第47話 それでも世界は美しい
入江遥斗から見る世界は灰色だった。
中学生の時に母親が他界し、父親と二人暮しになった。
しかし父親はほとんど仕事には行かずに、飲んだくれていた。
そのため遥斗は高校に行くのを諦め、中卒で働き、生活を保っていた。
だがある日、父親が遥斗の稼いだお金すらもお酒と遊びに使ってしまった。
そのことで口論になり、遥斗は父親と絶縁して家を飛び出した。
働いてはいるが、ホテルに泊まるお金はないので一ヶ月ほどネットカフェで生活していた。
だが思ったよりも支出が大きく、給料日の一週間前に貯金が尽きてしまい、ネットカフェで生活することもできなくなった。
そのため河川敷の高架下での生活を余儀なくされた。
「寒いな……」
十一月の夜に高架下で、ダンボール一枚で生活するのは想像より遥かに寒かった。
「どこで、どこで僕は間違えたんだ」
母親が他界するまではごく平凡な生活をしていた。
でもいつからか、遥斗から見える世界に色はなかった。
寒さで寝ることもできずに凍えていると、一人の女性が遥斗の前に現れた。
「子どもがこんなところでどうしたんだ?」
女性はおもむろにコートを脱いで遥斗に投げ渡した。
「行くあてはあるのか?」
「いえ……ありません」
「そうか。じゃあうちに来い」
そう言って女性は遥斗の意見も聞かずに、歩いて行ってしまった。
女性から渡されたコートは遥斗から見ても高級で、返さないといけないと思い、ついて行った。
少し歩くと女性は車に乗った。
「ほら、早く乗りな」
言われるがまま、遥斗は車に乗る。
「なんで外で凍えてた僕なんかを?」
「外で凍えているからに決まってるだろ。車を運転してた時に一瞬見つけてな」
当たり前のように助けてくれた女性に、遥斗は少し安心感を抱く。
コートの温かさも増した気がした。
しばらくすると車は止まり、降りると目の前には豪華なエントランスがあるタワーマンションがあった。
女性が入って行ったので大人しくついて行った。
エレベーターで二十五階まで上がり、女性が部屋に案内してくれた。
「まずは風呂だな。シャワーを浴びているうちに湯船にお湯も溜まると思うからすぐに入りな」
女性はバスローブとタオルを渡してくれた。
「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」
ネットカフェはシャワーはあるが湯船はないので、しっかりとお湯に浸かったのは一ヶ月ぶりだった。
「ふぅ……」
久しぶりに心も体も温まり、思わず声が漏れた。
「こんなに優しくされたのは母さんがいなくなって以来だ」
遥斗は長時間湯船に浸かり、上がった。
お風呂を出てお礼を言うために女性を探していると、リビングに二人分の食事が並んでいた。
「お、上がったか。今できたばかりだ。冷めないうちに食べてしまえ」
「そんなの迷惑ですよ。お風呂だけでも十分助かりました」
「もう二人分作ってあるんだ。遠慮するな」
女性は遥斗の背中を押して椅子に座らせた。
「じゃあとりあえず、乾杯」
女性は缶ビールを開けて一気飲みした。
豪快だが大人の色気のある優しい女性に、遥斗は徐々に心を奪われていった。
「そういえばお前の名前、聞いてなかったな。私は成野芹那だ」
「僕は丸山遥斗と言います」
「じゃあ単刀直入に聞くが言いたくないことは伏せてもいい。なんであんなところにいたんだ?」
芹那の問いに、遥斗は包み隠さず全てを話した。
「そうか。遥斗は今までよく頑張ったんだな」
母親が他界し、誰にも認められないまま生活するためのお金を稼いできて、家もお金も全て失くしても生きることだけは諦めなかった。
その頑張りがようやく他人に認められた瞬間だった。
芹那の言葉は遥斗に刺さり、遥斗は泣き崩れた。
その後、落ち着きを取り戻し食事を済ませるとベランダに来てみろと言われ、芹那と一緒にベランダに出た。
東京のタワーマンションなだけあり、そこから見える街並みは絶景だった。
でも今の遥斗はこの景色を綺麗だとは思えなかった。
