第32話 誰もが読者で主人公

 コミカライズの大ヒットから数週間後。


『俺ラノ』の知名度はうなぎ登りで、コミカライズの比にならないほど原作が飛ぶように売れた。


 そのお祝いとして芹那の奢りで夕璃とエムと芹那の三人で居酒屋で飲むことになった。


「今日は夕璃とエム先生の大ヒットを祝って乾杯!」

 芹那がジョッキを片手に乾杯の音頭をとる。

 

 エムは生ビールを、夕璃はジュースを片手に、芹那の後に続いて「乾杯」と言った。


「それにしても、清楚な見た目のエム先生がまさか酒豪とは」

 エムは既にお酒が飲める歳で芹那とは比べ物にならないほど酒に強い。

 

 清楚な見た目とは裏腹に、飲みっぷりは酒豪そのものだ。


「まだまだですよ。ですが芹那さんは……出来上がってますね」

 乾杯からまだ一杯目のはずが、芹那の頬は赤みを帯びている。


「そんなこと無いですよ〜。そういえば夕璃。お前、まだ酒飲めないのか?」

「誕生日が一週間後なんですよ」

「一週間なんて誤差だ。さあ飲め」

 

 さすがにお店で未成年が飲むわけにもいかなく、必死に芹那の誘いを断った。


「では一週間後にお酒を飲みに行きませんか?先生とはたくさんお話したいです」

「いいですよ。まだお酒は飲んだことないのでお手柔らかに」

「こら!私の夕璃をたぶらかさないでくださいよぉ」


 エムはある一つの疑問を持った。


「二人はお付き合いされているのですか?」


「してます」

「してません」


 ほぼ同時の答えにエムは動揺する。

「素面の先生を信じますけど、いいんですよね?」

「はい。俺は芹那さんとは付き合ってないですよ」


「では芹那さんは先生のことが好きなんですか?」

 エムは夕璃に聞こえないようにと、芹那の耳元で囁いた。


「そうだ!好きだ!」

 芹那は大声で叫び、エムの配慮を無駄にした。


「先生はそのことを知っていたんですか?」

「ま、まぁ」

 自分で言うのが恥ずかしいのか、夕璃は顔を赤くし、目を泳がせていた。


「お二人はとてもお似合いだと思いますよ」

「そうですよねぇ!夕璃、他に好きな人もいないんだろ?」


「います」と言うのを一瞬、夕璃は躊躇った。

 

 一年以上前、桜華の話をした時の英里奈の顔が脳裏をよぎったからだ。

 だからと言って、いないなんて嘘はつけない。


 しばらく沈黙が続いた。

 そして、沈黙を破ったのは芹那だった。


「そろそろ私にも話してくれないか?夕璃が桜華と両想いなのに付き合わない理由を」


 その言葉に夕璃ははっとした。


「なんでその事を……」

「お前の言動を見ていればわかる。何か理由があるのは確かだから自分から教えてくれるのを待っていたが、この際だ。教えてくれないか?」

 

 さっきまでの酔った雰囲気は消えていて、真剣な眼差しを夕璃に向けている。


「わかりました」


 夕璃は覚悟を決め、エムに桜華のことを軽く説明した上で夕璃が桜華に告白し、振られたこと。

 その理由が夕璃が作家として立ち止まらないためだということ、夕璃が桜華の隣をゆっくり歩いても作家としての勢いが失われないくらい走り続けた時、桜華にもう一度告白することを、夕璃は芹那に告げた。


「そうか。それなら、仕方ないか」


 芹那も気づいてしまったのだ。

 

 夕璃と桜華の恋路は邪魔することができない――邪魔をする隙すらないことを。


 どれだけ足掻こうとこの二人は結ばれる。

 そして芹那は二人が結ばれることを少し


 夕璃の作家としての活力は桜華と結ばれるためにある。

 二人が結ばれることは作家として成長するということだから。


 芹那は夕璃の担当として、夕璃の人生物語の読者として、夕璃が桜華のために進み続けることを拒むことはできない。


 芹那は今、全てを悟ってしまった。


「私は夕璃のパートナーになれないとしても、お前の物語を最後まで見届ける読者として、いつまでもそばにいるからな」

 芹那の目は絶望と失恋と、の色が混じっていた。


「ほんと、私はどうしようもないくらい夕璃の物語が好きなようだ。たった今失恋したというのに、お前が桜華のために進み続けて、作家として成長していく姿を見たい――そんな気持ちでいっぱいだ」


「芹那さんは読者ではなく、俺の物語に出ている主人公の一人ですよ」

「その言葉、私は一生忘れないだろう。読者じゃなくて主人公の一人か。私も夢のために、みんなみたいに走り出していいのだろうか」

 言葉を並べる度に芹那の目から大粒の涙が溢れてきた。


「当たり前じゃないですか。みんな、誰かの物語の読者で、自分の物語の主人公なんですから」

「そうだよな。私も以前から叶えたい夢があったんだ」

「どんな夢なんですか?」

 

 夕璃は興味津々に芹那に尋ねる。


「夕璃にはまだ内緒だ」

 芹那は涙を拭き、小悪魔のような笑みを浮かべる。


 その後、また三人はお酒や食べ物を嗜んだ。


 すると、夕璃のスマホに一件の着信が入った。

 

 それは未登録の電話番号。

 

 だが夕璃には見覚えがあった。


「なんで桜華の実家の固定電話から着信が?」

 それは高校時代に何度か見たことがある桜華の実家の固定電話の番号。


「桜華に何かあったんじゃないだろうな?一旦席を外していいぞ」

 夕璃は芹那の言葉に甘え、電話に出るため居酒屋から一旦外に出た。


「あの、芹那さん。大丈夫ですか?」

「正直、辛いな。でも同時に、叶えたくても一歩踏み出せなかった自分の夢を叶えようと思えるようになった。夕璃に想いを伝えたことに後悔はしていないぞ」

 芹那の目はしっかりと前を向いて、遥か彼方の夢を見据えていた。


「私も芹那さんの夢が叶うように応援してます」

「ありがとう。エム先生も夕璃の物語に引きずり込まれた仲間ですからね。一緒にがんばりましょう」

「はい。そういえば先生遅いですね」


 夕璃はかれこれ三十分帰ってきていない。

 だが、そんな話をしている時に夕璃が帰ってきた。


「随分と長かったな」

「まぁ、はい」

「桜華に、何かあったのか?」

 夕璃の困惑した顔を見て、芹那は恐る恐る尋ねる。


「桜華に何かあったわけではありません。でも話の内容が凄すぎて、まだ理解できません」

「先生、どんな内容だったんですか?」


 夕璃は電話で聞いたことを全て二人に話した。


「そのことを桜華は二十年間知らずに生きていたのか?」

「はい。近いうちに桜華と一緒に桜華の実家に行って、桜華のお母さんから直接話してもらいます。でも桜華は実家を嫌っているので、俺に連れて来てもらいたいということで電話をかけたそうです」


 コミカライズの打ち上げの最後は桜華の衝撃的な話で幕を閉じた。



 それから三日後、夕璃は桜華を連れて桜華の実家に向かった。

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