第42話 魂からの輝き

 十二月三十日。

 

 夕璃は英里奈に誘われてコミケに訪れた。

 

 コミケとは夏と冬に行われる、世界最大の同人誌即売会――コミックマーケットのことだ。

 

 コミケでは一般の同人サークルや同人作家の他に企業ブースといった、アニメの会社や出版社が出店するブースもある。

 

 二人はまず、売り子をしている芹那とバイトの桜華に差し入れをするため、企業ブースにやって来た。

 

 コミケは東京ビッグサイトで行われているが、企業ブースは隣駅の倉庫のような青海展示棟で行われている。

 

 二十分程並ぶと入ることができた。

 

 HG文庫の企業ブースの前では、HG文庫の看板とも言える慧の作品『おてんばカノジョと冷め期のカレシ』――通称『おてカノ』に出てくる女の子キャラのコスプレをしながら売り子をしている芹那と桜華と唯衣を見つけた。

 

 三人は制服のコスプレをしていた。


「二人とも来てくれたのか」

 まず気づいたのは芹那だった。


「差し入れをしに来ました。芹那さんまだまだ制服似合いますね」

「やっほー。久しぶり夕璃君」

 

 唯衣は芹那に匹敵する美貌の持ち主で見慣れていないので思わず見惚れてしまうところだった。


「お久しぶりです。唯衣さん……って痛い痛い!」

 脇腹をつねってきたのは桜華だった。


「今唯衣先輩に見惚れてたでしょ」

「そ、そんなことはない」

 

 桜華は唯衣に見惚れていたことについては怒るが、夕璃と英里奈が一緒にいることについては何も言わなかった。


「お姉さんのコスプレに見惚れるのもいいけど、夕璃君の作品のグッズや同人誌ならビッグサイトの方で見たって聞いたよ」

「分かりました。今から行ってみます」

 夕璃と英里奈は三人に手を振ると東京ビッグサイトに向かった。

 

 英里奈が振り向くと桜華か近づいてきた。


「今日あのこと夕璃に言うんでしょ?」

「そのつもり。私、明日から全力だから」

 英里奈は桜華に負けないという決意の眼差しで桜華の目を見た。


「さくらだって負けないよ」

 二人は笑顔で言葉を交わし、桜華はブースに戻って行った。



 東京ビッグサイトは企業ブースとは桁違いの賑わいで、どこを見ても人で埋め尽くされていた。

 

 中に入っても身動きを取るのが一苦労だった。


「英里奈、離れるなよ」

 夕璃は自然に英里奈の手首を掴んで歩いた。


「やった」

 英里奈は小さくガッツポーズをした。

 

 事前に『俺ラノ』のグッズや同人誌が売っているところを調べていたので、そこを目指しながら見て回った。


『俺ラノ』の同人誌が置いてある最後のサークルに着いた時、二人は唖然とした。

 そのサークルは元々有名なサークルで、外に行列ができるほどだった。

 

 二人が驚いたのはそこではなかった。

 

 そんな人気サークルが今回販売している同人誌やグッズが全て――『俺ラノ』だった。

 

 同人誌は三種類あってタペストリーやキーホルダー、クリアファイルなども売っている。

 

 何よりクオリティーがとても高く一つ一つ創られていることが分かる。


「すごい……全部『俺ラノ』だ」

 夕璃は感動と興奮を抑えきれず声を漏らす。


「早く列に並ばないと売り切れちゃう!」

 英里奈は興奮気味で夕璃の手を引っ張り、待機列に急いだ。

 

 待つこと四十分程度。

 

 ようやく二人の番が回ってきた。


「すみません、同人誌三部ずつとほかのグッズ全部一つずつください」

 

 夕璃の全部という言葉に一瞬目を丸くして驚いたが、売り子のお姉さんはすぐに接客モードに戻して「わかりました」と言い、奥で作業をしていた若い男性に何やら話をしている。

 

 すぐにお姉さんは戻って来て会計をし、奥の男性はグッズを全て袋に入れてくれた。


「ありがとうございます!『俺ラノ』好きなんですか?」

 グッズを渡してくれた男性が夕璃に話しかける。

 

 お金を渡して列から外れた夕璃達は男性と話し始めた。


「まぁ……はい。すごく好きですよ。誰にも負ける気がしません」

「私以外にもここまで『俺ラノ』にハマっている人がいるとは思いませんでした」

 

