第31話 コンティニュー
桜華と美波の箱根旅行から数日後。
今日コミカライズの最終確認をして、問題がなければいよいよ一週間後にHG文庫で出版されている漫画雑誌に掲載される。
夕璃が出版社に着き、会議室に入ると既に芹那とコミカライズ担当のエムがいた。
夕璃が座ると、正面にいるエムに厚い茶封筒を渡された。
「これが完成した『俺ラノ』の漫画です。確認をよろしくお願いします」
エムは二十歳から漫画家として活動していて今年で四年目となる。
言葉使いや黒色の腰まである髪がまさに清楚そのものだった。
夕璃は茶封筒を開け、中の漫画を一枚一枚細かいところまで目を通した。
「素晴らしい出来だと思います。こんないい作品にしてくれてありがとうございます」
「お礼を言うのは私ですよ。とても情熱的で素晴らしい作品だと思います。私のように情熱を捨てないでくださいね」
夕璃はエムの最後の一言に反応した。
「エム先生は以前、何かあったんですか?」
「実は私、二年前までは技術面よりも情熱を大切にする芸術タイプの漫画家だったんですよ。でもそれまで描いてきた漫画は大してヒットせず、次に担当するコミカライズが成功しなかったら漫画家をやめようと思っていました。でも次のコミカライズから次々にヒットしていき、今の実績があるんです」
「それがどうして情熱を失うことになったんですか?」
夕璃は話の核心に迫る。
「それが、やけくそで情熱を無くした状態で漫画を描いたんですよ。そしたらヒットして、それから情熱よりも流行りや技術を優先する職人タイプとして描くことにしました。そのおかげで技術面も上達しましたし、結果オーライってやつですかね」
エムは笑いながらも過去の話をしているが、夕璃にはその辛さが、悔しさが、後悔がひしひしと伝わってきた。
「エム先生は情熱を捨てたと言っていますが、情熱を捨ててまで漫画を書き続けてることこそが情熱なんじゃないんですか?」
その言葉を聞き、エムは気づかないようにしていたことに気づいてしまった。
本当は心のどこかにまだ情熱の火が弱々しく燃えていることに。
気づいてしまったらもう完璧な職人タイプには戻れないから、エムはその事実から目を逸らしていた。
「エム先生って芸術タイプの作家の作品ばかり担当してますよね?それって自分の漫画はエム先生の技術と、情熱的な作品の二つの力でできているって確信しているからですよね。エム先生は情熱を捨てていません」
エムは夕璃の言葉に熱くなり、身を乗り出した。
「でも、私が情熱を込めて漫画を描くとその人のコミカライズを失敗に終わらせてしまいます!情熱を込めなければ成功するコミカライズを、自らの手で失敗させたくありません!」
それに負けじと夕璃も立ち上がり、身を乗り出す。
「なら、俺の作品で試してみてください!憧れているんでしょ、情熱を持ち続ける主人公達に」
とうとう核心を突かれたエムはぼろぼろと大粒の涙を流し、嗚咽する。
「どうして……それを」
「俺もそんな主人公に憧れてこの業界に入ったからです。憧れは簡単に消すことはできないってこと、痛いほど分かります」
「でも、私は先生のコミカライズを失敗させたくありません」
「じゃあ成功させてください。エム先生の情熱が――魂が込められた作品で」
――先生は本気だ。
夕璃が大真面目で自らのコミカライズを賭けていることがエムに伝わった。
「分かりました。改めてお願いします。先生、もう一度漫画を描き直してもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。俺の作品を踏み台に、もう一度主人公になってください」
「しっかり先生の作品も成功させてみます」
決意したエムの心に宿る情熱の火は燃え盛っていた。
「話は聞かせてもらったが、それは一週間後に掲載するのを延期するということだぞ」
「分かっています。俺も関係者全員に謝りに行きます。だから延期させてください。お願いします」
芹那は大きくため息をついた後、夕璃の肩を叩いた。
「お前のお陰で主人公がまた一人誕生するな」
「俺は大したことをしてませんよ。ただ舞台を提供しただけです」
この後、エムは家で魂からの作品を描きあげ、夕璃と芹那は関係者に謝罪回りをした。
それから二ヶ月後に掲載された『俺ラノ』のコミカライズはエム史上一の大ヒットを巻き起こした。
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