第28話 編集者の闇

 桜華の誕生日からしばらくして芹那が編集長に話を通し、桜華はHG文庫でバイトとして正式に働くことになった。


 バイトなので担当を持つことはなく基本雑務なのだが、それでも慣れるまでは大変でミスもしてしまった。

 

 それを全て芹那がカバーしてくれた。


 芹那の編集者としての一面を桜華は初めて見て、その姿は紛れもない一流の編集者で尊敬するようになった。


 ある日、桜華がずっと抱いていた疑問を休憩の合間芹那に聞いた。


「あの芹那さん。バイトをしていてずっと疑問だったんですけど、編集者って一人一人作家との関わり方が違いますよね?」


 桜華が見てきた限り芹那のように作家に全力で寄り添い親しくなるタイプ、作家とはあくまでビジネスパートナーというタイプ、作家との会議も全てメールや電話でほとんど顔を合わせない、一見不仲にも見えるタイプなどの様々な編集者がいる。


「たしかに作家との関わり方は十人十色だ。作家と編集者が納得していれば全ての関わり方が正しい」

「じゃあさくらはどんな編集者になればいいですか?」

「逆に聞くが桜華はどんな編集者になりたい?」


 桜華はしばらく自分の心に聞いたが、答えは出なかった。

 

 夕璃の力になりたいと思い編集者を目指したが、こんな編集者になりたいという像はまだ桜華の中でできあがってなかった。


 俯いて考え込む桜華の頭に、芹那がぽんっと手を置いた。


「そう焦ることはないがこうなりたいっていう像があった方が仕事にも熱が入るぞ。バイトの期間で私以外の編集者とも交流して、自分がなりたい編集者像を見つけ出すんだな」


 そう言って芹那は仕事に戻っていった。



 ある日、一人の編集者が大慌てでHG文庫を駆け回っていた。


「どうしたんだ、唯衣」

「あ、せりり。明後日デッドラインの慧が家から逃げ出したのよ」


 桜華と芹那が廊下を歩いている時に駆け寄ってきたのは夕璃の兄の友達慧の担当であり、慧の妻の加隈唯衣だった。

 

 芹那と唯衣は同期でとても仲が良く、唯衣は芹那をせりりと呼んでいる。


「慧とは結婚しているんだからいつでも監禁できるだろ?」

「それが今日から編集部の監禁部屋に入れようと思ってたんだけど、昨日の夜それを察して慧が逃げたの」


「GPSは?」

「スマホも財布も持って行ってなくて服も新品のやつを着てどこかに行ったの。慧の持ってる服全てに小型GPSを付けたのがバレたのかな?」


 とても真っ当な人間から出ないような言葉が唯衣の口から飛び出す。


「ここって監禁部屋あるんですか?」

「逆に監禁部屋がない出版社なんてあるの?」

 唯衣がきょとんとした表情で答えた。

 

 監禁部屋は誘拐犯しか使わないものだと思っていた。

 桜華はこんな身近で使われていたことに驚愕した。


「まぁバイトちゃんにはまだ縁のないところだけど、いずれ本当に編集者になって作家を担当することになったらバイトちゃんも作家をそこにぶち込むかもね。あ、早く慧を探さないと。もし慧を見つけたら教えてね!」

 

 そう言って唯衣は駆け足で桜華達の前から消えていった。



 その日のバイトは朝から昼までだったので、久しぶりに夕璃の家に寄ることにした。

 

 ここ最近はバイトで行けていなかったので夕璃に会うのがとても楽しみだった。


 夕璃の家に着き、呼び鈴を押したがしばらく反応がなかった。

 いつもより遅めに夕璃がドアを開けた。


「久しぶり。もしかして昼寝でもしてた?」

「いや、ちょっと誰がいるかじっくり確認してただけだ」

 

 訳の分からないことを言っているが久しぶりに会えたのが嬉しいので桜華は特に気にすることもなく、夕璃の家に入った。


「もしかしてお客さんいる?」

 

 玄関には見知らぬ男物の靴があった。


「先輩の作家だから大丈夫だ。今紹介するよ」


 夕璃はそう言って桜華をリビングに通し、一緒にゲームをしていた先輩作家を紹介した。


「こちらが先輩作家の加隈慧さん」

「よろしく……ん?慧さん?聞いたことあるような……」

「君が桜華ちゃんか。夕璃のことで話したかったからいずれ会いたいと思ってたんだ。俺の本を見かけたことがあるから聞き覚えがあるんじゃないか?」

 

 桜華は頭を捻ってどこで慧の名前を聞いたのか思い出そうとしている。


「あ!そういえば……」

 しばらくして桜華は唯衣が探していた人だということを思い出した。

 

 桜華は慌ててトイレに行き、芹那にメッセージを送信した。


 ――慧さんには悪いけど編集者のバイトとして芹那さんに伝えないと。


 桜華はトイレを出て玄関のドアの鍵を開けてからリビングに戻った。

 

 夕璃と慧が楽しくゲームをしていると、突然玄関のドアが開き、ドタバタと足音が聞こえた。

 

 三人が振り返ると、そこには鬼の形相の唯衣がいた。


「ここにいたのね……。わざわざ財布もスマホも置いて新品の服で逃げるなんて、今からどうなるか分かってるよね?」

 

 唯衣が指を鳴らし、拳を握りながら近づいてくる。


「なぜだ!なんでここがバレたんだ!」

「自業自得ですよ……」

 

 唯衣に無駄な抵抗をする慧を、夕璃は呆れた目で見ている。


「ありがとうねバイトちゃん。そういえば名前聞いてなかったね」

「春咲桜華って言います」

「わたしは加隈唯衣だよ。じゃあこのバカを監禁するから、またね」

 

 やがて慧は抵抗をやめて連れて行かれた。

 

 二週間後、慧の小説は予定通り出版された。

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