 ――ファンではなく作者だが。

 

 夕璃は作者だと知らずに話している男性に少し面白いことをしようとペンを借りた。

 

 ほとんどの作家は名刺を持たない。

 夕璃もそのうちの一人で、夕璃は常に『俺ラノ』の一巻を名刺代わりとして持ち歩いていた。

 

 夕璃はペンと本を英里奈に渡した。

 そのやり取りを男性は不思議そうに見つめている。

 

 夕璃が何かを書き終わると本を男性に渡した。


「今日はありがとうございました。これからも応援してください」

 男性は受け取った本の裏を見て目を見開いた。


『俺ラノ』の一巻の裏には英里奈の絵と夕璃のサイン、そして二人のコメントが書いてあった。


「夕璃先生と七里ヶ浜英里奈先生?!」

 二人の正体に気づいた男性はサインと顔を交互に見て仰天していた。


「『俺ラノ』をいつもありがとうございます」

「いえいえ!こちらこそ面白い作品をありがとうございます!あ、私ペンネームをハルマと言います」

 

 ハルマは平均的な身長で黒い長髪の顔が少し幼い男性だ。

 

 ハルマは貰ったサイン付きの『俺ラノ』を大事そうに抱え、二人と恐縮しながら『俺ラノ』について熱く語った。


「自分の作品が同人誌やグッズとして売られているのは嬉しい気持ちになるんですごく感謝してます」

「とんでもない!夕璃先生があれほどの神作を創り出してくれたからこそ今同人誌として売ることができるんです。微力ながら私も『俺ラノ』が広く認知されるように、これからもイラストめっちゃ書いてグッズもいっぱい売ります!」

 

 ――自分の作品を愛してくれる人がいるのはとても嬉しく、モチベーションが上がる。

 

 帰り際ハルマと連絡先を交換し、夕璃は改めてお礼を言って東京ビックサイトを後にした。

 

 帰りは感動と興奮、胸が高鳴る気持ちでいっぱいで寒さを感じないほどだった。


「私たちはハルマさんのように『俺ラノ』を愛してくれている人達に応える義務があるよね」

「ああ。それにサボってばかりだといつか同人誌に作品のクオリティーを抜かされそうだ」

「まだまだ私たちならクオリティー上げられるよ」

 

 寒さをものともしないモチベーションを二人はコミケで得ることができた。



 最後に二人は近くの観覧車に乗ることにした。

 

 日は沈み、辺りはもう暗く、観覧車の上から見える景色は以前のスカイツリーに勝っていた。

 

 英里奈ははしゃぎながらガラスに顔をくっつけたりはせずに、ソワソワした様子で夕璃の向かいに座り、無言で外の景色に顔を傾けるだけだった。

 

 いつもの英里奈と雰囲気が違うのは夕璃も分かっていた。

 

 しばらく静寂が続いた後、英里奈が口を開いた。


「私ね、今度画集を出すんだ」

「本当か!英里奈が今まで頑張ってきた成果だよ」

 英里奈は深呼吸をして、目線を景色から夕璃に向けた。


「私はその画集に今までの全てを、絵を描く楽しさを、魂からのゆうくんへの想いをぶつける。だからその画集を見てから決めてほしい。私も桜華も本気だから」

 英里奈の目は、観覧車から見える街明かりよりも光り輝いていた。

 

 その目からは不安も恐怖も感じない。

 あるのは今までの英里奈の人生全てを賭して、たった一人の心を変えようとする


「楽しみにしてる。英里奈の魂からの想いは全部受け止める。英里奈はクリエイターに一番大切なことをよく知っているから大丈夫だよ」

「今日コミケにいたクリエイターの人達、みんな輝いてた。それこそ私達以上に。きっとそれは自分の好きな作品の二次創作を、好きなことで楽しく作っているからだよね。楽しむことは実力以上に大切だって改めて思ったよ」

 

 二人は外の景色を見つめた。

 

 空高くで光り輝くスカイツリーや高層ビル。

 そしてそれに劣らない無数の車や街灯の輝き。

 

 二人から見たコミケは、まさにこの景色のようだった。

 

 そしてこの日から英里奈は全てをぶつけて絵を描き始めた。

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