第37話 近づく心の距離
「私、中学に通いたいです」
その言葉には確かな決意と覚悟、不安と希望が入り混じっていた。
何をきっかけにそう思ったのか夕璃は知らない。
でも、愛が僅かにでも学校に行きたくなったのなら、夕璃はそれを叶える義務がある。
中学校に通う――それはほとんどの人には当たり前で、何も考えずに小学校で六年間過ごしても通えるところ。
だが、愛にとって中学校に通うことはどんなことよりも高い壁だった。
「俺は愛が中学校に通いたいって思ってくれたことはすごく嬉しい。でも今の愛が中学校に通うことは他の中学生よりも大変で勇気がいることだ。それでも頑張れる?」
愛はわかっていた。
今から遅れた勉強を取り戻さないといけないこと。
既に出来上がっている友達の輪の中に一人で飛び込むこと。
それでも、愛は願った。
「私は学校に通うためなら辛くても頑張るです!」
頑張ると笑顔で宣言した愛の頭を、夕璃はくしゃくしゃと撫でる。
「じゃあ俺は全力で応援する。と言っても今のままじゃ塾にも入れないだろうからまずは塾に入れるくらいにはならないとな」
塾に入ってしまえば勉強のプロが教えてくれて、すぐに並の中学生レベルにしてくれるだろう。
だが、今の状態から塾に通っても理解ができる状態にするのが一番難しいのだ。
夕璃は高卒で、もう勉強をしないで二年の月日が経つ。
夕璃は愛に勉強を教えられそうな人を考えた。
しばらく考えていると呼び鈴がなった。
「なんだ桜華か。もう一人暮らしに戻ったのか?」
「明日からまた一人暮らしだよ。今日は夕璃に挨拶をしに来たの。明日から隣に住むことになった春咲桜華です。よろしくね、お隣さん」
「え?」
ひとまず桜華を家に上げて話を聞くことにした。
「ままとぱぱとの仲が良くなったじゃん?だから仕送りをしてもらえることになってさ。せっかくだから夕璃の部屋の隣空いてたから引っ越してきちゃった」
「仲が良くなって仕送りをしてもらえるようになったのはいいが、まさか隣に引っ越してくるとは」
「それで明日荷物が届くから手伝ってほしいの」
一昨年夕璃が引っ越してきた際、桜華に手伝ってもらった恩があるので夕璃は快諾した。
「それにここからなら大学も近いし」
「そうか大学か、大学……あ、家庭教師発見」
夕璃は何か閃いた顔で桜華の手を握る。
そして顔を赤らめている桜華に、愛が学校に行きたいという旨を話した。
「中学の内容なら余裕かも」
「じゃあお願いしてもいいか?」
夕璃はてっきり桜華は了承してくれる思っていたが何やら考えこんでいた。
「じゃあさ、ちょっと先だけどクリスマスイブ二人っきりで出かけない?」
桜華は頬を赤らめ、もじもじと上目遣いでお願いする。
「わ、わかった。クリスマスイブにデートすればいいんだな」
「デートじゃないから!」
「じゃあなんだ?」
「デート……」
「デートじゃねぇか」
夕璃はデートを約束に桜華に愛の家庭教師になってもらった。
次の日、桜華は本当に夕璃の隣の部屋に引っ越してきた。
引っ越しの手伝いは午前中に終わり、午後は二人で引っ越し祝いを兼ねてご飯を食べに行った。
そしていよいよ次の日から愛は、桜華に勉強を教えてもらえることになった。
勉強は隣の桜華の部屋ですることになった。
「じゃあにぃ、勉強してくるです」
「おう。頑張れよ」
愛は大きく頷くと、勢いよく家を飛び出した。
最初は小学校の勉強の復習で、一ヶ月で小学校の勉強内容はほとんどできるようになった。
それから十二月までの約二ヶ月間、中学校の内容を勉強した。
小学校の内容とは違い、中学の内容には苦戦していた
それでも愛も桜華も諦めなかった。
そして勉強をしていくうちに、愛の警戒心は解けていき、いつの間にか桜華にも辛辣ではなく、いつもの口調で話すようになっていた。
勉強がよくできた日は二人で出かけたりしていて、すっかり桜華も姉のような存在になっていた。
季節は巡り、十二月二十三日。
愛が勉強を終えた頃、夕璃は桜華の家に訪れた。
「この調子なら一月か二月には一通り終わりそう」
「ありがとな。あとは学校に行きながら塾に通ったりすれば周りの子に置いて行かれることはないよな」
いよいよ愛が学校に通う未来が見えてきた。
あとは制服を着て通学路をちゃんと通えるかどうかだった。
「それでさ、明日なんだけど」
「あぁ、分かってるよ。約束どおりデートな」
「だからデートじゃない!」
「はいはいそうですね」
愛と桜華、桜華と夕璃の心の距離は近づいた。
確実に一歩ずつ、それぞれの未来に向かって進んでいた。
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