第36話 不安と希望のリスタート
蒸し暑い夏は過ぎ、心地よい風が吹くようになった頃。
今日も愛は夕璃のご飯を作るため、スーパーで献立を考えながら買い物をしていた。
「少し買いすぎたです」
いつもは一袋で済んでいるところ、今日はセールをしていて二袋分も買い込んでしまった。
夕璃は今、出版社に打ち合わせに行っているので愛は一人で運ぶことにした。
スーパーから家までは徒歩十五分程度なので余裕だと思ったが予想以上に重く、少し歩いては地面に袋を置いてまた歩くを繰り返している。
そんなことを繰り返していると前から一人の男に声をかけられた。
「重そうだな、手伝ってやるよ」
男は短い茶髪で学ランを身にまとっていた。
背丈は愛よりは大きいが高校生ほどはないのでおそらく中学生だろう。
愛は学生に苦手意識を持っているため数歩後ずさりしてしまった。
愛の返事も聞かずにその中学生は袋を一つ手に持つ。
「あ、ありがとうです」
「そんな怖がるなって。別にお礼とか求めてねぇよ」
その言葉を聞いても愛の警戒心は完全にはなくならず、中学生の数歩前を早歩きで歩く。
「そう言えば名前がまだだったな。俺は鈴木慶太。お前は?」
慶太が走って愛に追いつき、隣を同じ速度で歩く。
「私は、坂田愛……です」
ぐいぐい来る慶太に気圧されながらも隣を歩き続けた。
「そういえば愛はどこ中?それとも小学生?」
「年齢でいえば中学一年生です。学校は……行ってないです」
愛は少しバツが悪そうに答えた。
「ふーん。まぁそういうこともあるよな。俺はここの近くの新大中学の一年生だ。部活は野球をしてるぜ」
「どおりでバカそうな雰囲気だと思ったです」
「なんでそこ納得してるの?!野球部に偏見持ちすぎだろ」
一瞬、愛の頬が微かに上がった。
あっという間に夕璃の家に到着した。
「もうここで大丈夫か?」
「はいです。でもお礼がしたいので少し家に上がれです」
自ら家に誘うのは予想外だったのか、慶太は目を丸くして呆然とした。
「だからお礼は求めてないっての」
「じゃあ家で学校の話、聞かせて欲しいです」
「たしかにそれはお礼じゃないから……わかった」
慶太はそのまま袋を持ちながら夕璃の家に上がった。
「お邪魔します。親は仕事中か?」
「親とは一緒に住んでないです。おじ様の知り合い?の人と一緒に住んでいるです」
「そっか。でも親じゃないやつと住んで大丈夫なのか?愛も一応年齢は中学生なんだし」
「にぃはいい人です。たまに来るにぃの友達もいい人達です」
愛は誇らしげに夕璃達のことを語った。
「その人は愛をちゃんと思ってくれてるんだなってよくわかったよ」
「どうしてです?」
「その人のことを話してた時、自然に笑ってたからな」
その言葉を聞いて愛は顔を真っ赤にして口元を隠す。
「う、うるせぇです!今お茶を出すからそこに座ってろです」
愛に言われるがまま、慶太はニヤニヤしながらテーブルの前に腰を下ろした。
しばらくして愛がお茶を持ってきてくれた。
「さんきゅ。それで学校の何が聞きたいんだ?」
「学校は、楽しいです?」
その質問に慶太はしばらく唸りながら考えた。
「俺は勉強が嫌いだから授業はつまんねぇけど、休み時間や部活、先生がいない自習の時間に友達と話すのとかはめっちゃ楽しいぞ」
「自習くらいちゃんとしろです」
わずかに愛の目は輝いていた。
「じゃあ小学校と中学校の違いはなんです?」
「そうだな……やっぱり部活がでかいな。あとは他の小学校からいっぱい人が来るからいろんな面白いやつに出会えるぞ。それで友達いっぱいできるから遠出も増えたかな」
そんな話を聞いているうちに愛は微笑んでいた。
「私、昔は新潟の小学校にいたんです。でもいじめられてお父さんの弟のおじ様の家に引きこもるようになって、去年にぃがやってきてここに来ることになったんです。学校は怖くて不安だけど、慶太の話を聞いたらちょっと行きたくなったです」
愛が話し終えると慶太は深くは考えずにただ屈託のない顔で笑っていた。
「じゃあもし中学に入るってなったら俺のところに来いよ。もういじめなんて誰にもさせないからな」
そんな心から――魂からの純粋な言葉に、愛は最後の一押しをされた。
学校の話をしばらくしてから慶太は帰って行った。
その後すぐに夕璃が帰宅した。
「ただいま」
「おかえりです。にぃ、お願いがあるです」
「お、なんだ?」
夕璃は愛が頼み事をするのが珍しく、思わず素っ頓狂な声で返事をしてしまった。
「私、中学に通いたいです」
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