「なあ、遥斗。今のお前から見る世界が色もなく、腐りきっていても、その中でも光り輝くものがあるはずだ。そんな一握りの世界の美しいものをお前はこれから探すといい。見つけたらそれを手に入れようと全力で生きるんだ。そうすれば、いつか色づく世界が見える」
その言葉を聞いた途端、遥斗から見える世界は色彩を取り戻した。
こんな理不尽でどうにもならない無慈悲な世界に、色を失わずに光り輝くものを見つけた。
「僕、今の芹那さんの言葉、よく分かります。それにもう見つけましたよ」
「見つけるのが早いな。じゃあその光り輝くものを絶対に見失わずに手に入れろよ。今日からお前が生きる目的はそれだ」
この瞬間、遥斗は芹那から離れないと誓った。
それからしばらく景色を一望したあと、芹那にある提案をされた。
「お金もなく、帰る家もないなら余裕を持って賃貸が借りられるようになるまでここで暮らせばいい。部屋ならいくつか余ってるし」
「そうさせてください。お願いします」
芹那から離れないと誓った遥斗にとって、またとない提案だったので遠慮も忘れてお願いしていた。
芹那の家に住まわせてもらってから半年が経った。
ある程度貯金に余裕ができたのでこの家に居れるのもあと一ヶ月くらいだろう。
遥斗は少し寂しさを感じていた。
男女が同じ家で暮らしているのに特に何も起きなかった。
遥斗は家事をすることを条件に住まわせてもらっていたが、料理だけは上手くいかなかった。
料理のコツを調べようと芹那のお古のノーパソを貰い、調べていると一つのファイルを見つけた。
「なんだろう、これ」
本の題名のようなタイトルのファイルを開くと、ずらりと文字が並んでいた。
「小説か?」
遥斗はおもむろにその小説らしきものを読み進めた。
文字数は小説一冊よりも少なかったためすぐに読み終わった。
「この小説ってもしかしたら芹那さんが書いたやつなのでは……」
その物語に出てくるメインヒロインは芹那そのものだった。
そのメインヒロインは入江晴人という主人公と学園生活を送る学園ラブコメだった。
偶然にも、主人公と遥斗は漢字は違えど同名だった。
小説のことが気になり、芹那に尋ねることにした。
「芹那さん。この小説って芹那さんが書いたやつですか?」
ノーパソの画面を見せると芹那は一瞬顔を赤くし、恥ずかしさを表に出さないように取り繕っていた。
「それは学生のころ、作家になりたいと思って書いていた小説だよ。まぁ才能がなくてな。でもどうしても諦められなくて物語を読むのが好きだから今は編集者をやっているんだ。私は夢を諦めて、妥協して編集者になったんだ」
懐かしそうに、だが自虐的に語る芹那はどこか寂しそうだった。
そんな芹那を見た遥斗は、いてもたってもいられなかった。
ノーパソを持って部屋に戻ると、気づけばWeb小説投稿サイトを開いていた。
遥斗はサイトのアカウントを作成していると、ペンネームを決めておらず迷っていた。
すると、芹那がモデルの小説の主人公が同名だったのを思い出す。
「芹那さんが主人公になれなかったなら、僕が芹那さんをメインヒロインにします」
芹那の小説の主人公から苗字を借りて、ペンネームを入江遥斗にした。
貯金が貯まり、芹那の家を出てからも小説を書き続けた。
料理も得意にして、芹那の主人公になるために遥斗は一人暮らしになってからも自分磨きをしていた。
世界に色彩をくれた芹那への想いを、この無慈悲な世界にも美しいものがあるという救いを、芹那の主人公になりたいという渇望を、魂からの想いをありったけ小説にぶつけた。
そして芹那の働いている出版社に応募し、見事大賞を受賞した。
そんな壮絶な過去があり、今の遥斗に至る。
「まぁだいたいこんな感じかな」
遥斗の過去を聞いた夕璃は思ってしまった。
負けた、と。
夕璃は、遥斗が芹那に出会った衝撃と同等の衝撃を受けたことがない。
ぐぅの音も出ない敗北を味わうことになった。
「お前はすごいよ。そんなことがあっても諦めずにいられるなんて」
「でもまだ本質的な夢は叶えていない。僕は芹那さんを諦めない」
遥斗の確固たる決意の前に、夕璃は意気消沈していた。
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