汁が舌の上を踊った。
「ここのお肉は日本酒以上に最高ですね」
「割と高いのでコミケのご褒美で年に二回しか来れないんですけどね。でも先生に喜んでもらえてよかったです」
日本酒片手に最高級の肉を食べ、話に花を咲かせた。
少しお腹が膨れ始め、日本酒だけを飲むようになった頃、突然ハルマが話題を変えた。
「ところで、夕璃先生と七里ヶ浜先生はお付き合いされているんですか?」
「とんでもない。英里奈とは小学校からの幼なじみなんですよ。まぁ幼なじみと言っても中学と高校は別で、お互いが夢を叶えて再会したんですけどね」
付き合っていることを否定しても、ハルマはしばらく英里奈の話題を変えなかった。
他には彼氏がいないか、どんなタイプが好きなのか、などを聞いてきた。
夕璃には答えにくい質問だったので濁しながら話していると、あることに気づいた。
「もしかしてハルマさん、英里奈のことが気になるんですか?」
「はい。冬コミで一目見た時から気になっていたんですけど、二人はお付き合いしているものだと思っていたので諦めようとしていましたが、希望が見えました」
ハルマは若干酔っているのか、膝立ちになりガッツポーズをした。
希望を持ったハルマを見て、夕璃は複雑な表情をしていた。
自分の発言で希望を持たせてしまったこと、自分が今二人の人間の恋を叶わぬものにしていることに、夕璃は心の中でため息をついた。
この世界は物欲センサーという言葉があるように、欲しいものほど大抵努力しないと手に入らない。
なのに誰かが欲しいものは無自覚に、いとも簡単に手に入れることができる。
夕璃はふと桜華を思い浮かべ、そんな理不尽に打ちひしがれた。
その後はハルマの酔いがヒートアップし、英里奈への想いを溢れるように語っていた。
語りながら日本酒を飲んでいたのですぐに出来上がってしまい、今日は解散となった。
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